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同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

わが社にとって同友会大学とは ~共に育つ土壌づくりの原点を考える~

 

1981年1月に開講した同友会大学。第66期までの卒業生は2,578名を数えるまでになりました。共に育つ土壌づくりの原点は同友会大学に息づいていることを感じながら、日々活躍している同窓生の皆さん。同友会大学同窓会では、経営者と卒業生が共に育ち合い会社をどう変えてきたのか、様々なエピソードを交えながら語り合っていただきました。

 


 

パネリスト

■ベル食品㈱      代表取締役会長   福山 恵太郎
■㈱サンコー      代表取締役会長   山田 修三
■㈱アイワード     常務取締役     吉田 正枝
■㈱ティーピーパック  総務部課長     上村 貴宏

 

コーディネーター

■㈲機弘社       代表取締役     前田 昭二

 


 

 

<前田> 同友会大学第57期を卒業した前田と申します。本日は、同友会大学で学んだ経営者と卒業生が共に育ち合い、会社をどう変えてきたのか、大いに語り合っていただこうと思います。まずは福山学長から「同友会大学とは何か」についてお話ください。

 

人として、どう生きるかを問う

 

福山 恵太郎

<福山> 同友会大学が開講したのは1981年、北海道同友会が誕生してから12年後のことです。当時の同友会の経営者には、自分たちが一所懸命勉強しても、幹部社員が育ってくれなければ同じ夢を描くことができない、という悩みがありました。そこで、急速に変化し続ける情勢と課題を正確に認識し、これからの社会と経営の発展方向を洞察し、創造的に対応する力を身につけることができる幹部社員を育てようと、同友会大学を設立したのです。


 現在、38年目を迎えた同友会大学第67期は、41名の皆さんが受講しています。カリキュラムは結構なボリュームがあり、出席率8割以上、レポート5本と卒論を提出し、総合点で50点以上取らなければ卒業できません。


 百歳を超えてお亡くなりなった日本教育学会会長の大田堯先生は、父親から「One man can lead a horse to water, but ten can’t make him drink.(馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない)」と言われて育ったそうです。


 私たちはどうすれば自主的に、有意義に生きていくことができるのか、馬に水を飲んでもらえるのか。世の中の動きをしっかり理解しないと、どう対応すべきかわかりません。経済、法律などの基本的な勉強はもとより、自分たちが住んでいる地域のことまで知識を広げることが大切です。仲間と共に学び、ディスカッションを繰り返すことで、人はより成長していくことができるのです。


 同友会大学は「人としてどういう生き方をしたいのか」を問いかける講座です。経営者の皆さんも経営理念の中で間違いなくそれを謳い、それに沿った企業活動を行おうとしています。とても壮大なビジョンを描くこと、それが同友会大学だと思います。

 

業態変革のビジョンを描く

 

山田 修三

<山田> 当社は1950年に創業、建築設計図の青写真、焼き付け業務をベースに関連する複写サービスを主たる業務として営業展開してきた会社です。創業者の三浦隆雄は北海道同友会の創立メンバーであり、1971年から89年まで19年間、代表理事を務めました。


 私は「同友会が人材育成、大学設置」という新聞記事を先代から見せられ、勉強してみたいと思いました。当時、ルート営業担当者はたくさんいましたが、新規開拓の担当は私一人だったため、4期目、営業部長の時に入学する決心をしました。


 当社の社員教育は、技術職以外は一貫して同友会の研修を利用しています。新入社員マナー教室、営業マン研修に始まり、役職者になると同友会大学に入学します。大学ではレポートを書くのがとても大変ですが、自分の勉強不足がわかるのと同時に、幅広い知識や人間性を身につけていかねばだめだという自覚が生まれます。また何よりも、異業種の幹部の方と接する中で、中小企業が置かれている環境の厳しさを肌身で感じ、悩みも皆共通だと実感できると思っています。


 1984年、新年全社会議の席で、先代から「これからは通信革命の時代に入る。当社の主たる業務は成熟商品ばかりでこのままでは生き残っていけない。今後の経営計画は皆で考えてほしい」と提起されました。幹部が集まり、様々な角度から自分たちの事業を分析していくうちに、情報の発生から廃棄までのマネジメントサイクルの中で、当社はほんの一部分しか仕事をしていなかったことに気づきました。


 そこで情報の先進地と言われるアメリカに10日間視察に行き、どのように自分たちの業務を変換していくべきかを学んできました。翌年は、コストダウンのためにコンピュータ化、CAD化、ロボット化を導入している日本の製造メーカーなどを視察しました。アメリカと日本の情報管理学を見て、情報のマネジメントサイクルを一連で扱えるようにすることにより、お客様のデータバンクとなり得るのではないか、当社の経営理念である「お客様のなくてはならない会社を目指す」ことができるのではないかと確信したわけです。そのために必要な投資について積算したところ、1億円程かかることがわかり、それを7千万円まで圧縮した経営計画書を作りました。


 おそらく予算はつかないものと覚悟して決済を仰いだところ、予想に反し、「大事業だが皆で力を合わせてがんばってほしい」と認めてもらいました。びっくりしつつも幹部一同「これは絶対に失敗できない」と、1986年、印刷機、裁断機を含め7千万円の投資でコンピュータ入力業務システムを導入しました。第2弾としてCADを、第3弾は地図情報のシステムを、第4弾はグラフィックシステムを導入しました。先代は「会社をつぶさないでくれ、それだけは約束してくれ」(笑)と言っていました。


 現在はドローンを利用した映像システムを導入し、防災・災害対策、都市の景観シミュレーションができるようになっており、文字情報と合わせて総合的に図面、地図情報を扱うことのできる会社になっています。

 

前に向かって困難を解決する

 

吉田 正枝

<吉田> 私は1982年に入社しました。私にとって同友会大学とは何だったのか? わが社における会社づくりを含め、果たして今、同友会大学での学びを生かせているのか、役職にふさわしい資質を持って取り組んでいるのだろうかと自問自答する毎日です。


 当社は印刷を母体にしている会社です。1965年に文字を組む、版を起こして印刷するという軽印刷から創業しましたが、実は73年までの8年間、経営者が非常勤でした。74年に第一次オイルショックが起こると、たちまち経営危機に陥ります。その際、縁あって当時同友会の事務局員だった木野口功(現・相談役)が経営を立て直すために、常務取締役として入社しました。職場の環境は劣悪で、およそ会社らしからぬ会社でした。


 当時の社員は20名、平均年齢25歳、売り上げは5800万円でした。創業時から労働組合があり、36協定の締結、年末手当の早期支給、年度末の繁忙期対策という3つの要求が団体交渉で出されていました。しかし、よく話を聞いてみると、社員の本音は「世間並みの給料を払ってほしい。今の給料では生活していけない」ということでした。そこで、木野口は給料を倍にする代わりに、経営を続けていくために売り上げを倍にすることを提案し、社員一丸となって給料の2倍化に取り組みました。その結果、人件費は70数%アップし、売り上げも80数%伸びました。「困った時には前に向かって解決せよ」と木野口が私たちによく言います。第2創業期のこのエピソードは、当社の会社づくりの原点になっています。


 再建1年目が終わり、次に取り組んだのは、これからの会社づくりでした。土台にしたのは、1975年に中同協が発表した『中小企業における労使関係の見解(労使見解)』と、同友会理念です。ここから、経営指針を成文化すること、経営者は時代の変化に対応して経営を維持・発展させる責任があること、社員をパートナーとして共育的人間関係を築くことを学びました。経営理念は皆で話し合い、最終的に「お客様の期待にお応えします」というスローガンにしました。経営方針は「民主的に運営する」「自主的・自覚的な行動を大事にする」「目標と計画を大切にする」を策定し、今に引き継がれています。


 経営指針を考える際、企業は何のためにあるのかという根源的な問いかけを社員と一緒に考えてきたことが、当社の会社づくりの土台になってきたのだと思います。

 

意気揚々と同友会大学に

 

<吉田> 私が入社2年目の時、上司の大澤眞津子(現・専務取締役)が第4期の同友会大学に通うことになりました。夕方になると「これから大学に行くんだー。あと頼むねー」と後輩の私たちに言い残し、実に楽しそうに意気揚々と出かけていくのです。会社が右肩上がりで伸びていく時代、どういう方向性が当社に求められ、その中で自分はどんな役割を果たしていかなければいけないのか。同友会大学は、その時々の時代背景と共にそういう学びの場であり、なおかつ自分自身が幹部として次のステップを踏んでいく重要な役割を果たしていく場であったのかなと思っています。


 私も16期で学ばせていただきました。次の時代を担う幹部の人たちにぜひ同友会大学に入って大きな学びを得てほしい、成長をかち取れる学びを得てほしいと考えています。

 

そうだ、同友会大学へ行こう

上村 貴宏

<上村> 私はまだ経営に関して何か言える立場ではないのですが、直近の同友会大学(65期)を卒業した者として、なぜ同友会大学に行ったのか? 受講して自分がどう変わっていったのか?ということをお話したいと思います。


 私は現在総務部で、経理課と業務課を兼務する仕事をしています。当社は2011年から新卒採用を始め、私も2013年から同友会の合同企業説明会のブースに座って説明をするようになりました。


 ある時、3列の椅子に座りきれず、立ち見の学生までいる他社のブースに気付きました。「何が違うのだろう。真似できるところは真似しよう。できないところは違うところで差をつけよう」と思いました。ヒントになったのは、スポーツ選手のヒーローインタビューのブースです。そこで背景に「ティーピーパック」という社名が入った手づくりタイルを貼ることにしました。すると次の合説で30名近くの学生が立ち寄ってくれたのです。足を止めてくれればこっちのもの。考え工夫することでどんどん学生が集まり、毎年1、2名、新入社員を採用できるようになった時、不安を感じるようになりました。彼らは社会人第一歩を、ティーピーパックという会社で歩んでくれる。入社後、家庭を持ち、子どもが生まれ、子育てをし、老後を迎える。そこまで会社が存続しなければならない責任が私たちにはある、ということに気づいたのです。


 他社の状況を聞いてみると、残念ながら3年以内で辞めていく新卒社員が非常に多いと聞きました。せっかく入った新入社員に何ができるのか? 私にはこうしようと思える術が何もなかったのです。「どうしよう、もっと大きな視点で考えなければだめだ」。日常業務に追われつつ、当社が生き残るためにどうしたら良いのかを考え、いろいろなセミナーにも参加してみたのですが、何のヒントにもなりません。それは誰かの経験であり、考え方だったからです。当社ではすでに同友会大学に行っている先輩たちが何人もいましたので、「そうだ、自分も同友会大学へ行こう」と、入学を決心しました。

 

マスコミの言葉を鵜呑みにするな

 

<上村> 入学式の日、新聞が配られました。挨拶に立ったサンマルコ食品の藤井社長から、「この新聞を今読むと、あなた方はそれぞれ思うところがあるでしょう。でも卒業するときに同じ新聞を読むと、全然違うはずです。どうぞ毎日新聞を読む習慣をつけてください」と言われたのです。その時は不思議に思いつつも、良いと言われたことはまず実行しようと、毎日、新聞を読むことにしました。新聞はコンビニで買いました。なぜなら定期購読すると、明日読めばいい、明後日読めばいいと、たまっていく可能性があったからです。そこで妻からお小遣いをもらい(笑)、毎日買って読むようにしました。


 最初のうちは大見出しを見て、「ああ、こんなことがあったんだ」。少し道内記事を見て「こんな新しい商品が出たんだなぁ」。最後にスポーツ欄などを見て読んだ気になっていました。最初は辛かったです。朝読みきれなかった分は、帰宅後も読むのですから。しかし1カ月ほど経つと、点で見えていたものが線に、次に面になっていったのです。私の頭の中で何かがつながったと思えた時、初めて「新聞は面白い」と思いました。それまでは、インターネットの情報を見て、言われるがまま「そうなんだ」とそれを事実として捉えていただけでした。


 同友会大学の先生方の話を伺い、共通して出てきた言葉があります。「マスコミの言葉をそのまま信じるな」。本当にそうだと思いました。「言葉だけを鵜呑みにするのではなく、データなどの事実を見なさい。それらを含めた中で文章を読みなさい」ということです。その上で「学んだことと合わせて自分の考えにしなさい」と言われました。違う大学の、違う教授が同じことを仰るのです。ある一つの出来事に対し、成功部分ばかりを伝えたとしたら、その物事は成功です。しかしその裏に何があるのか、事実を全部見ないとわかりません。読み進め、人の情報も頂き、事実を含めて自分の中で噛み砕き、大事なことを学んでいく習慣がつきました。


 新聞購読をきっかけに、当社にとって大事なことは何だろうという大きな視点から、いろいろな情報、結果、事実をつなぎ合わせて判断することができるようになりました。


前田 昭二

同友会大学に通うと、ものすごく成長するのだと感じ入ってしまうお話でした。さて、サンコーさんは同友会大学卒業生が全道トップで70人います。そんなにいると、社内で一体どんなことができるのでしょう。山田さん、卒業生はどのように活躍されていますか?

 

 

 

社内同窓会ができた!

 

<山田> 先ほど事業展開についてお話しましたが、それを実践するには何と言っても人材の育成が大切です。当社の卒業生のうち、定年などの退職者を除き、現在在籍しているのは29名です。


 皆、それぞれの役割を果たしていますが、私も含め忙しい中を勉強させていただいたので、何とか社内の活性化に生かしていけないかと、社内同窓会をつくることにしました。次から次へと事業展開していった結果、方々に事業所が出来、お客様が来ても1カ所で当社を見ていただくことができず、すべての部署の質問にお応えすることもできない状況でした。


 これを解消するために、最初は9名の社内同窓会でそれぞれの問題点を話し合い、改善していきました。同友会方式でプロジェクトチームをつくり、チームごとに業務マニュアルを考えました。しかし、専門用語ばかりが並び、他の部署の人には分かりにくい。他のセクションの人も加わり整理していくうちに、総務経理はどのような仕事をし、いつが繁忙期か?と業務分析を行うようになり、営業部門のマニュアルもできました。「これならなんとか使える」という時点で同友会大学の同窓生が講師になり、第1、第3土曜日の午後、社員に説明する時間を設けました。聞く方はもちろん、説明する方も勉強になりますし、社内の活性化が図られ、部署が違ってもお客様の質問に答えることができるようになってきました。


 社内同窓会ができたことで、幹部同士で率直な意見を出し合うようになり、社員と幹部のコミュニケーションも良くなり、幹部が謙虚に学ぶ姿勢が出てきて、社内全体の活力も醸成されました。さらに同友会理念や同友会運動についての理解が深まり、コミュニケーションのレベルがアップしました。


 幹部が同友会大学で学び、経営はどうあるべきか? 経営者の役割は何か?と、物事を本質的に見る力をつけていくので、同友会大学の卒業生が社内で十分な力を発揮できるような環境をつくることがトップの仕事である、と私自身も自覚したところです。

 

-社内で活躍できるチームや同窓会をつくれるのはうらやましいですね。アイワードさんは、右肩上がりという秘密が同友会大学にあるのではないかと思いますが、いかがですか。

 

情報処理の実用化を通してブック印刷へ

 

<吉田> 秘密はありません(笑)。ただ、会社の歴史と共に業態が変わってきたという部分で、昨今の状況についてお話します。


 印刷業界は大きな変革の時期に差しかかっています。今後、印刷の仕事をどのように方向づけて行くか、大きな転機になったのは印刷のデジタル化と非価格競争力に取り組んだことです。


 きっかけとなったのは、木野口が北大工学部の青木由直先生からコンピュータによる情報処理について学んだことからでした。「これからの印刷業界はコンピュータと密接につながっていく」と聞き、社内で勉強会を開くことになりました。当時は70名近くの社員がいましたが、コンピュータのコの字も知らない、中には聴覚障がいの人たちもいましたから、全員集めてみんなで勉強しようということになったのです。


 それを契機に将来のデジタル化を予測し、1980年に社員を一人、東京に3年間出向させました。そこで情報処理について学んでもらった後、当社で印刷の工程についてさらに勉強し、印刷と情報処理をつなげて何ができるかを模索しつつ、コンピュータの機能を生かすソフトの開発に着手しました。1985年に自社独自の文字情報処理システムを確立させ、文字をデジタル化してデータベースに載せる技術を実用化していったわけです。


 これを機に首都圏のお客様とも取り引きをさせていただくようになります。社員が一丸となり技術や設備に応じて全国的に通用する企業になっていく技術開発に努めてきたことが、今につながっています。


 現在、印刷業界は需要自体が縮小傾向で、「何でも印刷します」では生き残ってはいけません。当社の業態変革と合わせ、何を中心にやっていく会社なのか、当社が得意としてきたブック印刷に専念しようとなったのです。もともと文字を中心に関わることを大事にしてきましたので、その技術と文字情報システムを使い、本づくりをすることに特化しようと方向性を定め、取り組んでいる状況です。


私が同友会大学に通うことになった時、論文を書いたことがなかったため「論文の書き方を学ぶ」ことが一つの学びになりました。上村さんはどんな苦労をされましたか?

 

「うちのお父さんは大学生で、勉強しています」

 

<上村> 論文は率直に言って苦労しました。最初はあと何文字、あと何文字と思いながら書いていましたが、講義を受けていくにつれ、ここは大事だな、というメモが増えてくるのです。すると、書くこともどんどん増えていき、最後の方はどう文字を減らしていくか、どう要約していくかというところまで辿り着きました。高校も大学も理系で、論文に触れたことがなかったからです。

 

第67期同友会大学第20講 グループディスカッションのようす

 ところで、我が家には小学生の娘が一人います。同友会大学に通っているとき、帰宅後に新聞を読んだり、休みの日にレポートを書いたりしていましたが、小さなマンション住まいなので私の机がありません。そこで、娘の机を借りることにしました。「お父さんに朝と夜、机を貸してくれ。日中は使っていいから」。娘は「えー?」と渋々ながらも机を貸してくれるようになりました。ところがそのうち、私が少し早く帰宅し19時頃に机を使おうものなら「取らないで」と言い出すのです。「じゃあ、ちょっと待ってる」と答えると、今まで勉強している様子があまり伺えなかった娘が、自然と机に向かうようになったのです。


 参観日、作文を読み上げた娘は、「うちのお父さんは大学生です。勉強しています」と始まり、「私はまだ小学生だけれど、お父さんは会社員も学生もやっているので、自分ももっとがんばろうと思います」と締めくくったそうです。少なくともお父さんはかっこいいと思ってもらえた、そういう機会を同友会大学でいただけたことが、今の私の活力になっています。

 

送り出した人に学びの成果を聞こう

 

後に、今後の同友会大学に求めるものをひと言ずつお願いします。


<上村> 同友会大学で学ぶことはたくさんあり、すごく楽しめたと思います。事務局に要望があるとすれば、幹部社員のために同友会大学の大学院をつくってほしいな(笑)と思います。さらに学びを深めていきたいと思いますので、ご検討いただきたいです。


<吉田> 今日、皆さんの話を聞いて、逆に私が学ぶことがたくさんあり、本当に同友会の「共に学ぶ」教育だなと感じました。やはり、次の企業経営者をどう育てていくか? あるいは幹部をどう育てていくか?というのがこの大学の使命だと思いますので、ここに私は大きな期待を寄せ、今後もたくさんの受講生を送り出したいと思います。


<山田> 札幌支部は非常に恵まれていると思っています。できれば、同友会運動に関わっている人が等しく参加できる仕組みづくりが必要だと考えています。特に同友会大学や経営者大学については、WEBで全道に配信していく。同じ会費を払っているのですから全道均一な形にするためにも、2つの大学はぜひ、全道で聴講出来るような仕組みをつくっていただきたいというのが私の希望です。


<福山> 同友会大学を卒業すると「世の中の見方が変わった」「新聞の見方が変わった」と、それぞれが成長します。一番大事なのは講義の翌日、経営者や幹部が「どんなことをやったの?」と受講生に聞いてあげることです。皆さんが期待を持って送り出した人たちを放っておくのは勿体ないです。


 今後も同友会の会員が「共に育つ」とはどういうことなのか、社員を巻き込みながら考え続けてほしい。ぜひ同友会大学というプロセスを利用しながら、経営者も社員も共に成長できるよう、皆さんでフォローしていただければさらに受講内容が深まっていくことと思います。


-本日は皆さん、お忙しい中ありがとうございました。

 

(2019年6月25日 「同友会大学同窓会“共育”パネルディスカッション」より)