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【70号特集1】胆振東部地震から3年 復興の『今』を見る

胆振東部地震から3年
復興の『今』を見る

 

一般社団法人厚真町観光協会 事務局長  原 祐二(厚真)
㈱今多建設 代表取締役 今多 信博(厚真)
㈱あつまみらい 代表取締役 山口 善紀(厚真)

 

死者44名、住家全壊491棟など、道内に多大な爪痕を残した北海道胆振東部地震から約3年。震源地である厚真町や近郊の復興の『今』を当時の被災状況を照らし合わせながら学びます。

 


 

【報告1】 原 祐二

 

 私は大学時代まで大阪で過ごし、東京と神戸で仕事をしていました。自然豊かな厚真町に惹かれて7年前に移住しました。


 関西では1995年に阪神・淡路大震災が発生しました。私は直接は被災しませんでしたが、発生から3年後、仕事の関係で神戸に移り住みました。当時住んでいたマンションの前に、300世帯の仮設住宅が立ち並んでいました。道路や建物はかなり復旧していましたが、3年経っても仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃいました。厚真町で被災し、このことを思い起こしています。


 今回は厚真町の今と復興への取り組みをお伝えしたいと思います。

 

未曽有の土砂崩れによる被害

 

 2018年9月6日、午前3時7分に発生した北海道胆振東部地震は、厚真町とむかわ町の境目付近が震源地と言われています。深さ37㎞、マグニチュード6・7、厚真町では震度7を記録しました。


 土砂災害は4400ha、7000カ所以上にのぼり、厚真町内の死者は37名、そのうち36名は土砂崩れで亡くなりました。住家被害は1647戸、町内2200世帯のうち8割の住家が被災しました。

 

復旧から復興へ

 

 観光協会がある本郷地区ではマナビィ会館という公民館が避難所になり、開設をお手伝いしました。本郷地区にはリハビリセンターがあり、ご高齢の方が多く入所されていました。マナビィ会館はこのリハビリセンターの方々の避難先になっていて、9月6日の朝、多くの方を受け入れました。布団が隙間なく並べられ、地震発生から2日間は床に毛布を敷いて雑魚寝をしている状況でしたが、比較的早い段階で段ボールベッドやパーテーションが届き、徐々に生活環境が整っていきました。こうした避難所での生活が、応急仮設住宅が建設されるまで約2カ月間続きました。


 2020年10月頃には、リハビリセンターの復旧や災害公営住宅の建設が完了しました。自宅を再建した方も無事戻り、12月くらいから応急仮設住宅が役割を終え、撤去されていきました。震災の甚大さを強く感じる仮設住宅がなくなり、ようやくひと段落したように感じました。

 

厚真町観光協会の取り組み

 

 厚真町は面積404㎢、人口は4412人で人口密度は11人/㎢と、のどかで自然豊かな町です。観光協会では田んぼのオーナー制度やハスカップ狩りなどの体験型観光、いわゆるグリーンツーリズムを推進してきました。


 震災後、観光協会では厚真町被災地ガイドを始めました。これは、当時の状況、避難生活、現在の復興状況について、実際に震災を経験した町民がガイドとなり、特に土砂災害の大きかった厚真町北部地域を巡りながら案内するガイドツアーです。2019年には2000人以上が参加しました。


 また現在は、命の尊さ、防災、減災を考えていただくきっかけづくりを目的に、震災学習プログラムに力を入れて取り組んでいます。自然災害は、いつ発生するかわかりません。普段からの備えや訓練が大切なことはみんな分かっていますが、いざ当事者になると、混乱した状況で判断・行動することは容易ではありません。そこで中高生を中心にゲーム形式で体験できる避難所運営プログラムをつくりました。これも観光協会として地域に貢献できる取り組みの一つです。

 

語り継ぐ記憶と復興

 

 被災したことで厚真町の知名度は、全国的に上がりました。震災以降、視察を中心に多くの方が足を運んでくれます。被災した町というだけではなく、ハスカップやお米などの農作物をはじめ、豊かな自然を体験できる町としてPRしていきたいです。


 震災後、「特産品を買えないか」「何かできることはないか」と、多くの町外の方からお声がけをいただいています。しかし風化という言葉があるように、時間の経過とともに、いずれ被災地として厚真町が注目されることはなくなっていきます。風化は止むを得ない部分があると思いますが、厚真町の復興はまだ終わっていません。一人でも多くの方に厚真町の今を知っていただくことが、復興へのひとつにつながると思っています。記憶を風化させない、あの震災を忘れないという思いで震災と復興の『今』を伝えていきたいと思います。

 

移動分科会を担当した苫小牧支部組織・企画委員会、報告者の皆さん

 


 

【報告2】 今多 信博

 

 当社は建設業と産業廃棄物処理、そして道路の維持管理を行っています。今回は復旧作業に携わった地元企業の視点でこの災害をお伝えし、今後震災が起きた時にどう対応すると良いかを皆さんに考えていただくきっかけになればと思います。

 

 

台風から始まっていた悲劇

 

 当社が大規模地震発生直後に行うことは、現地の状況確認です。道路を管理する北海道の出動基準が決まっており、震度4以上で出動指示が出ます。おおむね2時間以内に現地の状況報告が義務づけられ、北海道独自のアプリで全職員に通知が行くようになっています。


 実は地震発生前日の9月5日、午前3時半頃にも、台風の影響で緊急出動がありました。倒木のため午前4時過ぎには現地に到着し、チェーンソーで木を切断して運び出す作業を夕方まで行いました。そして9月6日午前3時7分、震度7の地震が発生したのです。この地震で、前日まで倒木処理にあたっていた当社の社員が土砂災害に巻きこまれ、亡くなりました。非常に勤勉で真面目な人でした。残念でなりません。


 地震は地域の様相を一変させました。道路にはまるで地割れのような段差が複数個所で散見され、車の走行は不可能となり、事故も多発していました。通行止めの個所がどんどん増えていき、結果として一カ所を除き町外へのルートは遮断されました。

 

震災で見えてきたもの

 

 当社の産業廃棄物処理場があった山が崩れ、大型トラックを計測する重量計が土台ごと転落しました。唖然とするばかりでした。処理場への道路は寸断され、被災ゴミの受け入れも断念せざるを得ませんでした。加えて、道路事情は一向に改善されず、余震の影響もあり発生時からほぼ1週間、毎日復旧作業と並行して昼夜問わずのパトロール業務が行われました。災害時は、規律と秩序が失われ、簡易的なバリケードは勝手に撤去されてしまいます。そこに車輌が侵入すると2次災害の原因になりますので、多忙な中でも頑丈なものを設置せざるを得ません。通行止めにした区間で、私は初めて地響き、山がミシミシ鳴る音を聞きました。


 復旧が少しずつ進む中でも、渋滞は続きました。報道されていませんが、車輌の増加に伴って増えたのがゴミのポイ捨てです。これが想像以上で、大きな問題だと感じました。また刻々と変わる道路状況をご理解いただけず、「なぜ通れないんだ」と言われることも度々あり、精神的に厳しいものがありました。少なくとも不要な交通量を減少すれば、復興のスピードは確実に上がります。

 

備えあれば憂いなし、震災からの教訓

 

 災害時は通信手段の確保が最大の懸案事項ですので、まず電気の確保から始めます。発電機は確実に必要となります。ガソリン燃料だとキャブレターが錆びついて、エンジンが作動しない可能性があります。プロパン燃料だとその心配はありません。燃料の保管が簡単なプロパンガスでの発電機をお勧めします。食糧や水は、地域限定的な災害であれば入手可能です。しかし電気だけは、お店で購入することはできません。また車輌の燃料は、平時でも半分になったら満タンにしておくことも防災の一つだと思います。災害ボランティアも、復興には大きな力となります。


 最後に義援金の活用法と広域避難所の確保です。避難所が一カ所に集中すると一見効率的に見えますが、そこで世話をするスタッフの苦悩は計り知れないほど大きくなります。他市町村のビジネスホテルや温泉宿、民宿などと普段から災害協定を結んでおくと、分散して避難する方の水の供給や洗濯機の設置、お風呂、食事の準備が省力化されるのではないでしょうか。そして義援金もこういった施設に配分し、避難されて困っている人の心の傷が少しでも癒えるような使い方をしてもらえれば本望です。


 3年間で復興は進みましたが、まだ道半ばです。そして地域を支えるのは地域の企業です。これからもこの地域のために、できることを微力ながら行っていきたいと思います。

 

厚真町吉野地区 震災直後の土砂災害のようす

 


 

【報告3】 山口 善紀

 

 当社はハスカップの生産量が日本一の厚真町で、ハスカップ農家を営んでいます。私は10年ほどサラリーマンとして働き、17年前に就農、2005年に5代目を承継しました。


 ハスカップは北海道全域に生息していましたが、苫小牧・千歳・厚真を含む勇払原野に日本最大の野生の群生地がありました。名前の由来はアイヌ語の「ハシカプ=枝の上にたくさんなるもの」からきています。この地域では古くから塩漬けや砂糖漬けなどの保存食として食されるなど、食文化として根付いていました。


 1981年頃、苫小牧東部地域工業開発が始まったため、勇払原野のハスカップを守ろうと農地へ移植し、本格的な栽培が始まりました。当時ハスカップは高額で取り引きされており、100戸の農家が栽培に取り組んでいました。しかし、1987年から生産量が増え、市場での取引価格が半額以下となり、生産者が減少し、私が承継した2005年には60戸となり、生産者の高齢化も進んでいます。

 

山口農園ヒストリー

 

 我が家は1899年、淡路島から入植した稲作中心の兼業農家でした。1978年から母が3年かけて、勇払原野から1000本のハスカップを移植し、栽培を始めました。野生のハスカップは1本ずつ遺伝子が違うため、苦いものや渋いものなど、木によって味が千差万別です。そこで母は、おいしいハスカップを生産していかなければ需要がなくなると考え、苦味に敏感な子どもたちに味見を手伝ってもらい、苦い木を畑から取り除いていきました。こうして流通に適したおいしい実を栽培する技術を身につけ、20年を経て町内指折りの生産農家となりました。

 

日本一のハスカップ農家をめざして

 

 私は父が体調を崩したことをきっかけに、農業を手伝い始めます。観光農園を始めた頃、「ここのハスカップはすごく粒が大きくておいしい」と、知人や友人を連れ通ってくるお客様に出会いました。「ハスカップはこれだけ人を喜ばせることができるのか」と、初めてこの青紫の小さな果実に魅力を感じ、5代目として継ぐ決心をしました。そしてやるからには母をがっかりさせたくないと、日本一のハスカップ農家をめざすことを決意しました。


 まず日本一の産地をつくろうと、ハスカップの品種登録に取り組みました。食味が千差万別だったハスカップを30種類にまで絞り、そこから3年かけて特においしかった『あつまみらい』と『ゆうしげ』の品種登録をしました。そして、この品種を厚真町全体に広げるため、苗木の販売と増殖許可に取り組みますが、周囲の人からはせっかく権利化した品種をオープンにすることに、強く反対されました。しかし「あの農家は簡単に追い越せそう」と思われるくらいが丁度いい、とにかく日本一の産地をつくりたいという信念を貫き、増殖許可だけではなく、栽培技術の公開も行いました。


 2013年にはハスカップ栽培面積日本一、2018年にはハスカップ生産量日本一となりました。生産者も104戸まで増え、厚真町はおいしいハスカップが流通する唯一の町として、文字通り「日本一」と認知されるようになりました。2015年、厚真町は「厚真産ハスカップブランド化推進協議会」を立ち上げました。また生産量日本一の作物として広げていくためのPR活動にも取り組んでいます。


 当社は6次産業事業者認定を受け、ハスカップスイーツを提供する移動販売車やお店を展開。そして次は全国に向けてPRしたいと、2018年9月19日に催事出店デビューを計画していた矢先に、北海道胆振東部地震が発生しました。

 

『ハスカップ日本一』で挑戦!復興と町おこし

 

 当時104戸あったハスカップ農家のうち、2戸が土砂の下敷きになり、亡くなられた方もいました。全体では25戸が何らかの被害を受けました。全体で31ha、4万本以上あった農地の25%が土砂に埋まったり、地割れで崩れました。当社も4・3haの農地のうち0・3haと、5000本のハスカップのうち500本が土砂に埋まるなどの被害を受けました。


 震災から2日後、バイヤーの方から「催事出店は無理ですよね」と連絡がありました。当然、催事どころではないという状況下でした。しかし脳裏をよぎったのは、ここで諦めてしまえば今後の復興に大きな影響を与えてしまうのではないかという不安でした。多くの仲間が被災し、かつ高齢化が進む中で、今動かなければという思いが込み上げてきました。そこで、今こそ厚真町のハスカップをPRして需要をつくっていくことが、復興に向けての第一歩になると確信し、出店を決意しました。


 催事出店は、結果的に大盛況でした。これをきっかけに全国の物産展に呼ばれ、復興支援を目的とした観光列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」のウェルカムドリンクとしてハスカップスムージーが採用されるなど、様々な形で応援をいただきました。


 私はハスカップで町おこしをしていきたいと考えています。現在ハスカップの生産者の平均年齢は73歳ですので、今後は後継者を増やすことが課題です。後継者を増やすことと町おこしを連動させながら、視察観光の道もつくっていきたいです。


 災害をきっかけに厚真町が注目され、ハスカップをはじめとする特産品のコラボ企画が増えています。これからも日本一のハスカップの町、おいしいお米や農産物があるということをPRすることで地域に貢献していきたいと思います。

 

夏には青紫のハスカップの実でいっぱいになる


(2021年10月8日「第36回全道経営者“共育”研究集会in苫小牧」移動分科会より 文責 報告1・3 小島 萌/報告2 山地 一)

 

一般社団法人厚真町観光協会 事務局長 原 祐二

https://atsuma-kankoukyoukai.jp/


(株)今多建設 代表取締役 今多 信博
■会社概要
設  立:1980年
資 本 金:3,000万円
従業員数:18名
事業内容:建設業、産業廃棄物処理業


(株)あつまみらい 代表取締役 山口 善紀
■会社概要
設  立:2019年
資 本 金:300万円
従業員数:2名
事業内容:ハスカップ果実生産、販売、加工、苗木販売

https://hasukappu.com/labo/index.html