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同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

北海道中小企業家同友会 50年のあゆみ

 

目次

 

創設の経緯

 1969年の春から、井上良次氏(光合金製作所・小樽)など小樽と札幌の経営者数人が、労働組合、社員教育などについて定期的な情報交換の会をもっていました。


 そこへ、「東京、大阪、神奈川、名古屋、福岡に中小企業家同友会という会があって、ザックバランに経営上の悩みを話し合っている。そろそろ全国協議会をつくりたい」という話が、書籍、石油業界のルートから持ち込まれ、実際に話を聞いてみることになりました。

 

1969.11.17.中同協設立総会に参加した三浦隆雄氏(サンコー 社長、当時)

 6月8日、9日に箱根で開かれた第1回日本中小企業家同友会準備会に、高橋通泰氏(なにわ書房・札幌)と本間貞雄氏(平和石油・函館)が出席します。「われわれは、中小企業家と中小企業の社会的、経済的地位の向上をめざして自主的な活動を進めてきたが、まだ同友会のない道府県にも呼びかけて真の全国協議会をつくりあげていきたい。よく北海道から来てくれた」と、大歓迎を受けました。

 

 感激した2人はその模様を身近な方たちに伝え、「北海道にもぜひ同友会をつくろう」と呼びかけていきました。1969年7月22日、札幌、小樽、函館の有志7名で、設立準備会(世話人代表 三浦隆雄氏 サンコー・札幌)が発足します。準備会でどういう会をつくるのかが討議され、次の4点が確認されました。

 

⑴自分だけでは勿論、同業組合では解決できない問題、出せない悩みを語り合い、激励し援け合う同友会。
⑵会員の一人ひとりが近代経営に脱皮し、隆盛になる道を探求し合う同友会。
⑶金融、税制、労務、貿易などの経営問題や、時事問題の講演会、研究会の他いろいろな話し合いを通じて腹を割った経験交流を行う同友会。
⑷あらゆる中小企業団体と提携して、中小企業のさまざまな要望を訴え実現する同友会。

 

 呼びかけ文は、「経営者は孤独です」という題で始まり、同じ悩みをみんなの知恵と力で解決していきたい。私たちの勇気と活力をここから汲みとり、明日の経営に役立つ会にしていこうではありませんか!と訴えています。

 当初から、「組織づくりにばかり片寄るとうまくいかない。直面している経営問題を研究し、経験交流していこう」と話し合われ、毎月20日に準備会と研究会を重ねていきました。

 

1970.11.菊水西町の事務所

 テーマは、8月が「中堅幹部をいかに育て確保するか」(11名)。9月「賃金体系と教育制度について」(17名)。10月は「流通構造の激変に備えて」(18名)。現在の例会の原型となる活動がすでに始まっていました。

 

 1969年11月22日、札幌第一ホテルで結成総会が開催され、34名の参加(うち委任状9名)で北海道同友会が誕生したのです。


 記念講演には薬のヒグチ社長の樋口俊夫氏(大阪同友会常任理事)を迎え、東京同友会の田山謙堂副理事長、名古屋同友会から石井正雄代表理事と今井保常任理事が激励にかけつけてくれました。

 

100名会員の時代

 1970年4月、第一銀行に23年間勤めた大久保尚孝氏が事務局長専任になって活動も本格化していきます。同年6月には“独身者マンション”計画に取り組むものの、金融面で力が及ばず中止。公営独身寮建設陳情に切り替えたりするひとコマもありました。8月には会員が100名を突破し、例会は厚みを加えていきました。


 9月5日、6日に京都で“第1回中小企業問題全国研究集会”が開催され、井上良次、今田幸司(ナニワ・札幌)、大久保尚孝の3氏が参加。京都における中小企業の運動と政策をつぶさに見てきました。


 1970年10月には、白石区菊水西町に8坪の事務所を開設。この年は北海道税理士会と共に商法改正反対運動に取り組み、その運動が実って中小企業にはほとんど影響がないよう原案を後退させることになりました。


 次いで、1971年9月2日~10日にかけて道議会から超党派の議員の参加も得て、総勢38名の“訪ソ使節団”を派遣しました。この使節団が橋渡しするかたちで、北海道とソ連の友好関係は大いに深まっていき、社団法人北海道日ソ貿易協会誕生のきっかけとなりました。


 1971年11月には、中央区狸小路6丁目のグランドビルに同友会事務所を移します。

 

1972.6.北海道が設営した中同協第4回総会

 1972年6月には、中小企業家同友会全国協議会(中同協)第4回総会の設営を北海道同友会が担当。全国から160名の同友が参加して大成功を収めました。この総会が開催されている最中、札幌市議会において同友会が中心となって提出していた“付加価値税創設反対に関する請願”が満場一致で採択され、その後道議会に対しても同一内容の請願を出し、11月に満場一致で採択されました。


 中同協総会を成功させたことは、会員にとって大きな自信となり、事務局体制の強化とあいまって躍進への大きな足掛かりとなりました。

 

 

200名から1000名に躍進

1973.2.知事公館向かいの煙草会館に移転

 1973年2月、事務所が手狭となったため、中央区北1条西16丁目の煙草会館へ移転します。当時、金融超緩和を背景に、ともすれば経営も調子に乗り過ぎるムードがありました。同友会は金融引締めが必須であり早目に対処すること、人材養成に一層力を入れることを会員に呼びかけ、きめ細かく例会や社員研修を開催していきました。こうして会員は全国に先がけて500名を突破します。


 折からの石油ショックによる狂乱物価と物不足で混乱が広がっていた時期でしたが、会内では、石油ショックの本質は何かと論議。「人為的につくられた“物不足”にのせられて過大在庫を抱えないように」と警告するなど、大局的に対処しました。一方、高物価に悩まされる従業員の生活をいくらかでも守るために、1974年2月に札幌経済センタービルで“びっくりセール”を開催。2日間で6000名の入場者が押しかけるほど人気をよび、新聞やテレビでも大きく取り上げられました。

 

1974.2.9.びっくりセール

 1974年5月の第6回総会では、否応なしに厳しさを増す経営環境を切り拓いていくため、同友会運動の意義と、同友会が強く大きくなる必要性を再確認して、次期総会までに1000名会員を達成することを決定します。“泥くさく、汗くさく、人間くさく”を合言葉に、囲碁、釣り、ゴルフ、民謡などの同好会や政経研究会なども発足し、例会、部会、昼食会などと並行して多面的な活動が展開されました。1974年9月には桑園地区に新築された第一ビル(中央区北4条西16丁目)に事務所を移転します。


 全会員がその気になって会員紹介に取り組んだ結果、11月19日には1000名会員を突破。11月26日の創立5周年記念祝賀会は喜びに包まれました。僅か1年で会員数が500名から1000名へ躍進したことは、全国の同友会運動への大きな励ましとなりました。

 

次々と支部が誕生

1974.11.26.1000社会員達成、創立5周年記念祝賀会

 北海道同友会が大きくなっていく過程で、道内各地で支部づくりの取り組みが広がっていきます。まず1971年6月に函館支部が誕生し、支部例会などの活動を開始しました。ついで、1973年8月に、小樽支部(現しりべし・小樽支部)が発足しました。


 事務局体制の強化によって、以前から支部結成の準備を進めていた旭川にも力を入れることができるようになり、半年間にわたる例会や昼食会の積み重ねの結果、1974年7月、旭川支部(現道北あさひかわ支部)設立へとこぎつけることができました。


 また、同業組合のルートを通じて、同友会の話が釧路、帯広方面にも広がり、たちまち共鳴者が現われました。役員、事務局による約1年間の準備活動と会員増強の結果、1975年6月に釧路支部(現くしろ支部)、同年8月に帯広支部(現とかち支部)が誕生し、その後目覚ましい躍進を続けています。


 さらに、岩見沢、美唄などを中心に1977年2月には南空知支部が誕生。次いで1978年3月には苫小牧支部が設立されました。また、会勢の増大に伴い、地方支部でもきめ細かな活動が保障できるようにと、1977年6月には帯広に東北海道センターを開設、ついで7月には旭川センターを設け、翌1978年4月には函館センターの開設へとこぎつけました。


 静内地区や滝川・深川・砂川・芦別の北空知地区にも同友の輪は広がり、1979年11月には、室蘭・登別・伊達の3市からなる西胆振支部が誕生しました。そして1982年6月には北見支部(現オホーツク支部)が発足、1983年5月には中標津支部(現くしろ支部)がスタート。翌1984年6月には根室支部(現くしろ支部)が誕生しました。

 

1979.2.全道青年経営者「共育」一泊研修会で報告する今田幸司氏(ナニワ 社長、当時)

 現在では、帯広、旭川、函館の他に釧路、苫小牧、北見、小樽にも事務所があり、専任の事務局員が常駐しています。支部事務所は、支部活動の要として重要な役割を果たしています。


 また、1979年に全道青年経営者“共育”一泊交流会が旭川で開催され、以降毎年、各支部持ち回りで開かれていきます。1985年の第7回からは全道経営者“共育”研究集会と改めました。文字通り北海道同友会最大規模の学びの場が各地で巡回開催されることは、支部活動の底上げと全道的な会員間交流の進展につながっていきました。

 

共に育ちあう土壌づくり

 北海道同友会が誕生した当時の北海道は、大企業の求人草刈り場の様相を呈しており、新卒者がごっそりと道外へ就職する状態が続いていました。「どうすれば若者が来てくれるか、定着してくれるか」という切実な悩みを話し合う中で、①「人材確保」は「受け皿づくり」と不離一体であり、就業規則の整備や賃金制度の見直しなど社内体制の整備が大事。②待遇や環境改善だけではなく、社員の人間としての自覚を促すことなしに、若者にとって魅力ある企業にはできない。ということが次第に共通認識となっていきました。

 

1979.1.24.女子社員マナー教室の1コマ(講師は宝石の玉屋 会長 深林廣吉氏)

 その結果、共同求人活動に取り組む前に、同友会として社員教育活動を実施して社内体制を整え、社会的信用の基礎を固めることにしました。最初に手掛けたのは、1970年11月の「上級幹部教室」です。いかなる時にも、企業にとって頼みになるのは「人間的な総合力」であり、幹部は担当する職務に明るいだけでなく、経営者に助言できる「先読み能力」を備えることが必要であることを、会員経営者が語りかけました。次いで、1971年2月に「中堅幹部教室」を、8月には「女子社員マナー教室」を開催します。どの研修でも共通していたのは、会員経営者と事務局員が講師役を務め、「人間として生きるとはどういうことか」を共に考えることでした。


 社員教育に取り組みながら、「すぐに役に立つ研修を期待する声が多いが、それはすぐに役に立たなくなることと同義語」「教育は会社にとって使い勝手が良い人間づくりであってはならない」「本来の教育は、自分の頭で考えて課題を見つけ実践して、社会に役立ちながら生きていける能力を身につけるようサポートすることではないか」などの議論を重ねていきました。


 共同求人活動は社員教育活動の実践を土台にスタートします。1970年から高校訪問を行い、学校に中小企業への理解を広げる活動を開始。1972年には新聞紙上に「激動を良き友とする同友会企業は、人間が人間らしく働ける職場です」とうたった共同の求人広告を掲載し、説明会を兼ねた面接会を実施しました。現在のような合同企業説明会が始まったのは1975年からです。北海道同友会が初めて使った「合同企業説明会」という名称は次第に一般用語となり、共同求人活動と社員教育活動は全国へ広がり、同友会運動の主要な柱として位置付けられていきます。また、学生の就職活動がインターネットを入口としたスタイルへ変化したことを受け、エントリー機能を備えた求人サイトを構築し、2003年1月に運用を開始します。この仕組みは中同協に採用され、「Jobway」として全国の共同求人活動ネットワークを広げていきました。

 


 同友会大学が開講されたのは1981年です。構想は早い段階から温めていましたが、札幌支部の会員が1200名を超えて裾野が広がり、長期継続が可能となる条件を整えてからの開講となりました。カリキュラムは、「経済と中小企業」、「北海道論」、「科学と人間」、「現代と法」、「経営戦略と企業づくり」、「人間と教育」の6単元、一泊研修を含め全30講。卒論やレポート作成に苦労しつつも、視野が広がり、学ぶ喜びを実感できる同友会大学は、2019年の67期までに2618名の卒業生を輩出しています。

 

1982.5.経営者大学「経済学」開講式 挨拶する故・井上良次代表理事

 同友会大学に触発され、経営者も勉強しなければ幹部社員に追いつかれると、「経営者大学」が1982年にスタートします。「経済学」、「経営学」、「北海道論」、「人間と教育論」、「法と中小企業」の5コースで各コース10講座。年に1コースしか開講されないため、修了までには最短で5年かかります。これまでの修了者は延べ88名しかいません。


 共同求人と社員教育を表裏一体のものとして積み重ねてきた北海道同友会の実践は、全国の同友会運動に共感を広げていきます。


 1983年7月に札幌で開かれた中同協第15回総会では、「同友会の社員教育の理念は“共に育ちあう土壌づくり”にある。家庭、学校、社会における教育と結合して、“人間が人間として息づく”環境を共につくりあげよう。国民の大多数が働いている中小企業は、これからの時代を担う人間を育てるための“たよれる学校”である」と高らかにうたった総会宣言が採択されます。


 「教育宣言」と後に称されるこの宣言は、同友会運動の発展にとって大きな意義を持つ歴史的文書となりました。


 また、1993年7月8日、9日の両日、札幌で歴史的な中同協第25回定時総会が開かれ、全国から1348名の同友が集いました。この総会では、『21世紀型中小企業』のありようをまとめた「総会宣言」が万雷の拍手で確認されました。


 『21世紀型中小企業』とは、「第1に、自社の存在意義を改めて問い直すとともに、社会的使命感に燃えて事業活動を行い、国民と地域社会からの信頼や期待に高い水準でこたえられる企業。第2に、社員の創意や自主性が十分に発揮できる社風と理念が確立され、労使が共に育ちあい、高まりあいの意欲に燃え、活力に満ちた豊かな人間集団としての企業です」との提起は、めざすべき企業の姿として、大きな目標となっていきます。


 さらに1995年5月9日に開催された北海道同友会第27回定時総会では、ユネスコ『学習権宣言』の普及に力を入れることを決め、“共育”運動はさらに深みと広がりを増しました。

 

全道に広がる同友の輪

 同友会は、“会員一人ひとりが経営にすぐに役立つ辞書の一頁”であると考え、豊かな“辞書”づくりに励んできました。この“辞書”は、経営者一人ひとりが死に物狂いになって書き上げた血と汗と涙の結晶であり、この辞書を使いこなしていくならば、どんな困難に突き当たっても、必ず良い知恵を引き出すことができます。

 

1986.6.札幌支部設立総会で挨拶する花井馨氏(白馬堂印刷 社長、当時)

 1986年6月19日、札幌支部が設立総会を開催し、札幌の位置づけを支部として明確にしました。現在では札幌市内を中央東、中央西、中央南、中央北、東、西・手稲、南、北(石狩市・当別町を含む)、白石・厚別、豊平・清田の10地区にわけ、江別地区会、千歳・恵庭・北広島・長沼地区会を含めて12地区会によって構成しています。


 しりべし・小樽支部の中にも、北後志地区会、山麓地区会、岩宇地区会ができ、後志全域に同友会組織が広がっています。道北あさひかわ支部でも、名寄、富良野、留萌、稚内(現・宗谷)、羽幌に地区会が発足、道北全域をカバーする同友会ネットワークを確立。とかち支部も、足寄、本別、広尾、大樹、清水、新得、池田へと地区会が広がり、十勝にしっかりと根を張った活動を展開しています。オホーツク支部にも、斜里、紋別、美幌、網走の地区会が誕生しました。


 1995年9月には、函館支部桧山地区会が発足。これで全道14振興局の全てに同友会の支部や地区会の組織が存在することになりました。
 その後もくしろ支部に厚岸地区会(2003年2月)と白糠地区会(2004年2月)、摩周地区会(2005年5月)が誕生し、函館支部でも2004年10月に駒ヶ岳・大沼地区会(現・噴火湾地区会)が発足します。南しれとこ支部では、2007年11月に別海地区会が誕生しました。

 

地域の新しい可能性に目を向けて

 一次産業に目を向け、地域を見直すことによって新しい可能性を探る取り組みも全道に大きく広がっていきます。1989年に全国の同友会で初めて帯広支部(現・とかち支部)に「農業経営部会」が設立され、以降、道内各地で8つの部会が活動を行っています。「農業者が中小企業経営者と共に学び合い、“農業経営者”として自立した経営を行う」ことを基本的な目的に掲げ、「都市と農村の交流」「消費者に農業を伝える」に加え、「農商工連携による新商品・技術・サービス開発、新市場開拓」や「農業の6次産業化の推進」への展開がみられます。全道・全国の農業経営の先進事例や、他産業の先進事例から学ぶ活動や「農場指針」(経営指針)をつくる学び合い、消費者との交流を目的とした収穫感謝祭、全国の飲食業や食品小売業と連携し産地直送を進めるためのビジネスマッチング(商談会・展示会)、さらには海外への輸出を模索する海外販路開拓事業などに取り組む部会も出てきました。

 

⑬2004.2.第3回全道農業幹部会交流会(札幌、参加者205名)

 各支部の経験交流を行うため全道農業関連部会連絡会が設置され、「全道農業関連部会交流会」を持ち回りで開催している他、2013年には中同協の「“食と農”連携グループ全国交流会」が帯広で開催されました。農業生産者の会員は着実に全道へ広がり、2019年7月末の農業会員は375名。会員構成比は6%を超えています。


 安全・安心でおいしい素材と料理人の技の競演で地域の新たな食文化を生み出そうと、2004年からしりべし・小樽支部で司厨士協会らと共同で取り組む『味覚フェスタ』が始まります。


 函館支部ではイカと昆布をテーマにした活動を1987年から10年余りにわたって展開しました。支部設立15周年記念事業としてスタートした『イカノポリス計画』では、世界のイカ料理祭、イカ料理の本の出版、イカの内臓から抽出した液晶入りネクタイピンなどの商品開発、イカのマスコットキャラクター「キュッキュ」を制作し、イカを使った珍味やお菓子の商品開発が地元企業で活発になりました。「テクノポリス」をもじってネーミングしたこの『イカノポリス』の取り組みを通じて、①イカソーメンや活イカの刺身を提供する料理店が増え、②水産食品加工の二次産業と観光の三次産業が結びつき、③1989年に函館市議会は、イカを「市の魚」に制定。市制70周年記念式典では、函館市から同友会函館支部に感謝状が贈呈されました。

 

イカ料理の本

 その後函館支部は、会員企業から出るオフィス古紙のリサイクル運動を1995年から展開。オフィス町内会による古紙分別回収システムと、売却益でどんぐりの植樹活動を行なう取り組みが注目を集め、「平成9年版環境白書」でも事例が紹介されました。


 また同支部では、イカと並ぶ地元の身近な水産資源「コンブ」に着目して、加工や料理の開発などで昆布の付加価値を高め、地域おこしにつなげようと、1998年に「函館昆布研究会」を設立。かつて北前船が昆布を運んだ「コンブロード」をたどり、北陸、京阪、沖縄、大連(中国)などを訪ね、食文化などについて学びました。5年間にわたり「はこだて昆布フェスタ」を開催し、昆布カレーや昆布納豆、昆布カステラ、フォアグラの昆布巻きなどの商品が相次いで開発され、「ガゴメ昆布」が広く知られるきっかけともなりました。

 

金融危機を乗り超え、金融機関との相互理解が進む

 一方、バブル経済が弾けて金融機関の不良債権が拡大し、金融問題は日本経済の屋台骨を大きく揺るがします。そして1997年11月17日、ついに北海道拓殖銀行が破綻し、北海道経済は激震に見舞われました。


 北海道同友会では、同日「拓銀の経営破綻にあたって」と題して、⑴政府系金融機関を通じ、道内中小企業に緊急支援体制をとること、⑵道内の各金融機関が中小企業に積極的な対応ができるよう、政府と地方行政機関が具体的な指導と援助を行うことと、緊急要望を関係機関に伝えました。翌11月18日に札幌で「全道組織・企画活動交流会」が開かれ、「よい会社をつくる、よい経営者になる、よい経営環境をつくる」という同友会3つの目的に向かって会社ぐるみで学びあい努力を積み重ねていくことこそ、強靱な企業づくりの確かな道であることが実感をもって再確認されました。

 

拓銀の経営破綻にあたって


 拓銀の経営破綻は、北海道にとって重大な問題であります。とりわけ、年末を控え道内の中小企業に及ぼす影響ははかり知れません。社会的な使命を持つ銀行の経営責任が問われなければなりませんが、この事態に至った最大の原因は、バブル経済を野放しにし、金融機関に対する指導が的確でなかった国の政策にあります。従って私どもは、北海道経済の混乱と道民の動揺を最小限にとどめるために、政府、地方行政機関、道内金融機関が次のような緊急策を講じられるよう要望します。

 

一、国民金融公庫、中小企業金融公庫など政府系金融機関を通じ、特別枠で道内中小企業に対する緊急支援体制をとること。

 

二、北洋銀行に限らず、道内の各金融機関が中小企業に対して積極的な対応ができるよう、政府と地方行政機関が具体的な指導と援助を行うこと。

 

1997年11月17日
北海道中小企業家同友会
代表理事 福山 達彦


 併せて大久保尚孝専務理事が金融機関とコンタクトを取りながら、会員の金融・経営相談に応じていきました。創立時から同友会で語り合ってきた「激動をよき友とする経営者になろう」という合言葉が会員を励まします。


 1998年に設置された金融監督庁(現・金融庁)は、翌年「金融検査マニュアル」を作成。金融機関はこのマニュアルを画一的に適用し、債務者区分を厳しく評価した結果、バブルとは無縁だった中小企業にも「貸し渋り」「貸しはがし」と呼ばれる状況が生まれていきました。

 

中同協第33回定時総会で挨拶する木野口功氏 (アイワード 社長、当時)

 2001年7月12日、13日の両日、21世紀初の全国総会(中同協第33回定時総会)が札幌で開催されます。全国から1549名が参加したこの総会では、『金融アセスメント法』制定運動に取り組むことが全国の同友に呼びかけられました。『金融アセスメント法』とは、個々の金融機関の営業実態を「地域への円滑な資金供給」や「利用者利便」の観点から公的機関が評価・情報公開をし、金融機関の選択を利用者の判断にゆだねる仕組みで、アメリカの地域再投資法をモデルにしています。


 北海道同友会では、金融問題について学習と議論を積み重ねた結果、「『金融アセスメント法』の本質は、地域と中小企業にやさしい望ましい金融システムの創造をはかろうとするものだ」ということが確認され、法律が制定されるよう会内外に働きかけていくことを理事会で決めました。以降、地域金融機関との懇談も全道各地で開催し、理解と共感を広げていきます。『金融アセスメント法』の早期制定を求める署名は全道で10万筆に達し、町村議長会とも連携して地方議会に働きかけた結果、道議会をはじめ当時の212市町村全ての議会で早期制定を求める意見書が採択されました。
 全国では署名が101万筆、意見書採択議会は1000を超えました。結果的に、法律制定には至りませんでしたが、金融検査マニュアルに「中小企業融資編」ができるなど、地域経済の疲弊が進む中で金融行政は大きく変化していきます。

 

2017.西胆振支部・伊達信用金庫の連携協定調印式

 「経営者保証のガイドライン」(2013年)によって、これまで中小企業経営者の宿命と考えられていた「個人保証」の弊害解消の動きが出てきます。金融庁は2016年に「金融仲介機能のベンチマーク」を策定し、地域金融機関に開示を促しました。「ベンチマーク」の内容には、金融アセスメント法制定運動で同友会が提言してきた内容と重なる点も多くあります。


 北海道同友会では、道内の地銀、信金との懇談の他、北海道財務局や日本銀行、北海道信用金庫協会との懇談も行い、金融機関との相互理解も進んでいきました。釧路支部と釧路信用金庫(2011年)を皮切りに、北海道同友会と北洋銀行、同じく北海道銀行(いずれも2012年)、道北あさひかわ支部と旭川信用金庫、西胆振支部と伊達信用金庫(いずれも2017年)が連携協定を結びました。

 

経営指針確立で強靭な企業づくりを

 21世紀を迎え、同友会の歴史が30年を超える時期になると、「労使見解」や共育理念になじみの薄い会員も増えてきました。一方で、経営指針成文化への要望が高かったことから、2001年に札幌支部中央西地区会では経営指針研究会をつくり、中同協のテキストを使って1年がかりで成文化のための学び合いを進めました。他の地区会にも同様の取り組みが広がり、理事会では経営指針づくり推進委員会(現・経営指針委員会)を設置して、労使見解を基軸に据えた経営指針成文化の運動をすすめていきました。


 2004年の全道方針では「なりゆきまかせの経営ではなく、企業としての目的や使命を明らかにし、社員が納得して安心して全力投球できる方針を打ち立てるため、『21世紀型企業づくり』の柱として、全ての支部で経営指針確立のための取り組みを開始する」ことを決定。委員会の熱心なサポートが功を奏し、各支部で経営指針の研究会や発表会が活発に行われるようになっていきます。


 全国的にも経営指針の運動が強化され、中同協では、自社の経営課題を明確にしていくための共通の尺度となる『企業変革支援プログラム』をはじめ、新たな『経営指針成文化と実践の手引き』を作成。経営指針は「経営理念と10年ビジョン、経営方針、経営計画」からなると再定義しました。


 「よい会社をめざす」地道な取り組みは、人材の採用や金融機関の評価となって現われ、後継者の育成にも大きな力を発揮しています。

 

中小企業憲章と中小企業振興基本条例制定運動

 2003年に福岡で開催された中同協第35回総会では、「中小企業憲章」制定という新たな課題が提起されました。「私たちが金融アセス運動の中で学んだことは、日本経済繁栄の原動力は中小企業の発展にあり、そのためには、金融政策のみならず国の経済政策そのものが中小企業を軸に大転換する必要に迫られていることです。すでにヨーロッパでは、21世紀の経済発展と雇用の担い手は中小企業にあるとの認識に立って、「中小企業憲章」が制定されています。日本においても、中小企業を国民経済の豊かで健全な発展の中核と位置づける「中小企業憲章」の制定が望まれます。あわせて、私たちは、地方レベルでは、「中小企業振興基本条例」がすべての自治体で制定されることを要望し、その実現のために力を尽くします」(同総会宣言)と呼びかけます。


 新しい提起に戸惑いを覚えつつも、欧州小企業憲章がうたう、「小企業はヨーロッパ経済の背骨である。小企業は雇用の主要な源泉であり、ビジネス・アイディアを産み育てる大地である。小企業が最優先の政策課題に据えられてはじめて、“新しい経済”の到来を告げようとするヨーロッパの努力は実を結ぶだろう」という格調高い訳文は、総会参加者に共感を持って受け止められました。


 北海道同友会では、まず足元を見つめ直そうと、地域の産業経済、人口動態、雇用などについて調べると共に、中小企業憲章と中小企業振興基本条例に関する学習を開始していきます。

 

2012.6..憲章制定2周年セミナー

 1999年に全面改正された中小企業基本法第6条で、地方公共団体は中小企業に関する施策の策定実施が義務づけられました。改めて道内自治体を調べてみると、旧基本法に則ったいわゆる補助金根拠条例が散見されるだけで、その地域独自の中小企業振興策を明示した条例は1つもありませんでした。


 2006年度の北海道同友会総会では、「中小企業振興基本条例づくりを推進することは自社と地域のかかわりを問い直すことであり、自社の存在意義を深くとらえ、経営理念を豊かにする上からも意味のある運動」と位置づけ、道内各地の市町村、商工団体にも働きかけて、中小企業振興基本条例の制定改定に取り組むとの活動方針を決議しました。


 2007年4月1日、帯広市で「中小企業振興基本条例」が施行されます。「中小企業の振興が、帯広・十勝の発展に欠かせない」と前文でうたい、市長の責務も明記するという画期的な条例です。条例に基づいた振興策を検討する中小企業振興協議会も設置されました。1年以上にわたって同友会帯広支部と商工会議所、市などが協議を積み重ねてきた成果であり、その根底には、地域にしっかりと根を張る同友会運動があります。2008年4月に札幌市、2009年4月には釧路市と別海町で中小企業振興基本条例が制定され、その動きは全道へ広がっていきます。


 そして2011年6月18日、ついに「中小企業憲章」が閣議決定されました。「中小企業は、経済を牽引する力であり、社会の主役である」ということばで始まるこの憲章は、基本理念と5つの基本原則、8つの行動指針で構成されています。中小企業家の正当な願いは、国政をも変えることができるとの確信を得たのです。2014年には小規模企業振興基本法が制定されます。


 せっかくできた憲章が生きて働く力になるよう、翌年から中小企業憲章制定記念セミナーを毎年開催していきました。中小企業庁から北川慎介長官をお招きしたり、主催団体も北海道同友会の他、中小企業基盤整備機構、北海道中小企業団体中央会が加わるなど年々活発になっています。2019年6月30日現在で、道内の理念型中小企業(小規模)振興基本条例の制定自治体は、北海道の他、44市町村となりました。

 

中小企業家のあらゆる要望に応えて前進

2010.6.HoPE祝賀会

 21世紀に入って会員の要望は一層多面的になっていきます。大学や公設試験研究機関に行政や金融などを含めた産学官連携によって、中小企業の経営課題解決をめざす取り組みが北海道同友会で始まります。牽引役となったのは2001年に発足した産学官連携研究会「HoPE」(Hokkaido Platform Entrance)でした。従来の産学官連携は、一企業と大学の先生が行う共同研究のようなスタイルでしたが、「HoPE」は産学官が集まる勉強の場をつくって交流を行い、特定のテーマに関心を持った人たちが研究会を立ち上げ、新製品や新事業創出につなげていく活動です。中小企業が主役となり、着実に成果に結びつける産学官連携システムとして評価され、「HoPE」は2010年に北海道経済産業局の推薦で産学官連携功労者表彰の経済産業大臣賞を受賞しました。


 また、障害者自立支援法を契機に、障がい者が抱える悩みに寄り添い、障がい者雇用に対する理解を広げていくための取り組みも2005年から始まります。中心になったのは札幌支部障害者問題委員会です。障がい者雇用を通じて「仕事の進め方が誰にもわかるようマニュアルをつくった」「障がいをもつ人が入社して職場が優しくなった」などの経験も交流され、全道に委員会が広がりつつあります。


 同友会は、会員の要望に幅広く、しかも深く応えるために、新鮮で魅力ある企画をたてるよう理事会を中心に努力して参りました。


 6千名の中小企業家が持っている知恵と経験こそ、何ものにも代えがたい宝です。同友会の例会・研究会は、会員の体験を中心に広く知識や情報をあつめ、経営のヒントをつかみ、また会員がお互いに腹を割って語り合える場となっています。


 同友会の行う景況、賃金等の調査活動は、マスコミ、銀行等各関係機関からも注目されており、事務局にもちこまれる経営相談も多岐にわたります。会員間の経済交流も活発になっており、従業員の福利厚生、定着化対策も会員の知恵を持ちより具体的な解決策を探求しています。


 さらに、北海道をはじめ行政や金融機関、報道機関との懇談も幅広く行われ、私たちの要望や見解は、道民と全中小企業の立場に立った良識あるものとして各方面から積極的に評価されています。同友会が、単に会員のためだけでなく、全ての中小企業のために存在し、活動を続けていることは会員の誇りとなっています。

 

一般社団法人への移行

2009.5.法人設立記念祝賀会

 2009年5月18日。北海道同友会は第41回定時総会を開催し、一般社団法人への移行を決定します。法人化に関する検討は2006年から始まりました。40年にわたって培ってきた同友会の理念や組織の風合いを損なうことなく法人化できるのか、するべきなのか。同友会の組織的性格にふさわしい法人格は何かなど、理事会の下に法人化検討委員会(鼻和憲生委員長)を設置して、専門家の助言も得ながら論議を重ねていきました。


 総会では、①公益法人法の改正によって、法人の定款自治が保障されたこと ②会の資産保全をより確かにすること ③組織基盤を強化することの3つの提案理由が報告され、設立時社員は全理事、総会代議員を社員とすることを含め、定款案並びに、法人への移行が満場一致で承認されました。総会で議長を務めた安井清吉副代表理事は、「結論に至るまで3年間を要しましたが、その過程の慎重さ、議論の深さ、周知徹底の丁寧さはまさに同友会の自主・民主・連帯の精神そのもの。法人化は北海道同友会の先進性、本質性をさらに高める第一歩」と補足し、全員が起立し万雷の拍手で承認されたのです。


 全国の同友会で一般社団法人への移行は初めてでしたが、その後福岡同友会が法人化するなど、組織整備を進めていく上でも北海道同友会は、先駆的な役割を果たすことになります。

 

2010.11.22.札幌総合卸センター事務所

 法人化によって行政等外部からの信頼感が増し、事務局員の雇用責任も明確になりました。また固定資産の取得が可能になったことで、札幌駅から徒歩15分、東区北6条東4丁目の協同組合札幌総合卸センター8号館の土地建物を取得。2010年11月に改装して本部事務所を移転しました。会員の利便性が高まり、事務所と駐車場のコストが大幅に削減されて財政にも寄与します。


 さらに、協同組合札幌総合卸センターの再整備事業に伴い、13階建ての新ビルが建設され、北海道同友会は最上階に専用会議室を含め167坪の事務所を購入。北海道同友会50周年の2019年12月に、移転が決まりました。

 

自主性と民主性は同友会のいのち

 北海道同友会半世紀の歩みを振りかえるとき、会の発展を支えたものは何であったかと問われれば、会員・役員・事務局員の情熱と、同友会理念の確かさ、そして、会員の自主性を尊重し、民主的な運営を常に心掛けてきたことにあります。


 それをわかりやすく要約したものが“運営にあたっての心掛け”です。

〈運営にあたっての心掛け〉


⑴会員の要求はどんなに小さくとも必ずとりあげ、成果は全会員のものになるようつとめる。
⑵会員の自主性を尊重し、知りあい、学びあい、援けあいを日常的に追求する。
⑶会員の思想、信条、企業の大小、会員としての経歴、社会的な地位に関係なく、会員は対等平等であり、それぞれの立場から自由に発言できる雰囲気を保障する。
⑷身近な問題を軽視せず、大きな課題を諦めず、“早く”と“粘り強く”を織り込んで活動をすすめる。
⑸ボス支配を絶対にさけ、全会員が運営に参加するよう細心の注意を払う。
⑹他団体との交流も積極的に行い、要求や目的で一致できる点では手をとりあい、縄張り主義に陥らない。
⑺決定は“全員一致”をめざし、十分に論議をつくす。
⑻個人の政党支持、政治活動の自由を保障し、会員が政治に関心を持つことは大いに結構だが、同友会としては、一党一派にかたよらない。

 

2011.1.新事務所にて

 以上の心掛けは、北海道同友会がどんなに大きくなっても大切にしていきたい知恵であり、組織文化です。

 

 同友会は「功績者のいない会」と表現されていますが、反面ではかくれた沢山の功績者がいたからこそ今日の北海道同友会が存在することも忘れることはできません。


 北海道同友会は、この50年間、一貫して次のような基本方針で取り組んできました。

 

第1に、情勢を科学性、社会性、人間性の視点で分析し、正確に深く時代の流れを読み、先見性を発揮するよう努力すること。
第2に、企業の原点とは何かを問いかけ、自社の存在意義を絶えず確認し、経営理念の確立と実践に努めること。
第3に、“自主、民主、連帯”の精神を同友会運動と企業経営の命として大切にし、ゆるぎない哲学にすること。
第4に、同友会運動や企業経営における主役は人間であり、総合的な人間力が将来を決めると考え、“共学、共育、共生”の関係を家庭、企業、地域に広く、深くつくりあげていくこと。そのために、会社をあげて同友会で学ぶ社風づくりに取り組むこと。

 

 時代は少子高齢化、人口減少、地域経済の疲弊等、大きな転換期の渦中にあります。これに対応して持続可能な地域をつくっていくことは、地域に生きる中小企業の誇りある経営課題そのものです。


 「激動をよき友とする」気概を受け継いだ全道同友の新しい挑戦が始まっています。

 

北海道中小企業家同友会 会勢推移