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【67号 特集4】わが社の人材育成と同友会の社員教育理念  ー厳しい競争下にある“新聞販売業界の常識”に挑戦ー

2019年01月01日

能登社長は、新聞奨学生として大学に進学したことをきっかけに、新聞販売を自身の一生の仕事にすることに決めます。移り変わる業界の情勢や自身の入院などの荒波を乗り越え、新聞販売所として今までにない取り組みで地域に根ざした企業となっていきました。

 


 

㈱エヌ・アイ・エス 代表取締役 能登 昭博(千葉)

 



 私は小樽の出身で、高校まで小樽で過ごしました。大学は、親に負担をかけぬよう新聞奨学生に応募し、東京の大学に進学しました。


新卒で主任に起用


 新聞奨学生となった私は、下町の販売店で夢中で仕事を覚えていきました。販売店の主な仕事は、配達と集金と拡張です。ある時気がつくと、勤務していた販売店の部数が1カ月後に30部、2カ月後にも30部、と落ちていくのです。店長の私を見る目が厳しくなっていくように感じます。私は「売り上げを伸ばす方法を書いてある本があるかもしれない」と思い、神田の書店街で本を探し歩きました。そこで出会ったのが、「ランチェスター経営戦略」の紹介者・田岡信夫さんの本です。これは新聞販売にも使えるなと思い、工夫しながら取り組みました。すると半年後に部数が回復、さらに20部上乗せすることができました。


 夢中で仕事をしているうちに給料も上がり、卒業時には「この仕事は天職かもしれない」と考え、勤務先の店長に「卒業したら働かせてもらえないか」と打診しました。その後何の連絡もなかったのに、卒業式の翌日、朝一番で起こされました。「主任として支店に異動だよ」。新人にいきなり肩書がついたため、店内でもただならぬ雰囲気が漂ったということです。


 その後数年間、支店まわりをしながら修業を積み、30歳で現在の千葉県白井市、いわゆる「千葉ニュータウン」で独立することになります。人口6万人超で、今でも成長著しいエリアです。


社長が新興宗教にはまった?
―同友会との出会い―


 40代になり、経営のことを勉強しなくてはならないと思い、1994年、私は同友会に入会しました。本業も大変忙しい時期だったのですが、まず経営指針をつくってみることにしました。


 千葉同友会では、経営指針の発表会の例会があり、参加しました。他社の発表を聞いてみたものの、「うちの会社は特殊だから」と思い込んでいました。しかしまもなく、これが固定観念であるとわかりました。ある会員企業の若い社員が、酒の売り方や売上目標数値についてしっかり発表しているビデオを見たからです。


 もう一つのきっかけは、自社の経営指針発表会です。はじめて社員の前で発表するため、私は緊張して足が震えていました。発表が終わった時、会場はシーンと静まり返っていました。張り詰めた雰囲気の中、発表を聞きに来てくれていたある会員が、「社長が発表しましたが、皆さんいかがですか」と聞いてくれました。すると、パートの女性が手を挙げて「社長がちゃんとやれるかどうか、見守っているよ」と言って拍手をしてくれました。このとき、「うちは特殊だ」という考え方が消えていきました。一所懸命伝えればわかってくれるのだと思いました。


 その後私は、同友会の勉強会で発表を頼まれるようになりました。出かけてばかりいるため、一部の社員から「社長は新興宗教にはまったのではないか」と話題になるほどでした。徐々に「どうやらまじめに勉強しているらしい」と社員も理解してくれるようになり、営業成果や売り上げも上がっていきました。
ミニコミ誌をはじめる


 しかしここで新聞業界に激震が走ります。「景品規制法」が改正され、新聞の契約を取る際、拡販商材を出してもよいことになったのです。


 改めて、地域にとって当社は必要な会社なのだろうかと疑問が湧きました。当社がなくても、新聞自体は他の販売所が届けてくれます。社員も後任の販売所が引き続き雇用してくれます。私は、「今まで地域にとって存在感のない仕事をしていたのだ」と気がつきました。天職だと思って始めた仕事なのに、誰にも評価されないことほど虚しいものはありません。しかし、ここで諦めるわけにはいきません。私たちに何ができるかじっくり考え、「地域にとってなくてはならない企業」をめざすしかないと思いました。


 そこで、地域の情報発信ができるミニコミ誌をつくろうと思いたちました。編集長は妻に頼みました。最初は嫌がられましたが、編集権の独立を守ることを条件に、OKしてもらいました。取材には、妻とスタッフが行きます。妻は商売っ気がないため、市民の皆さんは安心して接してくれるようになりました。


 市役所に「これをやりたい」と問い合わせると、「NISに相談したら」と言われるほどになり、その内容をミニコミ誌に掲載する流れができました。


 他にもポイントサービスを始めました。女性社員に聞くと、女性が贈られて嬉しいものはお花と言います。そこでポイントが貯まった人に花を届けるようにしました。業界の会合でこの取り組みを発表すると、「考え直せ。購読者が花を欲しいと思うわけがないだろう」と笑われました。しかし、地域から注目を集める人気のサービスとなり、祭り会場のそばを通る車が停車するため、渋滞が起きたこともあります。


 また、学習指導要領の改正で、「これからの子どもたちには実用日本語が大切。実用日本語は新聞に載っている日本語が一番近い」と謳われていることを知りました。そこで子どもに新聞記者の体験をしてもらえば読み書きのスキルが上がるのではないかと考え、「NISジュニア記者クラブ」を始めました。当社は新聞店ですので、カリキュラムの最後に子どもが作成した新聞を本物の新聞に折り込み、一緒に地域に配達するのです。この取り組みは、教育学者の大田堯先生から「子どもの立派な社会参加だ」と評価していただきました。


社員教育への挑戦


 このような取り組みは、古参社員に比べ、新入社員にはなかなか浸透していかないため、社員教育の必要性を強く感じました。当時の私は自分が言ったことをその場で書かせるなど、洗脳型の社員教育をしていたため、社員はなかなか定着しませんでした。途方に暮れて、同友会の「社員共育委員会」に入りました。さらに埼玉県浦和市で開かれた大田堯先生の学習会に参加したことで、私の人間観が大きく変わっていきました。


 ある時、大田先生が「人間は自分が変わりたいと思えば、いかようにでも行きたい方向に変われる。そのためにはどうすればいいのか」という問いかけをし、我々経営者は「待つ」という答えを出しました。すると先生は次のように答えました。「環境を整えてあげること。そして経営者自らが情勢をきちんと伝え、しっかり社員に関わっていくべきだ」。このようなやり取りの中で、人が「できない」と言う気持ち、「悪いとわかっているのにやってしまう」ことの要因が理解できるようになり、洗脳的な教育が間違いだったことに気がつきます。同友会には「共に育つ」という言葉がありますが、これをただ社訓にしても社員にはわからない。見える化しなければだめだと気づきました。


 またある時、教育学者の堀尾輝久先生が「会社では計画する人と実行する人が異なっているが、この方法だと仕事に楽しみを見い出せなくなってしまう。計画と実行を一人でできるようにし、その社員の成果を社員自身の喜びとするという仕組みにできないか」と話していました。これは大切な考え方だと思いました。新聞販売店は難しい仕事ではないですが、勤務時間が細切れのため、社員を監督しながら働くというのはとても難しいのです。ですから、一人ひとりが営業と売り上げについて真剣に考えている集団が成果を上げられるのです。


 その話を聞いてから、私も自主的に行動できる社員を育てるにはどのようにしたらいいかを考え、経営指針書づくりと発表を社員全員で行うことにしました。情勢から教え、当社の方向性を伝え、社員一人ひとりに課題を振り分け、さらに個人面談で内容を深め、確認してから経営指針書を作成していきました。ここまで行うと、社員も発表会で話せるようになり、覚悟も出てきます。自分で選んだ目標だという意識を持つようになるのです。


 しかし、この取り組みにより、社員が辞めるという事態が発生しました。辞める社員に共通していたのは、発表の内容と本人の本音が違っていたことです。それ以来、社員には「嘘を発表してはいけない」と言っています。残った社員は、だんだん成長してきたように思います。


社員が大きく成長する瞬間


 実は、私は左足が義足です。2016年5月、医者から「左足が壊疽になっている。すぐに手術しないと2週間で死ぬ」と言われました。原因は糖尿病でした。急きょ入院が決まりましたが、足を切断して、早々に退院するわけにはいきません。店長に「役目を任せたい」と言っても、「自信がない」と言うばかりです。


 ところが入院して4日目に、「社長、ゆっくり休んでください。あとは私たちでやります」と店長が言うのです。心配で病床から毎日電話していたのですが、妻からも「みんなちゃんと頑張っているよ。だからそんなに電話をするのはやめなさい」と諭され、社員に任せることにしました。指針書づくりが、店長の自信につながったのです。


 半年後、退院して会社に戻ると、社員はきびきびと働いており、店長も顔つきがりりしくなっていました。一つ困ったことといえば、社員が直接、私に報告する習慣がなくなってしまったことでしょうか。私の病気がきっかけで、社員が自主的に動いてくれるようになり、会社全体がワンランク成長しました。


 大田堯先生は、「地域は絆でつくられた生活文化であり、絆が切れているのは地域が存在していないということ。企業が地域貢献をしたいというのであれば、もう一度人間の暮らす場として絆づくりをすること。その先に新しいビジネスが生まれてくるのではないか」と言っています。これは当社でいうとミニコミ誌の発行にあたります。


 私は地元では、「朝日新聞の能登さん」と紹介されてもあまりわかってもらえませんが、「ミニコミ誌『ほおじろ』を発行している能登さん」と言えばわかってもらえます。「ほおじろ」は、市民に親しまれている「市の鳥」で、ここから誌名も名づけました。地域に密着した活動をしているからか、地元の皆さんは当社の社員に対しても優しく接してくれます。働いていて恥ずかしくない会社。それが最も大切なのだと思います。


(2018年10月19日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」第4分科会より 文責 小西初美)

 


 

■会社概要
創  業:1987年
設  立:1991年
資 本 金:1,000万円
従業員数:49名
事業内容:新聞販売業(朝日新聞)・折込制作配布業務