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同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

【54号】共に育ちあう企業づくり~歴史を学んで誇りが蘇った~

2006年01月01日

(株)宮原組 代表取締役 宮原 文憲  (釧路支部厚岸地区会会長)


私の生い立ち

 厚岸町の最盛期は22,000人くらいの人口がありましたが、現在は12,000人に減っています。農業、漁業、建設業が基幹産業の静かな町です。我が社は厚岸町で海洋土木会社を営んでいます。初代は山形県酒田の料亭の息子で、そこで働いていた芸者さんと函館をへて厚岸に逃げてきたそうです。2代目は厚岸に根付いて艀業を始めました。朝の3時頃から暗くなるまで昆布とか日用品を運んで生計を立てていたそうです。3代目は私の父親です。父は時代とともに道路が発達してきたので海運業からトラック運送業へと業態を変えました。私は4代目ですが、私が戻ってきたときから海洋土木を中心に土木工事を始めました。私は1977年に静岡県から帰ってきました。学生時代に外から厚岸を見ていましたが、自分が住んだらどんな町にしようかといつも思いを巡らしていました。


 ところが24歳で厚岸に戻ると仕事が忙しく、街づくりを考える時間もありません。そんな時代が15年くらい続きました。ところが40歳くらいになると街づくりを考えるようになりました。跡継ぎで戻ってきた人と話すと、皆一様に故郷のことを真剣に考えていました。私が戻って来た時を振り返ると、街には勉強する機会が全くありませんでした。朝起きて仕事をして食べて寝るという毎日で本当にいいのだろうか。誰かが頑張らなければ街はなくなる。私たちはいつも危機感を抱いていました。

 

同友会に入会

 厚岸をなくするわけにはいかない。子供や社員のために頑張らなければならない。そんな気持ちを抱いていた私は1992年に同友会に入会しました。しかし入会しても釧路の例会に車で行くと1時間かかってしまいます。次第に足が遠のき、ただ入会していただけの状態が続きました。せっかく入会しているのですから、地区会を作って厚岸で同友会の例会を開催しようと仲間で話し合い、2003年2月に厚岸地区会を結成しました。立ち上げるまで半年くらいかかりましたが、地元の経営者に呼びかけて24名で発会しました。発会式で守代表理事のお話を聞き、同友会にはすごい人がいるものだと感心しました。こういう人の会に入って勉強したいと次々に経営者が入会してきました。小樽の井上さんにも来ていただきましたが、成功している方は信念を持っています。


 田舎に住んで一番不利な点は情報が入ってこないことですが、同友会の例会に出て、人と会って話をすることが一番勉強になります。自分の街が将来なくならないようにするために私は勉強しています。自治体の合併が盛んですが、合併しても厚岸町が町の中心にならなければならないと思います。2005年10月現在で厚岸地区会には43名の会員が加盟しています。平均年齢は若く、53歳の私は上から数えて3番目です。同友会は若い人を育てる勉強の場なのだと私は信じています。

 

10講座、648名が集まった厚岸歴史講座

 さて地区会で何をするか。私たちは自分の故郷を知ることから始めようと、2004年4月から「厚岸歴史講座」を開講しました。「俺たちは厚岸に住んでいることに誇りをもっているのか。町を愛しているのか」。歴史を1年かけて学び、その中から私たちの標を得ようと考えたのです。会場は役場が無料で提供してくれました。毎月水曜日の6時半から1時間半の講座が始まりました。当初は10名ほど集まればいいと思っていましたが、終わってみたら延べ648名の町民が集まりました。


 講師は普通に考えると歴史の研究者や郷土史家にお願いするところですが、自分の言葉で歴史を語ることのできる古老の方々にお願いしました。平均年齢は80歳前後の方々です。ほとんどの方が生まれて初めての講演ですから、1時間半も話すことは至難の業です。進行役は幹事が責任を持って打合せをして本番に臨みました。


 印象的な講座があります。第2次世界大戦中に日連丸事件という遭難事件が厚岸沖の太平洋でありました。3,000名を超える輸送船の兵隊がアメリカ軍の攻撃を受けて戦死したのです。その僅か4人の生き残った方が厚岸の正行寺に収容されました。現在も存命の方がお2人いらっしゃって、そのうちの1人が鈴木喜一郎さんです。鈴木さんは札幌にお住まいのことが分かり、しかも同友会の会員でした。急遽、鈴木さんをお招きすることになり、「日連丸事件の真実」というテーマで講演していただきました。この日連丸事件は厚岸の町民もほとんどの方が知りません。町民は涙を流しながら聞いていました。戦後生まれの私たちには戦争の悲惨さを十分に知ることができました。私たちがつくった報告書の「真実の語り部」には鈴木さんのお話を詳しく掲載しています。


 この歴史講座で同友会は町民に確実に認知されました。地区会としても、この歴史講座以外にも例会を開催していましたので忙しい1年間でした。来年は「地域大学」を運営したいと考えています。今度は大学の先生やその道のプロを招き、同友会の会員ばかりではなく町民と一緒に学びたいと思います。

 

同友会で学び、100年続く企業をつくりたい

 

 厚岸は200年の歴史がありますが、財を成した方は厚岸から皆離れてしまいました。お金を儲けたら内地へ戻ってしまうのです。我が社も2代目くらいまでは内地へ帰りたかったと思います。でも3代目になると厚岸に骨を埋める気持ちになったようです。4代目の私には帰るところがありません。厚岸が故郷なのです。厚岸を大事にして次世代に引き継いでいきたいと思います。厚岸では3代、4代続いている商売はあまりありません。蕎麦屋、旅館、お菓子屋など100年残っている企業はほんの数社です。その他の商売は30年くらいで形態を変えています。


 故郷で生き残ろうと思ったら、時代とともに変わらなければならなのです。我が社も例外ではありません。今までと違った分野に進出しなければ食べていけません。私も息子がいて他の会社で仕事をしていますが、あと数年で社内体制を変えて息子に引き継いでいきたいと思います。建設はまだ主要産業ですが、公共事業が減って将来は厳しい。同友会で勉強して100年続く企業をつくりたいと思います。


(文責 米木)