【69号特集4】インタビュー 一般社団法人北海道中小企業家同友会 参与 細川 修
2021年01月15日
北海道同友会 50年の学び合いの原点とは
会員と共に同友会運動の発展をめざし43年。6月の全道総会で専務理事を退任した細川修参与に、事務局員としての歩みと、今後の同友会への期待を聞きました。
─はじめに、いま振り返って最も心に残っているエピソードを教えてください。
帯広(現とかち)支部で農業経営部会発会に携わったことです。1989年当時は米国からの牛肉・オレンジの輸入自由化が問題となり、農業者も経営を学びたいという声が聞かれ、沢本松市支部長(当時)も酪農家出身だったこともあり、全国初の農業経営部会が発足しました。時代に柔軟に対応する経営者の感覚にふれ、経営課題が増えるほど会が発展する同友会運動の奥深さを感じました。
─力になった会員の言葉はありますか?
とかち支部の3代目支部長を務めた石原正光さん(東北海道ヤナセ 代表取締役会長)が「経営者にとってこんなに勉強できるところは他にない」とおっしゃったことです。同友会では、自分の考えや意見を述べるとそれに対して質問がでます。質問に答えていくと考えが深まり、自らの力量が高まります。本音で議論できる場が信頼できる仲間づくりに結びつき、経営の本質を学べる会になるのです。例会で報告に立った会員が「会員のまなざしは“応援されている”と感じる」と話すのを聞くとまさにそう思います。
─同友会運動を進めてきたなかで印象深かったことは?
2009年の設立40周年の総会で法人化したことです。議長を務めた安井清吉副代表理事が「3年間を要しましたが、その過程や議論は同友会の自主・民主・連帯の精神そのものであり、法人化は北海道同友会の先進性、本質性をさらに高める第一歩」と表したとおり、同友会が積み上げた信頼をより確かなものとし、歴史を次世代につなげる覚悟が示された瞬間でした。
─昨年の50周年記念式典は目標の6000名会員を達成し開催できました。なぜここまで発展できたと思いますか?
私は創設当初の会員の方々の思いの大きさがあったからだと思います。自社さえよければ良いのではなく、理念を掲げて実践する仲間を増やして一緒に成長しようと設立時から呼びかけ、50年経ても学び合う姿勢が引き継がれているからこそ、ここまで来ることができたのだと思います。
─そのなかで事務局が果たしてきた役割は?
事務局員は会員と共に運動を担う主体者であり、パートナーと捉えてくださって成り立っています。各地に事務所を構え、組織運営や人育ての課題が出てきました。事務局員が会員と同じ悩みを少しでも共有でき、主体者の意識が生まれやすくなったと考えています。また共同求人活動で新卒採用を続けてきた結果、運動の担い手が継承される礎ができたと感じます。
─これからの同友会に期待されることは何でしょうか?
まずは地域との関わりを強めていくことです。特に人育てについては、地域の若者を育て、力を引き出すことが中小企業に求められてくるでしょう。そしてこの逆境を乗り越えるために、企業は強靭な経営体質づくりが求められています。理念を実現するための挑戦が、企業でも同友会でも一段と必要です。
─最後に、若手事務局員に伝えたいことをお聞かせください。
私は会員の前で報告をする際に「入会目的は実現しましたか?」と問いかけます。会員は何かを期待して同友会に入会しています。それが何なのかを捉え、その声に応える気構えが大切です。同友会は経営者の可能性を示す運動体でもあります。例えば中小企業振興基本条例の制定にあたっては、地域をよく知る経営者の的確な提起が欠かせません。日々の活動が経営者の可能性を広げる活動となっているかを、私たちは常に確かめていきたいものです。
これからは変化を乗り越える力が必要です。経営への理解を深め知恵を出し合い発想し、会員との絆を深められる事務局員が増えることを願っています。
■プロフィール 1978年入局。苫小牧、西胆振支部設立に携わり、旭川、帯広支部事務局長を経て1998年本部事務局長、2000年より専務理事。 |
(2020年9月15日「中小企業家しんぶん北海道版第348号」より転載・一部加筆 聞き手 山崎直子)