人間として生きるとは ―序にかえて―
この論文は、『21世紀型企業づくりをめざして 中小企業の経営課題―時代の流れ、体制固め、人育ての核心に迫る―』(〈編集・発行〉一般社団法人北海道中小企業家同友会)より抜粋転載したものです。 |
人間は社会の中でしか生きられない動物である。社会に存在が認められていないと、不安で生きて行けない。だから、周りからアテにされ、ようこそと、喜んで迎えられるような価値ある自分づくりを心がけることが、幸せへの第一歩である。
人間の社会は、原始共同体から奴隷制、封建制、資本主義へと変化し発展してきた。それは人間が望む「より良く、より安心な暮しがしたい」の要求に根ざすものであった。資本主義は、組織を利用し、機械を発明し、人間の力を効率的に活用しながら目覚ましい発展を遂げたが、次第に富の偏在と人間疎外を生み、多数の人びとの要求とかけ離れるものとなった。とりわけ人間同士の分断は、社会にさまざまな混乱や戸惑いを発生させ、自己防衛意識を育て、社会の主人公であるべき人間を孤独な生活へと追いやった。
現代社会は、政治も経済も教育も、ますます見通しが立たない状況に陥り、多くの人はその被害から逃れようと社会との関わりを避け、不安な穴ぐら生活をさせられているかのようである。「ヒトは自然を母とし、労働を父として人間となった」といわれる。それは信頼を前提にして協力して働き、生活の向上を求めてきた結果として、現代の有能な人間が存在するということである。また、人間が人間として幸せに生きるためには、社会に能動的に関わることが必要であるという示唆でもある。
従って、人びとの願いは何か、どうすれば人に役立つことができるか、より確かな応え方はと、熱烈に考え、社会のために役立つ力をつける努力を怠らないこと。それが人間として誠実に生きるということだ。しょせん人間は、他人の誠意や好意を当たり前のように受けるだけでは、やがて社会から見放されてしまう。
昔から「本当に優しく頼みになる人は、苦労をしてきた人」といわれる。苦労人は、人を大切にしなければ、自分の願いなど世の中に受け入れて貰えないことを知っている。世の中には冷たい人もいるが、本当のやさしさを持った人もいることを体験的に学び、「人間としての優しさとは何か」を知っている人だ。だから、弱い人や困った人には、最も的確な愛の手が差し伸べられる。
人間が幸せになれるかどうかは、人をどれだけ愛し、信じられるかがカギになる。現代社会は、他人がみんなエゴイストのように見えて、人を用心深くさせる。また、最小のエネルギーで最高の成果をあげることが良いのだと無条件で信じ込ませてしまう。だから、他人の事よりわが事優先の価値観が「常識」になり、他人の痛みをわが痛みとして感ずるなどできなくなった。浅薄な知識や経験で、主観的な判断をしても恥じない寒々とした昨今の風潮はそうしてできあがった。
でも、いつの時代も「他人のことなどわれ関せず」は孤独への道である。踏み込んだ思いやりは、誤解されることもあるが、誠意は必ず通じ人間の素晴らしさを実感できる機会をつくる。
人は、熱烈に人に接し、感動的な人生を生きてこそ、人間といえる。