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【54号】鈍行列車と共育

東京大学名誉教授 大田 堯

 

 夜間中学の記録映画『こんばんは』(森康行監督)を上映した後、大田先生の講演が始まりました。


 映画の舞台は東京都墨田区立文花中学校の夜間学級。山田洋次監督の映画『学校』のモデルの1人でもある見城慶和先生らが教壇に立っている。そこにはさまざまな理由で『普通に学ぶ機会』を得られなかった人々が年齢・国籍に関係なく学んでいる。異年齢間の交流、教師と生徒の温かい人間関係、そして受験戦争のための勉学ではなく、生きるために学ぶ真摯な姿。不思議なやさしさと温かさに包まれた、今までに出会ったことのないような学校があった。(ホームページより転載)

 


 


 生命あって、北海道の皆様にお目にかかることができました。


 感動的な映画の後でお話をするのは分が悪い仕事ですが、私なりに今の日本の社会状況を頭に置きながら、この映画『こんばんは』の持っている人間的な意味について考えてみたいと思います。

 

夜間中学は鈍行列車

 

 『こんばんは』という映画は、次の言葉が字幕で語られてスタートします。


 「私は幼いときから家が貧しかったので、学校に行くことができなかった。ずいぶん年をとって、私は私の汽車を見つけた。それは夜間中学という『鈍行列車』」。


 そして最後に倍賞千恵子さんのナレーションで、「夜間中学は、次から次へと問題を抱えながら、ゆっくりと鈍行列車でやってきました。その学び舎で自分の人生を自分の足で歩く力をつけるため、そしてその1歩を踏み出すために毎晩一生懸命がんばっています」。という言葉で閉じられるのです。


 夜間中学は東京で8校、全国で35校といわれておりますが、他に、公の援助がない自主夜間中学やいわゆるフリースクールなど、大勢の人たちの大変な努力によって支えられているものがあります。


 就学率100%と世界に誇っていても、そうではない状況が現実にあることを私たちは忘れてはなりません。


 『こんばんは』の列車には、いろいろな乗客が集まってきます。年齢、職業、国籍、もちろん1人ひとりの遺伝子を乗せたDNAの構成も違います。
 この鈍行列車の行き先はどこでしょうか。日本の教育の骨格がどういう性格のものか見つめていくと、夜間中学の姿が浮き彫りにされるのではないかと考えます。


 日本には、初等、中等、高等、大学とそびえたつような学校体系が存在します。夜間中学ごときものは味噌っかす、こういうものが無くなることが理想だと、行政は考えている向きがあります。


 夜間中学を鈍行列車とすると、巨大な学校体系はスーパーエクスプレス、超特急です。両者の行く先などの比較を試みたいと思うのです。

 

教育と軍隊が近代化の機関車

 

 日本の学校体系を考える場合には、日本の近代化というものから考えていかねばなりません。明治のはじめの日本は非常に危機的な状況にありました。アジアの多くの国々が植民地化される中で、先輩たちには、日本の独立を維持していくことはたいへんな苦悩であったと思います。


 そのためには産業を興さねばならない。産業を進めていく技術者を急いでつくらねばならない。殖産興業によって近代化することが独立を維持していく上では不可欠なのです。しかしこれには特別の護送船団が必要でした。ひとつは軍隊であり、もう1つの重要な柱が教育でした。


 殖産興業を中心に、天皇直属の軍隊と天皇直属の教育が護送船団となって、明治維新を超えて近代化の形をとるようになります。近代工業を支え、近代国家を動かしていく官僚や産業技術者を急速に育てるというのが、わが国の人材養成、教育の課題でした。


 対して、ヨーロッパやアメリカでは市民革命が起こり、絶対王政を打ち倒してヨコ社会である市民社会が生まれます。市民社会の中で産業が展開し、工場ができ、エンジニアが生まれていきます。そして国家体制の中に官僚という人々が育つのです。


 ところが日本の場合は、急いで近代化しなければならないため、教育によって促成栽培を図ってまいりました。ヨーロッパでは社会と産業の進歩のあとを学校が追いかけますが、日本では先に人間を育てなければならない。教育と軍隊が近代化のための機関車になったのです。とりわけ、教育が機関車となって近代化を引っ張っていくことに全精力が注がれました。


 1881年には工部大学校と東京大学が誕生します。東京大学は通訳を育てるための語学校でしたので、工部大学校の方が断然格上でした。イギリスで工学部ができるのは20世紀になってからです。それまで工学などという実務的なものは学問ではないという考え方が支配的でした。対して日本では、工部大学校が最先端、最重鎮として誕生し、それを補うものとして、語学校である東京大学が生まれるのです。

 

3階建ての超特急

 

 教育勅語のもと、急いで強い軍隊と天皇の臣民を育てていくために、日本の教育はどのように考えられてきたかというと、「3階建ての超特急」とお考えいただければよいかと思います。


 ゆったりとした見晴らしの良い最上階は、官僚や高度な技術者を養成するところで、学問を教えることが目的となりました。


 1番下は、その他大勢、大部分の大衆のための、強い兵隊と強い臣民、天皇の子どもたちを育てるというのが1階席の目的でしたが、すし詰め状態でした。
 ちょうど中間にある中等教育というのが、あいまいな形になるのです。


 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)というイギリス人が来日し、島根の松江中学校の先生になります。「イギリスでは教会の反対もあってなかなか教えることのできない進化論を、この学校ではサルが人間になると堂々と教えている。同時に隣の教室では、天皇は神様であるということが教えられている」とびっくりしているのです。何というちぐはぐさが中等教育にあったのでしょう。1階と3階を薄めたような形で2階が存在したといってもよいと思います。


 そういう形の超特急で日本の近代化のための教育路線が敷かれていくのです。とりわけ1階席のためには教育勅語、軍人に対しては軍人勅諭で、どういう生き方をしたらよいかということまで懇切丁寧に説諭が行われています。教育というより、教化が急がれたのです。


 超特急の行き先はどこにあったかというと、当面の国益に沿った人材養成、人づくりにありました。


 一般大衆はどう考えたのか。小中高の階段を立身出世のために駆け上がらなければならないのですから、懸命な競争原理によって勉強するという方向にあり、学校信仰、学歴信仰は常に超特急の信仰に伴っていました。


 そこで、鈍行列車の行き先はどこかと考えてみたいと思います。

 

「学習権」は文化の飢えから

 

 映画では、「生きていくためには勉強せざるを得ない。文字を学ばないことには生きられない」と、必死の覚悟で夜間中学校に出かける三浦さんの姿がありました。そうかと思うと、借金返済が終わり一段落ついたので、道楽のつもりでこの学校を選んだという方もいました。それから、ここならどうやら通えそうだとやってきた「伸ちゃん」のような人もいました。


 この3人に共通するのは「内発性」です。義務だからやむを得ず教育を受けるのではなく、自分の内面から吹き出てくる思いによって、夜間中学校が選ばれたのです。


 この「内発」ということは、人間の教育における最も根源的なものであり、最も大事にされなければならないものです。


 ここまで申し上げれば、超特急と鈍行列車の終着駅はかなりあきらかになってきたと思います。


 自分の内なる必要によって文化を学ぶ。これは人間にとって極めて本質的問題です。


 人間は体の外に道具をつくる動物です。モグラという動物を考えてみて下さい。彼らは土の中に住むことを選んだため、穴を掘らなければなりません。穴を掘るために何十万年もの努力結果、あごの骨を発達させ、自分の体を環境に適応させてきたのです。人間も、そういう進化をした部分もあるけれど、ある段階から、自分の外に道具をつくるようになるのです。


 道具と並んで、人間は「言葉」をあみだしました。言葉は道具と同じ役割を果たし、コミュニケーション能力を飛躍的に発達させました。つまり人間社会の文化というのは外にできているのです。


 外に道具があるのだから、外の文化を学ばなければ人間は生きていけません。言葉や文字を理解できなければコミュニケーションができないのです。もちろん障害をお持ちの方もいますが、それを補うためにいろんな方法を皆で考えているじゃないですか。


 文化というものと共にわれわれの命はあるのです。


 まず命があって文化の学習があるのではなく、おなかにいるときから文化の影響を受けて成長し、産まれた途端に文化にさらされる。おのずと学習しなければ人間として生きていけないのです。これを「学習権」と呼びます。


 文化の学習、体の外の道具を学ぶということは、そうしなければ生きられないから、それを獲得するということは、基本的人権の中の最も基本的な人権、核なのです。


 憲法にある「言論の自由」と言われても、表現できなかったらどうにもできませんし、「表現の自由」といわれたって、表現できるものを持たなければだめでしょう。あらゆる権利は、全部「学習権」から出発しているのです。その「学習権」は、文化の飢えから始まるのです。


 どうですか、夜間中学は。文化の飢えから始まっているじゃないですか。大なり小なり、内面からの要求により、自分を活かしていく。そして精一杯人間として生きていくことをめざす。それが終着駅ではないでしょうか。


 超特急のように、上からの人づくりに巻き込まれるのではなく、うんと下から本当の学習権、人権を積み上げていくのが、夜間中学の中に顕わに表現されているように感じました。

 

「ウサギとカメ」から学ぶこと

 

 夜間中学の2つ目の特徴は、「各駅停車」です。


 映画に出てきた矢田部さんは72歳。プレス工場を営んでいました。ものが2重に見える病気のため、教育を受ける機会を失っていました。この人は、「いつでも入学できます」と書いてあった夜間中学の看板に惹きつけられました。学習権のために開かれた空間というものが、夜間中学として存在したと言えると思います。


 そして、各駅停車ですから、1人ひとりのペースに合わせて授業をすることになりますね。これが本当の教育のあり方なのです。もちろん集団教育によって社会性を養うという面もありますが、原点は1人ひとりです。


 「ウサギとカメ」の話がありますね。あれはどういう教訓でしょうか。油断をすると負け組みになるよ。僕らはそう教えられました。


 しかし、別の角度から見ると、カメが自分のペースを着実に守ったから到達点に着いたと言えませんか。ひとり1人が違うペースで生きるというのは、人間の本質なのです。夜間中学で、ひとり1人のペースを大事にする教育が実現されているのは、実におもしろいことです。


 近代哲学の祖といわれるデカルトは、『方法序説』の中で、「随分ゆっくりとしか歩かない人でも、まっすぐな道をたどっていけば、走ってしかも道をそれる連中の及ばないずっと先のほうへ行ける」と書いています。


 「かたつむり そろりそろりと 富士の山」という句を詠んだのは小林一茶です。人間は大きなめあての中で、自分のペースで自分を花開かせることこそ、大きな役割を果たすことになると思います。


 各駅停車は、1人ひとりの人間のペースを大事に、いつでも入れて、自分の経験の継続性の中で伸びていく。誰かとの競争ではなく、その人らしさを発見するために学習をする。そういうことが各駅停車の夜間中学が持っている意味だと思います。

 

文化は人をつなぐためにある

 

 3つ目の特徴は、「人の輪の絆の中で学ぶ」ということです。


 超特急列車は、すばらしいスピードで走っていますが、客室の中はシーンとして、乗客は互いに関心を持たないよう努力しているようにも見えます。


 鈍行列車では対話がある。教師と生徒とが人の輪をつくっています。教えるものが教えられる立場にもなる。映画では、三浦さんがこんなことを言っていました。「それまでは人の欠点をつくようなことばかり言っていたけど、文字を読めるようになると、みんなと輪ができる。そうすると楽しくて気持ちが明るくなる」。


 人の輪の中で文化を身につけ、文化によって人の輪をつくる。文化というものは本来、人をつなぐためにあるものなのです。


 ところが超特急の教育制度の中ではどうでしょうか。立身出世、競争原理、そういう中では、学びあうことによってお互いの輪ができるでしょうか。


 競争原理のとかく悪いところは、自己中心に陥って、自分が見えなくなることです。人間というのは、自分とは何かを問いただすとき、自分の中に自分をいくら聞いてもわからないものです。自分を他人に映してみる、他者との交わりの中で、自分の顔がおぼろげながらわかるようになるものです。


 中小企業家同友会が、教え育てるという「教育」を改めて、共に育つ「共育」という言葉を共通のスローガンになさったということは、すばらしいことです。つまり、学びあうことによって結び合おう。結び合いを通じて、自分のことをもっと深く知る。まさに循環関係の中で獲得されていく姿が見えてくるのではないでしょうか。

 

教育の本質とは何か


 4番目は、閉じられた競争原理の修羅場の現実社会からは距離を置いて、夜間中学には開かれた空間ができているということです。
 ご存知のとおり、『こんばんは』という映画はドキュメンタリーです。森康行監督が3年間夜間中学に通って生徒の皆さんと仲良くなり、膨大なフィルムを選びに選んで編んだものです。俳優さんは1人もいません。


 まさに「共育」はドラマであり、アートなのです。そしてそこに参加する人は1人ひとりが主役です。一人ひとりが基本的人権の担い手、主権者である人間として扱われる。皆が第1人者なのです。


 ところがそういう扱いを受けているかというと、上下関係があったり、心はバラバラでしょう、日本の人間関係は。


 最近は「改革」が声高に叫ばれています。小中学校は点数や順番を廃止するというくらいの大胆な改革をやるなら、投票したいと思いますけど、郵政くらいの改革ならば私は納得いきません。肝心な人間というものが大変な状態にあるわけですから、そこにきちんと着目しながら、郵政なら郵政を考えることが必要ではないでしょうか。


 改革の原点は人間です。夜間中学は、基本的人権を踏まえたドラマなのです。


 教育基本法の前文に次のようなことばがあります。「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」。まさに夜間中学のことじゃないですか。夜間中学を拡大していくと、教育基本法の精神につながっていくわけです。その教育基本法もここを削りたいらしいのです。困ったものです。


 子育ては一期一会。何かワンパターンがあるわけではありません。その子、その親なりの一期一会の創作が「人育ち」、「人育て」ということです。「教わる」ということは、もちろんたくさんありますが、主要には、自らの選択が自分の人生をつくるものだと思います。


 夜間中学は、開かれた空間で演じるドラマ、アートであり、共に育つということは芸術そのもの。教師は演出家です。そうであるなら、映画に出てきた見城先生が自分で教材をつくり、その子その子に教えるように、学校の先生は自分で教科書を選び、こしらえ、自分の子どもたちに1番合うようなものにすればいいのです。先進国で教科書検定をいまだにやっているのは、日本だけです。


 私は「教育」というのは、どうも誤訳ではないかと考えています。日本では明治の初年に、Educationという言葉を「教育」と翻訳しました。このEducationという言葉は、絶対王政が倒れて市民社会ができて以降に普及した比較的新しい言葉です。本来の意味は「引き出す」こと。つまり、その人その人の持ち味を引っ張り出すというのが、市民社会における教育の意味なのです。


 ところが教育は、上から教え諭す「人づくり」などと、依然として大臣が言い出します。


 人など絶対につくれるはずはありません。ゴキブリと中国の有人宇宙飛行船「神舟6号」ではどちらが複雑、精密でしょうか。もちろん生命体であるゴキブリですね。人間は大腸菌すらつくることはできないのです。人間の成長というのは、自らが変わるということです。病気を治すのも医師や薬ではなく、自分の治癒力です。お医者さんは援助者であり、演出家なのです。人間は1人ひとりが自己芸術をつくるアーティストです。普遍的にして個性豊かな作品になろうとしているのを援けるのが教師なのです。教育の本質がそこに浮かび上がってくるのではないかと私は思います。


 同友会の皆さん、教育にはうまい方法などありません。あきらめて下さい。一期一会の真剣勝負、アートなのだと思い込んだ方が人間の関わり方としては正しいと思います。

 

学校は故郷

 

 「学校はおもしろいところです。学校は何でも教えてくれるところです。学校の先生は親切です。学校は1番いいところです。学校は夢のあるところです。学校は宝物があるところです。学校は勇気をくれるところです。学校は故郷となるところです」。これが映画「こんばんは」の最後で語られるナレーションです。


 皆さんは、日本が今置かれている人間の状態というものを、この映画をご覧になりながらどのようにお考えになられたでしょうか。私は極めて危機的な状況にあると考えます。たとえば戦前からずっと尾を引いてきた上下関係、命令関係で押し通そうとするタテ社会の原理が、今でも生き残っています。


 もう1つは、経済成長によってマネー社会になったということです。お金でことが済む、自分の欲望が肥大して、他者を思いやる力が弱まる。ヨコの関係がバラバラになっているのが現実です。


 タテ社会に加え、ヨコの関係もバラバラになっている状況の中で、「日本は鬱病大国、ストレスが1番多い社会」だとニューズウィーク誌が特集を組みました。自殺する人は、この十年近く毎年3万人を超えています。人口比でアメリカの2倍ですよ。それくらい孤独な社会になっているというのが日本の姿です。
 こういう状況に対して、在日朝鮮人のある大学教授はこのように述べています。「日本で民主主義が死のうとしている。抵抗しながら殺されているのではない。安楽死しつつあるのだ」。


 私は安楽死などしたくありません。むしろ抵抗したい。議論によって静かに抵抗することにより、1人ひとりの尊厳を守る。基本的人権を大事にする。「こんばんは」の中の基本的精神というものを、学校制度の中に浸透させ、国民の間に同意を広げていきたい。その励ましを与えてくれるのがこの映画であり、私が感動をもって推奨してきた所以なのであります。


 本日はご清聴ありがとうございました。


(2005年11月2日 札幌支部共育シンポジウムの講演より。 文責 事務局 佐藤紀雄)

 


 

【プロフィール】

1918年広島県生まれ。1941年東京大学文学部卒業。東京大学教育学部教授を経て、都留文科大学学長、1983年退官。1992年まで日本教育学会会長を務める。