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【69号特集2】同友会は経営者の宝島  ー社長が変わる、社員が変わる、企業が変わる、そして業界を変えるー

2021年01月19日

同友会は経営者の宝島
―社長が変わる、社員が変わる、企業が変わる、そして業界を変える―

 

(株)吉村 代表取締役社長 橋 本 久美子(東京)

 

 「何が悲しくて女の下で働かなきゃいけないのか」。父に後継指名され社長に就任した矢先、古参社員からかけられた言葉。社長であることを誰からも認められない出発から、同友会の経営指針セミナーを経て自社を変革していきます。「社員は理念についてくる」「中小企業として経営する面白さを自分も社員も分かち合える経営を続けたい」と語る橋本氏の赤裸々な経営奮闘記。

 

 


 

 当社は茶袋を製造している創業87年目の会社で、私は3代目です。6つの営業所があり、社員数は227名です。私は社員を「約200名」とは絶対に言いません。全員の名前を漢字で書き、言うことができます。社員一人ひとりとお互いに顔の見える関係づくりを大切にしています。


 創業期は品川で家内工業として経営していましたが、2代目の父は、よりスペックの高い袋をつくるため、静岡県焼津に土地を買い、印刷機器を購入する大投資を行いました。その後オイルショックと重なり、銀行が貸しはがしに来ます。厳しい時代でしたが高度成長という経済環境に助けられ、2年ほどで売り上げは急成長、53億円に到達しました。こうして父は社内でも絶対的な信頼を得たのですが、飲料市場にペットボトルが台頭し、日本茶を売るのが難しい時代が到来します。


 茶業界も売り上げがダウンし、包材メーカーは当社を含め、2社に激減。その会社も一部上場企業にM&Aで吸収され、戦う相手がものすごい資本力で数々の新アイテムを出してくるようになります。

 

明日の飯担当

 

 私が社長を交代したのはそのさなかで、53億円の売り上げは10年で45億円までダウンしていました。ある日、父から私と義理の弟鉄也が呼ばれ「お前は明日の飯担当、鉄也は今日の飯担当」と言われます。私は24歳で結婚し、10年間専業主婦をしていました。父はその間、私が社宅住まいの主婦たちから消費者ニーズを聞く座談会を行い、そこからいくつかのヒット作を生み出していたことを評価し、「明日の飯担当」として社長に指名したのだと思います。


 こうして私は社長に就任しました。高度成長期を生き抜いてきた社員には「この歳になって、何が悲しくて女の下で働かなきゃいけないのか」と言われ、誰も認めてくれない日々が続きます。そんな中、不良品のクレームが発生しました。「社長を呼べ!」と激高され、朝一番で新幹線に乗り、営業担当と謝罪に伺いましたが「はあ? 女かよ!」とけんもほろろ。ホースで水をまかれる始末で、何ひとつできず、営業担当が「使えねえ社長だな」とつぶやくのを聞きながら「ごめんね」としか言えない自分がみじめでした。

 

 

闘う土俵を知る

 

 自分に自信が持てず、悩んでいるときに出会ったのが同友会です。同友会の例会に行くと、皆が赤裸々に失敗談を話しています。これを聞いて「私、まだまだいけるわ」と勇気づけられ、頻繁に例会に通うようになります。


 よく「コンサルタントはどういう方がついているのですか」と質問されますが、私は同友会以外には行ったことがなく「同友会でどの企業をベンチマークにしているか」と聞かれても、同友会で聞いたいろいろなことを真似ているから、誰からどれを参考にしているのか思い出せないほどです。社長になって14年ですが、ずっと同友会で学んでいます。


 父は総合パッケージメーカーになりたがっていましたが、私はその市場では絶対に一番にはなれないと考えていました。


 私は規模を縮小していくお茶屋さんのニーズは、オリジナリティのあるものを小ロットでつくることだと感じ、版を必要としないデジタル印刷機に目を付け、父の大反対を受けながらも初号機を購入しました。


 初号機はイスラエル語の説明書がついており、やっとのことで英語に翻訳してもらっても結局はフィルムに印刷することしかできません。私たちが必要としているのはアルミ箔を貼り合わせたり、袋にするために切ったり、チャックを取りつけたりする方法でしたが、一切記載されていません。それでも同友会で聞いた「100点を取ることが一番になることだと思いがちだけど、100点を取るということは、100点満点の問題をつくった人の一番弟子になったに過ぎない。中小企業がそれで喜んでいては、大企業と同じ土俵に乗ってしまう。それよりも誰もやっていないことで0から1をつくる方が中小企業の優勝パターンだ」という言葉に励まされます。3、4年ほどは大変でしたが、今ではアルミ箔とフィルムを貼り合わせるデジタル印刷をやり遂げ、世界一を4回取るほど、自社の強みとなりました。

 

“しているつもり”の落とし穴

 

 私はさまざまな取り組みで売り上げを向上させ、自分では頑張ってきちんと結果を出している社長であると自負していました。実は私は「労使見解」という言葉が大嫌いで、経営指針成文化セミナーには参加せず『人を生かす経営』の本を購入し、経営理念を自分なりに「茶業界のビジネスパートナー」としました。「社会性・科学性・人間性」も“わかっているつもり”で、理念経営も“つくったつもり”でいました。


 当社はデジタル印刷が軌道に乗り、ますます利益を生むために18億円の投資を行います。新しい工場を建てようと決意した矢先の2011年3月11日、「東日本大震災」と「原発事故」が起こります。そしてお茶の最大産地、静岡の茶葉からセシウムが検出されると、売り上げがぴたりと止まりました。私は社長と副社長の給料を半分カット、役員の賞与はゼロにして、社員の賞与も8割支給にしました。生産量が減少しているため、工場の深夜勤務も不要になったことを社員に説明しに行くとき「私がこれだけ身を切っているわけだから、皆からも頑張ろうと言ってもらえるだろう」と考えていました。実際は、これが労使闘争かと衝撃を受ける結果になります。


 「袋だったらポテトチップスだって飴ちゃんだってなんだって中に入れられるのに、あんたが茶業界のビジネスパートナーとか浮かれているから、セシウムが出たとたん、こうなるんでしょ」「俺ら深夜勤務をやってる人間は平均寿命が短いというデータが出ている。こっちは命かけてやってんだよ!」と言われてしまい、ぐうの音も出ません。立ち尽くしていたところへ「もうここらへんにしようぜ、橋本さんいじめてこの会社が倒れちゃったら困るし」と、ベテランの社員がとりなしてくれ、その場はなんとか収まりました。
 しかし、営業は営業で私に報告することなく健康博覧会に出て、サプリメントの会社から受注が来るようになります。「ちょっと待って」と思いながら、大きな仕事が取れたと聞けば「ありがとう」と言っている自分がいました。お金になれば何でもいいから袋をつくればいいという雰囲気が社員に蔓延し、この時ようやく、同友会の経営指針成文化セミナーに通うことを決意しました。

 

理念のないサンタクロース

 

 経営指針のセミナーに行ってよかったのは「なぜやるのか」「何を目指すのか」を常に聞かれることです。


 かつて営業成績トップの社員が「俺、この会社で一番、ゴミをつくっている男ですから」と自嘲気味に言っているのを聞き、どうにかしてこの仕事に社会的意義を感じてもらおうと考えた理念が「茶業界のビジネスパートナー」です。しかし、想いだけではうまくいきませんでした。


 そこで私は、経営指針のサポーターに「経営理念でご飯は食べられますか?」と質問しました。すると「サンタクロースの経営理念って何だと思う?」と聞かれます。「子どもに夢や希望を届けること」と答えると「そうだよね。それがなかったら、過酷な深夜宅配便だよね。『子どもに夢を与える』という経営理念がなかったら、深夜勤務明けのサンタクロースは煙草を吸いながら『こんな手当じゃやってらんねえよ』って話しているよね」と言われ、頭を殴られるほどの衝撃を受けました。グラビア印刷工場の社員は、理念のないサンタクロースだったのです。いくら私が「茶業界のビジネスパートナー」だと唱えていても、社員のみんなと理念の共有ができていない。この時、本気で経営理念をつくろうと思いました。

 

一番のパートナーは社員

 

 経営指針成文化セミナーでは『お金になったけれど楽しくなかった仕事と、儲けは大きくないけれど、やってよかった仕事』を洗い出すワークもありました。そこで初めて自分の考えが整理できました。私がしたいことは、単なる価格競争ではなく『想い』を包むパッケージで未来を変えることです。パッケージを通して「商品を手に取ってもらえる手助けをしたい」。こう考えたとき、一番のパートナーは社員のみんなだと実感し、現在の経営理念『想いを包み、未来を創造するパートナーを目指します』に改めました。


 経営方針も社会性・科学性・人間性に分けて設定しています。社会性は社会貢献です。①『私たちはパッケージを通してキラリと光る未来を創ります』。科学性は儲けの源泉です。②『私たちは商品への想いが伝わる舞台を造ります』。そして人間性は働き甲斐です。③『私たちは、挑戦して成長し、失敗と喜びを分かち合う仕事場を作ります』としました。ここで一番表現したかったのは、失敗したらダメなのではなく、それを糧にして乗り越えていける場にしたいというメッセージです。


 経営理念を確立してからは、社員からも積極的なアイディアが出されるようになりました。ただ茶袋をつくるだけでなく『舞台を造る』という方針から「日本酒やワインのようなテイスティングができる舞台を造ってみてはどうか」「日本茶はわき役。一緒に日本茶を置きたくなるような主役のお菓子を作って売ってみませんか」と、社員が自主的に理念に合った取り組みを考えるようになりました。この時つくった割れチョコは『フード大賞』も受賞しました。経営理念は社員が共鳴すると、どんどん広がっていくものなのだと感じた瞬間でした。

 

 

経営理念が教えてくれる

 

 私自身も経営理念が明文化されたことにより「割れチョコを、チョコのみで大量販売するから値引きしてほしい」と商談を持ちかけられた際、経営計画書を持ってきて「お茶のパートナーとしてつくったこの商品を、本来の目的とは違う売り方はできません。私はこの経営理念を社員に語っています。ここで私が理念と違うことをすると、社員に対して理念は建前、本音は売り上げだということになります」と話し、商談相手にも理解してもらうことができました。


 この時初めて、当社の経営理念を本気で信じることができました。理念は頼りになる。困った時に支えてくれるものだと実感し、社内により一層浸透させていきたいと思うようになります。


 経営理念の浸透を目指す中で「クリエイティブデザイン部」という新部署を設立しました。当社は女性社員の定着率も高く、育休・産休後も働き続けてくれる女性が多く在籍しているのですが、課長以上の女性の役職者が増えない、やりたがらないのです。そんな中で立ち上げたクリエイティブデザイン部の課長に任命した女性社員から、課長就任を不安に思っていることを打ち明けられました。しかし、同友会の管理職研修を受けてもらったところ、今度は目を輝かせて「社員は上司についていくんじゃなくて、理念についていくんですね」と言って、部署の理念をつくってくれたのです。ここからすべての課に理念ができ、会議の際も一つひとつに理念を設定し、さまざまな角度から『何を目指しているのか。社会性・科学性・人間性はきちんと担保されているか』を考えるようになりました。

 

めざすは「相思相愛」の会社

 

 私は当初、父のトップダウンの経営体質を変えたかったこともあり、心理的安全性の高い会社を目指していました。しかしそれだけでは甘えの組織になってしまうことに気づき、今は心理的安全性も高く、果たすべき責任も大きい、会社と社員にとっての「相思相愛」の会社を目指しています。


 そのために、私は基本的に正社員での雇用を行うこと、経常利益の4分の1の額を社長も社員も同じように均等還元すること、情報公開を徹底すること、会議で全員の意見を発信してもらうことを大切にしています。心理的安全性を高める制度としては、定年後の社員を再雇用する会社を設立し、多様性の観点からは障がい者雇用率も4・4%になりました。大切なのは、一度当社に来てくれた社員にどうやって居続けてもらえるか、諦めない姿勢を持つことです。


 私はこれからも「相思相愛」の会社を目指して邁進していきます。皆さんもぜひ、当社の見学にいらしてください。


(2020年1月14日「2020新年交礼会」より 文責 渋川巴留菜)

 

■会社概要
設  立:1954年
資 本 金:9,100万円
従業員数:227名
事業内容:食品包装資材の企画、製造、販売。(グラビア印刷・軟包装デジタル印刷・ラミネート加工・スリット加工・製袋加工・刷込後加工)