【69号特集2】下町・町工場の挑戦! ー経営者の仕事は未来をつくることー
2021年01月19日
下町・町工場の挑戦!
―経営者の仕事は未来をつくること―
(株)浜野製作所 代表取締役CEO 浜野 慶一(東京)
浜野製作所はベンチャー企業を支援する「Garage Sumida」、深海探査艇「江戸っ子1号」など数多くのプロジェクトを手掛け、全国から注目されるものづくりの拠点です。工場全焼など幾多の困難を乗り越え、当時4社だった取引先は大学やベンチャー、大手企業など、現在5200社となりました。「おもてなしの心」を大切に、経営者の役割とは何かを報告します。
墨田区は人口28万人。大田区に次ぐ工場集積地で、印刷・金属・繊維・皮革など様々な製造業がバランスよく存在しています。最盛期、約1万社あった町工場はリーマンショックで1600社まで減り、8割が従業員数5人以下です。小規模・零細・家族経営が、ひしめいている地域といえます。23区で唯一大学がなく、公営ギャンブルもありません。それは安定した税収を見込める先がないことを意味し、43年前、地方自治体で全国初となる墨田区中小企業振興基本条例が制定されました。
当社の創業者は私の父で、今年で43期目を迎えます。経営理念は『「おもてなしの心」を常に持ってお客様・スタッフ・地域に感謝・還元し、夢(自己実現)と希望と誇りを持った活力ある企業を目指そう!』です。そのための行動指針は「速い事」「行動に移す事」「努力・工夫をする事」「協力する事」「継続していく事」とし、社長を筆頭に経営理念にそぐわないことは一切行わない。何か新しいことを始める時や修正する場合は、必ずパート職を含む全従業員に説明し、スタートしたり中止したりを徹底して行っています。この経営理念は、ある出来事がきっかけで生まれました。
もらい火で工場が全焼
父は福井県出身の金型職人です。親族を頼り東京大田区にある金属プレス工場で働き始めましたが、その後独立し、墨田区出身の母と結婚しました。現在本社がある墨田区八広に創業した金型工場が、浜野製作所です。
当時は景気が良く、注文がどんどんきました。しかし大手が生産拠点を海外に移転し始め、コスト競争が激化するなど外部環境の変化が著しく、2000年過ぎからは、金型を使わない少量多品種向けの精密板金へシフトしました。さらにITインフラの国内整備が浸透し、見えない競合相手と戦う時代が訪れ、金属の部品加工だけでは厳しくなっていきました。
1993年、私が29歳の時、父が病気のため52歳で他界します。板橋の町工場で働いていた私は社長を継ぎましたが、仕事の師匠だった母も、2年後に54歳の若さで亡くなりました。
追い打ちをかけるように、4年後の2000年6月30日朝10時半頃、隣家からのもらい火で、本社兼工場が全焼しました。小さな町工場ですが、両親が命をかけて私に引き継いでくれた工場です。この火災で経営は大きく傾きました。当時の従業員は、母が亡くなった後来てくれた5歳年下の金岡(現専務取締役)一人でした。
私はお客様への納期遅れがとにかく心配で、貸工場と機械を探しに出かけました。お恥ずかしい話ですが、欲しかった30万円の中古機械は買えず、店の一番奥にあった1万円の足踏み式工具を2台買い、地域の皆さんに支えられ、何とか仕事を再開することができました。まもなく大量の督促状が届き、取り立てが始まります。いつ潰れてもおかしくない状況でした。
17軒にまで延焼した火災の原因は、ガスバーナーを使って隣家の改修工事をしていた解体作業員のミスでした。改修工事の元受け企業は、東証一部上場の住宅メーカーでした。私たちは復旧と納品に明け暮れる毎日でしたので、補償額が決まったのはその年の12月、翌年1月16日朝9時、手続き終了後直ちに損害賠償金6000万円を支払うというものでした。
家屋敷と機械をすべて失い、両親や幼少時に病気で亡くした娘の形見まで焼失したのに、わずか6000万円です。火事の代償として到底納得いくものではありません。しかし、たった一人の従業員に給料も支払えず、30万円の中古の機械も買えない、督促状が山ほど来るこの現実。やむを得ず承諾しました。
アンタと仕事がしたいからここにいる
1月15日、昼食をとろうとテレビのスイッチを入れた瞬間、交渉先の東証一部上場住宅メーカー倒産のニュースがNHKで流れました。弁当を持っていた手がガクガク震えました。「ちょっと見てくる。何をしたらいいか、まったく思いつかない。でも今後どうするべきか、俺は死にもの狂いで考える。必ず俺の方から連絡するから、お前は体を休めてほしい」と金岡に言うのが精いっぱいでした。出掛けに「午後から上がってくれ。帰る時、電気はちゃんと消してくれよ」と伝え、倒産先に急行しました。
倒産した会社にはロープが張られ、外から眺めることしかできませんでした。夜中過ぎ、工場へ戻ると電気がついており、金型のさび落としをしている金岡の姿がありました。その背中を見ると気の毒で、かわいそうで、申し訳なくて、自分自身が情けなくなりました。思わず駆け寄り「もうやめよう。この会社の後始末は俺一人でやるよ。明日から他の会社に行ってくれ。本当に今までありがとな」と言いました。すると「社長、俺は金が欲しいからここにいるんじゃない。アンタと仕事がしたいからここにいるんだ。浜野製作所はまだ潰れてないっすよ」と言ってくれたのです。不眠不休で働き、身も心も限界を超え、最後の頼みの綱だった住宅メーカーが潰れたその日にです。
明日にはなくなっている会社かもしれないけれど、そういう思いで一緒に働いてくれるスタッフがたった一人でもいてくれるような会社になれるのであれば、そのスタッフに常日頃から感謝の思いをもって仕事をさせてもらおう。そして共に働いてくれる社員に必ずや還元ができるような会社になっていこう。夢と希望と誇りをもった活力ある会社にすることが、私の社員に対する最大の恩返しであり、浜野製作所のめざす姿であり、社長がやるべき大切な仕事だとこの時覚悟しました。
1月16日に支払い日を設定したのは私です。とにかく仕事を受注しないと先がないので、補償問題に時間が割けない日々でした。工場の焼け跡から使えるものを探し出し、仕事が終わったあと、休み返上で4000に上る金型を磨き続けていました。
再生
まずやるべきことは資金繰りでした。必死に食らいつき、東京都と墨田区で何とか融資が通りました。
次は直ちに新規の顧客開拓に乗り出しました。門前払いもされましたが、訪問することで「なるほど、今こういうことに困っているのか。ここから何とか切り崩しができるのではないか」と、お客様からヒントをいただきました。すでに大手企業が何社も参入している中を差し置いて当社が営業に行くわけですから、勝ち目はありません。しかしそれでも「困っていることはある」ということを確信し、夜討ち朝駆けで粘り、現在に至るきっかけとなりました。お客様は当時の4社から、5200社になりました。
町工場の産学連携~事業構造を変える~
ものづくりの工程で町工場は必ずしも量産加工を担っているとは限りません。できれば安定して継続した量産の仕事が取れれば嬉しいと考える経営者は多いのですが、東京は人件費や土地代が高く、工場を維持するには圧倒的に不利です。海外の工場と同じことをやっていては勝ち目がありません。
しかしこのようなデメリットも、見方や目線、枠組みを変えると、最大のメリットが生まれるのではないか。確かに東京は世界有数の大学集積都市という特徴がありました。さらにデザイナー・大企業・行政など多種多様な人材・企業の集積があり、東京特有の「資源」と言えます。その資源をどのように活用するのか?連携して価値を創出していくのか?東京ならではのビジネスモデルは非常に興味深いものがあります。
その中で町工場と大学との産学連携に着目しました。しかし、責任の持てない産学連携をなぜやるのか。それは、事業構造を変えたかったからです。金属加工一筋でやってきた強みを生かし、現在の社会の課題を解決するような装置開発のプロジェクトにつなげることはできないかと考えました。
電気自動車に取り組んだのもあくまできっかけです。またアウトオブキッザニアに取り組んだところ、エントリーした子どもたちのお父さんと交流ができるようになりました。大手・中堅のメーカーでものづくりに携わっている方が多く、そこから「このようなものをつくってくれないか」と依頼がきて、約800件の新規取引先ができました。また2m級のロボットをつくる取り組みでは、技術系の新卒採用の可能性を広げました。
日本のものづくり
2016年に資本提携した㈱リバネスは、東大博士課程にいたメンバー十数名で立ち上げた創業17年目のベンチャー企業です。10年前、当社に一橋大学からインターンシップに来ていた学生の先輩が、ビバレスの創業メンバーだったことから「面白いことが起きそうだ」と引き合わせてくれました。大手で対応してくれないものを自分たちの手でつくったり、素材や技術者は一緒なのに、売り先を変えるだけで10倍の値段で喜んで買ってくれる世界を知りました。
2019年には㈱O2と資本提携、そのグループ会社のLIGHTz(ライツ)が、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」のAI特集で取り上げられました。スポーツ分野でのAI解析に実績があります。このように得意な分野を補完しあい、新しい道を拓く戦略を進めています。
また外部からも評価をいただけるようになり、2008年経済産業省中小企業IT経営力大賞、東京都中小企業ものづくり人材育成大賞奨励賞、深海探査艇「江戸っ子1号」で2014年内閣総理大臣賞と中小企業庁長官賞、2018年には最も権威のある経済産業省「第7回日本ものづくり大賞」を受賞しました。2019年6月27日には、ニューヨークの国連本部で開かれた「国連中小企業の日イベント」に招待され、弊社の事例を発表しました。日本のものづくりはブランドになっていると実感しました。
墨田区では、私が実行委員長をやっている工場見学ツアー「スミファ」が毎年開催されます。ほとんどが5次・6次下請けですが、自分たちの技術を客観的に評価し、PR方法がわからない会社はどんどん減っていっています。日本の高度経済成長を支えた町工場の数は減り、墨田区も最盛期に比べ78%減少しています。総体的には技術力の低下につながります。下請け体質からの脱却をめざし、1社で全部抱え込むのではなく、大学、同業他社・異業種他社・業界・業種、企業規模や地域を超えた連携をしながら、得意とする技術を磨き持ち寄ることが重要です。
浜野製作所は十数年前まで金属加工一筋でしたが、今はさまざまな分野のものづくりができます。これからもお客様、スタッフ、地域に感謝し、還元できる会社づくりをめざして、新たなチャレンジをしながら進んで参ります。
(2020年1月27日「北海道同友会創立50周年記念事業 西胆振支部新春講演会」より 文責 事務局 細川恵子)
■会社概要 設 立:1968年 資 本 金:2,000万円 従業員数:60名 事業内容:板金・架台・装置開発・ロボット開発・ものづくり周辺のサービス・各種アッセンブリー、レーザー加工、精密板金加工、金属プレス金型製造、金属プレス加工。 |