【70号特集1】経営指針を活用して自社の未来を創造しよう!
2022年02月10日
経営指針を活用して
自社の未来を創造しよう!
(有)丸喜阿保商店 代表取締役 阿保 貢(青森)
突然の事業承継から、会社の倒産危機。「本当に変われるのであれば」と受講した「経営指針を創る会」での学びで会社の方向性が定まり、実践することで危機を脱しました。阿保社長の報告から、経営指針の必要性と活用方法を学びます。
阿保商店は1955年に創業し、今年で66年目を迎えます。青森県内のすし店や生協、デリカ工場、スーパーなどに寿司商材を中心に卸している会社です。関連事業として、青森県すし業生活衛生同業組合の事務局を引き受けています。
当社の前身は、祖父の阿保喜助が43歳の時に始めた八百屋です。戦争中、輸送の配給係をしていたことがきっかけで始めたそうです。1971年には、青森県鮨業環境衛生同業組合との取引が始まります。その6年後にすし組合の支部として海苔の仕入れを始め、これが現在の主力商品になっています。1987年に父が2代目となり法人化し、私が3代目です。
突然の事業承継と倒産の危機
私は1975年に生まれ、地元の工業高校に入学し、ラグビー部の部長を務めていました。卒業後は家業を継がず、県外の建築関係の会社へ就職しました。結婚を機に、1999年に青森へ戻り、父の会社に入社します。私が入社した頃、先代はまだ元気でしたので、事業承継はしばらく先だと思っていました。仕事はそれなりに忙しく、売り上げも上がっており、休日は社会人ラグビーチームの活動に明け暮れていました。
ところが2002年12月、父が突然脳梗塞で倒れます。一命こそ取りとめましたが、私は27歳で、事実上会社を引き継ぐことになりました。新物の海苔は年に1回、この時期しか仕入れることができません。私は仕入れの経験がなく、どれくらい仕入れれば良いのか、当社で使う海苔の品質などの基準も知りませんでした。その時は社員の尽力で何とか急場を凌ぐことができました。
その頃から毎年のように大口の取引先が倒産しはじめ、転げ落ちるように会社の状況が悪化していきます。貸し倒れが続き、内部留保も尽き、「まずい」と思いつつも経営者としてどう対処すればよいかわかりません。
元来私は数字が苦手でしたので、経理は全て姉任せにし、「自分の仕事は営業だ」と現実逃避していました。代表権どころか役員ですらない「社長代理」という当時の肩書がそれを物語っています。姉は責任感から自分の貯蓄を切り崩していました。心配をかけまいと、私には一切相談しなかったのです。いよいよそれも行き詰まった2010年、初めて姉から会社の危機的な状況を告げられました。「倒産するかもしれない」という恐怖に襲われた経験は、今でも思い出すだけで冷や汗が出ます。
頭を下げられない経営者
そのような状況の中、私は導かれるように同友会の会合に参加しました。父の仲間の経営者から「同友会に入れば何か変わるのではないか」とアドバイスをいただいたからです。
初めて参加した例会ではグループ討論に全くついていけず、逃げ出そうとしました。しかし前事務局長の市村さんが「それでいいんですか? 本当にこれからやっていけるんですか?」と食い下がってきます。その時は「私の会社の何が分かるのか」と腹立たしく思いましたが、現状を何とか打開しなければなりません。「本当に変われるのであればやってみよう」と、2011年3月、入会と同時に「経営指針を創る会」を受講することにしました。その直後に東日本大震災が起こります。
震災時は電気がストップしたため、冷凍食材関係が全て使えなくなりました。ただ、発電機を持っているお客様が冷凍庫を貸してくださり、海苔の在庫は4月、5月で完売することができました。その後は物流がストップしたため、まったく仕入れができず、売り上げが立ちません。
危機的な状況の中、「経営指針を創る会」で学ぶことを社員が認めてくれるかどうか不安になり、改めて皆に受講したいと「お願い」しました。しかし、安っぽいプライドのせいで頭は下げられませんでした。
そんな私の態度は、先輩経営者の皆さんにたちまち見透かされます。「そもそも、ものの聞き方、書き方、伝え方ができていないのではないか? できていれば、会社はこんな状態になっていないのではないか?」と指摘されました。至らぬ自分への厳しい声がけです。「あなたは経営者として助言するに値しない」、「あなたが言っているのは小っちゃい世界だな。どれだけ器が小さいんだ」。この二つの言葉は絶対に忘れませんし、指摘してくださった方たちには本当に感謝しています。しかし、倒産の危機を目前にした状態では、ビジョンや夢を熱く語れませんでした。今考えると、社員、お客様、家族を見ていなかったためだったと思います。それでも、徐々によい結果が出始めました。
夢の実現に向かって
まず受講の時間をつくるために仕事の効率化を図ったことが、私のスキルアップにつながりました。また、自分自身、仕事を楽しめていないことにも気づきます。自分にそれができなければ社員も楽しめるわけがありません。経営者というのは皆と笑顔になれる仕事をするのが理想だと思いました。それが理念にある「歓心」というキーワードにつながりました。
「こうすれば会社が良くなる」という方針を示すことで、代表として初めて社員に認めてもらうことができました。丸喜阿保商店がどういう会社でなくてならないか、どういう会社であれば必要とされるのか、とイメージを共有することで、同じ目標を社員がめざしてくれるようになりました。決算書が読めるようになり、会社の数字が把握できるようになると、社員に会社の数字を公開することができました。そして自分の喜びが、社員の笑顔を見ることに変わりました。また、「儲け」に対する考え方も変化していきました。
例えば、限界利益率の向上です。ただメーカーから買って卸すのではなく、自社で付加価値をつけてお届けするというスタイルをつくり始めました。次に認知度の向上です。それまでは、とりあえず裾野を広く、たくさんの人に様々な商品を売ろうという考えだったのが、自社の強みを打ち出した販売方法に変わりました。
「寿司専米ムツニシキ」のブランディングにも取り組みました。これを引き受けることになったきっかけは、経営指針の「社会性」という項目です。当社が生き残ってこられたのは県内のお寿司屋さんのおかげ、これを機に恩を返せると思ったからでした。
課題を後回しにしてはいけない
失敗と教訓もあります。経営指針をつくる中で向かいたい道筋が見えた時、急な舵取りをして、社員と足並みが揃わなくなったことです。方向性が変わることに反発が生まれました。また、就業規則改定の過程で年間休日数や勤務時間などに対する不満が一気に出てきました。
急ぎすぎず、めざす方向はしっかり示し「なぜ行うのか」ということを社員の目線に立ち、理解してもらう。これができなければ経営指針があっても会社が脆弱になると感じました。今では「経営指針を創る会」のメンバーに、このような失敗事例も自分の会社で活かしてほしいと伝えています。
経営指針をつくったことで、夢の実現に向けたすべての基準となる物差しが経営者として見えてきました。会社の方向性に共感してくれる仲間も増えました。その方たちの支えがあり、当社は今、生き残っています。金融機関や取引先の方々には、「2011年に倒産しなかったのは奇跡的だ」と、今でも言われます。会社の数字を共有し、経費の削減などを全社員で見直してから、急速に黒字へ転換しました。今ではどの社員も、お客様や地域の人たちが喜ぶ姿をイメージできるようになっています。
もちろん、全員が一様に足並みを揃えられているわけではありません。先日も社員が一名退職した際、欠員補充をしてほしいと言われていました。しかし新型コロナウイルスの状況もあり、採用を躊躇していました。するとまた一人、辞めてしまいました。その時気づいたのは、課題を後回しにしてはいけない、できる範囲ですぐに対応するということです。「目先の仕事が未来につながっているか」「社員が本当に喜ぶ姿につながるか」を判断できる物差しが経営指針です。判断に困った時には今何をすべきか、立ち返るのが理念です。今ではこれを必ず繰り返しています。私にとって、同友会や経営指針は本当に必要不可欠なものになっています。
今後の課題と展望
現在、会社の移転を検討しています。当社は卸業です。コロナ禍で外食産業が落ち込み、売り上げが2割減になっています。それでも状況を社員と共有し続け、逆に「頑張ろう」と激励されています。社員は同じ方向性で本当に頑張ってくれていますので、新年度には移転したいと考えています。
移転後は、直売店の設置を予定しています。コロナ前まではイベントに出店し、お客様とつながることに力を入れていました。直接お客様の笑顔を見ることで社員が働きがいを感じ、笑顔になるからです。また、卸に比べ小売は粗利も倍違いますので、直売店は早急にやりたいと思っています。
次の世代が引き継ぎたくなるような会社にするには、売上構成比の改善は急務です。現在、当社の売上構成比の30%はスーパーで、そのうち20%強が生協です。生協は取引先をコンペで決めるのですが、先週そのコンペで負けてしまいました。年間で一千万円以上の売り上げダウンです。事前にシミュレーションもしていたので、社員は「ギリギリでもやっていけるなら他を伸ばすしかない。伸ばせるところはまだある」と前向きに捉え、どこを伸ばせばよいか全員で相談しました。その結果、利益が出る海苔を中心とした寿司商材のさらなる拡充を図っていきたいという結論になりました。当社がどういう会社か、お客様にとってどういうメリットがあるのかということも、どんどん発信できるようにしなければいけないと考えています。
また、青森県の寿司文化の継承支援にも取り組んでいます。青森県の個人寿司店主の年齢構成は、50歳~59歳までが20%、60歳~70歳以上が60%以上です。その中で後継者がいない方は75%です。店主が昔のように弟子をとることをやめてしまい、自分たちの代で終わらせる流れがあるためです。この数字には非常に危機感があり、それを改善するための活動も始めています。
経営理念に関しても分かりづらく、頭でっかちになっているので、もう一度手を入れなければいけないと思っています。
同友会を活用しよう!
皆さんは自分自身が理想とするよい経営者になっているでしょうか。また、社員と家族が笑顔になれるようなよい会社をつくっているでしょうか。社業を通じて地域が良くなるよう努力しているでしょうか。一社一社が特化することも必要だと思いますが、私は点から線につながらなければ地域は良くならないと思っています。その意味でも同友会は本当に良い会です。経営者同士、腹を割って話せる会はなかなかありません。本音で語り合う経営指針づくりも本当に必要です。まだチャレンジしていないという方は、ぜひ作成した方が良いと思います。
本日のテーマは「経営指針を活用して自社の未来を創造しよう!」でしたが、当社はまだ創造の途上です。しかし、経営指針づくりに取り組むことで、情勢に合わせて変化していけるようになりました。つながりをつくり、変化に対応し、地域で輝ける会社になるために、同友会と経営指針を十二分に活用していける経営者になりたいと思っています。
(2021年3月29日「函館支部 青経未来塾3月オープン例会」より 文責 土田あゆむ)
(有)丸喜阿保商店 代表取締役 阿保 貢(青森) ■会社概要 https://shoichimidorikawa.github.io/Lab/2020/nishimaki/index.html |