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【55号】当社の事業多角化戦略~人に優しくあたたかな鉄づくりを目指して~

2007年01月01日

田島工業(株) 代表取締役社長 田島 喜幸 氏(旭川)

 

 当社はスローガンに「新手先手」を掲げています。これは将棋で活躍されている羽生善治さんの座右の銘です。「新しいことを人に先駆けて挑戦し続ける」という意味が込められているそうです。これを経営者として自分のモットーとしています。先代から受け継いできた会社のDNA、社風と一致することもあり、スローガンとして使わせて頂いております。


 会社は、父親が1953年に創業して今年で53年になります。当初は工事用一輪車「猫」の製造からはじまり、農家に頼まれた倉庫の建築鉄骨を手がけたことがきっかけで今の業務内容へ変わっていきました。私は1975年に学校を出て東京のゼネコンに就職しましたが、その後、旭川に戻り、入社して28年。二代目の社長となって18年になります。



多角化の動機

 当時は100%建築鉄骨を扱う会社でしたが、社長になったからには片田舎の鉄骨屋で一生終わりたくないと、挑戦する気持ちで業種の多角化を終始一貫やってきました。多角化には、季節や景気に変動されないような安定した経営基盤を作りたい、道北だけでなくもっと広いエリアで商売できる企業になりたい、コスト競争を強いられる商売から脱し、技術力で勝負できる企業になりたいという3つの動機と、先代とは違って技術屋ではない自分の存在理由を示したいという気持ちがありました。


多角化の基本方針

 多角化の際に考えたことの1つは、鉄工所としてモノづくりを基本に据え、事業の範囲をある程度限定することでした。2つ目は、既存の経営資源の応用です。当社であれば、鉄を加工する人や機械、物の応用できるところで多角化をしていこうと考えました。その結果、初期投資を少なくし、黒字転換を早めることにつながりました。3つ目は、技術力を磨き、コストではなく技術で同業他社と差別化できる高付加価値な製品を作ることです。この3つが多角化に当たっての基本方針です。


 多角化していく経緯ですが、まず、モニュメント製作を主な目的に田島マテリアルを設立しました。鉄以外の素材を使ってみたかったことと、デザインに興味がありましたのでデザイン力で付加価値をつける事業をするために設立しました。それから、1993年にはDPGシステムというサッシを使わないで硝子壁を作るシステムをもつNFGシステムデザイン、次に水門と除塵機の設計施工を行う田島マシナリー、今はもうないですが、構造物の設計を行うキャデックスを相次いで立ち上げしました。



多角化による業容変化

 次に、多角化による4つの事業部の業容の変化についてですが、鉄構事業部を一般のビルや工場から特殊鉄骨と呼ばれる三次元の複雑な構造の鉄骨に徐々に切り替えをしていきました。今現在は約6割が特殊鉄骨で、そのほとんどが本州向けになっています。バブルがはじけ、地元の一般鉄骨の採算が悪くなったので少しずつシフトしていたのですが、やってみると、特殊鉄骨というのはニッチな市場でした。この特殊鉄骨は鉄骨市場の中の2%~3%といわれています。今になって400億~600億位の小さな市場だとわかりました。全国の鉄骨業者と言われているところで、業界団体に加盟しているところが約3,000社ありますが、その中で特殊鉄骨を主体にしているのは10社以下です。ですから、非常に小さな市場を少ない業者で分け合ってやっているので、ニッチですが、受注に関してはよい環境だということが参入してからわかりました。地元の鉄骨に比べるとおよそ2倍から3倍くらいの利益率が取れるのですが、ハイリスクハイリターンという問題も付きまといます。


 最初に立ち上げたマテリアル事業部はバブル崩壊後、公園施設と児童遊具にターゲットを絞って事業の中核としました。旭山動物園の施設は、毎年提案営業をしながらデザインや構造の打合せをして製品を納めさせていただいています。


 3つ目のマシナリー事業部は水門メーカーとしては後発だったので、当時の談合割付の世界で仕事を得るのは難しいことでした。しかし、自分の主義に反することはせず、徹底的にエンドユーザー密着でやることで活路を見出しました。また、少ない人員と予算で、特許をとれる自社製品開発も基本方針としていましたので、受注先である土地改良区からのクレームを徹底的に分析研究して、それを新しい商品開発につなげていく工夫をしていました。


 NFG(ノンフレームガラス)システムデザインについては、そこに使われるDPG(ガラス点支持)システムを3年前に事業から撤退させました。実は我々が想定したよりも市場が大きかったことに原因がありました。大手と絶えず競合し、大手の技術力、営業力に勝てなかったため、会社を設立して10年間で事業を撤退したのです。そのときに次の商品として3社共同開発したのが、ガラスと鋼格子を組み合わせたISGWというデザイン性も高い耐震硝子壁です。阪神大震災の後に、耐震改修がこれから新しい市場として伸びるのではないかという着想があったためでした。


 多角化を始めて数年経った頃のデータと最近3年間のデータを比べますと、元々行っていた一般建築鉄骨は売り上げの3割になり、新規事業部門が2割から6割強になりました。利益については、新規事業部門比率は4割から9割まで伸びました。



合併による相乗効果
 分社方式を採用すると、事業毎の売り上げ・損益が明確になるという効果はありましたが、非常に縦割りになる弊害も生じました。同じ工場、事務所に居ながらお互い何をやっているかわからない、わかろうとしない状況でした。この状態を改善すべく、4年前に分社化していたものを事業部で再編して吸収合併しました。その結果、横の連絡が改善され、お互い連携するようになり、忙しいところには時間のある部署が応援にいくようになりました。営業も連携がよくなり、よその事業部の情報を掴んできたり、お客さんを紹介したりと、年間5、6件くらいは他の事業部からの紹介で受注しているということが相乗効果として表れています。


 メディアに取り上げられるようになってからは社会的知名度があがり、採用の面でも変化が表れました。以前は特定の学校に推薦依頼をして、採用する形態でしたが、最近は学生がホームページを見て、会社訪問に来るようになりました。いろいろとやっているので興味をもってもらえるようです。私には息子が3人いるのですが、最近になって「継いでもよいかな」と言ってくれるようになりました。

「人」が大切
 実は戦略といえるほど計画的に物事を進めてきたわけではありませんが、それでも振り返ってみたときに、成功のキーワードとしてあげられるのがビジョンと情熱だと思います。ビジョンとは、何年か後の売り上げや利益目標ではなく、「こんな会社になってみたい」とか、「こんな商品を作ってみたい」という経営者の夢や理想ではないでしょうか。そして、それに共感し、自分を支えてくれている社員こそが最も大切ではないかと考えています。これらの想いがなければ事業は継続できないと思います。


 2つ目は、経営者責任と権限委譲についてですが、事業の計画と立ち上げまではトップに責任があります。ある程度軌道に乗るところまで経営者が陣頭に立って引っ張り、その後は社員を信じて任せるという切り替えが大切です。3つ目は、成功体験の積み重ねについてですが、新事業はどちらかというとうまくいかないことが多いかもしれません。ただ、いくつか良かったことがあれば社員と一緒に喜ぶ姿勢が重要だと感じます。
事業多角化というのはそれほど大ごとではなく、事業変化の一形態だと思っています。「自分の商売はあまり変わっていない」、「先代のときから同じだ」と言う経営者の方もいますけれど、よくみてみると必ず何かが変わっているはずです。その変化をもう少し意図的に時間とお金をかけて、進化のレベルまでスピードアップさせることが多角化だと思います。誰でもできますし、やる気さえあれば明日からでもできると信じています。


 最後に、チャップリンの映画の中に出てくる私の好きな言葉を紹介します。「人生」を「変化」に置き換えると「変化を恐れてはいけない。変化に必要なものは勇気と想像力。それとほんの少しのお金だ」となります。私もこのように思っています。