【55号】ウニを活用した安全・安心のアイデア商品づくり
2007年01月01日
(株)ファイン 専務取締役 瀨戸 愼太朗 氏(根室)
自社の歴史
(株)ファインの創業は、富山県で古物商を営んでいた祖父が根室で骨董品の商売を始めたことにさかのぼります。祖父は商売の中で漁師の親方と意気投合し、根室の花咲港に筋子の工場を作りました。その後、祖母・現社長で私の父親へと引継がれ現在に至っています。昭和60年頃にはペレストロイカの影響により、あらゆる規制が緩和し根室にロシア船が入港するようになりました。その頃当社は、10人位の従業員で色々な海産物の加工・製造をしていましたが、その頃より、北方四島産のウニを主体に取り扱うようになりました。
水産業に憧れ実家に帰る
私は根室で生まれ、学生時代は札幌で過ごしていました。その頃、後継者として実家に戻り手伝うことはあまり考えていませんでした。しかし、ある日、水産業の社長を密着取材したテレビのドキュメント番組をみる機会がありました。その中でセリに挑み戦う姿に感動し「地元に戻って親の水産業を手伝うのもいいな」と考え実家に帰ることにしました。
1994年に大学を卒業し、希望を胸に実家に戻ってすぐに配置されたのは水産業の手伝いではなく、当時自社で経営していた飲食店の店長というポストでした。当時はさらに回転寿司の経営にも取り組み始めていた時で、人手が足りない状態で、朝は工場でウニ加工の手伝い、昼は回転寿司の裏方で洗い物、夜は飲食店での店長の仕事を約7年間、仕事漬けの生活が続きました。今振返ってみると、その飲食店での店長の経験が現在の工場内の人員配置等、様々なことに活かされているなと感じています。
安定供給できる新工場が完成
ウニの相場に振り回され、大変な目にあったこともありました。そのような時に、大型量販店と取引をしている会社がとても好調に見え、羨ましく思いました。
量販店と取引をするためには、一定量の安定的な供給や高度な加工能力、そして、食の安全性の上からも、しっかりとした衛生管理が求められます。
「なんとかこれらの要求に応えることができる工場を作りたい」その強い思いを持ち続けた結果、平成16年には待望の新工場が完成しました。工場人員も100人規模までに増加し、年間を通じて安定した供給ができる体制が整いました。そして、この工場完成と同時に全道のコープさっぽろと取引が始まり、現在はイオングループからも声が掛かるようになっています。
安全で安心できる商品づくりをめざして
この新工場の大きな特徴は、ウニを詰める作業をドライルームという菌の繁殖を抑える場所で行っていることです。
このような取り組みをしているのは、全道で当社だけだと思います。
さらにウニの殻まで判別できる異物Ⅹ線探知機を導入し、工場内には自社独自の検査室を設け、自社製品と原料の自主検査を毎日行っています。その他、工場内の清掃状況や作業員の身だしなみ、原料や製品への汚染や保護についてのチェックを260項目設け、安全で安心できる商品の提供に努力しています。
同友会での学びを実践して
当社が同友会に入会した頃は、ちょうど新工場への設立に向け人員が30名から100名に拡大する時でした。当時は社内体制の構築が急務で、同友会で他の経営者の考えを学んだことは本当に自社の経営に役立ちました。それに、自分と同じ境遇や悩みを持つ人がいることがわかったことも自分の大きな支えとなりました。同友会を通じて名刺交換した方に、後日、手紙を出すことの大切さを学びました。それを実際に実行したところ、その後の商談に繋がったという嬉しいこともありました。
工夫をこらしたアイデア商品づくり
根室市の入口にある道の駅「スワン44ねむろ」には年間10万人の人が立ち寄ります。自社の冷凍ウニを活用した何かができないかと考えた結果、その場所で焼き台を構えて観光客の方々に焼きウニや根室の海産物を売ってみようと準備を進めています。
また、塩水に漬けてある自社のウニと、酢飯の元と酢とガリとわさびとキザミ海苔をセットにして家庭で気軽にウニ丼が食べられる「ウニ丼セット」を開発しました。現在、札幌と旭川近郊のコープさっぽろで販売してもらっています。さらに現在は、ウニと何かを組み合わせることで新たな付加価値が付くのではないかと考え試行錯誤しています。これからも、自社の安全・安心なウニを活用した様々なアイデア商品づくりに挑戦していこうと考えています。
【設 立】 1985年
【資 本 金】 1,000万円
【従業員数】 100名
【業 種】 水産加工