【69号特集4】代表理事が語る! 地域と中小企業の承継、未来 ―企業と地域を健全な形で後世に残していく―
2021年01月15日
代表理事が語る! 地域と中小企業の承継、未来
―企業と地域を健全な形で後世に残していく―
(株)ネクサス 会長 曽根 一(帯広)
曽根氏は父が創業した建設会社を継いだあと、リーマンショックの危機を乗り越え、経営指針にもとづく取り組みで自社を強い企業へと成長させていきました。同氏は現在、同友会で学び合う仲間を増やし、企業と地域を元気にしていこうと、地元の中小企業訪問を開始しました。その数は1年で1000社にのぼります。コロナ禍でも『地域から1社もなくしてはならない』と、会員増強に取り組む曽根さんの思いに学びます。
当社は私の父が1956年に曽根建設工業所を個人創業し、4年後に法人化しました。私は大学を卒業後、東京で社会人生活を送っていました。ある日、父から「地元に帰ってくる前にしっかり学んできなさい」と言われ、1980年に東京の中小企業大学校に入学しました。経営後継者コースの1期生として全国から集まった24名と1年間学び、その翌年、30歳の時に帯広に帰郷し入社しました。
父は私が入社した翌年に会長になりましたが、後任の社長がその4年後に突然辞任してしまいます。40歳を超えてから社長に就任すると思っていた私は、父と2日間の話し合いの末、1986年、35歳の時に社長に就任しました。
同友会には社長に就任する前年に入会しました。しばらくの間は会合に参加することもなかったのですが、2001年、当時の帯広支部(2011年よりとかち支部)設立25周年事業として企画されたアメリカへの研修旅行に誘われ、初めて参加しました。
研修は10日間ほどの行程で、その間、経営の話や地域をどうするかについて、参加者同士が延々と熱く語りあう姿を目の当たりにし、同友会で学びあう楽しさを知りました。それからは、小グループ活動「拓の会」や、お酒を酌み交わしながら経営者の生きざまに学ぶ「人生大学」で経営を学びました。
2008年に帯広支部の支部長に就任し、2012年に支部相談役、2019年からは北海道同友会の代表理事を務めています。
M&Aによる他社の事業承継
父から事業承継した当時の年商は40億円ほどありましたが、個人保証も当たり前のようにあり、総額では18億円の借入金がありました。経営者として事業を進めるなかで、他社の事業承継の打診が来はじめました。
1992年、年商50憶円の中堅建設会社のM&Aの話がありました。しかしながら、行方不明の手形があることが発覚し、断念しました。2001年には隣町の建設会社をM&Aで吸収合併。この年に現在の社名のネクサスに変更しました。
合併後、新たに作成した経営計画書を見せながら「一緒にやりましょう」と、合併先の29名の全社員と面談しました。しかし、私の経営方針は受け入れられず、2名を残し全員退職していきました。
2006年には休眠中の建設会社から相談を受け、土木の営業権を譲り受けることになりました。昨年も2つの会社を承継しています。
どん底の私を救ったひと言
2008年、リーマンショックのころの売り上げは30億円ほどでした。大型案件を2つ抱えていたため、他の仕事は受注しないようにしていました。
ところが、リーマンショックで2つの大型案件がなくなり、その年の売り上げは前年対比で6割減少しました。当時、私は支部長を務めており、このままでは会社が倒産するかもしれないと精神的にも大変追い詰められていました。
そんなある日、自分が紹介した新会員が例会で発表することになり、気が重かったのですが参加することにしました。報告の中で「目の前にどんなに大変な状況があろうと、自分もそれと同じだと思ってはいけない」という言葉が強烈に胸に響きました。私は会社が大変な状況だから自分もダメだと思い込み、前向きな発想ができなくなっていたのです。この時の報告者の言葉が、落ち込んでいた私を救ってくれました。
それから社員や協力会社に経営状況を説明し、協力をお願いしました。そして、自分自身も覚悟を決め「3年後に少しでも利益が出たら100%社員に還元します」と宣言し、立て直しをはかりました。3年後には約束通り利益を出して、社員へ還元することができました。
リーマンショックの頃に例会で聞いた新会員のひと言がなければ、私は精神的に潰れていたのではないかと思うほど苦しい経営でした。自分なりの経営理念を持ってはいましたが、そのときは思い起こす力もありませんでした。いかなる状況においても、自分はどういう生き方をするのか、どのような会社にしていくのかというビジョンを持ち続けることができれば、困難は乗り越えられると思います。
息子への事業承継
2017年、息子が30歳のときに事業承継をしました。私が社長になったときには、父から毎日のように電話で仕事のことを聞かれて苦労したため、社長を交代したその日から、仕事に対して息子には口出ししないと決め、社長室を明け渡しました。言いたいことや気になることは山ほどありましたが、ひと言も言わないということは今でも続けています。
息子にしてみれば心細かっただろうと思い、会長になって3年目の今年、ふと聞いてみたところ「周りの先輩役員が支えてくれたから大丈夫だった」と、話してくれたことで安心しました。
経営指針は迷った時の羅針盤
ある日、人生大学で報告者を依頼され、自分の失敗談を60分間話しました。なぜそうしたかというと、失敗から学べることは山ほどあると思っているからです。なぜ失敗したのかを繰り返し考えると、その原因に気づき、失敗しないためにはどうすれば良いか、考えられます。失敗は自分を成長させてくれるのです。
経営指針は迷ったときの羅針盤だと思います。リーマンショック直後には考えられなくなっていましたが、そうしたときにこそ役に立つものだと肝に銘じながらつくり、利用していくものだと考えています。
最初は他社の理念を参考にする人もいるかもしれません。しかし、それでは自分の理念になりません。自分の経験や学んだことを自分の言葉で成文化することで、はじめて経営理念を深めることができます。経営指針は自分、社員、お客様、会社、地域のためになっていくものだと実感しています。
未会員訪問で見えたもの
私は2018年12月から会員増強を目的に、事務局員と一緒に未会員訪問を行っています。1年間で訪問した会社は1千社あまり。多くの企業を訪問し、経営者とお話する中で、企業の共通課題が見えてきました。その一つが後継者問題です。
先日は90歳を超えてなお現役の経営者に会いました。その会社には後継者がいません。また別の日に元会員の企業を訪ねたところ、後継者候補が複数名いてどのように選定したらよいか相談を受けました。そこで私は「後継者候補に同友会に参加して学んでもらってはどうだろうか」と提案し、再入会いただくことになりました。
会社を継ぐために戻ってきた後継者や、子育てを終えた方が「経営を学びたい」と入会することもありました。ある時には「なぜわが社はこれまで同友会に入会していなかったのか」という企業とも出会いました。
私にとって帯広・十勝は見慣れた風景ですから、地域の状況も大体は知っていたつもりでした。しかし日々、未会員訪問を重ねていくうちに、自分もまだ知らない多くの会社があることに気づきました。
地域にはユニークで魅力のある経営者が多く、会社の由来をお聞きするだけで地域や人のつながりを学ぶことができます。初対面の方であっても父のことをよく知っていたり、実は仕事のつながりがあったりと、未会員訪問を行うたびに出会いと学びを得ています。特に、優れた経営者は前向きで謙虚、そして温かくて優しいという共通点がありました。
経営者の願いは地域が存続すること
中小企業家同友会全国協議会(中同協)の広浜泰久会長は、「一つの会社がなくなることは、一つの地域がなくなることだ」と指摘しています。中小企業は地域にとって貴重な存在で、企業と地域を健全な形で後世に残していくことが大事だということです。
私は今年オンラインで開催された中同協総会で『会員拡大は地域経済存続発展の一助となる』というテーマで報告しました。
未会員に入会をすすめる理由は、後継者問題など企業の課題を同友会で一緒に解決してほしいからです。そして、地域を元気にする主役の中小企業が雇用を生みだし、進学などで地元を離れた若者が、帰郷して働きたくなるような企業と地域を残したいのです。
コロナ禍で多くの企業が影響を受けています。事業を継続するためにも、経営指針の見直しが必要です。私たちはコロナ禍による経営環境の変化をチャンスに変えていかなければならないと思います。
2011年、東日本大震災の時に掲げた『一社もつぶさない』という経営者の覚悟を思い起こし、自分のビジョンを明確にして一つずつ具現化できれば、自社や地域の未来をきりひらくことができると考えています。
■会社概要 設 立:1960年 資 本 金:9,600万円 従業員数:37名 事業内容:総合建設業 |
(2020年10月23日「南空知支部10月例会」より 文責 松田竜二)