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同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

北海道同友会の50年を語る

つなぐ~原点から未来へ

 

 

 2019年3月、創立期メンバーによる「50周年を語る懇談会」を実施しました。


 当日は、参加者の皆さんが考える同友会の原点、各社と同友会のあゆみ、同友会での学びと自社の経営について、次代の担い手にひとことなど、大いに語り合っていただきました。

 


 

出席者

㈱光合金製作所 取締役会長        井上 一郎 (小樽)
戸沼岩崎建設㈱ 相談役会長        戸沼 平八 (函館)
㈱アイワード 取締役相談役        木野口 功 (札幌)
㈱和光 代表取締役会長          田中 傳右衛門 (札幌・50周年記念誌編集委員長)
㈱サンコー 代表取締役会長        山田 修三 (札幌・50周年記念誌編集委員)
㈱北海道建設新聞社 代表取締役社長    小泉 昌弘 (札幌・50周年記念誌編集委員)
㈱りんゆう観光 代表取締役社長      植田 拓史 (札幌・50周年記念誌編集委員)
(一社)北海道中小企業家同友会 事務局長  佐藤 紀雄 (50周年記念誌編集委員)

 

司会

(一社)北海道中小企業家同友会 専務理事  細川 修 (50周年記念誌編集委員)

 


 

<細川>-北海道同友会は今年11月22日に創立50周年を迎えます。本日は、創立期からの会員企業の皆さんにお越しいただき、50周年事業のテーマ「つなぐ~原点から未来へ」を受けて、忌憚なく語っていただきたいと思います。


 まず同友会との出会いや最初の印象と、同友会の学びを経営に生かしてこられた事例について、和光の田中会長からお話ください。

 

井上代表理事の謙虚さに衝撃


田中 傳右衛門

<田中> 私が同友会に入会したのは同友会設立5年目の1974年2月です。会社が同友会の事務所に近く、よく相談に行っていたこともあって、大久保尚孝さん(故人・初代事務局長・専務理事)から「理事をお願いしたい」とのお話があり、弱冠28歳で理事を仰せつかりました。最年少理事でしたから、理事会では一番隅っこの席に座っていると、同じように隅の席に代表理事の井上良次(故人・光合金製作所・前会長)さんが座っていて驚きました。理事会には上座も下座もないのです。そして、「小樽に帰るなら、車ですから一緒にどうぞ」と声を掛けていただきました。


 井上さんは回り道になるにも関わらず、私を家まで送ってくださいました。到着するや否や運転席から降りるのです。そして、助手席にまわってドアを開けてくださるのでびっくりしました。私は最初の理事会で謙虚さについて学びました。

 


井上 一郎

<井上> 父が同友会に入り「お前も勉強しなさい」と言われて私も一緒に入会しました。もう50年も経ったのかと感慨深い思いです。
 ある時、小樽の支部長をやっていた松田漁業の松田淳二さんから、「蛇は頭から脱皮する。頭が変わらなければ下は変わらない。だから勉強しなさい」と言われ、これは真剣に勉強しなくてはダメだなと強く思いましたね。また大久保さんをはじめ、歴代の支部長や役員の皆さんに、何度も助けられました。他社の悩みを我がこととしてお互いに援け合う会だと思います。

 


 

戸沼 平八

<戸沼> 私は82歳ですが、32歳の時に父から「函館に帰ってきて会社を継いでほしい」と言われ、大手建設会社を辞めて家業を継ぐことにしました。父が資金繰りなどに困っていたことも背景にありました。


 ある時、「経営者は決して孤独ではない」というテーマの講演会に誘いを受け、この言葉にひかれて同友会の会合に初めて参加しました。様々な業種の経営者が侃々諤々と議論をしていました。これが私と同友会の最初の出会いです。孤独感から解放されるように感じ、同友会にのめりこんでいくことになります。


 函館では、平和石油の本間貞雄さん(故人)が支部発足前の準備会から関わっていました。現在、函館支部幹事長の本間和幸さんのお父さんです。7、8人で勉強会を行っており、国吉昌晴さん(現・中同協顧問)、井上良次さん、大久保さんなどが講師となり、とても充実した面白い議論を深夜まで行っていました。


 同友会は、「よい会社をつくろう、よい経営者になろう、よい経営環境をつくろう」という3つの目的を掲げ、50年間ぶれずに続いてきました。当社もちょうど、今年で85年。同友会と出会えたからこそ、歴史を積み重ねることができたと思っています。

 

700通りの経営に触れて

 

木野口 功

<木野口> 私は1973年、会員数が300人程の時に、同友会の事務局員として入局しました。


 当時、一番力を入れていた活動は「女子社員マナー教室」でした。案内を入会対象企業に送り電話をかけると、「マナー教室をやっているのか」と、面談の約束もけっこうとれました。社員を育てて企業体質を強化することへの期待は大きかったですね。これをきっかけに、企業を訪問することができるようになりました。


 真夏の入局でしたので、舗装もあまり進んでいない埃っぽい町を歩き回り、道端の水道で顔を洗いながら企業訪問をしたことが思い出されます。私は事務局員として700人の経営者と名刺を交換し、700通りの経営の仕方があることを学びました。


 ところが、6カ月後に事務局を辞めることになります。共同軽印刷(現・アイワード)、という会社の経営の見通しが立たず、事務局長だった大久保さんや役員から、「経営者を探しているので挑戦してみないか」と言われて、決心しました。同時に同友会にも入会しました。こうして私は同友会のことを先に勉強してから入会しました。事務局員として、いろいろな企業を見せてもらいましたので、あまり慌てずに再建に取り掛かることができました。

 

経営者のパートナーに

 

お手元に北海道同友会の『結成総会開かれる』という資料があります。三浦隆雄さん(故人・サンコー・前会長)の「開会のことば」が載っています。三浦さんはサンコーの創業者で、代表理事を務められました。山田さんからは、三浦さんの企業づくりを通して培われた、同友会の原点をお話ください。


山田 修三

<山田> 先代は北海道同友会の創立メンバーでしたので、しょっちゅう大久保さんが会社に出入りされていました。私は1964年に入社し、店長になってまもなくの頃で大久保さんからは「ボク」と呼ばれ、よく声をかけてもらいました。以来、同友会での学びを全社員で共有する社風ができていったと思います。このことは、サンコーの大きな財産となり、当社の現在があると考えています。


 私は1982年に第4期の同友会大学に入学し、その後も当社の幹部はみな同友会大学を卒業しています。同友会大学で学び幹部社員を経営者のパートナーとして育てられたことが、当社にとっての同友会の原点と言えると思います。サンコーは、経営者と社員が共に学んで環境の変化に対応し、お客様の期待に応えていくことができる企業をめざして来ました。


 私が会員になったのは、1994年です。常務になり、大久保さんから「あなたもそろそろ会費を払って勉強するように」(笑)と言われ、入会の手続きをしました。

 

労使の信頼関係をなによりも大切にする

 

北海道建設新聞社の創業者である松木秀喜さん(故人)は、1971年に入会され、理事を務められ、事務所にもよくお越しになりました。松木さんは同友会のことを社内でどのように伝えられていましたか。


小泉 昌弘

<小泉> 同友会のことは、あまり話さなかったと思います。ただ、耳に残っているのは「社内に派閥をつくってはいけない」という言葉です。私はそれを最初に聞いて、いい会社だと思いましたね。


 創業者の長男である現会長は、新入社員の面接で「あなたたちを幹部として迎えるんだ」と話しています。みんな平等に幹部になるチャンスがあるのだ、だから頑張ってほしいということを伝えています。


 また、当社には労働組合があり、今も月に1度「労使例会」といって、経営側と労組の執行部が重要事項を話し合います。ベアなども話し合い、会社の重要事項は労組との合意に基づいて行う精神を持っています。これは創業者から継承されている経営姿勢です。小さな会社ながらも社員の思いを大切にした経営を行うということは、やはり同友会での学びの影響だと思います。


植田 拓史

<植田> 私がりんゆう観光に入社したのは13年前のことです。当時、叔父である専務と社長の父が何かと同友会の会合に出かけているので「何をしているのだろう」と思っていました。


 それは後々、私が同友会大学に入学するなどして分かってくることですが、先ほど建設新聞社さんの労使の考え方を聞き、当社にもそういう精神が流れているのだなと、改めて思いました。

 

 

経営者の使命に共感

 

細川 修

もうひとつ、同友会は本音で語ることができる場です。上山試錐工業を創業された上山博明さん(故人・初代札幌支部長)は、常々「同友会は恥をかいた人が一番得をする。自分の悩みや失敗をさらけ出せる人がみんなからアドバイスを受け、一番得をする会だ」と話され、新会員の気持ちをほぐしていました。そういう意味で、本音をさらけ出せる安心感は同友会の大切な雰囲気です。


<田中> 同友会の最大の学びは、例会やグループ討論での泥臭い、本音の話ですね。決してスマートな話ではないけれども、我々はそれに共感するのです。そして、自分も頑張らねばと思うのです。大久保さんの例会のまとめにはいつも勇気づけられました。「中小企業経営者は確固たる理念をしっかり持ち、幹部とともに育つ教育力、次から次と訪れる困難を乗り切る不屈の精神力、決断力を持ち、大きな愛情で社員と接している。大企業の経営者とはレベルが違う。ずっとレベルが高いのだ」と語りかけてくれました。


戸沼さんは、函館からこうした札幌の例会に通い、わくわくしながら函館に帰ったと聞いています。他支部の例会にも出られて学ばれました。その時のエピソードなどをお聞かせください。


<戸沼> 中標津に仕事で行った時のことです。夜、暇なものですから(笑)、「この辺で同友会の勉強会をやっていないか」と聞いたら、「別海町でやっている」と教えてもらいました。顔を出してみると皆さん歓迎してくださり「せっかく来たのだから戸沼さんの経営方針、経営理念の話をしてくれ」と、何と話をする側に回ってしまいました。相変わらず人使いが荒い(笑)同友会です。しかし、話す側が一番勉強になることも確かです。この時の話を別海の寺井範男さん(寺井建設・社長)が感心してくれて、何年後かの函館支部の江差の例会の時に、今度は寺井さんを招き「医《い》良《い》同《どう》友《ゆう》」の話をしてもらいました。いまだにお付き合いがあり、良い出会いがあったなと実感していますね。


<井上> その昔、札幌で例会があると小樽から参加していましたが、地元でやらなくてはダメだと痛感しました。同友会ができて4年経った時に、小樽でも深く学び合う会合を行うようになり、小樽支部をつくったのです。

 

経営指針と企業づくり

 

<山田> サンコーの創業精神は、「社員の幸せと会社の幸せと社会の幸せ」です。「3つの幸せを実現するためには、一人ひとりの社員が、より豊かな人間性を養い、お客様や仕入れ先、同業者からも信頼され、社会に必要とされる会社になることが大事だ」ということを、創業者はことあるごとに語っていました。


 経営はすべてガラス張りにし、創業の時から全社員が決算書を見られるようにしています。先代は「会社は社会の公器だから、永久に続けていけるようにしていくことが経営者の使命だ」とも話していました。創業者は、自分の考えと同友会理念とがマッチし、同友会運動に情熱を注いでいったのだな、と考えています。


 複写業界は、IT化の波で急激に変わっていきました。情報通信革命の時代に対応し、お客様に必要とされる会社になるために、社内で議論し、新たな戦略に取り組むことができたのです。同友会の経営者の中で学んだ成果だと思います。


<小泉> 新聞社もどちらかと言えば斜陽産業と言われていて、部数、売上げが伸びている新聞社は残念ながら全国に1社もありません。ですから常に、試行錯誤の繰り返しです。当社は「建設」という文字が入っているように、北海道の開発行政とともに歩んできたと言っても過言ではありません。それがバブル崩壊辺りから怪しげな雰囲気になってきたため、全部署から委員を集め、創業者がつくった経営方針を見直してみようと問題提起をし、1年間議論しました。


 そこで「この会社は何のためにあるのか、何をしようとしているのか」を若手を中心に議論しました。2012年に会社の綱領、当社の方針、編集綱領の3つを改訂しました。ここが今の求人活動にも大きな影響を与えたと考えています。どこを変えたのかというと、「建設産業の総合紙を目標」としていたものから「北海道を豊かにするため、時代の変革に即した地域経済、産業の専門報道に努める」などに変えました。


 その後、求人難にもかかわらず「北海道に貢献したい、北海道のために地元に戻りたい」という道外在住の20代、30代の若者から応募がくるようになりました。経営方針を変えたというよりも伝統を受け継ぐ、学びを受け継いでいるという意識です。

 

学ぶ社風が根づく

 

<戸沼> 同友会のおかげで今日、会社があります。合同入社式から始まり、函館支部の幹部大学で幹部も育ってきて、同友会をフル活用しています。社内研修会も行っていますが、その講師もほとんどが同友会関係の方にお願いしています。社員の人格形成に大きなプラスになっていると思います。同友会理念をベースに勉強するという姿勢が社内に定着し、それが人間力を形成しているのです。「学び方を学ぶ」ことで、社員の集団の力ができてきたのではないかなと感謝しています。


<田中> 同友会大学を卒業すると、社長の言うことが幹部に伝わりやすく、話が通りやすくなります。うちも50人くらい同友会大学を出ています。同友会大学は全道で2500人以上の卒業生を輩出していますので同窓会での交流もあり、大きな力となっています。


最近は、卒業生が「次はこの人」と社内で次の受講生を指名するなど、ラインをつないでいっていますね。


<井上> うちも十数人出しており、今は私の孫が行っています。


<山田> 当社は役職に付いたら同友会大学に入学する仕組みにしているので、これまでに70人が卒業しました。やはり同友会大学に出てレポートを書く中で、「自分は仕事しかしていなかった、いかに勉強不足だったか」ということを身をもって感じ、豊かな人間性、幅広い知識の大切さを感じることができるようになります。また、異業種の幹部の皆さんと一緒に勉強することで、他業界や他社の厳しさを肌で感じ、自分たちも頑張らなくてはならないという意気込みを感じて帰ってきてくれます。


<植田> 同友会大学には私はもちろん、今期も2人行かせていただいており、長いお付き合いをさせていただいています。当社も卒業した先輩が「次は君の番だよ」と、何となく伝え合うことができてきていると思います。


 同友会大学を卒業すると、皆さんがおっしゃっていた共通言語というか、同じ基礎の上で話せるようになるなと感じます。レポートを見せていただくと、新たな発見があります。彼はそんなことを考える人だったのかと、普段の仕事の中では見られない一面や考え方を見せてもらうことができます。


<木野口> 当社が大事にしているのは、民主的な運営、情報の共有化です。ベースになったのは、1975年に中同協がまとめた『労使見解』でした。経営者も社員もアルバイトの方々にも社内の情報は、すべて公開しています。1つは全社員に毎日、日報を出してもらい、提案があればそれをできるだけフィードバックしています。これが情報の共有化です。


 また、差別のない会社づくりを考えています。例えば、障害者や女性に対して待遇等、同じです。


 同友会大学も、受講案内を社内報で全社員に知らせ、その中から「行ってみたい」という人が出てくれば、行ってもらいます。次の幹部になるかどうかは関係なく、手を挙げてきた人は行ったら良いということにしています。

 

地域の可能性に光をあてて

 

<戸沼> 函館では「イカノポリス計画」や「昆布研究会」を行い、まちの活性化で賑わった時期があります。同友会が地域活動の中心となり、良い経験を残したと思っています。


佐藤 紀雄

<佐藤> 函館支部では北洋漁業の衰退等があり、地域を何とかしなくてはならないと、まず着目したのは観光です。しかし当時は「観光は水モノ」と言われ、地域産業として十分認識されていませんでした。どのような経済効果があるのかという統計もありません。そこで函館支部では、観光関連の消費額についてホテル、クリーニング、タクシーなど会員企業の協力を得て調査を行い、推計しました。同友会函館支部が最初に取り組んだので、とても注目されました。


 その後、「函館山にトンネルをつくってはどうか」という大きな構想も生まれます。また、テクノポリスで新しい産業都市を創造していこうという国の政策が出た時には、同友会は地域にあるものを見直し、それを起爆剤にして地域を活性化させようと提唱しました。これが「イカノポリス計画」です。


<戸沼> 市役所に確認すると『函館の魚』がまだ決まっていないことがわかり、検討会を開いてアンケートを取りました。すると90数%の方が函館の魚としてイカを挙げ、市議会に審議してもらいました。こうして函館市の魚が「イカ」に決まりました。すると、イカを使ったお菓子や料理の開発に始まり、何とマンホールの蓋までイカになりました。足元にある資源を見直すことで、地域の話題となり、多様な産業に大きな影響を及ぼしました。この活動が評判になり、全研などにも講師として呼ばれ、地域活性化運動の事例として幹事が手分けして報告に行ったものです。


<佐藤> そして、大事な地域資源であるにも関わらず、地元での認識が弱かったコンブに着目した「函館昆布研究会」の活動へとつながっていきます。函館支部の地域づくりや、とかち支部での農業経営部会のとりくみを通じ、同友会運動の3番目の目的である経営環境改善の活動が豊かになっていったといえるのではないでしょうか。

 

つなぐ、未来へ

 

-皆さんのお話をうかがい、同友会の学びが企業づくりのバックボーンになっていることを改めて実感できました。次に、この学びと実践をどのように伝えてきたか、伝えていくかについてお話しください。


<田中> 後継者問題では、印象的な話が札幌支部の「無二の会」でありました。北海道フキの一関脩さんが社長で、ご子息の修平さんが常務の時の後継者問題の例会です。


 司会者が息子さんに「あなたはどうして後継者になる決意をしたのか」と問うと、常務さんは「私が中学生の時に父の会社でトラブルがあり、親父が夜遅くにうちひしがれて帰ってきた。翌朝、パッと起きて『今日も頑張るぞ!』と言って会社へ出かけて行く姿を見て、かっこいいと思ったんです。この時に跡継ぎになろう、と思いました」とこう語るのです。私はすごいなあと驚きました。後継者に譲る時、良い時に譲れるとは限りません。中小企業経営は山あり谷ありですから。私は「うちは今が悪い時だから継がせるぞ」と言って、息子を社長にした覚えがあります。社長も同友会の会員です。同友会の理念のもとで学ぶことは大事だと後継者に伝えています。


<井上> 私は「若い人に任せる」のひとことです。考え方が少し違うなと思っても、若い人たちは若い人なりで取り組むわけです。


 今は経営環境がガラッと変わっています。我々はアナログ世代ですから、考え方をデジタルに切り替えるのはなかなか難しい。


 私が会社に入って10年ほど経ったときに、北大工学部の精密工学科の先生たちに呼ばれ、「ものづくりの最終目的な何か」と聞かれました。その時に「図面を入れると物になって出てくるのが一番望ましい」という話をしたのです。今まさに、そういう世の中になりました。3Dプリンターが然りです。私の役割は口出しをしない、若手に任せることと思っています。


<戸沼> 息子に社長をバトンタッチして10年になります。社長は50代ですから変化に対する対応が早いし、任せています。私も同友会の例会には極力参加するようにし、いろいろな場面で話をしたり相談に乗ることはあります。社長も成長し、任せっきりでも大丈夫だと思っています。


<木野口> ぜひ伝えたいことは、経営指針です。経営者と幹部の人たちは経営指針について深く、ディスカッションしてほしい。


 ある経営者は「この先どうなるのだろう、先が全く分からない」と言う。私は「ハッキリしているではないか。先行きは厳しい」と言います。ですから全力で対応していかなくてはダメなのです。環境変化の中でどのように未来を切り開いていくべきかを同友会で学び、つかんでいかなくてはならないと思います。


<山田> 先代が築いてきた考え方、経営に対する基本姿勢はきちんと伝えているつもりですが、確認していくことが大事だと考えています。
 次代の同友会役員の方々につなげるものとして「経営指針」が大事だと思います。札幌支部の「未知の会」には400人超の青年経営者がいます。経営指針について未知の会でも学んでいただき、経営指針づくりに取り組んでほしい。


 もう1つは、社員教育についてです。入社から3年目までの初級教育と、それ以降の中級の教育は、全道的に同じ教育内容ですすめられる仕組みにしていく。地域性が加わればさらに良いと思います。


 経営者大学と同友会大学については、遠方の人たちはなかなか参加できません。できれば、WEBで全道に配信し、どこでも勉強できるような環境をつくることがとても大切だと思います。


<小泉> 当社の会長は、昔の役員会の議事録を読んで、何かあった時に、先代はどう判断していたのか探っていますね。親父の背中というのは、そこまですごいものなのかなと思っています。亡くなった後も先代から一所懸命に学ぼうとしている。私は血のつながりがなく、そういう面ではうらやましいですね。


<植田> 私は同友会の歴史年表では最後の2ページくらいしか知らないので、その前の30数年の歴史や、どのように同友会運動が広がってきたのかを実感していない世代です。最近入会した方々も同様でしょう。私のような若い、もしくは入会して年次の浅い方にとっては、どのようにして3つの目的が生まれたのか、同友会の経営指針とは何か。激動の時代を知らない我々は、諸先輩に話していただきたいこと、語っていただきたいことがたくさんあると思います。


 時代が変わっている、どんどん動いている今だからこそ、過去の体験から学ぶべきことがあると思います。先輩会員の皆さんからどんどん学んでいきたいと思います。


<田中> 同友会の学び合いは物事の真理だとか、原点、本質に迫りながら展開されていると思います。その代表的な例の1つが故・大田堯先生です。中同協発行の『共に育つ』の中に、「教育とは何か─学校・社会・企業すべてに共通する人育ての本質」という大田先生の講演録があります。ぜひお読みいただきたいと思います。学ぶとは何か、生きるとは何かを追究し続けてきた先生です。


 経営環境は依然として厳しい状況が続いています。国民の7割が中小・零細企業で働き、企業の99・7%が中小・零細企業であるにも関わらず、中小企業の予算は1800億円。これはずっと変わっていません。それでもこの10年くらいで、明るい兆しが見えてきました。『中小企業憲章』ができ、それを基に行政も少しずつ動き始めています。中小企業振興基本条例も多くの自治体に広がって来ました。“良い経営環境づくり”の大きな成果です。


-同友会運動は、中小企業の経営者の運動としてスタートし、人育て、企業づくり、地域づくりの運動として広がっています。今日は、創立50周年を迎え、改めてこの運動の原点をそれぞれの皆さんの体験をふまえてお話いただきました。変化の激しい時代だからこそ、共に支えあい、語りあえる同友会の仲間を広げ、若い皆さんに同友会理念のバトンを渡していきたいものですね。本日はありがとうございました。