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【67号 特集2】障がい者雇用を通じて幸せの見える社会をめざす ー熱帯魚屋さんから障がい者福祉事業、そして京文化発信の担い手へー

2019年01月01日

アパレルメーカーなどの勤務を経て、観賞魚の販売・水槽設計・メンテナンスを行うグラン・ブルーを起業した石井氏。障がい者実習をきっかけに、「障がい者雇用」に本格的に取り組もうとした矢先、東日本大震災に直面します。その難局を「人を生かす経営」「障がい者雇用」の実践を通じて乗り越え、新事業展開につなげた石井氏の取り組みから学びます。

 


 

㈲グラン・ブルー 代表取締役 石井 雄一郎(京都)

 


 

 私は1965年に京都市で生まれました。政治家をめざし関西の大学に進学するも、「親が政治家でなければ政治家にはなれない」と言われ、夢を断念しました。


 反動で、その後の学生生活はテニスやスキー、ドライブなど遊び漬けの毎日です。卒業後はアパレル会社に就職し、百貨店の業務管理、在庫管理を行っていましたが、将来的には起業したいと考えていました。93年、仏壇仏具の卸を行っていた叔父から声がかかり、転職します。その会社は私の弟が養子となり引き継ぐことが決まったため、改めて起業への可能性を探ることにしました。


 業務用観賞魚水槽のメンテナンス業務を専門に取り扱う会社が少ないことに気づき、「心が潤い、安らぐ空間をつくりたい」と、観賞魚の販売、観賞魚用水槽の設計・施工を行う㈲グラン・ブルーを設立します。95年のことでした。


 私の実家は絞り染め工場でした。幼少期、私は桶に入った熱湯をかぶり、大火傷を負い、今も左半身に痕が残っています。幼稚園、小学校のプール授業の時、火傷の痕を見た同級生から怖がられましたが、そのうち「これが石井君の個性や」と受け入れてもらえるようになりました。自分の経験から、「障がいのある子どもを守らなければいけない」と思いつつも、「仕事の中では生かせない」と思い込んでいました。


 創業から14年後の2009年1月、同友会に入会しました。同時に障がい者問題委員会に所属しました。障がい者福祉施設への水槽設置・施工が多く、そのために勉強しようと思ったからです。


実習受け入れから
障がい者雇用へ


 8月、同委員会で知り合った障がい者就労支援事業所の所長・現NPO法人フレンズの亀海聡理事長から、障がい者実習受け入れの依頼がありました。最初はお断りしたのですが、「とりあえず会ってくれたらわかる」の一点張りです。しぶしぶ2週間の期限付きで実習を受け入れることにしました。


 実習生は34歳の精神障がい者の男性でした。彼には、熱帯魚店で1日2時間の実習から始めてもらいました。最初はお客様が来ると緊張のあまり隠れたりしていましたが、2週間程経つと1日4時間働けるようになりました。その後は実習を延長し、仕事内容も水槽メンテナンス業務の準備や片付けなどのフォローをしてくれるまでになりました。社員からも「彼の仕事は丁寧だ」と評判が良く、3カ月経つと1日5時間働き、基礎的なことができるようになりました。彼の仕事ぶりが私の障がい者雇用に対する不安を取り除いてくれました。その後、正社員雇用に切り替え、約7年間働いてくれました。


「人を生かす経営」実践道場で
経営指針を成文化


 2009年11月、「同友会に入会したからには『道場』に行かなあかん」との先輩会員のひと言で、『第8期「人を生かす経営」実践道場』に入門しました。道場では、「労使見解」の精神から経営者としてのあるべき姿勢を学び、自問しながら、経営指針を成文化します。


 いま振り返ると、当時の私は社員を育てるという意識が希薄でした。社員が2年で入れ替わるほど定着が悪く、辞めていく社員からは「社長のやりたいことがわからない」「将来が心配」と、面と向かって言われたこともありました。会社にはビジョンや理念もなく、私自身も中堅社員にどのように会社を引き継いでいくのか、なぜ社員が辞めていくのか、先の見えない不安ばかりが募っていました。


 半年に及ぶ講座を経て、「これまでの自分は経営者ではなかった」と気づかされました。「なぜ会社を経営しているのか?」。自問し気づいたことを盛り込み、経営指針書を作成しました。道場を修了後、幹部社員を集めて経営理念の発表会を行いました。経営理念を成文化し、共有すると社員の意識も変わり、主体的に働いてくれることで、より自分の思いが伝わる好循環が得られました。


 その頃、同友会で講演する機会があり、「障がい者雇用を推進する会社を立ち上げたい」と報告しました。後日、講演会に参加していた福祉施設の職員2人が当社を訪れました。「社長の講演に感動しました。ぜひ一緒にやりたいと思い、退職してきました」と言うのです。私の計画では5年かけて立ち上げに取り組むつもりでしたので、非常に困惑しました。しかし、退職してまで来てくれた2人のために計画を前倒ししようと腹を決め、10年12月に障がい者雇用を推進する㈱京のちからを設立しました。現在、2人は幹部社員として活躍しています。


東日本大震災から会社の
軌道修正へ


 2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。翌日から外国人観光客は消え、嵐山など観光名所も閑散となりました。また、福島第一原子力発電所事故に伴い、計画停電予告が出されました。熱帯魚を飼うには、常にエアーポンプで空気を送らなければなりません。計画停電で電気が止まれば空気は送れなくなり、水槽の熱帯魚は死んでしまいます。


 そうした状況では誰も熱帯魚を飼おうと思いません。新規の水槽設計・施工はすべてキャンセルになり、お土産として売り出そうとしていたお菓子も売れる見込みが立たなくなりました。金融機関からは「売り上げの見込みがないのなら、融資はできない」と言われました。


 「このままでは資金ショートする。潰れる!」。最悪の状況が頭をよぎりました。必死で金策に走りつつ、生き残り方法を模索する中で、何度も自社の存在意義を問いかけました。そして、「いま自社に求められているのは、経営理念の一つである“私たちは京都の企業として、地域の魅力を発信し地域と共に育つ企業を目指します”の具現化だ」と考えました。


 何とか金策し、少しずつ事業が回復していた13年、京都府の福祉施設で初となる「京都モデルファーム運動(活用が困難な耕作放棄地を地域と企業などが協働して再生、活用する活動)」の活用協定を結びました。地主さんから農地を借り、障がい者と農業活動を始めることになったのです。


 最初は採れた農産物を「道の駅」で1袋100円で売っていました。しかし、障がい者を10人雇用すると80万円の工賃が必要で、赤字は膨らむ一方です。そこで、収穫した農産物を使用した6次産業化をめざし、『京の「地のもん」スイーツ』づくりに取り組みました。京都府の山間部、京丹波町のブランドネームを使って開発した美山の卵スイーツとロールケーキ、プリンは「道の駅」で月100万円を売り上げるまでになりました。ようやく会社経営の軌道修正ができたと感じ始めました。


学生とのコラボで地域の
魅力を発信する商品づくり


 一方で、福祉施設の課題も見えてきました。障がいのある方は様々な事情で休むことが多いので、穴埋めは社員が担います。そうすると「つくれる時に、つくれるものをつくれるだけつくる」という商品づくりになりがちです。それは自分たちの都合による商品づくりで、消費者に支持される商品づくりではありません。さらに売り先はバザーや府の施設と限られています。また、福祉施設の職員給与は国の予算から保証されるので、売り上げをつくるという意識が乏しくなります。利用者に工賃を支払うには、自ら売り上げをつくることが必要です。


 何とかこの状況を打破できないかと考え、試行錯誤していた14年、同志社大学から「プロジェクト科目をやりませんか」と声がかかりました。企業経営者や社会人が科目担当者となり、学生と共に企業や地域が抱える問題の解決をめざす取り組みです。すぐに参加表明し、「災害に強い地域循環型共生コミュニティの実現」と題したプロジェクトを提案しました。このタイトルで集まるのかという大学側の危惧をはねのけ、20名の学生が集まってくれました。


 プロジェクトの目的は、『地域の「人」「地場産品」「共生」を大切にしながら「地域の力」の復興を目指し、ひいては災害時にも強い地域循環型コミュニティの在り方を学ぶ』ことを掲げました。地場特産品について学んでもらい、障がい者の仕事づくりの一環として、新商品開発に取り組む内容も盛り込みました。


 1年目は人口減少によるシャッター商店街で有名になった今熊野、かつては杉の産地で有名だった北山杉で何か面白いことができないかと現地調査を行い、議論を重ねました。その結果、学生から「自転車競技を題材にした人気漫画『弱虫ペダル』で選手が自転車競技中に食べるライディングクッキーをつくってはどうか」との提案が出されました。


 クッキーには地元の素材を生かし、京都の街道沿いの名シーンを1つの缶に詰めましたが、それだけでは売れません。最終的に『弱虫ペダル』とタイアップして『京都周山街道ライディングクッキー』として商品化しました。現在も各街道をタイトルにシリーズ化して販売しています。


 2年目は上京区を調査し、現在は同志社大学の敷地になっている『応仁の乱の東陣』に着眼しました。東軍総大将の細川勝元が鯉料理好きだったことから着想し、鯉形のサンドケーキをつくり、クリームには地元の豆腐と味噌の素材を使っています。


連携し新事業を展開


 学生とのプロジェクトは、商品づくりの新しい視点に気づくきっかけとなりました。現在はアニメコンテンツと連携すると商品価値が上がることが分かり、積極的にコラボした商品づくりに取り組んでいます。


 また、実在の日本刀を擬人化した人気ゲーム『刀剣乱舞』に絡めたイベントを京都市と東映太秦映画村に持ちかけました。内容はゲームに登場する日本刀ゆかりの京都の神社をめぐって御朱印を集め、映画村でゲームキャラクター(刀剣男子)の展示を見てもらい、最後にゲームとコラボしたお土産を買ってもらうというものです。2カ月半のイベントに約5万人が参加し、お土産の売り上げは5千万円を超えました。


 西陣、友禅、黒染めなど京都の伝統産業を営む企業にも商品製作を依頼し、その中で人材不足の企業には障がい者雇用を提案しました。このイベントは『京都刀剣御朱印めぐり』として今年第3弾が開催されるまでになりました。このように伝統産業に新しいモノづくりの機会を提供し、元気になってもらいながら、障がい者雇用の拡大を進めています。


 今年5月にはサンリオと業務提携を結び、ハローキティなどのサンリオキャラクターを使った空間装飾に取り組んでいます。現在、工場経営をしている会社の悩みは人手不足です。悩みを解消するには3Kのイメージを払拭する必要があります。おなじみのキャラクターでトイレ、休憩室、更衣室を装飾することで企業イメージをガラッと変えることができます。人材募集をかけた際に、「この会社なら楽しく働くことができるかも」と応募者に期待してもらい、働いている人には「ここまでやってくれるのなら」と活気づくような空間づくりに取り組んでいます。


ソーシャルインクルージョン委員会


 私は4年前に京都同友会障がい者問題委員長に就任しました。最初の仕事は『ソーシャルインクルージョン』という委員会への名称変更でした。ソーシャルインクルージョンとは「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し健康で文化的な生活に繋げるよう、社会の構成員として支えあう」という理念であり、もともとはヨーロッパで提唱された政策です。日本でも2000年に厚生労働省が「21世紀の社会福祉のあり方」として提言していますが、理念に沿った政策は展開されていません。それならば我々が自らの行動で示そうと名称を変更し、3つの部門を立ち上げました。


 『障がい者就労部門』は精神や身体、知的な障がいを持っている人、『求職困難者就労部門』は障がい者手帳は持っていなくても就労が困難な状況にある人(引きこもり、ニート、高齢者、シングルマザー、刑期を終えて出所後に社会復帰をめざす人)を対象としています。それぞれ『COCOネット』『いっぽねっと』という就労支援ネットワークを構築し、本人の特性を踏まえ、実習先を選定し、就労・定着支援までを行政等と一体となりサポートしています。


 『社会的養護部門』は、何らかの理由で親と一緒に暮らせない児童養護施設などの子どもたちとの交流や実習を通じ、職業観・社会観・自己肯定感を高める活動をしています。実習発表会を行うと、参加した子どもたちの様子が変わったことがわかります。働いて、失敗して、怒られ、褒められることを経験することで大人との信頼関係が生まれ、自分に自信がついてきます。こうした活動を通じて、子どもたちが明るい未来へ向かって自らの力で歩いていけるようになり、地元の中小企業で活躍し、地域の力になってもらえることを期待しています。


 委員会活動に注目が集まっていますが、3つの部門を通して共通して見えてきたことは、「知らない」ということです。隣の学校が何の学校か知らない。隣の会社が何をしている会社か知らない。隣の施設にどういう人が来ているのか知らない。知ってもらうには、1、2社では限界があります。地域のネットワークをつくり、つなげて、幸せの見える社会をつくらなければなりません。仕事単位ではなく、人と人、目と目、心と心でつながるネットワークです。個性を大切にし、生かし、仕事につなげる社風づくりこそ、同友会の学びだと思います。


 このように考えられるようになったのは『「人を生かす経営」実践道場』の影響があると思います。経営指針をしっかりと作成することで、福祉事業に理解のある経営者というだけではなく、事業と絡めた実践的な取り組みを継続的に行うことができます。


幸せの見える社会をめざして


 人類の歴史では、障がい者の種を絶つ断種法が制定され、それに沿った取り組みが行われてきました。日本でも旧優生保護法のもとで、障がい者の強制不妊手術が96年まで行われていました。そして、2016年、相模原障害者施設殺傷事件が起こりました。歴史のなかで同じことが繰り返されているように感じます。


 障がい者が生きる意味は、本当にないのでしょうか。我々は障がい者に優しい社会をめざせないのでしょうか。そのことを私たち一人ひとりが真剣に考えなければなりません。


 私は自分の経験から、人と違うところがあっても、個性として受け入れてもらえることを学びました。


 障がい者雇用で有名な日本理化学工業の大山会長は、「生きる喜びは、人に愛される事、人に褒められる事、人の役に立つ事、人から必要とされる事です。働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのです。その愛も、一生懸命働くことによって得られるものだと思います」と語っています。


 私たち中小企業は、地域の魅力を発信し、誰もが働きがいをもって就労できる職場文化を醸成し、地域での雇用促進を図るべきです。幸せの見える社会の実現は地域から。共に頑張りましょう。


(2018年8月30日「道北あさひかわ支部8月例会」 より 文責 西澤まどか)

 


 

■会社概要
㈲グラン・ブルー
設  立:1995年
資 本 金:300万円
従業員数:4名
事業内容:観賞魚・熱帯魚用水槽の設計・施工・メンテナンス、菓子工房、コラボグッズ企画・製作・販売

 

㈱京のちから
設  立:2010年
資 本 金:50万円
従業員数:16名
事業内容:就労継続支援B型事業所での菓子製造・販売等