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【67号 特集2】共に働き共に生きる場所づくり  ー自然のリズムとダイバーシティが生み出す本物の味への挑戦ー

2019年01月01日

共働学舎新得農場では、様々な生い立ちや障がいを抱える仲間が農業を中心とした仕事をしながら自主・自立の生活を送っています。国際大会で世界一の評価を得たナチュラルチーズ誕生の背景には、何があるのでしょうか。

 


 

農事組合法人 共働学舎新得農場 代表 宮嶋 望(新得)

 



 私の父、宮嶋眞一郎は、東京で私立学校の教師をしていました。40歳を過ぎたころから目が不自由になり、50歳を過ぎたころにはほとんど見えなくなっていました。父は職を辞しましたが、教師をしていたときに一番心配していたことは、「障がいを持つ子どもたちは入学試験で不利になる」ということでした。やがて、そういう子どもたちが自立して生きていく場所をつくりたいと願うようになり、「共に働く学び舎」=共働学舎を考案しました。そこは、競争するのではなく、協力していく社会です。能力が欠けていると思われる人でも、何かできることがあります。それを生活の中に活かし、手づくりの生活をしたいと考えたのです。


共働学舎のはじまり


 父は共働学舎を福祉行政の中でできないか、かけあったそうですが、実現しそうにありませんでした。そこで独自の道を切り開くことを選びました。人間が協力して生きていく上で、同じような人たちが集まっているとどこかが欠けてしまいます。障がいの種類が全員違っていれば、できないことを助け合うことができます。希望的観測、楽観的な考え方ですが、その考えを胸に父は走り始めました。その途端に、福祉の法律に合わない部分がたくさん出てきたため、福祉関係の助成などは一切なしで、任意団体として長野で共働学舎を創設しました。牧場で稼ぐことができるようになった頃に、NPO法人という仕組みができ、行政からの要請もあり、法人化しました。


 きれいごとかもしれませんが、「最終的な目標は平和な社会、争いのない社会の実現だ」と父は考えていました。目は不自由でしたが、理念や理論がしっかりしていてブレない人でした。


 大変だったのは、その理想的な構想を私たちが実現しなければならないということです。理想を現実にするのはとても大変なことです。しかも自労自活です。はじめは善意の寄付で始まりましたが、目標としたのは自分たちの生活を自分たちの働きで賄う環境をつくり上げることです。


 共働学舎新得農場は、長野で共働学舎が創設されてから4年後の1978年、町から30haの土地を無償で借り、6人と牛6頭からスタートしました。今は牛60頭で生乳を年間350トン生産し、その大半をチーズに加工しています。そうしてできた製品の売り上げが、2億2000万円以上。自分たちが稼いだお金で生活できるようになりました。


共働学舎を伝えるメッセンジャー


 新得農場には様々な人がいます。登校拒否をしていた人、幻覚や幻想に悩まされている人、生きる意味を見つけられない人、仕事がない人、家族がいない人、農業がしたい人など約60名が共に暮らしています。施設の許容量いっぱいですが、共働学舎に入りたいと言って来られる方が後を絶ちません。そこで希望者には、まず1週間体験していただいた後で一度帰っていただき、また次の方を1週間受け入れるということを繰り返し、全員が経験していただけるようにしています。


 障がいを持つ人は、「自分はこの問題を持っているから世の中で仕事ができない」と考えますが、それに対応する仕組み・制度はあるのです。その仕組みに納得できない、またはうまくマッチングすることができない人たちが、共働学舎にやって来ます。そういった方は何かよくわからないけれども、社会に対して不安や不満を持っています。障がいを持っているとしても、その人が社会になじめない、うまくいかない理由の根源は別にあります。それを探り当て、解決していかなければなりません。最後の希望で共働学舎に来ていただいているのに、「入れないからダメ」とは言えません。


 現実として空き部屋はなく、当農場で働いている人からも「どうするんですか?」と問い詰められますが、そんな時はこう言っています。「彼らはメッセンジャーだから」と。今の世の中のどこかを変えて良くしていかないと、次の世の中につながっていきません。彼らは短い期間ですが、共働学舎に来て、社会のどこをどう変えていけばいいかを我々に伝えに来るメッセンジャーであると、私は考えています。


 このように難しい現実はありますが、一方でそれらの問題も含めて現状を自然に受け入れているのが、うちで生まれた子どもたちです。障がいを持ったお兄さん、お姉さんがいるのが普通なのです。私たちとは違う感覚を持つ子どもたちが、どういう社会をつくっていくのか、とても楽しみです。


科学的に農業を考える


 1992年、絞った牛乳をそのまま売っていたのでは儲けにならないため、チーズ製造を始めました。当初はなかなか売れませんでしたが、チーズ「ラクレット」が98年にオールジャパンチーズコンテストで最高賞を受けた後、2004年に欧州第3回山のチーズオリンピックで「さくら」が金賞・グランプリを受賞しました。運がよかったという面もありますが、障がいを持っているという、ある意味では不器用な私たちでも、自然の法則を無視せず、素材を丁寧に扱ってものづくりをしていけば、世界は評価してくれるということがわかりました。


 土づくりをして微生物を扱い、作物を栽培して牛を飼い、そして人に関わる。いろいろなことをやっていますが、ある時、「宮嶋さん、体はひとつなんだから、どれかに集中した方がいいよ」と言われたことがあります。その方は親切でおっしゃったのですが、私は違和感を覚えました。「どれかに絞れるのか?いや、絞れない」と自問自答しました。私はひねくれていますから、今やっていることに共通点があれば、「ひとつのことをやっている」と言えると考えたのです。


 私は大学時代、物理学の勉強をしていましたので、農業の世界を物理学で考えてみようとしました。すると、違うことをやっているように見えて、同じものを扱っていることに気づいたのです。今やっていることは、すべて生き物に関わることです。さらにいうと炭素系、有機物を主体とした生物のことなのです。生き物の形は違えど、炭素系生物の能力を最大限に発揮させる環境が、同じだということに気づきました。


 環境とは何かというと、「気」、エネルギーが巡る場をつくるということです。共働学舎の各建物の下には1トンほど炭が入っています。私たちが感じる「電気」は、マイナスの電極からプラスの電極に向かって、マイナス電子が移動する現象です。炭にはマイナス電子を引き寄せる力があり、建物の下に炭を埋めることで、地面を走る電流を集め、建物の上に吐き出させる効果があります。これが「気」の巡りです。


 「気」は生物を活性化し、また夜は落ち着かせる効果があります。鉄があると「気」が鉄を通して逃げてしまうため、なるべく鉄骨は使わず、カフェ「ミンタル」をはじめとする建物も木で建てています。食べ物も有機農業で育てた作物です。水も、自然の作用を応用した浄水器を使用しています。これらの理想的な環境を整えた上で、人の心に潜むわだかまりを出やすくし、解決していこうとしています。


世の中を良くする=生きている実感


 共働学舎にいる一人ひとりが、みんなストレスを抱えています。そのストレスを開放させてあげないといけません。そのために、朝食のあと、今日1日何をしたいかを全部自分たちで決め、宣言させます。休んでもいいし、仕事をしてもいいし、出かけてもOKです。そんなことをしていたら牧場の仕事が終わらないのでは、と思われるでしょうが、意外としなければならない仕事は片付きます。


 一方で、やりたくない仕事が残ってしまいます。それを私がやっていると、いつの間にか手伝ってくれるようになります。それを繰り返すことで、自己決定力が身につくのです。いつまでも休んでいると仲間の目線がきつくなってくるので、皆がほどほどにやろうとするのです。自分で決めてやるため、失敗すれば悔しいし、成功すれば周りも喜んでくれる。自分で決めることで、生きている手応え、自分の人生が自分のものになる実感を得ることができるのです。互いに裸のぶつかり合いをすることで、変わるはずがないと思われていた人でも、自信を持って自ら働くようになっていきました。


 ここでの生活は、社会から求められるものを浮き彫りにします。一人ひとりがそれに向き合い、互いに手助けしながら共に気づいていくことで、個人も全体も楽になっていくのです。これは理念として掲げていたことではなく、実際の生活から感じる想いです。


 共に働き、共に学び、共に生活することで、苦楽を共有する。そんな生活の中で育つ信頼と安らぎ、自らの生活を支えようと働く姿の芽を大切にしていきたいと思います。


(2018年10月19日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」第14分科会より 文責 菊池洋介)

 


 

■会社概要
設  立:1978年
資 本 金:38万円
従業員数:13名
事業内容:酪農、チーズの生産・加工、有機野菜生産、工芸など