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【67号 特集3】自社の強み、地域の特性を活かして全国展開へ  ー地方から攻めの経営戦略ー

2019年01月01日

先代社長である父が急逝し、父の遺したホテルと2億円の借金だけが残ったホテルテトラ。兄と二人三脚で会社を立て直しながら、「攻め」の経営に転じます。「心のこもったおもてなしでビジネスや観光の役に立つ」を経営理念に掲げ、今もなお成長を続けるホテルテトラの経営戦略をお聞きします。

 


 

㈲ホテルテトラ 取締役 三浦 新介(函館)

 



 ホテルテトラは1980年、函館市梁川町に、父が建てた全37室のビジネスホテルが始まりです。現在、全国で24館のホテル営業を行っています。

 

 

 


残されたのは
小さなホテルと2億円の借金


 私は高校卒業後、父のホテルで働いたお金を貯め、アメリカやオーストラリアへ遊学しました。「次はドイツへいこうかな」と考えていたとき、兄から「母が倒れたからすぐに帰ってこい」という手紙が届きます。電話をかけても「とにかく帰ってこい」の一点ばり。仕方なく帰国したところ、母はピンピンしています。遊び回っている私を見かねた兄が、一計を案じたのでした。


 1986年、客室が手狭になってきたため増改築を計画していた矢先、父が急逝します。まだ52歳という若さでした。私は当時23歳で、ホテルで働いてはいたものの、何もわからないまま、増改築計画途中の小さなホテルと2億円の借金だけが残されました。


同友会に鍛えられる


 兄は保険代理店を経営していましたが、残ったホテルと借金をどうにかしなければなりません。二人で「銀行からお金を借りられたら一緒にやっていこう」と決め、藁にもすがる思いで銀行を訪れました。「ホテルの稼働率は悪くない」と、なんとかお金を借りることができました。同年、28歳の兄が2代目社長に就任しました。


 その頃、私は同友会に出会います。当時の私は人前で話せず、電話も取れないほど、人との対応が苦手でした。そんな私が頼ったのが同友会です。


 同友会函館支部は、「幹部大学」という幹部社員育成プログラムを始めたばかりでした。私は第2期生として入学しました。そこでは「話し方教室」で3分間スピーチを行ったり、座学で経営学を学んだりしました。卒業後も幹部大学を聴講し、自社に活かせそうなものがあれば社員教育などに取り入れていきました。他にも、幹部大学同窓会「共育倶楽部」で仲間たちと討論したり、支部例会に出席したりと、現在までの33年間、学びを継続しています。


 同友会、そして幹部大学は、出来の悪かった私を救ってくれた学校でもあるのです。


「待ち」から「攻め」へ!


 創業社長の時代、当社は施設を清潔にして、お客様を待っているだけの「待ち」のホテルでした。待っているだけではお客様は増えないと考えた私たちは、近隣の企業に足を運び、直接挨拶をすることから始めました。足を使っての営業です。そして「攻め」へ転じていきました。


 まず、当社の近くに「アネックスホテルテトラ」を建てました。しかしその後バブルが崩壊。南西沖地震の影響も受け、業績が下がってしまいます。1992年、札幌狸小路の「ホテルスピリット」を借り上げ、翌年「函館駅前ホテル」を買い取って開業しましたが、業績は一向に上がりません。どうすれば業績がアップし経費を削減できるのか、セミナーに参加し、必死で勉強しました。


 2001年、湯の川の「天然温泉湯っ多里」という温泉旅館を借り上げました。湯の川温泉は非常に泉質がよいため、宿泊客だけが入れる温泉を日帰り入浴客も入れるようにしたところ、見事にヒットし、元々月30万円ほどだった売り上げが400~600万円ほどになりました。勉強することは大事だと改めて感じました。


 2002年、函館パークホテル開業時も、「癒し」をテーマにしたホテルにしようと、岩盤浴や酸素バーをつくり、ペットも泊まれるホテルを併設し、変化を加えてみました。


 2004年には、東京の「ビジネスホテル西池」を、ある大企業から購入します。これが道外へ進出するきっかけとなりました。ここは退職者の方が主に働いており、インターネットなどを使いこなせる社員が少なかったのですが、社員教育の一環でITの勉強会を行い、今では全員が使えるようになっています。


 その後、神戸に進出しました。新長田という震災の被害が一番大きく、再開発された地域です。ここにはホテルが1軒しかなく、133室のホテルを今でも賃貸で経営しており、売り上げの原動力になっています。北九州の「ワシントンホテルプラザ」開業時には、浴場をつくり、ビジネス客向けに改修しました。


 また、大津に開業したホテルは、京都から2駅9分という立地を生かそうと、「ホテルテトラ大津・京都」と、あえて名称に「京都」をつけました。駅直結のホテルで、京都への観光客が利用するようになり、こちらも順調です。


 「層雲峡マウントビューホテル」は、どちらかと言えばバスの運転手さんなどが多く利用するホテルでした。ここは急増しているインバウンドのお客様をメインにした対応を考えた結果、現在8割がインバウンドの方々です。


 このように、ホテルによりターゲットをきちんと定めたというのが、今でも順調な理由だと思います。今後の目標は、今まで得た経験と知識を活かし、海外へ展開することです。


ホテル再生のプロとして


 当社の仕事は、ホテルを再生させることを基本としていて、不動産の転売ではなく、運営のプロとして仕事をしています。


 今まで展開してきて、潰れるホテルには共通点があることに気づきました。まず、在庫が非常に多いという特徴があります。パンフレットや紙袋など、何百年分もありそうな在庫の山で、非常に無駄な経費がかかっています。また、人件費がかかりすぎているという特徴もありますが、特に老舗旅館などによく見られます。そこで当社では、売り上げの増収や変動費、固定費の削減を考えながら運営しています。


 時代の流れにも柔軟に対応していきました。宿泊客が団体客から個人客に変わっていった影響もあり、食事が居酒屋からコンビニ弁当へ変化していきました。そこでわが社はホテルにコンビニエンスストアを併設し、直接運営を始めました。さらに、電話予約が主流だったものが、インターネットやスマートフォンが普及していったのを見て、ネット予約を導入しました。このように、お客様の役に立つにはどうすればよいかを念頭に置きながら、時代の流れを察知し、新しいものを導入していったことが、わが社の強みでもあります。しかし、各社で同じものが広がれば、それは強みではなくなります。常にアンテナを張り、お客様の役に立つものを模索しています。


「おもてなし」で地域へ恩返し


 ホテルテトラの経営理念は、「心のこもったおもてなしでビジネスや観光の役に立つ」です。会社の規模が大きくなっていくと共に、理念を共有することの重要性は増しています。社員研修のたびに、「あなたにとってのおもてなしとは何ですか?」と確認しています。それぞれ答えは違いますが、どうすればお客様が喜ぶか、お客様を満足させることができるかを考えさせ、ことあるごとにそこに立ち返らせることが大事なのだと思います。


 社員の評価システムも、お客様から「ありがとう」と言われた回数の多い社員に褒賞を与えるなど、お客様からの感謝を原動力とし、仕事満足を得てもらうような仕組みにしています。現在は、社長である兄が函館市を拠点として全国の店舗を飛び回りながら、経営理念の浸透に尽力しています。


 私の、そしてホテルテトラの故郷である函館市は、魅力度が全国1位でありながら、幸福度は最下位であるという結果が出ました。外から見れば魅力的ですが、その実情は非常に厳しいものとなっています。私たちはそんなふるさと「函館」に、「観光」「ビジネス」という面から、活気を与えたいと考えています。ホテルテトラを訪れるお客様の満足が、地域の活性化にもつながるのだと信じています。


(2018年10月19日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」第8分科会より 文責 中田大貴)

 


 

■会社概要
設  立:1980年
資 本 金:1,000万円
従業員数:400名
事業内容:宿泊・会議室・レストラン・宴会・岩盤浴・ペットホテル・酸素バー・居酒屋・コンビニエンスストア