【54号】命がけの事業転換~スクラップ業界から緑化工事業へ、そして土壌診断技術を全国へ~
2006年01月01日
グリーンテックス(株)(旭川) 代表取締役 佐藤 一彦
スクラップ事業の限界
40年前、私が大学在学中に父親が倒れ、急遽これまでのスクラップ事業を引き継ぐ事になりました。「どうせやるんだったら、旭川で一番になろう!」とリヤカー引きから働き続け、結果的に市内で3・4番までには登りつめる事ができました。
しかし、ここからが苦難の始まりです。ちょうど第1次オイルショックが起こり、鉄の値段が暴落。100トンで480万円くらいだったものが、半年も経たないで120万円まで下がったのです。追い討ちをかけたのが第2次オイルショック。これでとうとう赤字に転落です。「もう、スクラップ事業はやめよう」と思いましたが、その前にこの業界が本当にダメなのかを確認しようと、思い切って先進地アメリカに視察に行きました。企業誘致の盛んなある都市で、「我々のようなヘビー産業はどうなのか?」と聞いてみると、「鉄鋼などは発展途上国の産業。21世紀のアメリカには必要ない」と言われました。当時は、重厚長大から軽薄短小へと大きく流れが変わっていた時代。「やっぱり、やめよう」と決心して帰国し、その事を従業員に告げました。
何をしたらいいのか?
「スクラップ事業をやめる」と従業員に告げると、「社長、じゃあ何をするんだ?」と聞かれましたが、私は答えられなかったのです。これではダメだと、事業転換に向けて従業員と勉強しましたが、業界の厳しさを知っているだけに一歩が踏み出せません。悩みは徐々に深くなり、同友会も含めたあらゆるセミナーに参加し、経営コンサルタントを入れましたが、具体策は見えませんでした。結局、1年半ほどモヤモヤとしてたでしょうか。経営者が目標を失った姿とは悲しいものですね。あてもなく、気が付いたらパチンコ屋にいる事もありました。業績が落ち続け、資金繰りは悪化するばかり。銀行からも「もうこれ以上の融資は…」と言われる始末。しかし、当時は売上と同じくらいの負債があったので、簡単に畳むわけにもいきません。
ストレスも極限状態になったある日。「もうはっきりさせなければ!」と奮い立ち、今後どの分野が注目されるのかをじっくり調べようと思いました。そこで、ダンボールに山積みしていた日経新聞などを風呂敷に包み、ホテルで2日間、それを貪るように読み続けたのです。じーっと読み深めていくと、同じような言葉が何度も登場してきます。そこで「1番多かった分野に事業をシフトさせる」と決め、最後は「環境」「健康」に特化した方向に進むもうと決断。北海道の特徴から公共工事に絞り、その中でも「緑化事業」に特化して展開する事を決心したのです。目標が決まっただけで、かなり気持ちが楽になりました。
再起を懸けた緑化事業
しかし「緑化事業」と決めてからも波乱続きでした。この事業を始めるには、建設業の許可が必要ですが、有資格者を入れようとハローワークからある人を紹介いただき、緑化部長として採用しました。最初は、一生懸命営業にも走ってくれたのですが、そのうち「仕事がもらえない」と頭を抱えるようになりました。聞くと「スクラップ屋が緑化事業? ちゃんと仕事できるのか?」と言われたようです。緑化工事会社としての信用が得られないんですね。数千万の投資をしたのに、500万程度の孫請け仕事しかもらえませんでしたので、不安ばかりが募りました。
そのうち「元請として仕事がしたい」という私と、孫請けに目線を置いていた緑化部長との間にズレが生じて来ました。その溝は縮まらず、赤字も膨らむ一方なので、その方には最終的に辞めていただく事にしました。すると、その部下も作業員も引き連れて会社を去っていきました。残った従業員はただ一人。初山別の中学を出て、いくつかの職場を経て当社にたどり着いたスクラップ担当の男です。「いよいよダメか…」と諦め気味だった私は、ふと彼に「どうする? いよいよダメかもな」と漏らしたんです。すると、「社長、何言ってるんだ! ここまで来たらやるしかないよ!」と思いも寄らない言葉が返ってきたのです。この強烈な一言に、心動かされました。私は営業と工事書類づくりを、彼は動物的な行動力で必要な機械や材料を調べ上げ、費用をかけずに効率の良い仕事をしてくれました。彼は現在、当社の役員として活躍してくれています。
健康な土壌づくりを柱に
ようやく、美深の業者から下請けの仕事をいただけるようになりました。気持ちを入れ替えて、設計書どおりに丁寧に工事をしたのに、何日経っても生えてくれません。しまいに元請からは「お前さんの顔など見たくない!」と怒鳴られる始末。再起を懸けて臨んだ仕事でしたので、悔しくて悔しくて。
それにしても、何故生えて来ないのか。どうしても納得がいきませんでしたので、その現場に3年間も通い続けて土の分析を行いました。他の現場の5~6種類の土と比較してみると、驚く事に記録と分析数値が合わない。きっと、改ざんを繰り返し、経験と勘を頼ってきたからでしょう。これでは、何を信用していいのか分かりません。
結局、一つ一つの土を分析し直し、この作業を通して植物が育つには健康な良い土が必要だという事を学びました。理想的な「良い土」とは、落ち葉をバクテリアが分解し、黒くなって堆積した自然の土の事です。しかし、多くの土は農薬などの異物が混入し、健康な状態ではありません。では、どうしたら活力を取り戻す事ができるのか? きっと、方法があるはずだと思い、様々な研究を続けました。
商品開発で方向性が明確に
ある時、漁師から「茹でたヒトデをトイレに放ればにおいもしないし、ウジも湧かない」と教えられました。興味を持って調べてみると、ヒトデには腐敗を防ぎつつ微生物を活発にする力がある事が分かったのです。さらに調べると、天然のゼオライトは微生物の住家であり、はたらきを持続させる効果がある事も発見。商品化までに8年ほどかかりましたが、ヒトデの粉末、米ぬか、炭の粉、ゼオライト、酵母菌などを配合させてつくったのが、今や当社を代表する土壌菌粉体「土(ど)アップ」です。お蔭様で、これは旭川管内の緑化工事に使われるようになり、全国にも広がっております。味わった悔しさと、明日をいきるために夢中になって土を調べて行くうちに、どのようにしたら良い土になるのかが分かってきました。気が付いたら、日本でもあまり無い技術が身についていたのです。土の処方箋となる「G-TEX土壌診断法」の開発に結びつきました。
加えて、飛躍的に業界で認められた事がありました。平成9年に旭川開発建設部発注の放水路工事で、堤防の緑化工事があったのですが、残念ながら受注できませんでした。悔しい思いで他社が施工した現場を見回ってみて、驚いたことにどこにも芝が生えてないのです。それもそのはずです。その工法では土がひび割れを起こし、種が窒息してしまっていたのです。そこで私はすぐに役所に行き、「お金は要らないから、とにかくやらせてくれ」と懇願。生えない理由と対処法を説明し、「1週間ほどで生えますから」と言い切りました。役所の課長は半信半疑でしたが、「とにかく分かった。明日、現場に来てくれ」という事になりました。実際に手を施すと、私の予想通り7日~10日で見事に芝が生えてきたのです。この工事で得た信用をきっかけに、その後コンサルタントと一緒にあらゆる方法を試してみました。その結果辿り着いたのが「浄水汚泥・堆肥種子吹付工」です。浄水場から出る汚泥を使い、土と同様の効果をもたらす工法です。
これらの成果が2003年に「G-TEX土壌診断法」、「浄水汚泥・堆肥種子吹付工」共に国土交通省の新技術情報提供システム「NETIS」に登録されました。
また、2001年からはインターネット「楽天市場」にページを開設し、「土アップ」等の商品販売や土に関する情報発信を通じて一般の方々との接点も生まれ、「家庭菜園」に当社の商品が全国で愛用されています。
「自然の摂理」に学ぶべし
当社の企業理念は「人の生き方も いかなる技術も、自然の摂理に学ぶべし」です。これは、様々な失敗を経験した中でつかんだ考え方です。
スクラップ事業に希望を持てなかった30歳の苦しい時、ある信金の支店長に「もう倒産するかもしれない」と漏らした事がありました。その時「金融機関が最終的に手を離すのは、経営者が事業意欲を失った時です」と教えてくれたのです。それ以来「どんなことがあろうとも事業意欲だけは失うものか!」を信念にどうにかここまでやって来ました。経営者は、決して意欲を失ってはなりませんし、自分で方向を定めなければならない。そのためには、絶えず半歩先を見て事業に取り組むべきではないでしょうか。また、新事業を始める場合、「これは儲かる!」と思って取り組んだら必ず失敗するでしょう。と言うのは、競争が激しくなり、儲からなくなった時に意欲を失ってしまうからです。「これは、どう考えても世の中に必要だ! 広めたい!」と思ったら、自然と営業の仕方も変わって来ますし、事業が続くはずです。自分が心から惚れ込んだ事業を追求し続けてこそ、新たな道が開けると思います。
(文責 事務局 境井健志)
■企業概要
【設 立】 1973年
【資 本 金】 1,000万円
【従業員数】 10名
【業 種】 緑化工事業