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【67号 特集1】十勝ワイン百年創成 過去・現在・未来 ー池田町の観光戦略の変遷-

2019年01月01日

財政再建の切り札として、国内初の自治体経営によるワイン製造を池田町が手がけて半世紀。地域資源を生かして多様な産業と連携しながら観光産業へと成長してきた歴史とこれからについて学びます。

 


 

池田町ブドウ・ブドウ酒研究所 所長 兼 東京事務所長 安井 美裕(池田)
ワインタクシー㈱ 代表取締役 古後 仁裕(池田)

 



報告1 安井 美裕


 「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」。堅苦しい名前ですが、一般的には「十勝ワイン」で通っています。池田町は今から55年前に町営でワイン事業を開始しました。いま北海道に35カ所あるワイナリーの中で、一番早く製造事業を開始しています。町営ですから私も立場上は役場の職員であり、32年前にワインの製造技術者として入職し、その後販売などに従事してきました。


苦境からのスタート


 そもそも十勝地域では、ブドウを含む果実栽培は行われていませんでした。では何故ワインだったのか。池田町は1950年代からたび重なる自然災害に見舞われ、特に冷害は、基幹産業である農業に大きな被害を与えました。1956年には、町は赤字再建団体の指定を受けるほど疲弊していました。ただ、高度経済成長期を迎えていたため回復は早く、なおさら新しい産業を興すことが急務でした。当時の町長・丸谷金保氏は、「池田の野山にこんなに山ブドウが自生しているのなら、栽培も可能だろう」と、農業振興の一環としてブドウ栽培を発案したのです。


 しかし、寒さ厳しい池田町の環境にブドウが耐え切れず全滅したこともたびたびありました。当初賛同していた農家の方たちの中には、憤慨して枯れたブドウの木を町長公宅前に投げ入れるような事態もあったと聞いています。前途多難な道のりでしたが、幾多の苦労を乗り越え、徐々に栽培技術が確立されていきます。


 1963年、いよいよワインづくりに取り組むことになり、果実酒の試験製造免許を取得することからスタートしました。翌64年には東京オリンピックが開催され、急速に欧米の食文化が広まる時期でした。甘く加工したワインが出回っていた当時の日本で、本格的な辛口ワインの製造にいち早く取り組んだことは、丸谷元町長の先見性を示すものでもありました。


十勝ワインの強み


 十勝の冬は極めて気温が低く降雪量が少ない、春から秋までの生育期の積算温度も他地域と比較して低い環境にあります。決してブドウ栽培に適した地域ではありません。従って、育てられる品種も限定されてしまいます。


 寒冷地ならではの栽培手法として、非常に手間はかかりますが、培土と排土を繰り返すという栽培技術を完成させました。しかし、栽培面積は増えず苦境に立たされ、ワイン用のブドウと道東の山ブドウ(アムレンシス:耐寒性が強くマイナス35度まで耐えられる)を交配し、耐寒性のある新品種の開発に取り組んでいきます。これによって培土・排土の作業を省略化することになり、栽培が広がっていきました。


 生産・加工から販売まですべて地域住民と自治体が主体となって手がけているため、町営圃場(35ha)では収穫の時期になると町職員全員が必ず収穫作業に従事しますし、町民の方にも力を貸していただいています。このように、ブドウづくりを大切にした取り組みは、国内では我々だけが行ってきたことです。


 冷涼な気候で製造されたワインの特徴は酸味の強さです。30年ほど前は、一部で「こんな酸っぱい酒が飲めるか」「税金でまずい酒をつくってどうする」という声もありましたが、近年ワインが大衆化してきたこともあり、洋食が一般的になると高く評価されるようになりました。その一見弱みともとれる特徴を、私たちは強み(長期熟成に耐えられる)に変換すべく、ワインづくり(スパークリングワインやブランデーの製造)に取り組んでいます。十勝ワインの特徴をひとことで表すと「辛口・熟成・本物」であると言えます。そのこだわりを持って我々はワインづくりに取り組んでいます。


ワイン事業は百年の大計


 池田町のワインづくりはまちづくりの一環でもあります。販売額は昨年度、8億円程度。借り入れはありません。販売量は道内ワイナリーで2番目です。決して大手メーカーではありませんが、国内では10位以内に入っています。全国に流通しているメーカーですが、販売先の8割は道内であり、その半分は十勝エリアでの販売です。地元消費量が多いということは、それだけ地域から支持されているということです。もっと努力し、全国に販売して得た利益を、まちづくりに還元しなければいけない使命感も感じています。現在まで20億円ほどを、まちづくりに還元してきた実績があります。


 池田町民は日本一、ワインをよく飲んでいると言ってもいいでしょう。町内の会合などでの乾杯は当たり前のようにワインですし、その量は平均的な日本人の5、6倍になります。町民6800名が営業担当だと、日ごろから感謝しています。


 町民の方に支えていただいている十勝ワインを、町内の若者にもつないでいきたいと考えています。


 町内の中学生は学校行事でブドウの収穫体験を行います。その摘み取ったブドウでつくったワインを、彼らが成人式を迎えたときに記念品としてプレゼントしています。たとえ町を離れても、故郷を見つめ直す機会になっていると確信しています。


 丸谷元町長は「ワイン事業は百年の大計」と言いました。ワインづくりを始めて55年。まだ折り返し地点です。慌てず、焦らず、あきらめず、今後も取り組んでいきたいと思います。

 


 

報告2 古後 仁裕


 私は1970生まれの48歳です。中学卒業後、道外へ進学・就職し、札幌と名古屋で飲食業の仕事をしていました。なぜ私が飲食店経営を目指したのか。それは、十勝ワインとワイン城、レストランなど、観光資源がそろっているこの池田町に生まれ育ったことが起因していると思います。


 35歳の頃から、帰省して家業のタクシー会社を継ごうと考え始め、一度札幌で起業し、飲食店の管理会社と実験的な店舗を5年間経営した後、44歳で弊社の代表取締役に就任しました。今でも本業と並行して、札幌で数社の飲食店アドバイザーの仕事を行っています。


お世話になった町の方々を忘れてはいけない


 ワインタクシーは祖父が起業した会社で、今年で創業57年目です。祖父は福岡から入植して会社を立ち上げたのですが、「当時、町の方々に大変お世話になった。それを忘れてはいけない。町内で1社しかないタクシー会社なので、目に見える形で町に恩返しをしなくてはいけない」と、幼い私に繰り返し話していました。しかし、父の代になってから、札幌に進出するなど拡大路線が裏目に出て業績が悪化し、1986年には会社更生法を申請。会社を譲渡せざるを得ない状況になってしまいました。父親の体調も悪く、夜逃げ寸前まで追い込まれていた記憶がよみがえります。紆余曲折を経て、最終的には譲渡先からタクシー事業のみ買い取り、池田で経営を継続することができました。


 2014年に私が社長になってからは、それまであった会社理念に「旅客サービス業から接客サービス業への思考の転換」を付け加えました。私の飲食業での経験を生かし、乗務員にはお客様一人ひとりの様子を気にかけてもらうようにしています。単身世帯の高齢者も多いので、決まりきった言葉ではなく、必ず「体調はどうですか?」という声がけをするよう徹底しています。それを続けていくことが、最終的には町のためになると信じて続けています。


 現在はタクシー業の他に、町のスクールバスやコミュニティバス、学校給食配送の運営も行っています。池田町のために一つでも貢献できるような経営を目指し、その思いを胸に刻んで仕事をしています。本当に行政には感謝しています。


 社長に就任した時に5年計画を立てて実行していますが、人口減と高齢化が進む中で、タクシーだけでは経営は成り立ちません。実際、売り上げは減少し続けています。そこで経営の柱を複数立て、観光・福祉分野にも関連する業態で参入し始めました。中でも池田町のためにという思いは強く、例えばコミュニティバスの車内では、高齢者を対象にした特殊詐欺への啓発動画を放映したりしています。


観光の町・池田への再生


 観光業に携わるようになってから、自ら観光協会の副会長に就任しました。協会は一時、非常に危機的な状況にあり、存廃論まで出たほどでした。しかし観光業は町にとって非常に大きな事業であり、多くの資源がこの地にはあります。そこでまず、観光協会の組織改革に取り組みました。どれだけお金をかけずに情報を拡散できるかをテーマに、一過性ではなく、コンセプト重視で進めてきました。


 具体的には①ワイン祭りの充実 ②観光基幹施設であるワイン城のリニューアル ③十勝川温泉を擁する音更町との広域観光推進を目的とした連携です。これを継続することが、結果として地域ブランドにつながっていくと信じています。


 協会では、観光業から観光産業へ、町民約7000人の町を商社として見立てた組織の立て直しを実践してきました。会長と二人三脚でスクラップ&ビルドで見直しをかけ、優先順位を決め、残すもの、やめるものを明確にしていきました。ホームページもメイン事業のワイン祭りを前面に押し出すなど、コンテンツを見直しました。


 このような積み重ねの中で、2011年に底をうった観光入込数も回復し、年間28万人を超える人たちが池田町を訪れてくれるようになりました。ワイン城の物販金額も増加しました。やり方と伝え方を変えるだけで、こんなに大きな変化が起こるのだと実感しています。


 今後は、十勝ワインを大きな柱に、観光資源、公共施設、広域連携の3つのストーリー性を持つ視点から、創造的地域ブランドの確立をめざしていきます。まちづくりは一朝一夕には進まないものです。しかし、歩みを止めてはいけない。そう日々思い描き、これからも進んでいきたいと思います。


(2018年10月19日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」第18分科会より 文責 山地一)

 


 

池田町ブドウ・ブドウ酒研究所 所長 兼 東京事務所長
安井 美裕
■会社概要
設  立:1963年
従業員数:60名
事業内容:耐寒性醸造用ブドウの開発、ワイン等酒類の製造販売等

 

ワインタクシー㈱
代表取締役 古後 仁裕
■会社概要
設  立:1955年
資 本 金:1,000万円
従業員数:13名
事業内容:一般乗合旅客、一般乗用旅客自動車運送事業