【53号】イカ釣りロボットで国内・海外シェア共に70% ~中小企業の海外事業戦略~
2005年01月01日
株式会社東和電機製作所 社長 浜出 雄一 氏
変貌する中国の経済~自分の目で確認を~
当社は、中国で合弁会社を設立して9年余になります。株式会社道水の高野社長さんと、上海に作った「割きイカ」の会社です。中国の最近の動静を知っていただくために、最初に携帯電話の事情をお話しします。携帯電話は中国では1台4万円するのですが、日本国内よりも多くの台数が売れています。中国では、5~6年前にはモトローラ社がトップのシェアを占めていましたが、現在は、韓国のサムスン社がトップになっています。日本のメーカーは、出遅れて、たとえばNECは、差別化のために、最高の機能を搭載した製品を主軸に売り出すなど、今になって頑張っているようです。又、上海での平均的な月収は1ヵ月6,000円程度と聞いています。
私の率直な感想として、多くの日本人の想像以上に、中国は変化していると思います。上海には花嫁衣裳の店も営業しています。この種類の店は、6~7年前には無かったと思います。マスコミの目、そして、最近行った人の目、さらに、自分の足と目で、現在の中国を確かめることをお勧めしておきます。
中国にも需要があった~10年前の訪問を機に~
当社は中国市場に力を入れ始めてから、足掛け10年になります。きっかけは、函館の工業技術センターの所長と親友になったことでした。ある日所長が「優秀な中国人の青年を雇ってくれ」と言って来たのです。親友の依頼ですから男気を見せるつもりで、2つ返事で引き受けました。良く聞くと、工業技術センターの職員として雇った青年に十分な報酬が払えないので、当社の社員という身分も与えて、彼の給料を半分負担してほしいということでした。詳しく聞いて驚きましたが、1度見せてしまった男気は、引っ込められませんので(笑)了承することにしたのです。その青年は、フーさんという方で、所長の言う通り、優秀でした。
当時、当社の中国での売り上げは、ほとんどありませんでした。中国市場での当社製品の販売は、ある商社に任せ切りになっていたのです。又、その3年程前には、中国からの見積もりの依頼もありましたが、「まだ、買ってもらえる状況ではないはずだ」と軽く考え、判断を間違ったのです。
折角、雇ったのですから、私は、フーさんと一緒に中国に行き、実際に、自分の目と足で見てみることにしました。そして、驚いたのです。イカ釣り機械は、すでに中国では市場が形成されていました。勿論、他社の製品です。南側は、ライバル企業が強い状況でしたので、当社は北側からの販売戦略を採用することになるのでした。この時、大連の中国企業の社長さんと、お目にかかることができました。そして、今でも、商売が続いています。10年間の、おつきあいで感じていることは、長い間の信頼関係には、律儀に報いて下さるという点です。
脱下請、独力でイカ釣り機を開発
当社の歩みは、1967年(昭和42)ころに遡ります。創業は父の代です。当初は、函館ドックの下請けで制御盤を作っていたようです。そして、電動式イカ釣り機の開発に着手するのですが、最初に作ったのは発電機でした。漁船の上で電動機を動かすためには、まず、安定した電源が必要だったのです。又、海水にさらされながら動かす機械ですから、感電の問題もありました。結論は簡単で、アースを取ることでしたが、これも解決しました。
そして、自動イカ釣り機が爆発的に売れていきました。1977年(昭和52)頃がピークになります。
その後、当社は他社にシェアを奪われていきます。お客様からのクレームに、耳を貸さなかったことが原因だと、今なら断言できます。
私の入社は、その頃でした。
ユーザーの期待に応えたコンピュータ制御イカ釣り機~創立期の同友会と父の姿~
私は、イカ釣り機に、コンピュータを活用した制御システムを導入することにしました。今では、すべての機械がコンピュータ制御になったと言ってもいいくらいですから当たり前ですが、当時は、完成まで、苦労させられました。その新型機の完成を見て、父が他界します。
父の葬儀の時、札幌から同友会の大久保専務理事(現、相談役理事)が、かけつけてくださいました。大久保さんが、大変、悲しそうにされていた姿が、今でも、私の目に焼きついています。函館支部の設立の時にも、父は、一生懸命がんばったようです。当時は、会員同士帳簿を見せ合って、お互いに自分の会社のことのように話し合ったと聞いています。父にとっても、同友会は魅力的な会だったようです。
おかげさまで、コンピュータ制御を導入した新型機は、順調に売れていきました。
理由として考えられるのは、やはり、お客様にメリットがあったからでしよう。コンピュータ制御の機械によって、1隻あたりの人員が少なくても操業ができるようになりました。それ以前は1隻8名でしたが、3~4名で済むようになったのです。又、ブリッジからの操作で巻上げ速度や、回転の微調整が出来る様になりましたので、それ以前より、よく釣れるようになり、糸もからまなくなったのです。
この間の業界の動向としては、激しい競争があり、消滅の一途でした。約40社あった同業者が、現在では、韓国の1社と、国内の2社(当社を含む)で3社しか残っていません。当社が、残ってこられたのは、やはり、ユーザーの求める製品を開発してきたからだと思います。
経営理念を模索して~「海に対するやさしさ」から始まる開発~
2004年の春、ギックリ腰になった時には、色々なことを考えさせられました。まず、当社の使命は何かということです。イカ釣り機だけなのかどうかということです。
当社の強みは、何かということも考えました。強みとしては、お客様の要望には、すぐに応えられるということになるのかもしれません。
ギックリ腰が治ってから、「海に対するやさしさ」を当社のキーワードにしたいと考えをまとめました。それが、当社の、自然に対する責任であると同時に、子や孫に対する責任であると考えたのです。
当社では、北海道大学水産学部の吉水守先生と一緒に、いくつかの新しい試みに挑戦しています。
ひとつめは、養殖の魚に1匹ずつ投与するワクチンの研究です。通常、養殖で魚に与える餌には、魚の病気を防ぐための抗生物質が加えられています。そして、餌の食べ残しが海底に沈殿するため、夏に水温が高くなると異臭が強く出てしまうという問題があります。その解決策として考えたものです。
ふたつ目は、魚を洗うために海水から電解水をつくる機械です。海水が汚れていますので、電解水での殺菌を考えた訳です。完成まで暫く時間がかかったのですが、「まだか」と言い続けていたら、なんとか形になりました。
又、海に対するやさしさの実現のために効果的な商品として、LED(発光ダイオード)を使った漁火設備も考えています。普通のイカ釣り船の場合、1キロワットの照明を180個使用しています。その発電のため、1年間に支払う重油の代金は600万円に上ります。LEDの消費電力は電球の6分の1ですから、計算上では油代が、100万円で済むことになります。欠点としては、設備の価格が高いという点です。この研究は、北海道経済産業局と工業技術センターの協力により、国の補助金を受けて進めています。
又、漁にはオモリが使用されていますが、まだ、多くは鉛の製品が使用されています。鉛は、海の中に入ると有害なものを溶出しますので、海にやさしいとは言えません。鋳物なら大丈夫なのですが、比重が小さいと言う難点があります。鉛の比重は8・2ですが、鉄は7・2です。やはり、漁師さんは、重い鉛のほうが、早く、思い通りに沈んでくれると言います。そこで、形状を工夫することで鋳物を原料にしたオモリが普及できないかと考え、協力会社と共同して挑戦しているところです。
海に縁の無い方達も、「海に対するやさしさ」の話しをすると「一緒にやろう」と言って下さいます。例えば、ラーメン店の場合でも、海にやさしいというキーワードは、人間にも優しい食材の選択や利用、廃棄物の再活用など、新商品や新しい需要の開拓に結びつくものが沢山あるに違いありません。「海に対するやさしさ」は、当社の将来を切り開いてくれることになりそうです。
(第23回全道経営者「共育」研究集会第3分科会での報告より 文責 事務局 武田)
【会社概要】
設 立 1963年
資本金 1,000万円
社員数 74名
事業内容 自動制御装置設計製作販売、自動コンピュータイカ釣り機製作販売
所在地 函館市