【71号特集3】3千人のまち天塩から世界最高の牛乳を
2023年01月20日
3千人のまち天塩から世界最高の牛乳を
―業界の常識を打破するスマート酪農への挑戦―
㈱宇野牧場 代表取締役 宇野 剛司(天塩)
人口3千人の街、天塩町サラキシで放牧酪農と乳製品の加工・販売を営む宇野牧場。宇野氏は、ニュージーランドをはじめ酪農先進国で学び、「無理だ、できるわけがない」との声にも負けず、業界の常識を打破しながら経営にまい進してきました。めざすは「天塩町産・世界最高峰のミルク」。理想の酪農に向け奮闘する宇野氏の挑戦から学びます。
当社は天塩町サラキシで酪農業と乳製品加工を営んでおり、私で3代目になります。先々代は福井から入植後、稲作をしていたそうです。天塩は泥炭が混じった粘土質の土で、稲作には不向きだったこともあり、徐々に酪農に切り替わり、父の代で完全に酪農に切り替わりました。
当社の草地は現在230haあり、すべてオーガニックの認証を取得しています。日本国内でもオーガニック嗜好の方が徐々に増えているので、販売している中でお客様の反応が良くなっていると感じます。
放牧酪農への挑戦
私は大学時代、ニュージーランドの研究をしていた教授のゼミに入った際に、「放牧地があるなら絶対に放牧が良い」という強い奨めを受けました。また、ニュージーランドの乳価は、日本の3分の1程度と非常に安いにもかかわらず、ニュージーランドの酪農家が儲かっている理由が放牧にあることを知りました。そこで、「高い乳価の日本で放牧をすればより儲かるのでは」という思いから、父の代では舎飼いでしたが、放牧へ切り替えることを決意しました。
しかし、実際に実家に戻ってから一番初めに行なったのは、連帯債務者の印鑑を押すことでした。当時は家族経営の小さな牧場でした。1億円の借金があり、簡単に投資をすることができない状態からスタートしたので、放牧のための柵などは自作していました。
そこから少しずつ牛を外に出していくわけですが、今まで牛舎に入っていた牛はなかなか外に出てくれず、牛舎から出すだけで1時間かかるなど苦戦が続きました。しかし2年目からは、外でお腹一杯草を食べ、安心して外で寝て過ごすことが増えました。搾乳の際には牛舎に戻りますが、終わるとまたすぐに外に出ていくなど、牛の行動が変わっていき、放牧は、牛にとっても快適な暮らしなのだとわかりました。それと同時に、穀物や干し草を与えていたころに比べ、牛乳の味も変わっていくなど、放牧に手ごたえを感じ始めました。
同友会入会と新商品の開発
私は経営者としての勉強もしていかなければと思い、2010年に同友会に入会し、すぐに経営指針研究会を受講しました。
天塩から受講場所の旭川まで約3時間かけて通い、朝の4時に天塩に帰る生活が約1年間続きましたが、自分にとって初めてのことを教わり、考えていることが文字になっていくことが非常に面白く、大変さは気になりませんでした。
このとき作成した経営指針が自分の中で大きな柱になっており、様々な障害がある中でもぶれずにやってこれたと思います。
ちょうど経営指針を作成したあたりから製品開発をしていこうと思い始めました。放牧によって牛乳の味が変わってきたこともあり、この牛乳の味を多くの人に知っていただきたいのと同時に、自分で価値をつけることができれば、どんな状況にも流されない経営ができると思ったからです。
ただ、乳製品加工は初めての試みだったため、何をつくってよいか手探り状態でした。一般的にはチーズやアイス、プリン等がありますが目新しさはありません。宇野牧場独自の商品を考えていたところ、自分の一番好きな乳製品で、昔からよく食べていた牛乳豆腐を商品化しようと考え始めました。しかし、流通に乗せようとすると形が崩れてしまったり、賞味期限が持たなかったりします。
それから4年間の試行錯誤を経て、『トロケッテ・ウーノ』が完成しました。牛乳豆腐は酢を使って固めるのが一般的ですが、にがりで大豆の植物性たんぱくが固まるのであれば、牛乳の動物性たんぱくも固まるだろうという推測から生まれたものです。牛乳ににがりを加えた商品というのは、おそらく国内で宇野牧場が初めてでしたので、展示会に出展すると大手乳業メーカーが見に来てくれるようになりました。お客様からの反応もよく、今では宇野牧場の商品の柱になっています。
手探りの中での輸出販売
『トロケッテ・ウーノ』ができてから、地元のイベントや物産展に出展はしていましたが、将来を見据え、別の販路を探していたときに取り組んだのが輸出でした。輸出に関する知識がほとんどなかったころ、天塩に齊藤啓輔副町長(現余市町長)が来られました。そのとき、「一緒に輸出をやってみよう」という齊藤副町長の後押しもあり、輸出に向け本格的に動き始めました。
初めて海外の商談会に行ったのがシンガポールです。そのときは手探り状態でパンフレットを英語に直すことや、輸出のための手続きなどを人に教わりながら進めていきました。商談も片言の英語で商品の説明をしながら徐々に販路を広げていき、今でもシンガポールへの輸出を続けています。販路を広げていく中で、お客様から「牛乳やヨーグルトは販売しないのか」という声を多くいただくようになり、製品化に着手しました。
世界最高の牛乳をめざして
より質の高い牛乳を生産しようと考え始めたのは、私が26歳の時、父が癌と診断されたことがきっかけでした。抗がん剤や未認可の薬を試してみたりしましたが、副作用が強く、金額面でもかなり負担がかかります。食べ物でなんとかできないかと悩んでいた頃、偶然、勉強会で牛乳が癌患者にとって良いことを聞きました。
質の高い牛乳を搾れば、父の病気の進行を少しでも遅らせることができるかもしれません。その当時オーガニックという意識はなかったですが、現在のように化学肥料を使わず、草だけで牛を育てることにもつながります。こうして生まれたのが『最高峰の牛乳』です。
「何が最高峰なのか」と尋ねられることがありますが、味には各々好き嫌いがあるので、味のことではありません。私が最高峰と名付けたのは、この牛乳が持つ「価値」でした。オーガニック・100%、草だけで飼育・ホルモン剤不使用・A2(消化管に炎症を起こしにくく、吸収がよいミルク)という基準を満たしているのは宇野牧場だけという価値こそが最高峰なのです。ほかにはない牛乳をつくっていくことによって、自社の強みを活かして生き残っていくことができるだろうと考えています。
スマート酪農への挑戦
2021年に新会社「㈱REVOMILK(以下・レボミルク)」を設立し、札幌のIT会社と組んで、新しいシステム構築に乗り出しました。どのようなシステムかというと、ドローンを飛ばして写真を撮影し、搭載されたAIが自動で牧草地の状況を判断するものです。また、撮影したデータはタブレットに送信され、それを見て牧場主が牧草地の状況を判断することができるというものです。
放牧をしている酪農家にとって牧草地の状況を把握するのが一番難しく、経営を大きく左右する部分でもあるので、素人の方が見てもある程度状況を判断できるシステムをつくりました。また、これはまだ試験中なのですが、手元のボタンでゲートを開閉することができ、牛が勝手に移動するシステムも考えています。
現在天塩町では、どんどん人手がなくなっています。天塩町の基幹産業は酪農で、酪農業をもっと大きくしていかなければいけないと考えていますが、家族経営では人手がまったく足りません。しかし、草地はどんどん余っていく現状があり、それを打破するためには無人の牧場をつくることが必要ではないかと考えています。今まではロボット搾乳機で、搾乳は自動でできていましたが、草地の管理までとなると例がありませんでした。これが実現できれば無人の牧場をつくることができ、これから過疎化していく地方の草地を使えば、一大産業地になる可能性を感じています。
未来を見据えて
今後は酪農、乳製品加工に加えて観光にも取り組んでいきたいと思っています。牧場の現場をより多くの人に近くで見ていただき、カフェでの飲食や、牧場内で宿泊をしていただくことも考えています。また、現在宇野牧場は天塩町を拠点として運営していますが、レボミルクは全国に展開していこうと考えています。実際に東北や関東から余っている草地のお話をいただいているので、将来的に展開していく予定です。
日本の食料自給率は現在39%ですが、将来、これがかなり大きな問題になっていくでしょう。穀物に限れば、どんどん値段が上がり、日本に入ってこなくなる可能性もあります。牛は一般的に穀物で育てますから、輸入飼料に頼っている現状だと、日本の畜産業が崩壊してしまうのではという危機感を持っています。ですから、日本全国に草地が余っているのであれば、100%草だけで牛を育てる牧場を全国につくっていきたいと思っています。
さらに宇野牧場では乳製品と同時に、100%草だけで育てたオーガニックのグラスフェッドビーフの生産にもチャレンジしています。将来的には、レボミルクで全国展開した牧場でも乳製品と肉牛の生産をしたいと思っています。そうなれば乳製品と牛肉だけは日本国民に供給できる体制づくりができるのではないかと期待しています。
宇野牧場は天塩の発展のために、レボミルクは日本国民の食料を生産するために展開していきたいと思っていますので、今後にぜひ期待をしていただきたいです。
(2022年3月9日「しりべし・小樽支部3月例会」より 文責 高橋 慶)
㈱宇野牧場 代表取締役 宇野 剛司(天塩) ■会社概要 設 立:1945年 資 本 金:300万円 従業員数:3名 事業内容:酪農業、乳製品加工 |