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【71号特集3】都市近郊型農業の新☆戦略②

2023年01月20日

都市近郊型農業の新☆戦略②
―10年先をみすえた農業経営―

 

㈱グローバル自然農園 代表取締役社長 余湖 智(恵庭)

 

 自然災害により多額の借金を背負うことになった余湖農園は、高付加価値の野菜をつくることや、外国人労働者を主力に置く経営など、様々なアイディアで危機を乗り越え、着実に成長を遂げてきました。これからの困難な時代を生き抜き、外部変化にも負けない持続可能な経営とは何かを学びます。

 


 

 私の父は新潟県の佐渡島で400年続く農家の長男に生まれました。実家は大変貧しく、父は家督を次男である弟に譲り、新たな土地を開拓して商売を始めることを志しました。そして、太平洋戦争が始まった1941年、「二龍山アルロンシャン開拓団」として豊かな土壌を持つ満州に渡ったのです。

 

 しかし、1945年8月、満州が旧ソ連軍に侵攻され、避難を余儀なくされてしまいます。そのような中、1947年に生まれた私には兄と姉がいましたが、悪性のはしかに罹り、幼くして亡くなったと聞いています。その後両親は1年間かけて逃避行と収容所生活を送り、命からがら佐渡島に引き揚げました。「二龍山開拓団」約350名のうち、日本に引き揚げられた人は約200名ですから、両親が帰って来れたのは奇跡的だと思います。ただ、実家は次男が継いでいたので、居心地の悪さを感じた父は、1950年に第2の開拓地として恵庭市の北島に入植しました。

 

 北海道は明治時代から開拓の歴史があり、すでに開拓が進んでいたことから、入植したころには条件の良い土地はほとんど残っていませんでした。また、北島は千歳川の流域にあるため、水害が頻繁に起こる厳しい環境でした。そのような過酷な条件の中、満州や樺太、朝鮮から日本に引き揚げた入植者と共にこの地を開拓したのです。

 

満州・開拓時代のようす

 

多額の借金を背負って

 入植した当初は換金作物として「えん麦」や「菜種」をつくっていました。しかし用水ができ、それらの作物が輸入物に押され、採算が合わなくなったことから水田単作に切り替え、米農家としての道を歩むことになりました。

 

 当時は国の食糧増産政策によって米については手厚い保護がありました。そのため米価は毎年上がっていき、徐々に暮らしは豊かになっていきました。一方で、河川の流域にあったため、水害や3年に1度訪れる冷害との闘いが続きました。こうして米づくりで生活する基盤ができ、1966年に父から農家を継ぎました。

 

 しかし、これまでの食料増産政策によって米が次第に余るようになったため、1970年に国は減反政策に舵を切りました。当時野菜づくりの勉強もしていたことから、数年間は米と野菜をつくっていましたが、利益などを考え本格的に野菜中心の生産を行うことを決断しました。

 

 試行錯誤を繰り返しながら、1972年に法人化、余湖農園を設立しました。1980年には開拓当初からの7haの土地に3千万円の借金をして5haの土地を新たに購入し、生産拡大を狙いましたが、翌年に石狩川流域の大洪水に見舞われ、その結果5千万円まで借金が膨れ上がりました。

 

直販に取り組み借金返済へ

 借金返済のため、蓄えを切り崩しながら、しばらくの間、私は働き詰めの生活を送りました。そこで、有機栽培の可能性を見いだし、農協や市場を通さない「直販」に取り組むことを決意します。週に1回定期的に顧客回りを行い、札幌や近郊のまちで多くの顧客を獲得しました。その姿を見ていた仲間の協力を得て、1991年に特別栽培農産物の流通と販売を担う、グローバル自然農園を設立しました。

 

 スーパーなどの販路拡大に成功し、取引先の一つであるスーパーが道の駅での地物野菜の販売をモデルケースにした「ご近所やさい」がブームになったことで、売り上げが一気に増え、借金を大幅に返済することができました。

 

オンリーワンの追求で他社との差別化へ

 当社では他社との差別化を図り、安売りされることのない、価値ある野菜づくりをいくつか行っています。

 

 1つ目は「軟白みつば」の栽培です。石狩管内で生産しているのは当社のみで、全量契約栽培のため売れ残ることがなく、利益を確保することができます。

 

 2つ目は「青ネギ」の生産です。関西圏での需要が多く、北海道ではあまり馴染みがありませんが、大手製麺会社が北海道に進出したタイミングで生産の話を持ちかけられました。試行錯誤を重ね、生産技術を確立したところで、生産地の九州・四国・中国地方が台風の影響で出荷できなくなり、当社の青ネギの需要が一気に増えました。さらに世界的にネギが不足していることもあり、今後の売り上げが大いに期待できます。

 

 3つ目は「調理用トマト」の生産です。ホールトマトやジュース、ピューレの原料として契約栽培を行っており、当社は全道2位の生産量を誇ります。通常はコンバインで収穫するため、トマトに土が入りジュースの原料にしかなりませんが、当社は手もぎで行うため様々な原料としての価値が生まれ、高値で取引することが可能になりました。

 

 

 人手不足の中、手もぎで生産できる仕組みづくりには知恵を絞りました。考え抜いた末に出した広告は、「パート募集」ではなく「収穫体験の募集」でした。SNSも活用し、新聞社が取り上げたことで市民が押し寄せ、手もぎでの生産の仕組みを確立することができました。
 昨今の資材の高騰などで苦しい状況は続きますが、オンリーワンを追求して他社との差別化を図り、自社固有の強みを生かしています。

 

収穫された青ネギ

 

多様性を尊重し、持続可能な経営をめざす

 当社では現在、約20名いるパートのうち、65歳以上の方が8割を占める状況にあります。手作業を必要としているため、働き手は喉から手が出るほど欲しいのですが、新規で募集をしてもなかなか人が集まりません。

 

 そこで外国人雇用に取り組み、現在ベトナムから来た20名の技能実習生が働いています。当社は北海道の耕種農業であるため、夏場は多くの仕事がありますが、冬場は農閑期になります。彼らは多くの収入を得たいと考えて来日するので、農繁期にしっかりと稼いでもらい、農閑期には自国に帰るという仕組みで定着してもらうことを考えています。

 

 また、社員が定着するために、社内研修会や懇親会などコミュニケーションを図る場を積極的に設けています。さらに、悩みや要望を定期的な面談を通じてヒアリングし、働きやすい職場づくりをめざしています。

 

 当社で働く人にしっかりと寄り添い、社員やパート、外国人実習生が共に協力し合いながら、多様性を尊重し、持続可能な経営をめざして行けるよう、これからも取り組んでいきます。

 

 

(2022年10月7日「第37回全道経営者〝共育〟研究集会with全道青年部・後継者部会交流会in札幌」第18分科会より 文責 佐藤 佑貴)

 

㈱グローバル自然農園 代表取締役社長 余湖 智(恵庭)
■会社概要
設  立:1991年
資 本 金:1,000万円
従業員数:50名
事業内容:特別栽培野菜の生産と販売、野菜の収穫体験、農産加工の体験、農産加工品の販売