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【55号】筋ジスを乗り越え、自分らしい生き方を求めて~誰もが地域で暮らせる街づくりに挑む~

2007年01月01日

NPO法人ホップ 障害者地域生活支援センター 代表理事 竹田 保 氏(札幌)

 

筋ジスってな~に
 現在46歳の私の病気は、筋ジストロフィーという難病で、筋肉の力が衰え、段々と動けなくなる病気です。原因が不明ということもあり、正確な数字は掴めていませんが、わが国には1万人に1人いると言われております。


 私も最初は、脚気じゃないかと診断され、治療といえばとりあえず陽のあたる場所にずっとおかれ、次に小児麻痺ではないかと診断され、ようやく筋ジスということがわかってきた訳です。しかし、どんどん病名が変わっても、自分の生活が変わるわけではないので、病名に固執したことはありません。


 当時の筋ジスのリハビリといえば、いずれ動けなくなり、転んでしまって怪我をしない為にと、足の先から胸まで固定し動けなくして転ばないようにする練習や、車椅子の後ろでタイヤ引きを行うなど、おおよそリハビリとは考えられないものでした。


明日したいことは今日の内に
 当時、筋ジスの患者は20歳くらいまでしか生きられないと言われていました。それでも、すぐに動けなくなる訳ではなく、徐々に徐々に筋肉が衰えていく病気ですから、ある一定の年月を経て筋ジスという病気を受け入れることができます。しかし、なかなか受け入れられないのが周りからの視線。冷たく感じたり、痛く感じたりする毎日に辛い想いをしました。


 国立八雲病院に入院中には、年間10人ぐらいの人が病院で亡くなっていきました。具合が悪くなったら入る病室、どんな人が死んでいくのか、毎日のように感じる日々。小さな頃から「自分の人生もあと何年かでこうなるんだな」と意識しながら、でも、周りにはそのことを気にしていないふりをして生きてきました。


 それでも病院に入院している頃、近くにあった準看護学校の女子学生に懇願し、隠れてたこ焼きを買ってきてもらい食べたり、好奇心の旺盛だった私は、タバコも隠れて吸ってみたり、病院生活も結構楽しんでいました。一度お酒が飲んでみたくて、ロにしたロバートブラウンは、私にはあまり美味しくなかったようですが。


 その頃から、「明日という日がこないこともある。明日やりたいことは、今日のうちにやってしまおう」と開き直って生きていくことにしました。今の私にとっては、長く生きることだけでなく、何をして生きていくのかがいつも課題です。今も1日1日を大切に過ごそうと考えて生きています。


自分らしく生きたい
 私の将来において2つの大きな出会いがありました。1つは小学校6年生の頃、「自衛隊が違憲である」と下した長沼ナイキ訴訟の福島裁判官の信念を貫くきっぱりとした判決。2つ目は、障害者にとって病院や施設以外で生活などできないといった考えが一般的だった当時、外国には障害を持っていても、1人で生活をしながら、大学へ通っていると話しをして下さった田中さんとの出会いです。この2つの出会いが、私の活動の原点だと思っています。


 入院中に取得した資格を生かす勤め先もなく、合格した公務員試験も自宅待機となり、22歳の時、ソフト開発のエンジニアとして、コンピュータ会社に就職しました。その当時は数千万円、数億円もするコンピュータが普通に売れた時代でした。


 ところが、コンピュータを直しに色々な会社に行きましたが、障害者用のトイレなど当然ありません。ある時、10時間も腹痛に堪えながら、コンピュータの前で仕事だけは終わらせようとしたこともありました。「障害を持っているからできない。トイレがない会社では仕事ができないから。」という言い訳は通用しません。下痢などすれば二度と働けないものと覚悟していました。


 私の通勤のタクシー代は12万円。月給の15万円をもらえば殆どなくなるのが現実です。また給料を貰っていても、すぐ家の向かいの店にも行けず、お腹が空いていてもカップヌードル一つ食べることさえできない。いかにお金があっても役には立たないのです。だったら、自分のやりたいことができるように、自由に生きることが私の何よりの望みでした。


誰もが地域で暮らせるために
 27歳の時に小規模作業所ホップという団体をボランティアとして開設しました。障害の種別に関係なく、作業所を核とした地域生活支援や障害者を対象にしたコンピュータの講習会をきっかけに生まれた作業所です。


 現在はNPO法人を含め、3つの組織を持ち、NPO法人の管理下のもとに1997年、株式会社北海道オフィスプロダクツを、又2003年には社会福祉法人HOPを設立。誰もが地域の中でごくあたり前の市民生活を送ることができるように、制度を利用しながら、地域での生活をサポートする体制づくりに努めています。


 我々の活動の1つとして、車椅子やストレッチャーを利用している障害者や高齢者の方々が、病院の通院、買物などの外出など、手軽に外出できるような手助けをする移送サービスに力を入れています。


 また、お弁当などの製造に携わる障害者の方が約60名。いわゆる雇用ではなく、授産活動として、月額1万円~8万円の賃金で、働く場所を提供しています。


 それから、365日24時間のホームヘルプ事業や、知的障害と身体障害を併せ持った重度重複障害者(児)のケア付自立ホームの運営にも取り組んでいます。ホームでは、喉を切開してカテーテルを入れ痰を出したり、胃の方に管を入れ、流動食を摂る方の生活介助を行います。1泊12,000円での仕事としては、正直辛いのですが、泊まってケアをしてあげないと、その利用者さんは朝まで寝返りができなかったり、トイレに行けないのです。だからいつも職員たちには、私たちで介護するしかない現状に対しては、自分たちの使命として働こうと話しています。


色々な働き方を考えてみませんか
 「障害を持っていても働きたい」と思っていても、働ける職場はなかなかみつかりません。けれど、経営者の皆さんに改めて「働くことってどんなことだろうか」考えていただきたいのです。全てを最低賃金だけで考えないで欲しいのです。


 ホップでは、昨年より知的障害の方に、ホームヘルパーの資格を取ってもらい、障害を持った子供達と遊んだり、寝たきりの方に本を読んだり、あるいは足を擦るなどの介護補助職として働いてもらっています。彼女は足が痛いという方には、1時間でも2時間でも擦ってあげるのです。ただ1人ではヘルパーとして働けないので、1人分だけの報酬を設定して、健常者のヘルパーと組んで働いています。中には「障害者をヘルパーで寄こすなんて、馬鹿にしているのか」と怒鳴られ、謝って帰ることもありました。しかし、今ではほとんどの方にご理解をいただき喜ばれています。


 私は働ける能力をもった障害者を雇用することが就労支援ではなく、ほんのちょっと働き方を考えることや職場のハードルを低くして下さることで、障害者を働く仲間としてもっともっと受け入れることが実現すると思っています。どうか垣根を作らないで下さい。


繋がり合える関係を!
 私は障害を持った人たちが障害を持っていることで家族や周囲に負担を感じない、生きていることを負担に感じない社会をめざしたいと思っています。税金に頼って、税金の枠でないと社会福祉ができないと思われてしまってはいけないのではないでしょうか。社会福祉事業自体がもっと公益性のあるものにと考えています。


 どうか同友会の皆さんには、地域と障害者、企業と障害者の接着剤の役割をしていただけたらいいなと思うのです。福祉のことは決して自分だけで解決してはいけない。色々な方たちの力を借りながら、行政だけでなく、「皆がどんな役割をもって、どうやって社会全体で支え合っていくのか」繋がり合っていける関係をつくっていくことこそ、重要だと思っています。

 


 

【設  立】 1988年
【従業員数】 61名
【業  種】 障害者・高齢者に対しての介護、移送サービス、重度重複障害者(児)24時間対応の自立ホームでの共同生活の運営や身体介助・家事外出支援などのヘルプサービス事業などを行い、障害者が地域の中でごくあたり前な市民生活を送ることができるように、サポート体制に努めている。