【70号特集4】経営環境の変化と中小企業の課題
2022年02月05日
経営環境の変化と中小企業の課題
―中小企業の存在意義と可能性―
慶應義塾大学経済学部 教授 植田 浩史
人口減少やコロナ禍などにより経営環境が激変する中で、持続可能な企業づくりを進めていくためには、的確な情勢分析が必要不可欠です。日本と世界を取り巻く情勢の変化を捉え、将来を予測し、これからの中小企業に求められる役割と可能性について考えます。
GDPから見た日本の現状
1980年代前半から90年頃は先進国のGDPが拡大し、世界経済に占める割合は7~8割程度でした。90年代に入ると後発国の経済が大きく成長しますが、90年代後半に発生したアジア通貨危機の影響により2000年代初めには、先進国の占める割合が8割程度に戻りました。しかし、それ以降は、後発国の成長速度は先進国を上回るようになります。
近年では後発国のシェアは4割を超えています。今後もこのような流れで推移していくことが予想されます。
日本は1980年代からバブル経済が崩壊する前までは高い成長率を維持し、ピーク時には世界のGDPの約18%を占めていました。しかし、バブル経済崩壊後は低下の一途を辿り、最近ではピーク時の3分の1程度の6%ほどになっています。日本経済が停滞していく中でアメリカや中国は成長を続け、中国はリーマンショック後に日本を抜いて世界第2位の経済大国になり、その後も成長を続けています。〔図1〕
また、日本における1人あたりのGDPは80年代後半がピークで、90年代半ばまでは日本は世界でも上位に位置していました。しかし、90年代後半からは横ばい状態になり、右上がりに上昇する他国との差が広がっています。
日本経済の問題は増えない賃金にあり
日本経済の問題として、働く人の給料が増えていないことが指摘されています。バブル経済の崩壊以降、30年以上給料が増えていません。平均賃金の推移を比較してみると、2000年頃はアメリカやドイツとは差があるものの、フランスやイギリス、イタリアとは同水準でした。その後、フランスやイギリスの平均賃金が上昇したのに対し、日本はほぼ横ばいで推移し、停滞しています。また、PPP(購買力平価)で見ると、日本は韓国の平均賃金をも下回っており、OECD諸国の中では下位に位置しています。
加えて、1990年代後半から物価水準の停滞が続いています。需要要因(景気の弱さによる需要の低下)と、供給要因(低価格品や安い輸入品の普及などによる供給価格の低下)がその一因となっています。デフレは将来価格が現在価格より安くなるため、消費はますます弱体化し、実態経済に与える影響が大きくなります。〔図2〕
最近の日本は、家計の消費支出に占める食料費の割合であるエンゲル係数が上昇しています。食料費は生活に最も必要な品目のため、必ず一定の額が支出されます。収入が増えると家計に占める食料費の割合が下がります。日本は戦後直後からエンゲル係数が下がり続けていましたが、2000年くらいから横ばいになり、2015年頃から上昇しました。収入が伸び悩んでいることに加え、食料品の価格が上がっていることが反映されていると言われています。
日本では、就業1時間あたりの名目付加価値額である労働生産性は、2000年頃までは右肩上がりで伸びていましたが、ここ20年ほどは横ばいで推移しています。OECD諸国と比べると、日本は中位に位置し、他の先進国は上位、東欧諸国や欧米以外の国が下位にいます。先進諸国の中で日本の労働生産性は最下位という状況です。〔図3〕
GDPの低成長率、賃金上昇率の停滞、デフレ、低労働生産性の4つは相互に関連しており、日本では30年近くこの状態が続いています。これにより、世界経済に占める日本のポジションは低下しています。これが日本経済の現状であり、現代の中小企業の経営環境です。
生産性が上がらないのは深刻な問題です。その大きな理由として、小零細企業が多いためと言われています。小零細企業は大企業と比べると生産性が著しく低く、全体を引き下げている要因になっているから、という論理ですが、これについては大きな問題があります。
進む札幌一極集中
北海道のGDPが国内に占める比率は、高度経済成長期初めの1950年代半ばは5・5%、高度経済成長期に4・5%に低下しました。太平洋ベルト工業地帯などに比べると重化学工業が弱かったことが影響しています。70年から80年代半ばの安定成長期には4%を維持していましたが、バブル期には3%台に落ち込み、2000年代に入るとさらに低下していきました。
一方で、札幌市のGDPが北海道に占める比率は、70年代初め頃は27%、最近では36%程程まで上昇しています。北海道経済の札幌一極集中が進み、それ以外の地域で停滞感がより一層強まっています。
中小企業に求められる5つの課題
バブル経済終焉に伴い成長経済システムが崩壊したことにより、日本は方向性を見失いました。その一方で、世界はグローバル化、IT化、ME化が進みました。エレクトロニクスやエコシステムなど日本の産業システムの優位性は喪失し、リーディング産業がなくなり、競争力は低下してきました。加えて、少子高齢化、人口減少が進み、失われた30年と言われる時代に突入しました。デフレと賃金の停滞という悪循環構造が長期間続いています。また、人口減少によって、労働力不足が大きな問題になっています。
こうした問題を抱える中、コロナ禍によって問題がさらに増幅しています。これからの日本はグローバル化、デジタル化の中での競争力の向上、そして地域独自の経済を創出し、地域で経済を回していくことを重視して考えていくことが必要です。
これから中小企業には、①日本が抱えている問題を客観的・科学的に掴む②優位性を喪失した産業の復古ではなく、新しい時代をリードする企業や産業を創造する③リーディング産業に依存する発想からの脱却④グローバル化、デジタル化に対応した新しい産業や企業が育つ環境と政策を考える⑤21世紀の世界経済の技術・社会の変化に対応した企業が生まれる状況を創出することが求められます。
また、地域の経済を地域で回していく仕組みを考えなければいけません。地域経済の担い手である中小企業の重要性が高まっています。
中小企業の存在意義と可能性
中小企業の存在意義は、①地域で雇用を生み、経済を動かし、地域資源を生かす役割を担う②中小企業家が経営者としての自覚と責任を持ち、経営環境が変化する中で自社の事業や従業員のことを考える③地域経済、地域ネットワークならびに文化を創造する④地域の生活、雇用を支える⑤産業構造の変化と、新たな担い手を支えることです。
こうした中小企業の可能性を生かすのは「人間性」「社会性」「科学性」だと考えています。経営環境が厳しくとも、自社の存在意義を具体化して実践していく企業が生き残り、新しい経済、新しい価値を創造していくことができると思います。そのような取り組みを続けている企業と地方公共団体を紹介します。
〈事例1〉持続可能な漁業をめざす 後藤海産(宮城県)
南三陸町には山と海があり、漁業を中心とした水産関連業が多く、東日本大震災で甚大な被害を受けました。震災後の復興にあたって留意していたのが、森、里、人、海が繋がる地域づくりです。海の豊かさは町の77%を占める山林からもたらされており、ミネラルや栄養分をたっぷり含んだ水が海の貴重な栄養分になっています。森林資源の適切な管理が、里や海の豊かな恵みにつながっており、震災前から様々なプロジェクトが進んでいます。
中でも注目を集めているのが、持続可能な漁業、安定的な漁業経営を行う後藤海産です。後藤清広氏は、宮城県漁業組合志津川支所戸倉出張所のカキ部会長です。震災後、カキ養殖復興の中心的な役割を担い、漁業に経営の観点を入れて取り組んできました。
戸倉地区では、震災前は養殖場が過密で栄養が不足し、品質がよくない上に、商品になるまでに3年近くかかりました。カキは水揚げして初めて商品になるので、3年間のリスクを抱えている状態でした。2011年に震災が起こり、ゼロから再建することになりました。その時、後藤さんは、養殖施設の台数を削減して、短期間でカキを育てる養殖経営を提案しました。反対意見もありましたが、諦めずに周りの人を説得し、養殖施設の間隔を広げ、台数を3分の1に減らしました。そして、後継者がいる経営体の割り当てを厚くしました。その結果、3年かかっていた養殖期間が1年に短縮され、1経営体あたりの生産量は倍になり、生産金額も増加しました。経費や労働時間は削減され、リスクも低減しました。また、震災前のカキ部会のメンバーは30代以下が13・7%でしたが、後継者や漁師になりたい若者が増え、2018年には32・7%になりました。
持続可能な漁業、安定的な漁業経営を実現するため、2015年に森の国際認証、2016年にはASC(水産養殖管理協議会)認証を取得。地域全体で環境への意識を高め、環境、経営、地域の将来を考慮した新しいカキ養殖を創造しました。
そして、南三陸町の資源であるカキを生かした連携が地域の中で生まれていきます。カキと合うワインを醸造するワイナリーを新たに経営し、ワインと食材、人と地域のマリアージュを実現する取り組みが進んでいます。自然と漁業を間近に見ながら料理が食べられる小型クルーズ船の観光は、若い漁師を中心に始められました。このクルーズ船は地元の鉄工所が古い漁船をリニューアルしたものです。漁業から始まった食と観光を結び付ける試みが、地域全体での付加価値の向上に結実しています。
〈事例2〉1万円のTシャツ 三恵メリヤス(大阪府)
三恵メリヤスは1926年に三木得生社長の曽祖父が創業しました。資本金は1千万円、従業員13名の小さな会社でメリヤス製品を製造しています。
三木社長は1980年代半ばに後継者として入社しました。同友会の「21世紀型企業づくり」に感銘を受け、自社の存在意義を考えました。大手中堅企業の下請けとしてなくてはならない存在になるため、企画提案型の営業を重視しました。自立型企業をめざし、もう1つの柱として輸入商品の販売する会社を立ち上げました。当時、アメリカの商品は人気があり、順調に売り上げを伸ばしていきました。ところが、1997年に大手販売会社の倒産の影響で、資金繰りが急速に悪化。緊急経営計画を策定し、財務体質を徹底的に強化しました。
財務安定化を図った上で再び、自立的で質の高い企業づくりをめざした取り組みを進めます。MADE IN JAPANにこだわり、ファクトリーブランド商品を製造販売して、地域のモノづくりネットワークを維持することを自社の存在意義と考えました。オリジナルの商品の開発を進め、マーケットに受け入れられるモノづくりと販売戦略を立てるため、外部のコンサルタントを入れてブランディング戦略を再構築しました。そして2017年に、「糸から縫製まで、大阪の最高の技術を結集し、世界に誇れる一生ものを」をコンセプトにしたブランドEIJIを発足。Tシャツの価格は1着1万円で高品質・高付加価値が特徴です。18年には、大阪製ブランドに認定されたほか、クラウドファンディングを活用した宣伝戦略を行い話題になりました。
三木社長は社長に就任してからずっと年表を作成しています。この年表は、社会情勢、業界動向、自社の状況、同友会の動きなどを記したものです。自社の歴史や経営環境の変化を記録することで、自社の存在意義や価値は何なのか、どのように維持し高めてきたのか、成果はどうだったのか、常に自社のポジションを確認して、経営してきました。
売上構成も変化しており、2007年頃はOEMの販売や学販が中心でしたが、2008年頃からオリジナル製品の比率が上がり、2016年頃からは輸出が増え、販売ルートの多角化が進みました。経常利益は上下があるものの、利益が低い時でもそれなりの利益率を維持しています。コロナ禍で大手のアパレル産業が赤字転落する中、三恵メリヤスは売り上げを伸ばし、安定的な企業経営を続けています。
〈事例3〉儲かる農業都市めざす 深谷市(埼玉県)
日本経済の構造的な変化を受け、新たに地域の特色を生かした戦略で対応しようとしている自治体が深谷市です。埼玉県の北部に位置し、人口は約14万人。渋沢栄一の出身地としても知られています。
かつては東芝の日本初のカラーテレビ工場の他、大手電機メーカーの工場も多く、1990年代は栄えていました。しかし、液晶テレビが普及すると競争力が低下し、衰退していきました。東芝のテレビ事業は中国のハイセンスグループに売却され、1980年代後半に7千人以上の従業員が働いていた工場は2021年に閉鎖されました。
そんな中、深谷市では「儲かる農業都市ふかや」の実現に向け、農業を核とした産業ブランディングに取り組んでいます。中心となるのは、野菜を楽しめるまちづくり戦略と、新たな企業を誘致するためのアグリテック集積戦略の2本柱です。加えて、「深谷市地域通貨ネギー(negi)」を発行し、地域内経済循環の向上を図り、地域一丸となって持続可能な地域経営の実現への仕組みが考えられています。他にも、深谷市に定着して新たに事業を拡げてもらうためのきっかけづくりとして、アグリテックビジネスコンテストを開催しています。出資賞金は総額1000万円。これらの取り組みにより、自律走行型農業ロボットやアグリワーケーション施設などアグリテック企業の進出が実現しています。
このように深谷市では、優位性のある農業分野をベースに地域戦略に取り組んでいます。デジタル化を意識して対応し、外からも戦略的誘致を行い、地域内とうまく結び付けた展開を行っています。
地域とともに歩む中小企業
経営環境の変化は著しく、世界経済のデジタル化、グローバル化から日本経済は遅れていきました。こうした状況に対応していくためには、地域と中小企業が自ら経済を創造していくこと、地域に存在している中小企業が改めて存在意義を考え、それを生かした経営をする必要があります。「人間性」「社会性」「科学性」に基づき、自社の存在意義を具体化した経営を実践していく企業が、新しい価値を創造し生き残ることができるのです。
(2021年10月8日「第36回全道経営者“共育”研究集会in苫小牧」第1分科会より 文責 佐合めぐみ)
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