【69号特集1】コロナでも売り上げを蒸発させない -鉄骨階段から新分野へ-
2021年01月19日
コロナでも売り上げを蒸発させない
-鉄骨階段から新分野へ-
共和鉄工(株) 代表取締役 残間 巌(石狩)
釧路の残間金属工業はM&Aで石狩の共和鉄工を引き継ぎました。社員との信頼関係の構築や財務体質を改善するため、残間氏は同友会の経営指針研究会に入会します。成文化した理念のもと、鉄骨階段専門の業態から鉄加工ものづくり業へと進化し続けています。
私の父は釧路町に本社がある残間金属工業という会社を経営しており、同友会くしろ支部の会員でした。私は後継者として釧路幹部大学を卒業後、同窓会に所属していました。
当時、自分が担当した12月の例会中、ホテルの電源が落ちるというアクシデントがありました。その時、先輩経営者が「残間君、なんでも自分でやろうとするから失敗するんだ。もっと周りの人たちを信頼して任せなさい。それが経営の役に立っていくよ」と助言してくれました。また、同友会活動にそれほど積極的でなかった私に「みんな、残間君が参加してくれるのを待っているよ」と温かい言葉をかけてくれました。今思い返しても私が30代の頃の同友会活動は、その後の経営者としての糧となっていると思います。
大切なのは社員との信頼関係づくり
2011年に石狩で鉄工所を営む共和鉄工の前代表が病気になりました。当社が札幌進出を考えていた縁もあり、2012年にM&Aで共和鉄工を引き受けることになりました。リーマンショックの影響がまだ非常に大きく、業界の大手企業も次々に倒産、廃業、撤退していた時期でした。
私が経営を引き継いだ当初は、社員の態度も非常に冷ややかで、人間関係の構築が最初の壁でした。社員たちは必要最低限のことは質問してきても「あとのことは自分たちでやるので」と、何かを提案しようにも受け入れてもらえません。職人からしてみれば、私は現場のことをよく知らない若造だったわけです。
職人気質の社員との信頼関係づくりのために最初に取り組んだのは、現場の社員が仕事をしやすいように配慮することでした。また、工事の注意点を職人から指摘される前に伝えるようにすると、「勉強しているな」と認められ、少しずつコミュニケーションがとれるようになりました。
次にぶつかった壁はお金の管理の問題です。支払いを回し手形と現金で対応しており、毎月200万円前後も足りない状況でした。この財務体質を根本的に変える決意で、一円単位の原価計算と、一つひとつの現場に対する粗利益率を管理することで値段の決め方、経費の抑え方を社員と話し合いました。もちろんすぐに成果は出ませんでしたが、毎月税理士に見てもらい、社員と成果の共有を繰り返すことで次第にまともな数字に変わっていきました。
自立型企業をめざして
社員に自分と同じ方向を向いて仕事を進めてもらいたいという思いから、2014年に同友会札幌支部に入会し、経営指針研究会に参加しました。社員の判断基準となる経営指針づくりを通して、私がいなくても日常業務が回る体制をめざしたいと考えたのです。研究会では、自社の存在意義や仕事への姿勢、社員との関係を問い直すことができ、経営指針を学んだ仲間や先輩経営者の皆さんのおかげで、非常に有意義な一年を過ごすことができました。
これまで社員に対し「言わなくてもわかるだろう」という思い込みから何度も失敗をしてきました。その反省を活かして、コミュニケーションを深めるための行事も始めました。夏はバーベキュー、冬は忘年会など懇親を深めていくと、当初は乗り気でなかった社員も楽しみにしてくれるようになりました。
会社を引き継ぎ、お金の苦労はありましたが、優秀な社員を残してくれた前代表には感謝しています。専務は忠実に仕事をこなしてくれて、彼のおかげで仕事が増えるようになりました。また、ある若手社員を抜擢して工場長にしたところ、工程組みや現場折衝において、想像していた以上の働きをしてくれています。彼らから釧路時代の先輩に言われた“人を信じて任せること”の大切さを実感することができました。
社運を賭けた工場の移転
経営指針書には3年後に達成したい2つのビジョンを書きました。一つ目は「自己資本比率40%」です。共和鉄工を引き継いだ当初は10数%でしたが2019年には40%を達成しています。二つ目の目標は「5年以内に自社工場を移転すること」です。これも2020年に工場面積を1・5倍に拡大移転したことで達成できました。
移転を決意するきっかけは二つありました。一つは経営環境の大きな変化です。当社はもともと道内大手の鉄骨加工業者と、国内最大手の階段メーカーの北海道指定工場として資本提携を結んでいました。しかしそれが解消となり、完全にライバルになったことで、一時的に売り上げが落ちました。既存の顧客との連携強化に注力し、深刻な状況は回避できましたが、この経験から自社の業務拡大を一層意識するようになりました。
もう一つのきっかけはリーマンショック後の業界の状況に関係があります。2016年ごろから東京はオリンピック需要、北海道ではインバウンド需要が高まると共に、各地でホテルの建築ラッシュで、当社も次第に仕事が増えていきました。一方でリーマンショックの影響から同業者の数は少なくなったままでした。一社当たりでできる仕事は限られているため、建築需要が増えてくると「階段以外に鉄骨をやってほしい」という新たな依頼が増えてきました。
これらの変化をチャンスと捉え、2019年から一年かけて工場を完成させました。大きな投資で借入も増えましたが、皆で一つの方向を見て進んでいるという自信が後押しになりました。階段以外のものづくりも積極的に受けることで一気に受注が増えていきました。
未経験者をゼロから育てる
移転拡大によって、今度は人手不足の問題が表面化してきました。鉄工業というとイメージがあまりよくないようで、人材確保には苦労しています。当社では地道に合同企業説明会に足を運び、興味のありそうな人を少しずつ採用していきました。未経験者がほとんどですので、勉強会や講習会等を積極的に受けさせます。2、3年もすると溶接の資格を取り、図面も描けるようになり、戦力として活躍してくれるようになります。
この“未経験者をゼロから育てた”経験が採用への自信となり、今年はコロナ禍で大変な時期ではありましたが「人材が流動的になる」と予想し、大々的に募集をかけました。7~9月で社員を一気に5人採用することができました。
同時に仕事の効率化もめざし、トヨタの「カイゼン」発表会のような勉強会を毎月開いています。当初社員は参加に消極的でしたが、優秀者には社長賞を贈り表彰するなどの試みで、次第に楽しみながら積極的に取り組んでくれるようになりました。
理念から見えた新分野
当社の場合、コロナ禍での仕事への影響はそれほど大きくはありませんでした。しかし現在の仕事は去年計画したものであり、今後取引先の情勢にも左右されるため、来年以降に関しては非常に危機感を抱いています。
売り上げを確保するためにも工場を拡大した今、鉄骨階段だけにとらわれず、わが社の「創意」「創造」という理念にのっとり、“自分たちにできるものづくり”という精神で新しい分野を開拓しています。建築鉄骨もそのひとつであり、らせん階段の技術を応用した、プラントのタンクのまわり階段の製作や、機械式立体駐車場の車乗せのパレットも製作するようになりました。
一見難しそうな注文でも「どうしたらできるか」を考え、お客様からの要望に応えようと社員の意識が変わりました。「創意」の精神が新分野に挑戦する原動力になっています。
これまで当社は、釧路も石狩も社長のカリスマ性に頼るトップダウン型で運営してきました。これからは社長がいなくてもしっかり回るような組織、ボトムアップ型へ変化させていきたいと思います。結果は同じになるとしても、社員が主導することで、当社の方針にある「挑戦力と創造力に溢れる人づくり」につながると思っています。
経営者としてこれからやらなくてはいけない仕事は、石狩と釧路で統一感をもって経営していくために、経営指針の見直しとビジョンの策定を行うことです。今のような非常事態だからこそ、基本に忠実でありたいと考えています。
■会社概要 設 立:1980年 資 本 金:2,000万円 従業員数:27名 事業内容:建築鉄骨(主に鉄骨階段)の設計・製作施工。土木建築金物の設計・製作施工。 |
(2020年9月23日「札幌支部会員応援連続企画(第3弾)第2回」より 文責 増田賢宣)