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【55号】旭山動物園革命~夢を実現した復活プロジェクト~

2007年01月01日

旭川市 旭山動物園 園長 小菅 正夫 氏

 

 みなさんおはようございます。私の予想がすっかり裏切られてしまいました。今日は全道研究集会ですが、どこの会合でもだいたい2日目の朝一出席者はよくて前日の半分位というのが普通です。でも今日は、こんなに参加されている。やはり、企業の先頭で活躍されている方のパワーは違います。

 

 



動物園のはじまり

 実は、動物園にはたいへん古い歴史があり、3,000年も前から社会の中で一定の役割を果たして来ました。近代動物園は、1828年にイギリスにできた「ロンドン動物園」がスタートで、1)娯楽 2)教育 3)研究 4)自然保護の4つの役割を担うために生まれました。「知的好奇心」は全ての動物にありますが、ヒト科の動物以外は性成熟した途端に失われてしまいます。また19世紀になると種の多様性が重視され、地球上の様々な動物と共に暮らす自然保護思想が生まれ動物への関心が高まります。この気運を背景に、動物園は世界中に広がりました。



プロの飼育係とは

 私が入園したのは1973年です。さっそく先輩から「プロの飼育係になれ」とか「プロとして、どうあるべきか?」などを叩き込まれました。では、そのプロとは何でしょうか。それは一つに「動物のことは何でも知っている」ということです。でもこれは、当たり前のようですが大変なことです。ちなみに、日本で出版されている動物に関する本を読むのに3年も掛かりましたし、当時48,000円の給料でアメリカの専門書を月賦で5年もかけて買いました。それくらいの知識がないとダメなんです。次にどんな動物でも飼育できること。例えば、ジャイアントパンダやコウモリ。これらは飼育が難しいのですが、健康で長生きさせなければプロの飼育係とは言えません。


 また先輩からは、繁殖の難しい動物に子どもを産ませ、しかも親が自らの手で子育てするように環境を整備することもプロの条件だと教えられました。人工授精させるなどの難しい理屈を並べるよりも、その人が担当しただけで何故か繁殖したくなるようにしなければ駄目だと言うのです(笑)。こんなの滅茶苦茶ですが、とにかく必死で努力と研究を重ねました。


 そしてこの努力は、日本で初めて繁殖に成功するといただける「繁殖賞」の受賞として報われました。当園では、日本で初めてホッキョクグマの繁殖に成功したのですが、その他にアムールヒョウ、オオタカ、コノハズクなどが受賞することができたのです。



レジャーの多様化で落ち続ける来場者数

 1967年に開園した旭山動物園。多くの入園者によって支えられていますが、施設を維持するために入園料は大切な収入源です。当園では、70歳以上の方や障害者、中学生以下の方々は入園料が全額免除されるなどの対応をさせていただいております。入園者数の推移(図参照)を見ると、開園後は動物の種類を充実させるなどで総入園者数が増えました。しかし、細かく見ると無料入園者数が増えているものの、肝心の有料入園者は減少しているのです。


 また、1970年代から80年代にかけて落ち込んでいますが、この頃はバブルの真っ盛り。各地が科学万博で賑わったほか、それまで動物園中心のレジャーだったのが遊園地などの候補から選ばれる存在になってしまいました。トレンドを追求してジェットスクリューコースターを導入し、一時は過去最高の入園者数を達成しますが、それはほんの束の間で、実際は有料者が激減しています。今度は「遊具が1個だから駄目なんだ」と、もう1つ大型遊具を導入しました。それで一瞬、「ピクッ」と上がりましたが、結局1回目よりも下がってしまいました。「どうして下がるのか」と言えば、うちは遊園地ではなく、「動物園」だからです。あらゆる手を尽くしましたが、何をやっても駄目。市役所から「だったら、お前がやってみないか?」と声を掛けられ、係長に成り立てだった私は10名のスタッフと共に理想の動物園に向けて取り組み始めました。このままでは、落ち続ける緊急事態。長い挑戦の始まりです。



「旭山動物園は気持ち悪い」~広がる風評被害~

 みんなで色んなことに着手しました。すぐに結果は出ませんでしたが、「何とかしたい!」というエネルギーが溜まったのはこの頃です。1994年にエキノコックスでゴリラが死亡する最悪の事態を迎えている最中、私は園長になりました。園長になって「ここまで落ちたらもう大丈夫。後は昇るだけさ!」と第一声で高らかに宣言したものの、世の中そんなに甘くはありません。容赦なく入園者数は落ち続けます。


 その状況を目の当たりにし、まずは「どうして落ちるのか?」を考えました。ある保育所では、毎年旭山動物園に親子遠足で来てくれていたのに、姿を見なくなりました。ある時「どうして来てくれなかったの?」と聞いたら、こう言われたのです。350人が集まった父母会。次回の遠足の場所として旭山動物園に行くことが決まりかけた途端、会場の一番隅にいた人が「旭山動物園ならうちの子行かない」と小声で漏らしたようなんです。すると、隣の人も「じゃあ、私も行かない。だって気持ち悪いもん」と言い出す始末。それが波紋のように広がって、結局別な場所に変更になったようなんです。このような風評被害で大打撃を受け、1996年には過去最低の26万人まで減ってしまいました。



来場者からの声を丁寧に集めて~次の一手を模索~

 手を尽くせど落ち続ける入園者。その原因を探ろうと取り組んだのが、アンケート調査でした。最初は、抽選でペアー2組に東京ご招待という景品まで用意する気合の入れ様で、2年間取り組みましたが、結局やるだけ無駄でした。回答を統計処理するだけですごい労力ですし、「あーして欲しい」「これが駄目だ」などの反応ばかりで、こちらが欲しい「提案」が出てきません。目的も無く聞いても駄目だということです。


 次に、1人の臨時職員を雇って園内で聞き取り調査を行い、家族連れに限定して聞いてみました。その最終結果として出たのは「動物園は面白くない」という答えです。これにはかなりショックを受け、ため息ばかりついていました。だって、実際にお金を払って動物園に来ている人が「面白くない」と言ってるんですよ。これはもう先が無いということと同じです。


 では、「何が面白くないのか?」を聞いてみました。1つは動物なのに「動かない」という事です。熊は寝ているだけ、キリンは立っているだけ、全く動く気配がありません。


 ところで、日本人が動物園で動物を見る時間ってどれ位か知っていますか? 1年間を平均して2.6秒程度しかないんですよ。1カ月に1回くらい1時間ほど粘っている人がいるので数値を上げてくれていますが、ほとんどが0ってことです。これがアメリカ人だと、平均して30分は見ているようです。


 次に、「動物園で何をしたいのか?」を聞いてみました。「抱っこしたい」、「お世話をしたい」、「餌をあげてみたい」などがありましたが、飼育係としてその気持ちは十分分かるし、これなら可能な範囲でできそうです。


 また「動物園は、いつ来ても同じだ」という人がいます。統計を見ると、「~のために行く」という明確な目的がはっきりしていないんですね。残念ながら「動物園にでも行くか」と思うのが毎年同じ時期。だからいつ来ても同じなんです。


 それと、家族連れの方のお子様は大抵小学生以下が多く、中学生になったら「子供じゃあるまいし、動物園なんて」という人がいます。また「ライオンやキリンなんて珍しくない」という人がいますが、本当に動物のことを知っていますでしょうか。例えば、キリンの角って何本あるか知っていますか? 正解は「7本」です。驚いた方も多いでしょう。


 結局のところ、皆さんは動物のことを良く知らないんです。知らないから興味が無いし、興味が無いから発見することがなくなり面白くない。毎日働いている僕たちがこんなに面白いのに、お客さんが楽しめないわけがない。何とか、この魅力を分かって欲しいとあらゆることに着手しました。



再起への情熱が詰まった「手書き看板」

 取り組みの基本は、「とにかく、動物のことを多くの人たちに伝えよう」でした。当園に展示している手書きの解説看板はとてもよく読まれていますが、最初は資金が無く、裏紙に「今日のゴリラは機嫌が悪い」などと書いて貼っていたのが始まりです。ちょうどこの頃、奉仕団体から10万円の動物解説板を寄付していただき、私は色々と調べ尽くして「百科事典よりも詳しい」と自負できる解説文を載せました。実際にそれを設置し、自信満々でお客様の反応を見たのですが、それがほとんど見向きもされません。逆に「邪魔だなぁ」とまで言われる始末。とてもショックな経験でしたが、何かを示唆しています。


 今、手書き看板は飼育係員が一生懸命考えて製作し、どんどん進化しています。安いしカラフルだし、皆さんに語りかけるような作りになっています。また、情報はすぐに古くなりますので「今日、孵化したばかりです」などフレキシブルに情報を更新できるのも利点です。


 また、「触りたい」という要望にもお応えしました。園内には羊などの家畜がいますが、彼らは長年、人間に依存して生活している動物ですので触っても問題はありません。しかし、野生動物は違います。彼らは本来、人間とは関わり無く生きているので、人と同じように尊敬しなければなりません。だから、絶対に餌を与えてはいけないのです。


 その他、「夜の動物園」や「冬の動物園」を導入しましたが、これは市民の方々にも動物園の魅力を分かっていただきたいからです。多くの方に利用していただいてこそ、動物園は存在し続けます。動物園ガイドや親子動物教室などを積極的に開いて動物の魅力を伝え続けました。


私たちは、ただの飼育係ではない!~明確な目的を掲げて~

 これは誰も気付かなかったことですが、動物たちが「幸せ」に暮らせる環境でこそ、本来の姿を見せてくれます。動物たちが疲れていて「ワ~、楽しい」って思えますか? コンクリートの鉄の箱に疲れた動物を押し込めて「さあ、見てください」では見向きもされないのは当たり前です。


 やはり動物園は、動物が最も魅力的に見えなければ意味がありません。そこで「一番いいところをお見せしよう」と発想を変え、「動物園改造計画」を作りました。文章だけではイメージがつかめなかったので、14枚のスケッチにして一つ一つ具体的に進めました。


 また、「夢の動物園」を目指す上で、“飼育係の目的”とは何か? を明確にしなければなりません。そのためには、「何のために動物を飼っているのか?」を考える必要があります。そもそも仕事としての「動物」を考える場合、次に3つに分類されます。1つは、「産業動物」。牛肉や牛乳など畜産品を生産するために飼われています。続いて「愛玩動物」は、犬、ネコなどペット等として販売するために飼っています。そして最後は「動物園動物」。ここでの動物は、明らかに見せるために飼っているんですね。飼育係にとって飼育や繁殖は最終目的ではなく、野生動物の魅力を伝えて、絶滅しそうな野生動物たちの味方をたくさん作ることが係としての究極の目的です。そのためにも、絶対に動物は幸せでなければならないのです。


 と考えると、私たちはただの飼育係であってはなりません。部署名を飼育係から「飼育展示係」と変え、志を高くして理想の動物園づくりに向けて歩み続けました。



革命その一…「動物園」は人間らしい生き方を考える場

 先ほど、動物園の四つの役割について述べました。19世紀に比べて動物学の幅が広がりましたが、地球環境の保全や「“いのち”とは何か?」を伝えるほか、人間と動物の共通感染症である「SARS」や鳥インフルエンザなどの研究を進めるセクションとしても期待されています。絶滅が近い野生動物の保護はもちろん、繁殖の難しい動物の人工授精や細胞の保存なども取り組んでいかなければなりません。このように、動物園は刻々と変わっているのです。


 また役割の一つにある「レクリエーション」ですが、これは「娯楽」ではなく「リ・クリエーション」、すなわち「人間性の回復」ではないかと思っています。それは、なぜでしょうか。皆さん、動物といると何となく幸せだと思いませんか? これは、素直になれば誰でも持っている感覚です。この幸福感によってゆがんだ心が回復していく。これこそ動物園の本当の役割だと思うのです。野生動物の保護と声高に叫んでも、「動物といると幸せだから、どの野生動物も絶滅しないで欲しい」と思わない限り、保護はできません。こう考えると、動物園の使命とは、まさしく「自然保護」であり「地球保護」です。


 昨今、社会情勢は大きく変わりました。戸籍のある国は日本、韓国、台湾の三カ国しかないので、正確な数字は分かりませんが、今や世界的な人口増で65億人を超えていると言われています。ところが、人が増えると食糧生産のためにおのずと自然が破壊され、野生動物は減ってしまいます。動物園として、そうであってはならないと伝えなければなりませんが、レクリエーションの多様化で入園者が落ち込んでいます。これは日本だけではなく、世界中の問題です。



革命その二…動物が幸せに暮らせるための環境づくり

 「動物にも人間と同じように幸せに暮らす権利があるのに、檻に閉じ込めてかわいそうだ」と「動物の福祉」を提唱する人々が登場してきました。何と、近代動物園がスタートしたイギリスから、今までの動物園を否定する考え方が出されたのです。


 30年ほど前に「環境エンリッチメント」という考えが作られ、当園ではこれを真っ先に取り入れました。これは、「動物が幸せに暮らすためにはどうするか?」という動物福祉的な考え方に根ざしたものであり、この考え方を活用すれば魅力的な行動、能力の展示ができ、感動を与えることができるのではないかと考え実践しました。きっとこの取り組みが、革命その二だったのかもしれません。



行動展示の具体的実践

1)サル山
 当園は、「いのちを伝える動物園」を理念とし、野生動物の素晴らしさを感動的に伝えることを目指して取り組んできました。具体例の一つ目はサル山です。下北半島をイメージしたサル山では、環境エンリッチメントを随所に生かしています。例えば、小さな穴の開いた木箱には20粒のピーナッツが入っています。彼らは、その1粒を取り出すのに必死に努力しますが、そのすべてを取り出すのにきっと2時間はかかるでしょう。でも、努力して結果が出たら、それは格別に美味しいし、有意義な時間となるわけです。わざと餌の場所をずらしたり量を変えていますが、それはサルにとって宝探しに他なりません。当ったときに、どれだけ嬉しいことでしょうか。


 また、小窓が設置されていてサルから見た窓の向こうは暗い通路です。彼らから見ると、突然暗がりから人間が現れて、「何だろう?」と興味をそそられ、笑顔で自分たちを見つめるお客さんと目が合い、サルたちも楽しんでいる様子が伝わってきます。つまり、この小窓は彼らにとってテレビと同じなんですね。


 さらに、窓ガラスにハチミツを塗ると、それをサルたちは必死に舐めます。その様子を窓の向こうから見ると、手の指紋がくっきり見えたり、口の中や舌の動きまでが見えるんです。「こんな施設は初めてだ!」と研究者もビックリする程です。


 またサル山には、高さ12mの大きな塔がありますが、動物にとっていつ襲われるか分からない地面で餌を探すことはとても危険な事なのです。いざという時にこの高い塔が逃げ場になるので、サルたちは自由に動き回ってくれます。動き回ることで充実した1日を過ごせるし、「あ~、今日一日生きていて良かった」と思ってもらえます。これが環境エンリッチメントの基本です。


 自分の能力を基準に相手の能力を決めてはなりません。動物だって色々考えながら暮らしているし、動物園という場所は、動物が優れていることを示し、多くの方々に彼らを尊敬してもらうための役割も担っています。



2)オランウータン
 そして、オランウータン。彼らの多くはカリマンタン島に生息し、木の上で生活しています。アメリカの動物園に行ったときに現地そっくりの展示をしていたのですが、「いつ木に登るのか?」と3日間同じ場所で見ていたのに、結局登ってはくれませんでした。野生動物の習性として、自分の手の届く範囲に餌があったら絶対に移動しないんです。そこでハッと気付きました。そのオランウータンには、木に登る目的が無いのです。食べる、繁殖するという欲求を満たしてくれない限り、行動に移さない。だから、私がいくら待っても動かないのは当然です。


 この経験をヒントに、旭山ではオランウータンの施設の中に「生きる目的」を取り入れました。それは、「あっ、あそこに餌があるぞ!」ということです。両端に高さ17mの擬木を立て、空中をロープでつなぎましたが、餌を食べるには、そのロープを伝って向こう側に渡らなければなりません。現在、オスのジャック、メスのリアン、そして彼らの子どものモモが生活していますが、最初にこのロープを渡ったのは体重50tのリアンでした。ジャックは体重が140tもあり、前の動物園でも3m以上登ったことがなかったようです。「果たしてロープを渡れるだろうか」と心配しましたが、リアンの誘いで渡ることができました。そのうち遊び心が芽生え、実に様々な渡り方をするんです。また、動物学の常識では考えられなかったのですが、下に落ちたピーナッツをジャックとリアンが協力して取り戻す場面もあり、いまだ隠された彼らの生態に驚かされることばかりです。最近では、モモとリアンの親子愛が私たちを楽しませてくれます。



危機的状況の中に、新たな可能性の芽が潜んでいる

 このように、様々なことに取り組んできた結果、入園者数が増えてきました。1997年の30周年記念以来、もうじゅう館やサル山などの施設を充実させ、昨年(2005年)は1年間に2,067,000人にご来園いただきました。


 どうしてここまで成長できたのかを考えてみますと、いくつかのポイントがあげられます。1つは「天の時」です。実は、廃園に向かっていたのは大きなチャンスだったのです。生物進化を学んでいますが、社会の中でも同じようなことが起こっていると思います。安定しているときには何も新しいものは出てきません。仮に異端なものが出てきてもすぐに潰され、変化の種子は発現しないのです。


 ところが、絶滅期にはどうでしょうか。こうなると、ビッシリ詰まっていた安定の要素がどんどん減り、変化の種子が発芽する空間ができます。その隙間に、内在していた変化の種が内側から外に勢い良く飛び出し、瞬く間に新しい違う種に変化するのです。旭山動物園の歩みを生物進化に例えると、絶滅期に向かっていたからこそ、同じような原理が働いたように思います。


 そして、次は「地の利」です。旭山は、日本で一番北にあり、積雪寒冷地ですが、夏と冬で全く景観も楽しみ方も違う動物園になり、他では味わえない感動に出会えます。そして、もともと斜面に作ったからこそ三次元の展示が可能になり、動物園革命のエネルギーになりました。


 最後に、人の輪です。「我々は、絶滅に向かっているぞ、さあどうする?」と投げかけ、それまでは自分中心に考えていた職員たちと危機感を共有し、色々と実践できたことも大きな要因です。理念に沿って実践することが地球を救い、人類をも救えるという使命感がみんなの心をひきつけました。


 そして、何と言っても市民や利用者の皆様の協力なしには革命はできません。私たちの取り組みを、市役所はじめ多くの方々が理解し応援してくれたお陰で、今の旭山があるのだと思います。