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【69号特集4】インタビュー (株)青函設備工業 監査役 斎藤光子(函館)

2021年01月15日

私と同友会 ―会社の歴史は我が青春の歴史―

 

亡き夫とふたり、青函設備工業を起こした斎藤光子さん。会社設立当初から同友会で学び、「私の最終学歴は同友会」と言い切ります。「わが青春の歴史」という会社の歴史を、函館支部の歴史とあわせて伺いました。

 

 

 

 

自分たちの会社を持つ

 

─今年83歳になられた斎藤さん、はじめは地元の企業にお勤めだったと伺いました。


 私は函館市出身で、市内の遺愛女子中学校・高等学校を卒業後、そのまま就職しました。就職した会社は11の部門がある、当時の函館では大きな企業でした。建設業部門の経理として入社したのですが、その後すぐに部門異動を命ぜられ、本部の社長の近くで働くことになりました。大変でしたが、今振り返ってみれば、この時の経験が自分の経営感覚・商売感覚を養ってくれました。


─ご夫婦で青函設備工業を起ち上げたのですね。


 主人は当時、会社の一部門であった水飴工場の技術指導部門の責任者でした。業務で工場に出入りするなかで出会ったので、社内恋愛です。交際をする中で「いずれ自分たちで仕事(会社)を持とう」という大きな希望を持ち、その夢が私たちの青春でした。


 それから11年を経て、1966年に会社を設立しました。水飴工場の環境は全てパイプを連ねる、まさに管工事業の見本です。


 主人は同友会函館支部設立メンバーで北匠建築設計事務所の故・藤原千代勝社長と中学の頃からの付き合いでした。その藤原社長と戸沼建設(現 戸沼岩崎建設)の戸沼平八会長に同友会入会へのお声がけをいただき、会社の軌道も乗り始めた1973年に同友会に入会しました。


─入会された後はご夫婦で同友会の会合に参加されていたのですか?


 はじめは主人がメインで例会に参加しており、支部幹事長も務めていました。しかし、徐々に仕事が立て込んでくると私が参加するようになり、いつしか私の方が主役のようになってしまいました。女性部会の発足にも当初から携わり、世話人や会長として運営にあたらせていただきました。


─女性部会は当初『婦人懇話会』という名称で活動していました。


 1981年1月に、世話役会(世話人会)を開催したのが一番初めの活動です。会内外の女性経営者にお声掛けをし、3月に記念すべき第1回目の勉強会を開催しました。最初は人数が少なかったものですから、私も2回目の勉強会で報告することになり、社長である夫と歩んできた歴史や今後の展望についてなどをお話しました。


 部会は順風満帆にスタートしたように見えましたが、実は2年間ほど休会期間がありました。その後紆余曲折を経たのち、1997年に『マルメロの会』と名称を改めます。函館市の北に位置する旧大野町(現北斗市)では、明治時代からマルメロの栽培が続いています。地域の特産品にちなんで名付けられたこの名称は、芳醇な甘い香りにあわせ「かじる」としたたかに渋い凄さを味わうマルメロのようにしたたかであり、しなやかな経営者をめざそうと命名したように記憶しています。

 

思い出の全女交

 

─1999年に開催された全国女性部交流会(全女交)では、当時のマルメロの会会長として大会を成功に導かれました。


 当初札幌で開催されると聞いていたのですが、どういう経緯があったか、函館で開催することになりました。報告する事務局に対して私は「架けられた梯子なら登りましょう」と答えたのを覚えています。


 とはいえ、支部で全国行事を設営するのは初めてのこと。開催に当たっては、支部全体から実行委員として力を貸していただきました。実行委員会を開催するたびに、他支部の女性部会のメンバーも駆けつけてくださり、一緒に悩みながら準備を進めていったのも良い思い出です。


 全道各地でPRしたことや、函館の持つ異国情緒豊かな街の歴史、おいしい食べ物、坂が織りなす景観なども相まって、過去最多となる491名もの方の参加で当日を迎えることができました。


─懇親会のスピーチが思い出に残っているそうですね。


 全国の同友会の仲間が来函されるわけですから、函館らしいおもてなしを、と考えました。悩んだ末に、英語で懇親会のスピーチを申し上げることにしたのです。


 函館は志を抱き密出国した新島襄のゆかりのスポットなど、興奮の感を満たすには十分な舞台です。異国情緒漂う街並みは学習する人も旅をする人も惹きつけます。その函館ロマンを感じてもらうためには…と思いついた秘策です。挨拶文の作成にあたっては、当時の佐藤紀雄事務局長にも相談しました。佐藤さんの知り合いの英語塾の先生に、英文の確認などもしてもらいました。今だから言える、懐かしい裏話です。


─全女交の翌日には支部主催の「はこだて昆布フェスタ」も開催されました。


 大きな行事が立て続けに開催されるということで、これも事務局から提案を頂きました。しかし、マルメロの会のメンバーは皆一堂に「大変なことになったわね」とニコニコ。せっかく大きな規模の行事が開催されるのだからと、全女交のあとのアフター企画として案内することにし、こちらも多くの方にご参加いただきました。

 

私にとって同友会とは

 

─斎藤さんがお考えになる、函館支部の特徴を教えてください。


 何といっても地域資源に着目して活動を展開してきた点だと思います。「イカノポリス計画」や「昆布研究会」などはその最たるものです。それまであまり見向きもされなかった地域資源を改めて見つめなおし、それを啓蒙する。そんな活動に取り組んできたのが最大の特徴ではないでしょうか。


─地域資源に目を向けることで、誰もが「我がこと」として捉えやすくなりますね。


 その通りです。イカや昆布に着目した取り組みは、それぞれには直接関係のないことだったかもしれません。しかし、地域資源の付加価値を高めていくことは地域経済に直結してきますし、水産加工業を営まれている企業もこの地には数多くあります。そういう意味で、この地に住んでいる私たちにとって無縁のものでは決してないのです。ですから、「イカノポリス計画」や「昆布研究会」などは支部全体に成果が広がる活動だったのだろうと思います。今は部会・研究会の活動も当時とは変わってきていますが、こうした函館支部での同友会運動の原点は変わっていないと思います。


─斎藤さんにとって、同友会はどんな存在なのでしょうか。


 主人と2人で会社を起ち上げて以来、ずっと普通ごとだったわけではありません。数々の危機や困難が私たちを襲いました。得意先の経営の失敗は、私たちにもすぐに影響を及ぼします。


 そのような時、本部の大久保尚孝専務理事(当時)に帳簿を見ていただきました。「大丈夫。この先の努力は絶対に無駄なことにはならぬ」と太鼓判を押していただいたこともあります。すぐに相談を寄せることのできる駆け込み寺的な存在は大切です。


 困難に出会うとき、私たちは同友会人として「学び」、「感じて」「生きてきた」のです。同友会の真実は、私の生きることの真実だと考えたのです。


 青函設備工業の歴史は、我が青春の歴史です。そしてそこには、同友会函館支部での学びと行動の原動力があったのです。


─ありがとうございました。

 

社員の皆さんと共に

 

■会社概要
設  立:1966年
資 本 金:5,000万円
従業員数:22名
事業内容:管工事業

 

(2020年10月28日収録 聞き手 末武航幸)