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【69号特集2】シャッター街に生きる  ー創業82年 菊地寝具店物語ー

2021年01月19日

シャッター街に生きる
―創業82年 菊地寝具店物語―

 

(株)菊地寝具店 代表取締役 菊地 洋平(室蘭)

 

 室蘭市中央町に店舗を構え、創業から82年を迎えた菊地寝具店。太平洋戦争で創業社長が出征し、戦後も2年間シベリアに抑留される中、家族でリヤカーを引いて営業しながら商売を守ります。菊地寝具店の足跡をたどりながら、地域に根ざす小売店のあり方を学びます。

 

 

 


 

 当社は1938年、祖父の菊地慶蔵が24歳の時に室蘭市輪西《わにし》町で創業しました。当時の主な販売商品は婚礼布団・座布団、夜具地と呼ばれるふとんの側(がわ)に使われる生地、さらに布団に詰める綿を開発し、自社工場で製造、販売していました。販売のほかに売り上げの多くを占めていた仕事は綿布団の打ち直しです。綿が詰められた布団は使っていくうちにへたれてしまい、クッション性や保温性が下がってしまいます。そこで、中の綿をほぐして汚れをとり、綿を足すなどして布団を再びふっくらさせる「打ち直し」が綿布団の一般的なメンテナンス方法です。


 当時の室蘭市は1931年の満州事変以降、戦争遂行のために重視された石炭と鉄鋼産業を兼ね備えていたことから、人口は12万人に急増していました。布団の打ち直しの仕事も増えてきたため、それまでの工場では手狭になり、輪西町から母恋《ぼこい》南町にある綿打ち工場兼販売店を購入し、移転をしました。

 

第一の危機

 

 創業から3年経った1941年12月、太平洋戦争が勃発し、1943年には社長である祖父が、兵役のため樺太に出征しました。物資不足に加え、布団の打ち直しは力仕事のため、働き手でもある社長の不在には相当苦労をしたと聞いています。


 1945年に終戦を迎えた後も、2年間シベリアに抑留された祖父を待ちながら、家族でリヤカーを引いて布団を集めて回り、なんとか工場を守りました。戦後の室蘭市の人口は10万人を切りましたが、現在の「むろらん港まつり」が初開催されるなど、復興が始まりつつありました。


 当社も住民の多い中央町と輪西町に支店を開店、幕西《まくにし》町に二つ目の工場を新設しました。復興が進むにつれ、売り上げは伸びていきました。


 1965年に会社を法人化し、二代目社長である父が母と結婚した頃、室蘭市の人口は18万人を超えました。中央町の商店街に完成した浜町アーケードでは、週末になると歩く人の肩がぶつかるほど賑わっていたそうです。


 この頃から手づくり布団のほかに、毛布やタオルケットなどの既製品が流通しはじめました。人口増に比例して商品も“仕入れれば売れる”という状況だったため、積極的に取り扱うようになりました。働くほど売り上げが上がるので、みんなで朝から晩まで働き、従業員が住み込みで働けるよう、工場のそばにアパートを増設しました。


 1976年になると中央町の店舗は5階建てになり、3階までが店舗、4階が自宅、5階が倉庫になるまで大きくなりました。一方で、隣の苫小牧市が室蘭市の人口に追いつき、丸井今井室蘭店が中央町から新日鉄の社宅がある中島町に移転します。室蘭市の繁華街の中心地が移動しつつあり、中央町の商店街に暗い影を落としていました。

 

1943年 29歳で出征した祖父・慶蔵

 

第二の危機

 

 景気が上昇する中、お客様の布団に対する意識が布団の打ち直しから既製品やベッドの購入へと変わりはじめました。増えていく寝具商品を豊富に陳列できる大型店の進出により、消費者の選択肢が増えます。自動車の普及も手伝い、広い駐車場を持つ大型店へお客様が流れていきました。当社の売り上げも落ち、やむなく幕西町の工場と輪西町の店舗を閉めました。寝具の展示会では、自社商品が埋もれないようプロに頼んでディスプレイをしていましたが、売り上げは上がらず経費ばかりが増えていきます。


 この状況を打開しようと、現在のマネージャーである母が高級ブランド下着販売に着目しました。大型店では多くの商品を置くことができますが、次々と増える商品の研究が追いつかないまま販売をしていました。逆に小売店では、自分たちの裁量で納得がいくまで商品を研究できるため、お客様一人ひとりに丁寧に商品を紹介し、販売できると考えたのです。


 しかし下着メーカーからは「布団屋で下着が売れるの?」となかなか商品を卸してもらえません。なんとかメーカーと販売契約を結んだものの、高い下着は簡単には売れません。その上、在庫が残っていても季節ごとに新しい商品が次々と出てきます。そこで母は、店舗販売だけではなくツテを頼って病院に足を運び、そこで働く看護師さんに直接商品を紹介したのです。看護師さんたちはよく動くため、安価な下着では看護服と擦れてすぐに傷んでしまいます。研究した商品知識を生かし、高価ですが良質な下着を紹介したところ、夜勤があり日中の買い物が難しい看護師さんたちに、その場で購入してもらうことができました。これをきっかけにクチコミで商品が周知され、寝具で下がっていた売り上げを挽回することができました。


 この経験から、高い商品であっても適切に商品情報を提供することで、買い手の持つ商品への価値観を高めることが大切なのだと学びました。

 

昭和後期の菊地寝具店
右から2番目が父(二代目社長)菊地慶一 氏

提案型販売への転換

 

 1989年以降、寝具にも科学技術が取り入れられ、進化していきます。寝ながら温熱治療を行う寝具や、素材にこだわり身体に最適な耐圧分散を行い、理想的な姿勢を保つことができる寝具など、良い眠りを助けるための良質な寝具が出てきたのです。数十万円もする高価なものがほとんどでしたが、綿布団を3年に一度、3万円ほどかけて打ち直して使い続けることを考えると、耐久性も優れ10~15年は持つ高級布団は、値段に見合う良質な商品でした。そこで、商品を研究しながら下着販売で培ってきた販売ノウハウを本来の寝具販売にも生かそうと、高級布団に舵を切りました。


 当時は今ほどインターネットが普及していなかったため、まずはお客様に眠りの大切さと寝具への価値観を変えてもらおうと、睡眠に関する学習会を開きました。また、高級寝具メーカーとボランタリーチェーン契約を結び、都市部のデパートに行かなければ買えなかった高級布団を、地元で実際に触れて買ってもらえるようにしました。販売だけではなく、当社が長年積み上げてきた手づくり布団や打ち直しの技術を用い、アフターケアにも力を入れています。


 気がついてみると、全盛期には商店街に5店舗ほどあった寝具店も当社だけになっていました。それまではお客様の言う通りに布団を打ち直し、寝具を販売するだけでしたが、下着販売をきっかけに、お客様の眠りの悩みや要望などを聞き取り、一人ひとりに合った良質な商品を提案できる強みを持てたことは大きな自信になりました。

 

高級ブランド下着に着目し、会社の危機を挽回した母・菊地芳子さん

シャッター街に生きる

 

 残念ながら商店街のアーケードは老朽化で撤去され、人口減少から商店街はシャッター街と化しています。しかし、時代や環境のせいにしてもはじまりません。今はインターネットで消費者が自ら情報を集め、健康志向の高まりから寝具への価値観も昔に比べ高まっていると感じています。お客様に合った良い商品を提供するためにも、いかに情報発信をしていけるかが今後の課題です。幾度となく訪れた危機を乗り越えた歴史と経験を糧に、これからも知恵を絞り、地域に必要とされる企業であり続けたいと思います。

 

■会社概要
設  立:1938年
資 本 金:1,000万円
従業員数:8名
事業内容:寝具小売業

 

(2020年7月15日「西胆振支部7月例会」より 文責 貞廣のはら)