【70号特集2】古きを守り、新たな風を吹かせる!新時代を拓く経営者
2022年02月08日
古きを守り、新たな風を吹かせる!
新時代を拓く経営者
(有)竹下牧場 代表取締役 竹下 耕介(中標津)
(株)サトケン 代表取締役社長 佐藤 紀寿 (標茶)
新型コロナの流行で世の中が予想外の出来事に直面する中、最先端の技術と先進的な経営センスで、時代に合わせたスタイルを貫いてきた竹下氏と佐藤氏。これからの新時代を拓く2名の経営者の報告です。
【報告1】 竹下 耕介
当社は、初代の竹下日吉が1956年に北海道東部の中標津町に入植し、礎を築きました。父は佐賀県の出身でしたが、たまたま旅で訪れた中標津の地が気に入り、牧場を始めたそうです。
私は、1974年に生まれました。父の教育の一環で、毎朝、搾乳などの酪農の手伝いをしてから登校していましたが、「早く地元を離れたい。酪農なんて好きじゃない」と思いながら地元の普通科高校を卒業しました。東京に憧れを抱き上京したものの挫折し、20歳で実家に戻りました。次第に酪農の楽しさを感じるようになり、二代目として23歳で経営を引き継ぎます。当時は家族経営でしたが、2008年に法人化し、現在は総頭数が340頭。搾乳頭数180頭を飼育しています。
人と牛との間に新しい関係が生まれる宿
2018年、人と牛の新しい関係の入り口として、牛をテーマとしたゲストハウス「ushiyado(ウシヤド)」の運営と、2019年にチーズ工房を始めました。
当時、酪農家によるゲストハウスの開業は道内初で、2017年度の農商工連携事業の認定も受けています。ushiyadoは、町宿(まちやど)という日本古来の宿場町のような考えを参考に街のど真ん中につくりました。キッチンスペースは牧場にある家型の牛舎をイメージしたつくりで、リビングスペースはイベントで使えるように白い壁面に映像を投影できるプロジェクターを設置。本棚には、牛や酪農関連の書籍を中心に揃え、牛柄の椅子や小物なども置いています。
たんなる宿泊施設としての役割ではなく、街全体を宿として見立て、旅人だけでなく、地元の人たちも集い、牛や牧場、街のことを語り合い、新たな関係が生まれる。そういった場です。
チーズ工房については、イタリアでチーズづくりを学び、妻と二人で週に一度、モッツァレラチーズとセミハードチーズを製造しています。これまで自分たちが搾乳した牛乳と向き合う機会が少なく、チーズ職人として携われるようになったことはこの上ない幸せです。
目標や夢を実現させるために
当社の理念は「牛と、新しい関係を。」です。初代が中標津の地を選び、荒れた大地を開拓する覚悟を決めた時からいつも力になってくれた牛たち。牧場の雄大な風景をつくることができたのも、酪農を生業にできるのも、牛のおかげです。私たちにとって牛は「牛乳や肉をわけてくれる以上の大切な存在」なのです。その価値をもっと世の中に伝えていきたい。生き物として、文化としての素晴らしさを中標津を訪れる人と分かちあいたい。それがきっと、人と牛との新たな関係につながっていく。そんな想いが根底にあります。
今年、当社の理念や取り組みが評価されることになり、「GOOD DESIGN AWARD2021」のブランディング部門を受賞しました。
振り返ると、スタートは2012年に妻と二人で考えた竹下牧場のビジョンでした。竹下牧場『Green Field Works』プロジェクト~開拓の大地で夢の糧を一緒に育てよう!~をテーマに、当時の私たちがめざす取り組みを具体的に1枚の紙に描きました。ゲストハウスやキャンピングカーサイトの運営、学生や研修の受け入れといった、経営者としての目標や夢が並んでいましたが、そのうちのいくつかは実現に向かっています。想いを書き起こすことで、目標に近づくことができたと実感しています。
社員とは理念を定期的に読み合わせ、毎朝のミーティングでは自発的に仕事のやり方を提案してもらいます。現場から良いアイディアが出てきて、自分たちが楽しんで仕事ができる。そのような雰囲気づくりに努めています。
コロナ禍でみえた新しい酪農の在り方
ushiyadoにとって新型コロナウイルス感染拡大による影響は甚大でした。緊急事態宣言が明けてからも旅行客の利用は少なく、少人数での直前予約がほとんどです。酪農も無傷ではなく、和牛価格の暴落で肉値が下がりました。また休校による学校給食の停止、飲食店の休業などにより著しく乳製品の需要が低迷しています。乳価が下がり、生産調整の可能性も示唆されています。今年はさらに餌代の高騰もあり、影響が広がりました。
現在、コロナの先を見据え、人々をつなぐハブとなる場所づくりとして「ushiyadoプラットフォーム戦略」と題し、更なるブランディング化を模索しています。リビング、キッチン、ワーク、デザイン、セレクト、シェア、ビレッジという7つの設備や考え方を用い、例えば「ushiyadoリビング」では、Webも併用し、人々が集まれる場としての機能強化を考えています。
コロナ前には年間50回程の企画を行っていました。中でも、隣接する別海町の酪農家が、酪農を“楽農”にしたいと始めた月1回の「オフLINE楽農」のイベントには、酪農家だけでなく、多くの方が参加していました。酪農・畜産業界で抱えている雇用などの課題を会場全体でシェアし、勉強会やグループワークを通じて毎回熱いディスカッションが繰り広げられるのです。
私はushiyadoという「プラットフォーム(場)」を生きものとして考え、一つの人格のようにつながり、一体で動き進化し、生命体として支える細胞(関わる人)のような関係をつくり出したいと考えています。場所があれば、多様な考えを持つ方が集まり、様々なアイディアが生まれ、連携した新しい面白い動きが起きます。
新規事業へのチャレンジですが、理念に沿っているかどうかというのは大前提で、自分以外の三方向から打診や応援があるというのが第1ステップです。そして、事業コストに見合うかどうかはもちろんですが、新規事業に対する自らの熱意と自分がそれを行うことの意義を考えます。最後にこの町にないものかどうかを重視しています。それらが重なって初めて、自分がやるべき挑戦だと判断します。
2050年の竹下牧場の姿
私の基本は酪農です。その酪農にも変革が訪れています。2021年5月、農林水産省が持続可能な食料システムの構築に向け、中長期的な観点から、調達、生産、加工・流通、消費の各段階の取り組みとカーボンニュートラル等の環境負荷軽減のイノベーションを推進する「みどりの食料システム戦略」を策定しました。これは日本における農林水産業全体の生産力をただ増やそうということではなく、持続可能性と矛盾することなく高めていくことを目標としています。2030年から10年ごと、最終的に2050年までにめざす姿が具体的に示された壮大な戦略です。日本政府は、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、カーボンニュートラルをめざすと宣言しています。農林水産業の二酸化炭素ゼロミッション化もこの戦略で示されています。
注目しているのは、2040年までに化学農薬の使用量を半減、化学肥料は3割減にするという目標です。有機オーガニックの推進、トラクターの電動化による二酸化炭素削減、そして温室効果ガスのひとつと言われているメタンを多く含む牛のゲップ抑制についても一定の目途が立つとされています。これらの戦略は具体的に方向性が示されており、これまでの農林水産省の提言以上に本気度を感じています。
竹下牧場の目標は何か。牧場のバイオガスは、再生エネルギーとして活用できます。削減と利活用、双方の視点が欠かせません。まず、小さなことから着手し、2050年にはカーボンニュートラルな牧場をめざします。
これからも牛を軸とし、人が訪れる場づくりを進め、相互で行き来するような昔ながらの関係性を築いていきたいと思います。私は人の可能性にワクワクし、自分になかった発想に触れると嬉しくなります。コロナによりオンラインが普及しました。五感で楽しみ、対面することで得られる空気感を大切に、これからも多くの人と夢が詰まった未来を語り、新しいビジネスを創っていきたいと思います。
【報告2】 佐藤 紀寿
当社は道東の標茶町に本社を構える建設会社です。1948年に先代の父が佐藤左官業として開業しました。その後、1961年に左官業と建材業を営む佐藤左官興業に組織変更し、1967年、㈲佐藤建設興業として建設業を本格的に始めました。1988年にはFPグループ北海道(FPの家)に加入し、高気密・高断熱の住宅の提供を開始。1993年には㈱サトケンとして株式会社化しました。現在は公共工事、一般住宅、マンションの施工、ホテル事業、家具・雑貨販売業の5本柱で経営しています。
父の仕事の仕上げは後継者育成
私は札幌の大学を卒業し、市内の建築資材販売業の会社に就職しました。ところが1995年、父に帰郷を求められ、実家に戻ることにしました。初めは作業員として現場に入り、2年後には現場監督の見習いとして働くようになりました。
しかし、建築士の資格取得には実務経験が足りていません。当時、町内にまだ不動産会社がないことに気づき、まずは宅建士の資格取得をめざし、釧路の学校に通い猛勉強しました。1997年、無事に宅建士の資格を取得。翌年には建築士の資格も取得しました。ハードな仕事をこなす傍ら、資格の勉強をすることには大変な思いをしました。しかし、その時得た知識が、現在の幅広い事業展開にもつながっているのだと実感しています。
現場監督と営業に従事していた1999年、専務の役職に就き、結婚もしました。それから5年後の2004年、私が33歳の時に父が急逝し、社長に就任することになりました。建築業界では、5年の役員経験がなければ代表になれません。5年前の専務就任時には、なぜ右も左も分からない私を専務にするのだろうと思いましたが、先代社長の判断は間違いではなかったのです。父の最後の偉業に感心しました。
社長になり、2000年代に突入した当時は、アスベストの使用規制や、シックハウス症候群の原因となる化学物質の使用が全国的に話題となった時期です。私は、建築物に対する時代のニーズが素材や機能性の面にあるということに気づき、2005年に天然素材の無添加住宅を発表しました。翌年には、省エネ性に優れた、外断熱ハイパール工法での鉄筋コンクリートマンションの普及に努めました。マンションを軸に釧路へと営業範囲を広げ、2009年には釧路営業所を開設しました。
漆喰や無垢といった天然素材は、化学物質がまだ使用されておらず、かつての日本建築に使われていた素材です。歴史ある日本の建築工事と最先端の技術革新を融和させることが、現代のお客様のニーズに合った建物になると考えています。
宿泊業の展開
当社では、ホテルを2軒経営しています。1軒目は標茶本社近くの、源泉100%モール温泉「藤花温泉ホテル」です。こちらは父が社長の頃、1980年に始めたもので、実家が宿を営んでいた祖父の経験を生かしてつくられました。建築業界は、今でこそ通年施工が可能ですが、昔は冬季に工事を進められなかったため、冬の間も売り上げを安定させるために始めたのです。
2軒目は、2020年に釧路市内に開業した、ゲストハウス「プルーフポイント」です。開業前には、当時話題を集めていた中標津町のゲストハウス「ushiyado」を視察し、様々なアドバイスをいただきました。
プルーフポイントの1階ではカフェを併設した家具・雑貨店「ベース9(ナイン)」を同級生と共に運営しています。
もともと1階は駐車場の予定でしたが、ゲストハウスの家具や内装デザインを手がけた会社の担当者が、偶然にも同級生だったことがきっかけで、意気投合し立ち上げに協力しました。店舗では家具・雑貨の販売だけでなく、リフォームや新築注文住宅の受注なども行っています。建築とインテリアの相乗効果を狙った戦略で、ゆったりとくつろげるおしゃれな空間が、旅行者や地元の人に人気です。
新型コロナウイルス感染症については、アメリカの新規住宅需要の増加により、木材が不足し価格が高騰した、いわゆるウッドショックの影響がありました。さらには、建築資材の納期遅延と価格高騰。加えて、業界の3K(きつい、汚い、危険)のイメージからの若手技術者の不足など、ないない尽くしの建築業界です。当社もご多分に漏れず、これらの影響を受けています。しかし、2020年度の売り上げは前年度比マイナス2%と、あまり大きな影響は受けていません。
ホテル業は、この2年間の宴会が0件となりましたが、幸いにも近隣施設の大規模工事による大口の宿泊客の予約があり命拾いしました。ゲストハウスについても好調で、2021年のシルバーウィークには、1階の家具屋にたくさんのお客様が来店しました。
新しい日常を形に
私は様々な新しい事業を行ってきましたが、大切にしていることは“何でもやってみる精神”です。しかし、新しい事業を始めるにしても、それは枝葉であって、幹にはやはり建築があります。
ゲストハウスをつくる際、共同経営者である元家具屋の同級生が、「内装インテリアは建物に付随するものなのに、家具屋ではリフォームを頼まれても受けることができなかった」と話していました。その歯がゆい思いと情熱を真正面からぶつけられ、どちらも対応できる店舗を、と協業で始めたのがプルーフポイントとベース9でした。建築にはプラスアルファできる要素がたくさんあり、それらが枝葉となって会社は大きくなっていくのだと感じています。
アフターコロナに向けた新規事業も考えています。東京のリモートワークは普及率が58・7%となり、そのうちアフターコロナ後もテレワークを引き続き実施したいと考えている人は、約82%になっていることが、国土交通省のデータにあります。
そこで、首都圏のリモートワーカーを狙いに、スマートモデューロという、移動可能なコンテナハウスの事業を始めようと考えました。「FLEXWORK(フレックスワーク)」というブランド名で、標茶の大自然に別荘感覚で使ってもらえるような、安価なコンテナハウスを提供します。町内の空き地の活用にもつながり、地主や離農者などにも利益のある事業にしたいと考えています。こうして「ニューノーマル」を創造していけるよう、工夫して取り組みたいと思います。
社員を育て会社を育てる
社長就任から17年が経ちましたが、社員との理念の共有にはまだ課題が残ります。
鉄筋マンションを軸に事業を急激に展開した2017年は、過去最高の売り上げとなりました。しかし、受注数の多さから、目が行き届かない部分が多くあり、ミスからのクレームが続く厳しい思いをしました。翌年には受注を減らして、社員への負荷を減らしましたが、売り上げは3億円以上の減少。経営とはこんなにも難しいものなのかと、当時はとても落ち込みました。社員のモチベーションを上げながら、若い人材を採用し育てることは会社として重要な責務です。社員に興味のある分野を聞き、その能力を引き出せるよう努力しています。
また、新しいアイディアに、面白そうだねと社員皆で盛り上がれるような社風をつくれるよう取り組んでいます。当社は女性社員の割合も高く、営業サポートの事務所内勤の社員のほか、現場監督として現在2名の女性が働いています。若い女性社員もしっかりとしていて心強く、会社に対しての意見も大変参考になります。男性社員に負けず劣らずの信頼感があります。
私のめざすものは、人と環境に優しい企業です。古くからある日本の技術を尊重しながら現代の高性能な技術を加えることで、シンプルながら快適な建物をお客様に提供することができます。また、時代のニーズに合った研究を重ね、次世代に責任を持てる企業を目標に、地球資源の活用と住みよい街づくりのお手伝いをしていきたいと思います。
(2021年9月29日「くしろ支部コロナ対応経営戦略セミナー」第3弾より 文責 報告1 滝口由美/報告2 大宮かなえ)
(有)竹下牧場 代表取締役 竹下 耕介
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