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【55号】経営者と社員、そして、お客様と共に育つ~それは、社員の職場放棄から始まった~

2007年01月01日

(有)鳥海 代表取締役 大石 清司 氏(函館)

 

 私は、13年前に縁あって経営が立ち行かなくなったパチンコ富士の共同経営に誘われました。
 しかし、札幌で不動産業を営んでいる関係で、毎週土曜日の最終便で函館に入って、月曜日の朝一番の便で札幌に戻っています。ですから、基本方針の決定以外の現場での意思決定は、ほとんど現場の幹部が行っています。勿論実践の結果については毎週私も加わり検証しております。


大型店ラッシュと、地元業者の廃業
 パチンコ富士は函館市の美原という地域にあります。函館の人口は約29万人、11万世帯で、パチンコ店は41店舗あります。

 付近にはイトーヨーカードーや長崎屋があり、店舗は幹線道路から見えない位置にあります。最近の綺麗な店と違い、古い建物で、昔は2階がお風呂屋さんだったため、角柱がたくさん立っていて天井も低く、ドアも自動ではなく手動です。店舗の豪華さでお客様を呼び込むことは到底できません。


 業界は、1995年がピークで、以来、地元店舗は47%減りました。競技人口もピークから半減しました。そこに本州などの大型店が出店してきたのです。


 実は、当店は大手店舗が進出してから伸びたのです。稼働率も2番目くらいです。何故なのかというと、危機感からファン離れを歴史的、多面的に分析し、生き残りのための方針を打ち出しました。さらに難局を切り開いていくため、人間的対応力プラス実務能力を持つ集団として育ち合えるか、つまり「共育」に真剣に取り組みました。今日はそのあたりを中心にお話したいと思います。


職場放棄と「共育」の始まり
 当社の“共育”活動のきっかけは、社員の職場放棄でした。経営方針の行き違いなどから経営陣が分裂し、1995年、朝行くと、18人のうち13人が職場放棄し、非番を除くと、3人しかいないのです。新しい人を入れるが、みんな素人の集団。教育もままならず、まともに仕事もできない状態でした。ありがたいことにそのときお客様にも仕事を教えていただき、みんなでホールを守り抜きました。年中無休でしたけれど、この時期だけは週1回休んで、社員教育の時間を取りました。


 それ以来私たちは「共に育つ」ということを大事にしています。社員が接客するという場面は、命令で応対の形は出来ても、気持ちが伝わらないことにはどうにもなりません。やはり共に育ち合うという社風をつくることができなければ、本当の社員教育はできないのです。その思いを込めて当社では、全社員のことを全構成員と呼んでいます。換金所の従業員、パート、全員同じ表現です。当社ではハウ・ツウ的な教え方、学び方はしません。行動や考え方の意味と目的、(なぜなのか、なんのためなのか)、を常に意識しています。そうでないと、お互いに成長していく本当の「共育」にはならないと考えています。


接客業か、ギャンブル業か
 そうした共育の歴史を私なりに4期に分けて振り返ってみます。


 まず第1期にあたる1995年ごろ、職場放棄があった当時、パチンコと言うと「何だパチンコ屋か、いかがわしい業種だな」という意見、見方をされていました。それでは、「現実に年間3,000万人もの人が遊びに来る業種をいかがわしいままにしておいていいのだろうか?」という素朴な疑問がありました。私は、もちろん、構成員の方にも自分達の仕事に自信を持って欲しいという思いがありました。業界内では、ギャンブル業として顧客との騙し合いという発想がありましたが、やはり日常のストレスを発散し娯楽を提供する「接客業」としてやっていきたかったのです。模索していた時期に,同友会大学の講師でもある北大の井上先生から「今の社会は働くことがなかなか生きがいになりにくい。機械の歯車の一個でしかない。パチンコは少なくとも自分の意思で玉を操り、その結果として負けたり、勝ったりしながら自己実現、自己確認をしている、だからパチンコはなくならない」というような趣旨のお話を伺いしました。「なるほどな」と思ったのです。こういうことが経営理念などにもつながってくるのです。


さらす指摘する
 次に第2期に当たる1997年~2001年ごろは、高いレベルでの「接客業」を目指していました。しかし、構成員を集めて忘年会をすると,そのさなかでもそれぞれがバラバラで、グループができたり、陰口を言い合ったりという状態でした。このままでは良い接客は出来ないと強く感じました。


 そこで、お互いの考え方や意見、行動をきちっと表に出す、そして、自らをさらし、相互に指摘し合う、「さらす指摘する」ことが大事だと思いました。なぜならそれら全てが会社の財産だからです。


 最初は、「そんなの社長の理想論だ」、「現場を知らない」と言われました。しかし、厳しい経営環境を打開して、お客様から「接客業」として認めてもらうために、また人間性や人間力を高めていくために、他にどんな方法があるのかと問いかけ続け実行してきたのです。今は構成員も40数名いますが、忘年会も皆でわきあいあい。皆がお互いに支え合う。そうゆうふうになってきたのです。


経営指針の成文化
 そして、第3期に当たる2001年~2003年ごろは、口伝えだけでなく、しっかりと文章にして伝えることがどうしても必要だと考え、同友会の『経営指針づくりの手引き』を参考に、経営指針成文化を開始しました。


 まず構成員と共に育ち合う社風作りにはどうしても経営理念がしっかりしていることが必要です。さらに当社では、経営理念を基に経営をどうするかという考えに基づいて5本柱があります。一つは「組織的運営」、これは社員全体、全構成員の力を余すところなく発揮するということです。もう一つは「地域」、今同友会でも中小企業憲章を真剣に論議していますが、地域が疲弊すると生きていけない。地域が豊かにならないと、我々も豊かにならないという考え方です。だから景品も地元の野菜、食材を置いています。地域密着景品です。そして「共育」があります。さらに、お金もない、何もないけど、人間力、接客力を高める「接客」です。当然、「宣伝」も欠かせない要素です。


 第四期にあたる2003年からは、全構成員で作り上げた、経営指針の実践が始まり、同時に同友会の「労使見解」の学習も進めていきました。


学ぶことが最大の経費削減
 現在は「理念」、「実務」、「役割」、「自主的独習」の4部門の共育チェック表で科学的に成長の度合いを確認しています。本質的なことを学ぶ「理念共育」。日常業務のレベルアップのための「実務教育」。また「役割共育」では、組織的運営の基本として、班長なら班長の役割は何かというように、有機的に全構成員の力を余すことなく発揮していくということを学びます。そして最後に「自主的自覚的独習」です。自らが学ぶ力を養う、個人の課題に取り組んでいます。


 さらに、現在も続けている取り組みが、毎月1回2時間の「勉強会」です。これは、私が社員に直接に語りかけられる大事な場でもあります。社会の仕組み、働くということ、人類の歴史、ありのままの事実を見る力、多面的な考え方まで学びます。
 なぜこのように、徹底的に学ぶかというと、社員は力を付ければ付けるほど、何倍も能力を発揮するからです。世間では一般的には人件費コスト・経費の削減が進められていますが、私は学ぶことで、構成員の連携が良くなり、個々人の能力が向上し、お客様にも喜ばれることを考えると最大の経費削減ではないかと思います。


対等平等に語りあう
 また現在の組織体制は、幹部会から一社員まで方針を貫徹実践する縦の関係と、質的向上を目的とする横の組織としての「委員会」があります。過去にも委員会をやっていましたがなかなかうまくいきませんでした。「こうゆうことをやりなさい」と方針を伝える会だったからです。従来の委員会では、幹部は方針と違う考えが出てくると一生懸命説き伏せにかかるわけです。ですがその否定的な意見の中に構成員のいろいろな思いが入っています。その思いを掘り下げて学び合うのです。これは非常に大事なことだと思います。方針を知る場ではなく、対等平等に夢を語りあう場です。


幹部だけでなく、全構成員のレベルアップを目指す
 社長の器以上に会社は大きくならないと言いますが、私は日常は会社にいないので、現場の5人の幹部集団が日常の方針決定をおこなっております。よって第一に幹部集団のレベルアップが求められております。但し激烈な生き残り競争に打ち勝つためには全構成員のレベルアップが不可欠です。


 共育が充実することで、社員の定着率が向上してきました。初めは「経費削減」、「お客様への還元」と方針を打ち出す度に、退職が相次ぎました。3日でやめる人もいました。しかし、共育活動を徹底的にやるなかで理念に対する理解が深まり、核となる社員が増えてきたのが要因と思われます。幹部のレベルアップだけではよい企業作りの全面的な前進にはならないと考えています。全構成員がレベルアップすることが重要なのです。共育は全構成員の役割なのです。


 この分科会のテーマに「それは、社員の職場放棄から始まった」と、センセーショナルな「職場放棄」というタイトルがついていますが、中身はオーソドックスな「学習」です。同友会で学んだ「共育」の理念を前面に、地域密着型の会社づくりを目指して「自主的」、「自覚的」な学習を積み重ねていくことが、最大の強みであり、社員が生き生き働ける職場作りと考えています。

 


 

【設  立】 1979年
【資 本 金】 1,200万円
【従業員数】 38名
【業  種】 遊技場経営