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【53号】経営指針の実践で環境変化に勝ち残る企業をつくろう ~同友会で学び、先が読める経営を~

2005年01月01日

勝電気工業株式会社 社長 蛯沢 勝男 氏
(青森県中小企業家同友会代表理事)

 

 私はいま54歳、同友会での学びが自分の人生転換をさせてくれたと思っています。


 青森県は公共工事への依存度が高い地域ですので、公共工事の減少で建設業は厳しい価格競争にさらされています。私の会社は公共工事依存型から脱却して、オリジナルの商品づくりを進めています。これらは経営指針をつくり、実践する中でできてきたことです。


 現在、私の会社は経営事項審査の県下ランキングで上位に入っていますが、経営指針をつくる前はまったく問題外の順位でした。経営指針をつくって会社の方針を明確にしたことによって、そこまでたどり着けたのです。


 県の再生プランをつくるメンバーで民間から入っている5名のうち、3名が同友会のメンバーです。ですから「アクションプラン」を見ると、同友会の経営指針づくりの考え方がかなり入っています。

 

3本柱の兄の突然の死

 

 会社は私が創業で、男兄弟3人が中心となり会社を経営していたのですが、96年に兄が急死しました。3本柱のうちの1本がいなくなり社内体制は混乱、思うように仕事が進まなくなりました。


 とにかく仕事を間に合わせようと、次々と社員を採用しましたが次々に辞めていくのです。15ヵ月間で5名採用し、4名辞めるという状況でした。昼間は現場で超多忙、夜はやけ酒、そして2日酔いと、その繰り返しが1年半続きました。


 なんでこうなったのかと悩んで、わかったことは3つありました。


 1つは、社員を物のようにあつかっていたことです。ドリルやペンチと同じで、そこにおいておけば仕事をしてくれる物、仕事を間に合わせるための道具としてしか見ていなかったのです。


 2つは、幹部がいないと動かなくなる会社だったということです。それでいいのだろうか? 何があっても存続できる社内体制とは? と、自問自答しました。


 3つ目は会社としての目標がないということです。それまではめちゃめちゃ働いてめちゃめちゃ遊ぶということを哲学にしていましたが、それでいいのかと考えたのです。

 

宮城同友会経営指針を創る会は人生第2の転機

 

 悩みに悩んで、ストレスが極限のような状態のときに、宮城同友会の「経営指針を創る会」の案内を目にします。「俺の求めていたものはこれだ!」とワラにもすがる思いで参加しました。青森から仙台まで300km、車で片道4時間の道のりを毎回通うようになりました。


 半年間月1回と、補講を含めて計10回、6,000㎞を通ったことになります。ですから私は、経営指針づくりは日本縦断の旅だったと言っています。


 宮城の「経営指針を創る会」は、経営の勉強というよりも人間としての生き方を気づかせてくれる場でした。21名の受講生に対して32名の助言団がいて、自助努力を促すという形で関わってくれました。


 「何のために会社を経営しているか」と聞かれ、わかりきったことだと「飯を食うため、酒を飲むため、遊ぶため」と答えたのです。また、「どういう会社にしたいか」という問いかけには、「社員を教育して、資格を取らせてたくさん給料をやりたい」と答えました。すると「おまえ何を考えてるんだ!」、「社員は奴隷か? お前のために働いてるのか?」と大変厳しく叱られたのです。悔しくて情けなくてぼろぼろと涙があふれました。「何でそんなこと言われなきゃいけないんだ」と心で思いながらも、逃げ出すことができませんでした。


 今から思えば、助言者の方は私に気づかせようとしていたのだと思います。このときを境に私の生き方が変わりました。

 

経営指針の実践

 

 早速学んだことの実践を始めたのですが、最初は女房の話しを聞くことからでした。「女房の話を聞けない社長は社員の話も聞けない。30分女房の話を聞いてみろ」と言われたからです。しかし30分聞く自信がありません。10分から始めました。女房の前に時計を置いて「ハイ、スタート」とはじめます。10分間たつと「ハイ、退席」。何度も繰り返して30分聞けるようになったのですが、今では逆に、私の話を聞いてもらえないというような状況です。同友会では、経営者としてより、蛯沢勝男個人の生き方を教えてもらったと感じています。


 経営指針をつくり「変革元年」だと宣言したのです。ところが、それまでと私の言うことなすことが変わったものですから、社員はとまどっていましたし、女房には「あなたいつまで続くの?」と聞かれる始末でした。それまでがあまりにもひどかったんですね(笑)。


 経営指針をつくり社員尊重の経営姿勢に変えたことで、社内が明るい雰囲気に変わり始めました。社員が企画して社内勉強会をやるようにもなりました。


 しかし、経営指針実践の道のりは平坦ではありませんでした。経営指針をつくったことがきっかけになり、もっとも信頼していた右腕が会社を辞めたのです。原因は経営指針をめぐっての意見の相違でした。それまで、その幹部が私の言ったことを完ぺきにこなせる人でした。その幹部が辞めて、社員は「漬物石がとれた。これでやっと仕事ができる」と大いに喜びました。私はこれまでのやり方を反省せざるを得ませんでした。


 経営指針をつくる前と後で、売り上げはそんなに上がってはいません。建設業の場合は、売り上げが上がっても経営事項審査の点数があがってこなければ指名リストに入ってこないので、売り上げでなく中身を良くするということにこだわっています。


 自己資本比率は20ポイントアップし63%、これを80%までもっていきたいと思っています。借り入れは1銭もありません。同友会で学んだ結果、社員、お客様、取引先を株主に入れていますし、もちろん決算報告はやります。それも形だけでなく中身を伝えて会社の方針も明確に伝えます。

 

新規事業失敗から学んだ新商品開発


 
 IT部門での事業を拡大しようとディレクトTVの代理店の権利をとりました。するとその直後に、ディレクトTVがパーフェクトTVに身売りしてしまったのです。2,000万円の損害を出しました。そのとき、電気工事業というのは主体性のない産業だと痛感させられました。


 また、これまでの公共工事依存型から脱却する必要性を感じ、新しいものづくりを考えていたときに「HoPE」(北海道同友会産官学連携研究会)と出会い、大いに刺激をうけました。それがきっかけとなり商品開発に成功していきます。


 私は基本的に下請けはしません。電気工事業は一般的に下請け業務が多いのですが、私は元請けしかしません。


 また提案型ということを心がけていて、小さい仕事でもいいからうちの会社のオリジナルな点をお客様にアピールするということを大切にしています。電気・通信・情報・防災この4つの仕事を総合的にします。例えば、コンセントを付けに行ったら水道も消火器も電話もなおしてくる、1度でも我が社に仕事を頼めばすぐに対応にくるという利便性があるので、お客様にとっては離れられないということです。だから、長年お付き合いしているお客様が多いのです。

 

同友会で学び青森を良くする 


 経営指針をつくるということは、経営指針を作ること自体が目標なのではなくて、会社を良くして行く、お客様にビジネスモデルをきちんと伝えていくということが目的です。私が宮城でつくったときも、6ヵ月間という限られた時間の中でやるわけですから“つくる”ということにとらわれがちになりました。助言団からは「そういうことじゃないよ、つくることはあくまで通過点だ」と教えられました。


 宮城で6ヵ月の期間を終えたときに、助言者の方たちから「同友会では人から受けた恩は返さなきゃいかん。青森には同友会がない。ぜひつくってくれ」と言われ、思わず「はい」と言ったのですが、翌月から準備会を立ち上げることになったことには驚きました。現在、青森同友会は290社で、まだまだです。これまで500社をめざすと言っていたのですが、最近目標を修正しました。1,000社をめざしてがんばります。

 

(第23回全道経営者「共育」研究集会第4分科会での報告より 文責 中平)

 



設 立 1979年
資本金 3,000万円
社員数 10名
事業内容 電気工事業