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【54号】阪神大震災を乗り越え、世界一のジャバラメーカーをめざす

2006年01月01日

兵庫県中小企業家同友会 代表理事 田中 信吾 (日本ジャバラ工業(株)社長)

 

社員教育とバブル崩壊

 

 1986年に先代である父から引継ぎ社長に就任したとき、会社は組織と言うより職人集団でした。人に何かを教えることもなく、自分勝手に仕事を進めていたというような感じでした。そこで、組織を作るために、従業員から幹部候補生を選抜して1年間、月1回ずつ勉強会を始めたのです。その1年後に組織を作り、新たに肩書きを付け名刺を作って渡しました。意識も高めながら、組織作りをして、ラインやグループ毎に目標設定をしました。


 次に幹部の1泊研修会を開催しました。当時、先代に負けたくないという思いで、いろんな計画をして、社員にお願いするのですが、言うことを聞いてもらえませんでした。工場長に説明しても、「なぜあなたにそんなことを言われなければならない」と反発を受ける始末です。社長という肩書きが付くことと、自分自身がどう実績を上げて信頼を勝ち得るかということは別のことだということを嫌と言うほど思い知らされました。


 そんな中、困り果てて以前から入っていた同友会へ行きだしました。同友会では人材教育・社員教育をしなくてはいけないと人材育成委員会へ入り、熱心に取り組む中で人材育成委員長にさせていただきました。新入社員研修や幹部研修など、自分自身が社内で悩んでいたことを同友会で実現してきました。


 そして、早速社内で幹部社員の1泊研修会をしたら、最初は会社の悪口ばかりでした。ニコニコしながら、ムカムカしながら聞いていました。しかし、これを機に自分たちもなんとかしなくてはいけないと思い、会社のことを考えてもらえるようになってきました。


 ちょうどこの頃、経営指針を作っていたのですが、社員には口頭で発表するだけにしました。会社の中で下地を作りながら、次の年に経営指針をすべて作り発表したのです。さらに、新卒社員を採用しようと共同求人活動を始めました。しかし、合同企業説明会に出てみると、会場にはたくさん学生がいるのに自分のブースの前には誰も座ってくれません。そのとき、周りの経営者から、求人のカタログが悪い、説明の仕方が悪いなどをいろいろ教えてもらいました。合同企業説明会の場は、全産業との戦いになるのだということに気が付き、どうしたら良い人を採用できるかと考え、社員教育に力を注ぎました。さらに職能資格制度を学び、会社へ導入していきました。


 すると、どんどん会社の業績が伸びていき、3、4年で売上は倍以上になるし、利益は何倍にもなりました。そこで、勉強会で習ったように決算ボーナスを出したり、社員を海外旅行へ連れて行ったりました。また、大学生を採用するには週40時間制にしなくてはならないと導入しました。さらに、これからは世界に出て行こうと世界の見本市へも行きながら、足元を見ずに、「経営って簡単なものなのだ」と思い上がっていたのです。


 ところが、バブル崩壊です。またたくまに売上半減、赤字転落です。これまでの好調は、バブルだと言うことに気づかなかったのでした。自分の力だと勘違いしていたのです。機械が全然売れなくなってしまえば、どんなに良いジャバラを作っても売れるはずがありません。需要が無くなれば、技術ではなく、値引き交渉しかなくなりました。需要は減るし値段は下がるし、非常に厳しい状況になりました。そこで何をしたかというと徹底的な経費節減です。私の給与も半分にしました。


 経営計画書も作り、社員を大事にして、教育をして、理念も書いて唱和もしているのに、なんでこんなことになるのだと思いながらも、なんとか乗り越えてきて、これからだと思ったところに阪神大震災が起こりました。

 

阪神・淡路大震災~復元と復興は違う~

 

 1995年1月17日朝、大地震が阪神・淡路地方を襲いました。私は慌てて会社へ向かいましたが、信号はすべて止まり、道ばたでは火事も起きていて、その横に毛布を被った人たちが歩いているというような酷い状況でした。なんとか会社へ到着してみると、会社は残っていましたが、隣の家は全壊し、瓦などが会社へ入り込むなど壁はボロボロになっていました。


 とりあえず本社機能をすべて三木工場に移し、お客様に迷惑が掛からぬようすぐに操業を開始したのです。しかし、震災のニュースが出るたびにお客様が心配し、テレビでは「リスク分散をしないといけない」と囃し立てます。我々の被害は最小限で問題ありませんとお客様に訴えても、お客様が「リスク分散」の名の下に他の企業へ発注を分けて出していくようになってきました。


 このような経験をして思うのは、現在、地方が疲弊して東京にあらゆるものが集まっている状況を見ると、本当に震災から教訓を学んだのかと疑いたくなります。一極集中は危ないのですから、地方に分散して日本の経済の活力を保っていくべきではないでしょうか。


 1年後に同友会では「なんとか仲間が立ち直ってほしい」という思いから、製造部会を立ち上げました。これが現在の「アドック神戸」になっています。アドック播磨、ワット神戸、チームITプロと展開している産学官連携のはしりでした。阪神地域は川崎重工業、三菱、神戸製鋼の御三家の下請企業が多い中で、なんとか別の道を歩む方法が無いかということで動き出しました。そのため、他地域の学主導、官主導の産学官連携とは違い、我々企業が動くことで学が付いてきて、官が支援すると言う形になっています。


 震災で感じたことは、思いがけない出来事が起こったときに、経営者は同友会で勉強したことを本気で実践できる意志の強さを持っているか試されるということです。本当に良い会社にしたいのか、本当に良い経営者なのか、良い経営環境を作ろうと言っていても、本当にそれが実行できるのかを試されました。
 また、震災が起こったからこそ、全国に先駆けて第2創業が出来たのではないかと思っています。そういう意味では、ピンチをチャンスに変えていけたのです。


 しかし、被害を受けていないライバル会社は、逆にどんどん攻めてきます。我々は防戦一方です。当時、兵庫でみんなで話していたのは、「復元」と「復興」は違うということです。元通りにしても、もう間に合わない。復興すると言うことはワープするように、今のライバル会社の前を行かなければならないということです。そうは言っても、なんとか復興したいという思いはあるし、意味は分かるがどうしたらよいかわかりませんでした。


 そこで、我々の会社をあらためて見つめ直してみると、すべて受注生産で全てハンドメイドです。受注生産ですから、全員が受け身の姿勢になっていたのです。なんとか自ら動いてお客様を動かしていくことができないかと必死に考えました。当時、海外調達が進み空洞化が進んでいった時期ですから、大量生産品は中国で製造します。日本に何が残るかと考えると、多品種少量、短納期のものです。さらに工作機械は高速化、小型化、高精度化、低価格化していくと思われました。


 高速化により回転軸に大きな熱が発生するようになるので、大量の水溶性の切削油をかけて冷却します。すると現在の布製や鉄板製のジャバラでは問題が生じます。また、これからは製品をモジュール化し、お客様のところで簡単に組み付けるだけにすることが必要になってくるということがわかってきました。そのことを社員に伝え、新製品開発を依頼します。しかし、長い間受け身の癖が付いているのでNHKのプロジェクトXのようにはうまくいきません。


 そこで行き着いたのが「経営理念」です。当社の経営理念には「新しい分野を開拓して、新しい商品・技術を開発して送り込むことで社会に貢献する」とあるのに、これまでは、お客様の言うとおりに作ってきただけでした。だから値引き交渉しかないという状態になっているのだと気づきました。社長自身が、経営理念を理解していなかったのです。また、社員個々の人格の向上を目指しています。人格とは3次元で構成され、「高い・低い」、「深い・浅い」、「広い・狭い」です。知識や教養があり、自分自身を厳しく問い直し、異質な考え方を認め、一緒になって目標・目的を達成できる人になることです。さらに、仕事を通して真の幸せを追求する。この会社、この仕事に出会えたことが良かったと思える会社にしようと書いてあるのです。それを今までやってこなかったということに気づき、あらためて社員に訴えていきました。


 これまで、痛いほど値引きをして辛い目にあってきましたので、どんなに不景気になっても価格競争しなくて済むような商品を作りたいと言う思いが強くありました。そして、小さくても世界企業で、1流の企業だと言われるようになりたいということです。我々はニッチ産業なので規模は大きくなれません。しかし、その分野ではナンバーワンであり、世界で認められるような会社になりたい。世界の一流と言われる企業に使っていただける会社になり、商品を作っていこう。そのためには、そのようなお客様の要望を満たしていく技術や商品を開発し、社員教育をしていかなくてはなりません。また、お客様へ最高のサービスの提供が求められます。


 世界の見本市に出ていた同業者のイタリア企業が気になっていたので、連絡して現地へ行ってみました。うち解けてくると研究中の製品「リベロー」を見せてくれました。問題意識を持ち、何とかしなくては行けないと考えていたせいもあり、「これだ! これは売れる」と思い、技術提携し、製造を開始しました。


 しかし、良いものが売れるというのは嘘です。購買担当者からは、新商品なのに「実績は?」と聞かれます。「実績ができてから持ってきて」と言われました。また、良いのはわかるが従来品よりどれだけ安くなるか聞かれます。そういうわけで、なかなか売れません。そうなると社員が抵抗勢力になってきます。こんなものによく5,000万円もの設備投資をしたなという声が出てきます。一方で財政は逼迫してきます。本当に胃の痛い日々が続きました。


 そんなとき、ある会社の工作機械が他の会社の従来品を使っていてクレームになるという事態が起こりました。そこで、我が社の商品を使ってもらうと問題が解決し採用されることになったのです。それをきっかけにお客様の要望を聞きながら製品を進化させていくという循環ができるようになってきました。

 

経営計画書と社員教育

 

 17年前、最初に経営計画書を作ったときは、全て私が1人で作り発表しました。経営計画書は魔法の書ではなく「宣戦布告書」だと思っています。社員に対して、こんな会社を作りますよと言うことだからです。発表によって幹部や社員から辞める者も出てきました。経営計画書は作っても、1、2年では決して会社は良くなりません。10年は覚悟して下さい。


 我が社では、自分の手で書くことで身体に入るのではないかと考え、経営計画書を社員に筆書してもらいます。あるとき筆書して提出された経営計画書に手紙が付いてきました。「経営計画書には非常に立派なことが書いてある。しかし、社長は現実を知らないでしょう。こんな会社になるのはとても無理です」と書いてあるのです。それは私も分かっていたので、「すぐにこの計画書どおりにできないのはわかっている。今年は10%だけやってほしい。10年経てばこういう会社になるようにしたい」と話しました。それから5年後、また手紙が入っていました。「今は、経営計画書に書いてあるような会社になれるのではないかと言う気がしてきました」と書いてありました。本当に嬉しかったです。社員は、社長が本当にこういう会社にしたいのか確かめているのだと感じました。本気で社長がやっているのであれば、社員も付いてくるということだろうと思います。


 当社は9月決算なので、7月に新年度の素案を作り、8月の1泊研修で課長以上に発表し、前年度の総括をして一緒に新年度の肉付けをしていきます。九月に役職者や営業マン全員で部門方針を決定し、10月はじめに全体の発表会をします。


 しかし、震災後に会社が厳しい状況に追い込まれましたのは、これまで理念どおりにやっていなかったということと、動かす仕組みが出来ていなかったということでした。そこで、経営理念から目標、前提条件に続き、それを実現するためにはどういうことをしなくてはならないかを書き、何をすべきかを体系として1枚の紙にまとめています。ここから毎月のプラン・ドゥ・チェック・アクションで業務実績表を作っていきます。さらに個人ベースでの実行計画書があり、上司がチェックする仕組みをつくりました。これによりなんとか目標をクリアできるようになってきました。


 1番問題なのは、考える癖が付いていないことです。製造業に良くあるのが、「勉強が嫌だから工場に来た」という人が多いことです。深く物事を考える、想像する、そして行動するということができないということです。そこで、ユネスコの学習権宣言にあるような「学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である」ということを、社員にどうやって意識付けていくということが必要だと思います。考え抜いて失敗するのは良いが、安易に場当たり的なことをしてはいけないということです。


 こういう会社作りをしていかないと大変なことになります。北海道でも北海道拓殖銀行が破たんしたように、兵庫でも同様のことが震災のときに起こりました。我が社のメイン銀行が破たんし、続いてサブ銀行も破たんしました。そのときも金融アセスメント法制定の取り組みの中で学んできたお陰で手を打っていくことができました。時代の流れの中で、スピードの速い会社作りをしていかないといけない、ということを社員に必死に訴え続けてきました。


 また、人事理念として、会社にとって都合の良い人間をつくるのではなく、何かの理由で我が社を辞めても次の会社に「あの会社にいたのだから、すぐに役立つな」と言われるような、社会のお役に立つ人間になることを目指して取り組んでいます。我が社は同友会方式とでもいいましょうか、経営者や幹部が講師となり教える体制にしています。人前で1時間話すためには5時間くらいの資料を用意しなくてはなりません。ですから、新入社員研修でも先輩社員が説明していくシステムを作っています。教える側に立つことで違う学びをしてもらうということです。グループ討議なども積極的に取り入れ、できるだけ自分たちの意見を出し、物事を考える習慣を付けるような教育をしています。

 

ひょうご経営革新賞大賞受賞と世界への情報発信

 

 同友会では、良い会社、良い経営者になろうと言いますが、具体的にどういうことなのかと問われると答えられないことがあります。そこで我々の考えていることを第3者に審査してもらおうと思いました。そのときに「ひょうご経営革新賞」という日本経営品質賞の地方版がありました。この第一回目の受賞企業は同友会の仲間でしたから、同友会の総会の時に「同友会で様々な場で学び、活動してきたからには、良い会社、良い経営者かどうかというのは自分で評価するのではなく、社会に評価してもらおうではないか。そのためにはISOの認証取得や、ひょうご経営革新賞へチャレンジしていく必要があるのではないかと言った手前、自ら挑戦することになりました。弟である常務が審査を受けるための書類を書いてくれたのですが、そのとき「社長がこれまでバラバラに取り組んできたと思っていたことは全てつながっていたのだと気づいた」と言ってくれました。結果、ひょうご経営革新賞の大賞をいただきました。審査の段階でコンサルタントの方が会社へ来るのですが、受賞後にも会社の問題点を指摘してくれますので、それを経営計画書に反映していくことができました。


 震災から3年後の1998年には、工作機械の世界三大見本市に出展しました。受け身から脱却するために情報発信をしよう、そのためには新製品か新技術を出さねばならず、目標を決めて取り組むことができます。世界の企業が我々の製品を意識しはじめてきています。世界のジャバラ業界の中で認められてきたと感じています。現在も、来年東京で開催される国際見本市へ向けて開発を進めているところです。


 人は、大きな可能性を持っていると思います。その使い方をどちらへ振り向けていくかは教育にかかっていると考えます。第2次世界大戦の時、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所でナチスドイツが行ったユダヤ人への過酷きわまりない虐殺へと向かう力の一方で、シルクロード時代に目印すらも何も無い砂漠を夢と希望を持って突き進むエネルギー。どちらも同じ人間が行う行為です。この力を良い方向へ向けて使っていくためには教育が重要だと思います。人間が持つ可能性を引き出し、良い方向へ向けていくかを常に考えていくべきだと思います。


(第24回全道経営者“共育”研究集会『基調講演』 文責 事務局 岩本聖史)

 


 

■会社概要
【設  立】 1960年
【資 本 金】 4,000万円
【従業員数】 97名
【業  種】 ジャバラ、テレスコカバー、ワイパーエッジ、ナイロンチェーン製造販売