【67号 特集1】我がこころは十勝にあり ー老舗企業が語るこれからー
2019年01月01日
十勝の食文化を語る上では欠かせない満寿屋商店と平和園。長年地元に愛される老舗企業で紡がれる創業の理念と地元への想い、そして今後のあり方について両社の若き代表が語ります。
■パネリスト―――――
㈱満寿屋商店 代表取締役社長 杉山 雅則(帯広)
㈱平和園 代表取締役 新田 隆教(帯広)
■コーディネーター―――――
㈱勝毎光風社 取締役社長 永田 耕司(帯広)
報告1 杉山 雅則
当社は1950年に創業し、帯広市を中心に十勝6店舗、東京1店舗、計7店舗のベーカリーを運営しています。来客は年間100万人以上、十勝の人口が約35万人ですから、地元のお客様がどれだけ来店されているかご理解いただけると思います。日本全国でベーカリーを多店舗展開している会社はたくさんありますが、地場産小麦を100%使用しているのは日本でも当社だけです。
地域との共存共栄をめざす
私の祖父が創業した当初、農業は現在のように効率化されていませんでした。農作業の合間に、飲み物がなくても美味しく食べられるようつくったおやつが、祖父の考案したあんパンです。それが広まり、当社の発展につながりました。
当社の十勝産小麦の使用率が100%になったのは、2012年のことです。30年ほど前、父がある農家さんから「このパンには十勝の小麦がどれくらい使われているのか?」と聞かれたことがきっかけです。改めて調べてみると、当時の日本のパンの原料は、ほぼ全量輸入小麦でした。目の前に小麦畑が広がっているのに、それを地元の人が口にできないことに父は衝撃を受けました。90年代に「ハルユタカ」というパンに適した品種が開発されましたが、病気に弱く、当時の十勝の気候では栽培が難しい品種で、なかなか収穫できません。そこでビートなどで行うペーパーポット栽培(苗をつくって畑に移植する)というかなり無謀な方法で何とか収穫できるようになり、現在に至っています。
私は高校卒業後10年ほど、進学や修業のため、海外での生活を含めて各地をまわり、2004年に十勝に戻ってきました。その際、自分が住んでいた十勝は、自然も含め限りない可能性を秘めている場所だったと気づき、同時にこのすばらしさが地元、全国共に認知されていないことを残念に思いました。
そこで、現在の事業の柱に「地産地消」を据え、十勝の畑作の中でもっとも作付けされている小麦でパンをつくり、地元の方に食べてもらう活動を行っています。当社の企業目標は「お客様と農家さんと私たちが笑顔とよろこびに満ちあふれる小麦王国十勝のパン屋」としており、創業以来農業と密接に関係しながら、地元十勝との共存共栄をめざしています。
十勝産小麦の価値を最大化し、十勝をパン王国に
当社には「麦音(むぎおと)」という店舗があります。1万1000㎡で、単独ベーカリーとしては日本一の敷地面積です。敷地内には小麦畑や風車、水車があります。地元の方に十勝産小麦を知ってもらい、地場産小麦の価値を高めるために畑を併設しています。
また首都圏の多くの消費者に十勝産小麦の価値を知っていただくため、2年前に東京に進出しました。この店舗では食材はもちろん、4名の職人も道産子です。また店舗の内外装にも十勝産木材をふんだんに使い、十勝をアピールしています。東京の店舗は世田谷に近い目黒区にあり、周辺には有名店、有名シェフの店がひしめいています。そのような中でお客様から「ここのパンは小麦の味がする」という評価をいただきました。厳密に言うと小麦の味がわかる人はいないのですが、店の雰囲気がその評価につながっているのだと嬉しく思っています。
当社の経営ビジョンは「2030年十勝がパン王国になる」です。私は大きなプロジェクトを進める際は、必ず絵を描いて説明します。15歳のアルバイトから75歳のパン職人まで、3、4世代にわたる幅広い年代が働いている大家族のような企業ですので、価値観の違う人たちと絵を見ながら語り、全社員が同じ思いを共有できるようにしているのです。経営ビジョンには4つの柱があり、自社の成長と十勝産小麦のブランド化、「十勝パン」という名物パンの開発、そして人材育成をこの地域で行いたいと考えています。
十勝を愛する人を育てる
地産地消を進めていくには、食育が重要になります。そこで、2005年より十勝産小麦を使ったピザ教室を行っています。石窯を積んだ軽トラックで保育園、幼稚園、小学校を年間50回から100回ほど訪問、延べ5万人以上の子どもたちが参加しています。粘土遊びのように小麦粉をこね、成形・トッピングし、石窯で焼くうちにおいしそうな匂いが漂ってきます。遊びの延長だったものがピザに変わった瞬間、子どもたちの目はキラキラと輝きます。ピザ教室を経験した子どもは大人になっても地元食材の応援団になってくれると思いますし、自分の子どもにもその思いをつないでくれることを期待しています。
また当社の新人研修には、「十勝学」という特別なプログラムがあります。入社すると生産者を訪問し、「麦音」の小麦畑で種まきを行ってもらいます。十勝のことを良く知らずに入社する新人の研修は、商品の原料を知ることから始めます。この他にも1年かけて十勝の統計資料を学び、自分たちに何ができるかレポートを作成してもらいます。
小麦を通した域内循環
帯広市中心部にある本店では、週末に深夜のパン販売を行っています。パン屋はどうしてもロスを見込んでパンをつくります。こうしないとお客様が減るからです。地産地消を公言しながら経営のために捨てるパンをつくることに、私は悩んでいました。そこで各店の残った商品を集め、夜に本店で販売することを考えました。実際に行うと、十勝産小麦を使ったパンを売り切ることができるようになりました。日中に買いに来ることができない方や、二次会へ移動する前にお土産として買っていく方など、新たなニーズの発見にもつながりました。
当社にとって農家さんは原料のサプライヤーであると同時に、それを食べていただく消費者です。このような循環が実現できるのは、日本では十勝だけです。この地域でパン屋として経営できることに幸せを感じますし、もっと地域の発展のために貢献できればと考えています。
報告2 新田 隆教
当社は十勝に6店舗、札幌に3店舗、合計9店舗の焼肉レストランを経営しています。1959年に創業し、今年で59年目、来年60年の還暦を迎えます。年間の来客数は延べ60万人以上で、客単価は焼肉店としては少し低めになります。これは気軽にお越しいただける店でありたいという思いが、お客様と共有できているからだと思います。
両親からの教え
当社は私の祖父が、身寄りのない帯広にやってきて生活のために創業しました。創業後間もなく、現会長である私の父が手伝うようになり、いまでも「十勝の人たちがいたから生きてこられた。だから地域に根ざした店をつくり恩返しをするのだ」と言っています。しかし生活のために創業したのであれば、多店舗展開する必要はありません。父は言います。「創業からわずかな利益を出すために頑張ってきて、やっとお客様が来てくれるようになった。次第にお客様が外で待つようになり、店内のお客様が急いで食事をするようになった。もっとゆっくり召し上がってほしいと思い、2店舗目を出店したのだ」と。お客様のために店舗展開をすることの意味を、しみじみと考えさせられました。
常務だった母からも多くのことを学びました。お客様が増えてきた時期に、注文しすぎて残される食材が増え、閉店後にその肉をフライパンで炒め、従業員と食べていたそうです。母は「それがとてもおいしくて、また食べたい、明日も頑張ろう」と思い、同時に「また食べたいと思わなくなったら、この商売はやめよう」と考えていたそうです。
あるときは仕入れた食材の中に、「ちょっとこれは」と思うような大根が入っており、業者に確認すると「今はそれしかないです」と言われ、仕方なく調理をはじめました。すると母は、「このような大根をお客様に出すのが申し訳なくて涙が出てきた」そうです。このエピソードを思い出すたび、自分の仕事は誰の喜びと幸せにつながっているのか、誰のために仕事をしているのかと考えさせられます。
思いを紡ぐ
私は男4人兄弟の3番目です。当初は一番上の兄が会社を継ぐ予定でしたので、関西の大学に進学、就職、結婚し、子どもも生まれ順風満帆の人生を歩んでいました。しかし1998年2月、当時専務だった長男が、茨城県でハンググライダーの墜落事故を起こしました。一命は取りとめたものの、24時間の介護、介助が必要になり、母も退職を余儀なくされました。
実は数年前に兄から「一緒に経営をしよう」と誘われていました。私は朝から晩まで休日もなく働く両親の背中を見ていたため、その時は断りましたが「お前は自由でいいな」とポツリと言った兄のひとことを思い出し、家族ともども北海道に戻る決心をしました。2000年6月に入社し、12年後、社長に就任しました。
社長就任後は育ててもらった地域への恩返し、両親や兄の思いを感じて必死でした。そのような折、ある人から「社長の仕事は楽しい?義務感のような仕事でお客様やお兄さんは喜ぶの?本当に親孝行していると言えるの?」と問われ、涙が出てきました。
それならば未来をつくれば楽しく仕事ができるのではないかと考え、「中長期方針書」をつくることにしました。私が方向性や方針を考え、具体的な計画は従業員と共につくりたいと思い、入社式で発表しましたが、結果は散々でした。社員からは、「社長の言っていることは理解できるが、何をどう考えてよいかわからない」、「現状からの具体的な道筋がまったく見えない」などの声を耳にしました。現状をしっかり認識し、優先順位や重要度を示し、誰がどのように行っていくのかをしっかり組み立てないと、人はついてこない。私の単なるひとりよがりだったのだ、とその時気づきました。
そこで就任4年目に同友会の経営指針研究会に入会し、1年間学びました。研究会で自分自身や自社としっかり向き合うことで、価値観が変わる時代を生き抜くヒントを得ることができました。
私は進行性の目の難病を患い、現在では強い光を感じる程度で、ほぼ全盲です。7年程前から白杖をつき、4年程前には文字も読めなくなり、現在に至っています。自分自身の存在価値を否定した時期もありましたが、多くの人の支えがあり、現在この場にいます。目が不自由になったことで私は、子どもを車で送迎したり、キャッチボールをするといった、ごく日常的な父親としての価値を失いました。そのかわり、困難に立ち向かう父親の背中を見せ、価値を生み出そうと考えるようになりました。このように自社の存在価値を見つめ直すことで、新たな価値を見い出すことができるようになりました。
目指すは世界平和
今後は、当社の平和の園という社名の通り、世界平和を目指していきたいと考えています。ただ、全世界を平和にすることは私にはできません。自分の心の中や家族、職場や会社、地域も一つの世界だと考えれば、一つひとつを幸せに、平和にしていくことはできます。
現在はどんどんバーチャルな世界になっていますが、目の前の人と人がつながることで平和にできるのではないか。そのために当社に何ができるのかを考えています。家族団らんのケーキ、農作業の合間の満寿屋のパン、サミットの晩さん会など、人と人がつながるとき、その間には必ず食べ物があります。当社もそこに貢献し、平和の実現をめざしたいと考えています。
そのための手段はやはり「生かす経営」だと思います。人を生かし、情報を生かし、店舗を生かし、歴史を生かし、人の思いを生かしていきたいと考えています。取り組まねばならない課題は山積していますが、平和園ファミリーをつくることで皆が幸せになれるよう、奮闘していきたいと思います。
パネルディスカッション
永田 お二人の報告から十勝に対する愛情や、この地域でビジネスができる喜びと誇りを感じました。杉山社長からは農家、農業、農作業というキーワードが何度も出ており、お父様から引き継いだ思いを聞かせていただきました。新田社長からは覚悟やご両親からの学び、そして自分に近い世界から平和にしていきたいというお話がありました。これからは報告にあった部分、触れられなかった部分について、もう少し掘り下げていきたいと思います。
満寿屋商店の取り組み
永田 満寿屋商店の経営ビジョンの絵の中に数字がいくつかありましたが、これはどういう意味でしょうか。
杉山 経営ビジョンは左上から時計回りに、時代が進むイメージで描いています。左上には「5」という数字がありますが、これは1店舗で年商5億円を目指すということです。これを達成すると日本でもトップクラスの売り上げとなり、十勝産小麦が日本で最も良い小麦だという証明になると考えています。右上は「5万」です。十勝産小麦は年間30万トンの生産量がありますが、パン用品種の収量はまだ多くありません。これを年間5万トンまで増やしたいという思いです。
右下には「50」という数字があります。総務省の統計によると、パンには人口一人あたり1日30円使われているようです。それを十勝では50円まで上げたいと考えています。最後に左下の「500」。これは2025年に十勝にパン学校をつくりたいということです。残念ながら当社では学校はつくれません。ただ、日本のパンづくりの技術は世界から注目されており、特にアジアでの人気が高まってきています。十勝にパン学校ができれば、小麦からパンづくりの技術まで学べ、世界から500人の留学生が来てくれるだろうという夢を描いています。
永田 東京に進出して学んだことはありますか。
杉山 一つは開店の際、十勝の方から非常に多くのお祝いの花をいただき、みなさんからの応援で当社があるのだと改めて実感したのと同時に、期待も感じました。
また北海道ブランドの中でも十勝は少し高級なイメージを持たれていると思います。地元ではなじみのあるメーカー品でも、東京ではひとまわり上のブランドとして捉えられています。同じブランドでもビジネスをする地域によって認知度が変わるのだと実感しました。
永田 十勝にはベーカリー同士が連携している「パンを作る会」があります。考えてみるとライバル同士になりますが、しっかりと機能して同じ方向に進んでいます。現状や今後の流れについてお聞かせください。
杉山 管内のパン職人が集まり、「十勝パンをつくる会」が2012年1月に発足しました。当時はパンに使える十勝産小麦の生産量が増えてきた一方、TPPなどが話題になっていました。今後の農業は大変な時代を迎えることが予測されます。十勝産小麦を将来的に残すために、ベーカリーとしてできることはないかと議論し、豚丼のように名物となる十勝パンを開発しようということになったのです。
ライバル同士ですが、パンのマーケットの約7割はコンビニやスーパーのパンで、残りの3割が手作りベーカリーのパンです。3割のシェアの中で小さな業者同士が争っても最終的に得られるメリットは大きくありません。それよりも、普段ベーカリーに来ない方がおいしいパンを求めて来店される方が、よほどメリットがあると考えています。
平和園の取り組み
永田 平和園の札幌進出の経緯などをお話しいただけますか。
新田 現在札幌には3店舗あり、進出の目的は従業員のためです。当社は十勝に6店舗あるため、社員が独立してもその後の経営が難しいのではないかという話が出ました。そこで新しい市場の開拓と、当社の味が通用するかのテストを兼ね、札幌への進出を決めました。
1983年、札幌の月寒で現在の蘭豆店を「焼肉の店蘭豆」としてオープンしました。なぜ平和園の名前で出店しないのかと聞かれましたが、従業員のためであったのです。平和園の名前で出店すると、平和園のお客様が来店されます。自分たちの経営が別の店名でも支持されれば誇りになると考えました。20坪程の小さな店でしたが長く続けることができましたので、1996年に改めて、平和園白石店を出店しました。
永田 平和園では、ご飯とみそ汁がついたジンギスカン定食が560円で提供されています。価格の安さに皆さん驚かれるのですが、この安さの秘密は何ですか。
新田 価格は戦略や計算ではなく、会長の思いです。正直に言うと価格の合わない商品の一つです。会長は苦労人で、創業の前は鉄工所に勤めており、いわゆるブルーカラーでした。焼肉というのは食べると元気になる食材です。それを気軽に食べていただくことが当社の存在価値の一つになるのではないかとの思いが、この価格に込められています。
両社の新たな挑戦
永田 満寿屋商店では全社員で農業アルバイトを始めたそうですね。
杉山 今月から正社員は、農繁期の農家さんのところへお手伝いに行っています。当社の売り上げにも繁閑があり、10月から徐々に減っていきます。昨年までは余剰人員が本州のベーカリーで研修などをしていたのですが、地元で何かできないかと考えていました。知り合いの農家さんに話したところ、繁忙期なので、ぜひ手伝いに来てほしいという言葉をいただきました。平日のみですが、1日に2人程の社員が農作業のお手伝いをさせていただいています。
永田 平和園は定休日を復活させたようですが、なぜですか。
新田 杉山社長と歩調を合わせたわけではないのですが(笑)、今月から定休日を復活させました。当社の場合、人手不足が大きな理由ではなく、従業員から「年中無休だと心が休まらない」と要望があったからです。「経営者も同じだよ」と言いたかったのですが、「人と人がつながろう」と言いながら同じ日に休みを取ることができないため、10月から定休日の復活に踏み切りました。
永田 両社がなぜこの十勝にしっかりと根を張り、地域から愛されている企業になったのかを学ぶことができました。本日の学びを生かし、我々も地域から愛される企業づくりを進めたいと思います。
(2018年10月19日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」第11分科会より 文責 間宮一信)
〈パネリスト〉
㈱満寿屋商店 代表取締役社長 杉山 雅則
■会社概要
設 立:1953年
資 本 金:1,000万円
従業員数:160名
事業内容:パン製造販売
〈パネリスト〉
㈱平和園 代表取締役 新田 隆教
■会社概要
設 立:1970年
資 本 金:3,000万円
従業員数:230名
事業内容:焼肉レストランの経営
〈コーディネーター〉
㈱勝毎光風社 取締役社長 永田 耕司
■会社概要
設 立:2017年
資 本 金:500万円
従業員数:15名
事業内容:イベント事業企画運営ほか