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【55号】常に新しい発想で、北海道ならではの価値ある商品づくりを目指す

2007年01月01日

佐藤水産(株) 代表取締役 佐藤 壽 氏(札幌)

 

 当社の工場は、10年くらい前までは公開していたのですが、HACCP(ハサップ)の認定を受けてからは、企業秘密もありますので工場見学はお断りしておりました。しかし、中小企業家同友会さんには私も随分お世話になりまして、その恩返しのつもりで今日は来て頂きました。当社の歴史や、どのような考え方で商売しているのかなどをお話しさせて頂きます。



60年史の原点
 当社は、来年で創業60周年を迎えますが、父が石狩の本町で行商を始めたのがその発端です。父は、福島県出身で、福島商業高校時代、柔道大会で優勝し、将来日本の柔道界を背負って立つと言われておりました。戦前の武道が盛んな時代で、柔道界、剣道界のエリートを養成する文武両道の国立大学に進学し、非常に高度な教育についていけず、ノイローゼになってしまったこともあったそうです。


 そしてその時、先輩に信念を強く持たなくては駄目だと教わり、感謝の気持ちと、目標を立てることの大切さを学んだそうです。劣等生だった父ですが、学校を首席で卒業するという目標を立て、実際にそれを成し遂げたのです。軍国主義の時代ですから、学校を卒業した父は、すぐに陸軍の予備士官学校に行き士官となりました。そして、札幌つきさっぷの連隊に転勤となり、その時、石狩までよく演習に来ていたのがきっかけで、この地での生活が始まりました。



商店から水産業へ転換
 戦争が終わり、父は自転車の後ろに鮭を積み、砂利道の中を札幌まで行き行商を始めました。そして、今のようなスーパーができる前に、現金で大量に仕入れて安く売るということを実践し、小さなスーパーのような雑貨商を始めたのです。この頃は、鰊も鮭もたくさん獲れる時代でしたから、あっという間に石狩で1番大きな雑貨屋になりました。そして、もっと大きくなるためには、札幌へ行かなければならないと考え始めましたが、札幌には大きな会社がたくさんあり、このままの商売では駄目だと考えるようになりました。この時、高級海産物としてブランド力のあった石狩の鮭に着目し、水産業への転換を図ったのです。


 水産業では、浜で獲れた鮭を漁師さんから仲買人が買い、仲買人から小売に流れるというのが基本的な流通の仕組みです。ただ、父は業界の仕組みなどほとんどわからず、むしろ儲けるにはどうすれば良いかを考え、仲買人を通さずに浜から獲れたての鮭を販売し始めたのです。浜からは、2キロから4キロくらいの様々な大きさの鮭があがります。そして、よく売れる鮭は、2キロから3キロです。それ以外の鮭は、小さ過ぎたり、大きくて値段が高くなってしまい売れませんでした。浜から買うということは大きさに関係なく全部買わなくてはなりません。お歳暮などで1番よく売れる2キロから3キロの鮭は、浜からあがってくる鮭の3割くらいしかないのです。ここで、売れない鮭をどうするかという壁にぶつかった父は、鮭を切り刻んで加工品にするということを考えました。誰が考えても当たり前のようなことですが、仕入れから加工、販売までを一人でやるという発想は、今までの水産業界の既成概念に捉われない全く新しい取組みでした。


 札幌に進出してからは、石狩の佐藤商店は母に任せ、父は札幌の三越前に場所を借り、本場石狩の鮭を販売していました。12月には、当時オープンしたばかりだったステーションデパートの階段の踊り場を借りて鮭を売り、当時はまだ超高級品だった鮭ですが飛ぶように売れていました。父は、朝は石狩で鮭を買い、それで新巻を作り、昼からはお客さんに商品の説明をしながら販売をしていました。こういう父の姿が、我が社の発展の大きな要素なのです。戦後、35、6歳で行商を始め、10年経って石狩で1番大きな店となり、それから10年しないうちに札幌駅前の西武百貨店(当時の五番館)に出店し、佐藤水産としての現在の基礎をつくっています。



後継者としての課題
 さて、私の学生時代はと言いますと、大学1年生の夏休みに、東京の中央市場の鮭鱒で有名な市川水産に行って勉強しました。卒業するまで、夏休みも春休みも市川水産に通い、そして冬休みには、学校を休んでお歳暮で忙しい稼業を手伝っていました。市川水産を初めて訪れた時、米俵を1俵担いで、うちの息子を鍛えてあげて下さい、と言った父の姿は今でも覚えております。


 私は42歳で社長になり、1番悩んできたことは、稼業をどうすれば企業に移行させることができるかということでした。経営者のための会社ではなく、会社は何のためにあり、自分たちは何のために働くのか、全社員の意識を変えなくてはなりませんでした。


 今まで多くの方から教わったことや、自分の経験を踏まえまして、何のために働くのか、という話を社員によくします。生活の糧を得るためだったらどんな仕事でもいいのか、どうでもいい仕事を続けて1週間、1カ月と経った時に、何をやっているのだろうと思うのではないか。家族や子供、自分が少しでも豊かになりたいと思い、一生懸命働き何かやったというものがあって初めて、仕事を続けて行くことができるのだと思います。働いていく中で、苦労したり努力したりすることで自分を成長させ、その会社が良いことをしている会社であったなら、その仕事や会社を通して更に成長し、社会に貢献することができるのが仕事です。仕事には、喜びも悲しみも苦しみも全て入っていますから、人生そのものが実は仕事なんだとということを話しています。



喜ばれる商品づくり
 当社では、ギフト商品も扱っておりますが、お世話になった人が、お世話をしてくれた人にありがとうという心を当社の商品に変えて伝えるのがギフト商品です。その商品が美味しくなかったり、感謝されないようなものであったなら、送った人の気持ちが相手に届かず、何のための送り物かわからなくなってしまいます。商売冥利につきるという言葉がありますが、商売を超えて喜びを感じることができるような商品を提供していかなければならいと思います。


 北海道を訪れる本州からのお客様は、北海道は海産物の宝庫だからいつでも1番いいものがあると思っています。しかし、北海道に残るのは3等や4等のものばかりで、1等品の海の幸は殆ど東京や大阪、京都などに流れてしまいます。やはりこれからは、最高の海産物は、北海道だから買えるのだという風にしなければならないと思うのです。


 商売はただ儲けることだけが目的ではなく、お客様の喜びの声を聞いた時に、この商売をやっていて良かったと思うような感動を得なければなりません。皆さんのお陰で商売ができているということに心から感謝し、貰った人も送った人も感動し、そして、商売している人も感動することがとても大切だと思います。皆さんのお陰で商売ができているということに心から感謝しなければなりません。


 当社には、500種類の商品がありますが、鮭の加工品だけで150種類あります。多品種少量生産の北海道でしか売っていない非常に付加価値の高いものから、中国を通じてアメリカ、ヨーロッパへ輸出するものまで様々な商品があります。このように多様化する商品形態に対応するため、今年(2006年)工場を2つに分けました。これからは、今までと同じことやっていては駄目です。今まであまり美味しくないと言われてきた魚でも、美味しい商品に生まれ変わらせる技術が当社にはあります。その技術を活用し、これからの新しい時代に挑戦して行きたいと思います。


 当社の経営理念は、誠実、創造、感動、感謝です。感動、感謝の基本は人づくりです。目的をしっかり持っていれば、会社の仕事を通じて人がつくられます。新しいものを生み出す所に企業の本当の価値があると思います。


 会社とは、ただ商売をして金儲けをする場所ではありません。人をつくる人間道場だということを忘れずに、皆様への感動、感謝の気持ちを持って、時代に合わせた価値のある商品を提供し続けなければなりません。これが、当社の本当の役割、使命だと考えております。

 


 

【設  立】 1948年
【資 本 金】 6,000万円
【従業員数】 430名
【業  種】 高品質海産物製造販売(直販店・レストランの運営、インターネット販売)