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【69号特集3】支えあう職場の関係づくり  ―コロナ禍における「聴く」社風づくり―

2021年01月15日

支えあう職場の関係づくり
―コロナ禍における「聴く」社風づくり―

 

北海道大学 名誉教授
学校法人共育の森学園 理事長 間宮 正幸(小樽)

 

 新型コロナウイルス感染症の影響によりコミュニケーションに大きな制約が生じています。同友会大学で長年「教育」の本来的意義を考察し、「聴く」社風づくりを提唱してきた間宮正幸氏は、コロナ禍でこそ、人間形成の場としての中小企業、共育の職場づくりがますます重要視されると指摘します。共に育つの観点から、コロナ禍におけるコミュニケーションのあり方に迫ります。

 

 


 

 私は2017年3月に北海道大学を定年退職し、その後は小樽市に本部がある学校法人共育の森学園の理事長を仰せつかっています。私自身も北海道同友会会員です。


 大学教員時代は学生・大学院生の研究指導が主な悩みごとでしたが、今は零細規模の学園の経営者なので、根室地方の企業がどのような頑張り方をしているのか、十勝の企業がどのようにコロナ禍と闘っているかということが主な関心事です。そのため同友会から送られて来る『中小企業家しんぶん』は、しっかり線を引いて読み込んでいます。


 10月25日の『中小企業家しんぶん』には「雇用と地域社会を守り日本経済崩壊の危機を防ぐためには、中小企業の維持発展が不可欠」と力強く謳われていました。日本の労働者の7割は中小企業に勤めているわけですから、そこの従業員たちが地域社会の中で自立していくことを守っていかなければ日本が崩れてしまいます。新型コロナウイルス感染症の拡大は、日本経済崩壊の危機を私たちの目の前に突き付けているのです。


 そうした状況に、我々中小企業で働く社員一人ひとりがスクラムを組んで立ち向かわなければなりません。一致団結し、3人集まれば5人分の力が出るような議論をしなければならないと思います。


 私は長年、他者の声を聴くこと、そして「聴くという社風づくり」に取り組むことを繰り返し提唱してきました。職場には同僚、先輩、後輩、いろいろな方がいます。相手の話をしっかりと捉えて聴く、そして議論する、その大切さを伝えたいと思います。

 

教育の本当の意味とは

 

 「教育」の本当の意味はどこにあるのかということが今盛んに研究されています。


 日本では、1878(明治11)年頃にeducation(エデュケーション) という英語を役人が「教 (える)+育 (てる)」と訳し、定着していきました。しかし、今のeducationは「教育」も知られていなかった江戸時代には、「養生」と言っていたようです。


 「養生」を今度は逆に英語に翻訳するとhealing and education for myself、自分自身を癒し、成長させるという意味になります。そういった意味合いが、明治になって突然education=「教育」となります。その後、富国強兵政策がはじまり、結局「教育」は国家を強くするための教育となりました。


 この訳のおかげで、education=「教える」「育てる」のイメージが浸透してしまいましたが、そもそもeducationの語源はラテン語educatio(エデュカチオ)からきており、それはさらに動詞educare(エデュカーレ)=「(乳母が)養い育てる」という言葉と結びついています。明治政府による「強い国にするための教育」とはイメージがずいぶん違います。


 相手の能力を引き出すのがeducationだというのではなく、つまり、認知、認識、計算、読み書き能力はもとより、相手の想いや相手が感じていることを察する、そういった意味が本来の原義に近いのです。


 educationの本当の意味が今まさに見直されています。そして同友会はeducareの精神を「共に育つ(共育)」として実践している数少ない団体だと思います。

 

「一緒にやる」の精神

 

 先日、北海道同友会からコロナ対策について定期的に配信されている『コロナ対策NEWS第22号』が届きました。NEWSには、守和彦代表理事のメッセージが書かれていました。「コロナ禍で先行きに不安を抱え、誰にも助けを求められないと思ってはいないでしょうか。中小企業は社長があきらめたらおわりです。逆にあきらめなかったら、打つ手はあります。コロナ禍に負けないで、生き残れる経営者を一緒に目指していきましょう」と会員を鼓舞しています。この「一緒に」の精神が重要です。守代表理事にはこの精神が染みわたっておられるようです。


 コロナ禍で厳しい情勢ではありますが、生き残れる経営者を一緒に目指して頑張ろうという精神があって、かつ第一線の社員が頑張っていける環境があれば勝ち残れるのではないかと思います。現に新しい商品を開発したり工夫したりと、去年より売り上げを伸ばしている会社もあるというから驚きです。


 札幌支部江別地区会の皆さんは地域の高等学校と連携し、生徒たちに自分たちの仕事を伝えようとしています。生徒たちは、先輩たちが地元でどんな仕事をしているかを間近に学習でき、地元愛が高まることにつながります。


 共育とは、教えるのではなく、「一緒にやっていく」ということが核になるのではないかと思います。

 

中小企業の共育機能

 

 今から10数年前、日本の若者の就労情勢は非常に厳しい状態にありました。


 日本の人口動態予測によると、北海道は今500万人ほどですが、2040年には400万人強まで減少してしまいます。私の学園がある小樽市は若者を中心に毎年2000人が域外流出しており、20年後には今と比べて人口は半減してしまうという非常に衝撃的な調査データがあります。


 そこにコロナ禍が加わり、小樽市で今年生まれた新生児は500人を割ってしまいました。もともと減少傾向にあった新生児数が、コロナ禍で拍車がかかると思います。また小樽市内唯一の産科病院では、コロナ禍で失業し、中絶を選んだ若者が5人いたそうです(新聞報道)。


 地域から若者が減り、皆さんの職場に若者が入って来なくなったらどうなるでしょうか。若者が未来を描けていないということと、少子化が無関係でないことは先ほどの中絶を決断した若者がいたことからもわかります。中小企業が若者を採用しなくなれば、ますます人口減に拍車がかかります。そういう意味でも、中小企業の総合的・俯瞰的な努力が必要だと思います。


 若者たちの人間形成の拠点としての中小企業の職場づくりが期待されます。人生の成長のモデルがいて、仲間がいる。潜在能力を引き出してもらえると同時に自己を認めてもらえる。そして生活の糧である給料が得られる。自分が働いている場所でこのような「共育」機能があるということが理想です。社会で、職場で働く中で成長することが望ましいのではないでしょうか。

 

他者との関わりこそ自己形成

 

 哲学者ヘーゲルは、世界史、哲学史にも登場する有名な人物です。彼は著書『精神現象学』(1808)の中で、「一見他律的にしか見えない労働の中でこそ、意識は、自分の力で自分を再発見するという主体的な力を発揮する」と述べています。自己は、働く中で生じる他者との関係の中で形成されるということです。哲学における自己形成の基本的な考え方ですが、その中に「労働」の概念が盛り込まれているのがすごいところです。


 それゆえ若者を働く場に誘うことが大事です。単に労働力としてだけではなく、かっこいい言い方をすれば「君も私も人間として成長しよう」という気持ちで誘えたらよいのではないでしょうか。


 残念ながら世界中の労働の現場では、そういった観点がむしろ後退気味です。競争させて成果を出した者を評価する風潮が蔓延しています。しかし、皆さんの職場ではぜひ若い人を招きいれて「共に成長しよう」と言える職場にしていただきたいと願います。

 

「聴く」という職場づくり

 

 では私たちはどのようにそのような職場を実現していけばよいでしょうか。基本はなんといっても共に学び、共に育つ「共育」です。


 若者を職場に迎え入れ、相手の声を聴く、相手を理解するという社風をつくることが何より大切だと思います。人は聴いてもらうことにより、自己の感覚が安定的に育ち、成長することができます。そして仕事のやりがいや生きる意義を感じ、考える力が湧いてきます。若い社員の声を聴くことで、主体性が育っていくのです。上段から指示しているだけでは何も育ちません。指示を出して気持ちがいいのは自分だけで、相手は何も得るものがないのです。

 

コロナ禍におけるコミュニケーション

 

 共育を実践するには、コミュニケーションが必要です。Communication(コミュニケーション)の語源となったラテン語はCommunicare(コムニカレ)といい、「共有する」という意味です。これまではいろいろなことを他者と共有し、交流することで事業活動が成り立ってきていました。しかしコロナ禍で、それが強制的に分断されてしまいました。


 そんな状況下で私たちがどのように生き延び、発展していくべきかが課題となります。コミュニケーションの本質を見失わず、共有することを工夫していかなければなりません。そのためには科学的に考えることが重要です。


 今、日本の大学が実施したコロナ対応は過剰防衛と言えないでしょうか。学生が通学すれば確かに感染リスクは高まりますが、そこを科学的に工夫して通学してもらい、学生に対して改めて衛生教育を施し、ソーシャルディスタンスの重要性を伝えることが何よりも大事だったと思います。しかし、大学はリスクがあるというだけで学生を通学させずオンライン授業のみの対応にしました。講師との一対一のやりとりはできるかもしれませんが、学生同士がつながるには限界があります。これでは学生同士のコミュニケーションが成り立ちません。


 濃厚接触が禁じられている今にあっては、「聴く」ことと併せて「応答する」ということが共育の要になると考えています。相手の話にうなずいたり、聞き返したりすることです。


 親が子を育てるときのことを例にあげましょう。乳幼児はうまく話せませんので、何か不思議なものを見つけたときなどは、意味の伴わない声、喃語(なんご)で反応します。その時、親は無視したり「何なの?」と聞き返したりするのではなく、子どもの視線の先を一緒に見てあげたり、同じように驚いてみせて感情を合わせることが大事です。子は応答してもらったことで喜びを感じ、感情が安定します。このことを「情動調律」といいます。


 感情に合わせたあとは、応答すること。これを「情動的応答性」といいます。子どもがなにか困っているときに「大丈夫だよ」と応答してあげることです。子どもの訴えは仕草にもあらわれます。子どもがトイレに行きたがっていればモジモジしだします。その仕草から子どもの困りごとを察して、声をかけてあげるべきでしょう。


 子どもは相手の表情や態度を読み取る能力がすぐれています。これを「参照機能」といいます。口では相手を肯定していながら、表情や態度が伴わず、しかめっ面になっていたら矛盾したメッセージを発していることになります。相手のことを認めている表情・態度をすることが重要です。


 この3つの作用は、科学的に証明された人間心理の真実です。コロナ禍で相手との濃厚な接近ができない以上、これらの重要性がより高まっています。ぜひ「聴く」と「応答」を身に着けてください。

 

「聴く」という努力

 

 職場の同僚・後輩の話を積極的に聴き、仕草やジェスチャーも交えて応答していくことで、職場の関係は変わります。しかし、「聴く」は技術として習得するだけではなく、本質的には自分の人間の大きさ、深さ、品格を育てることが必要です。


 「聴く」社風をつくろうとお話してきましたが、難しいと考える方が非常に多いのが実情です。実際、世界のほとんどの文化圏で「聴く」という習慣は根づいていませんでした。したがって難しいと感じるのは無理からぬことです。自分がされたことがないから、自分の子や職場の同僚・後輩に対してもできない。それが続いていきます。だからこそ、意識的に聴く努力をしなければならないのです。


 私の幼少期の記憶の中に、55歳で定年になり、その後駄菓子屋を始めたおじさんがいます。私が5円か10円玉を握りしめて店に行くと、サッとお菓子を渡してくれました。そして私が漫画の話をすると、おじさんはしっかり聴いて、子どもの私に丁寧に応えてくれました。そのことを60年経った今でも忘れられずにいます。


 役に立つ組織論は多々ありますが、「聴く」という行為が最も日常の基本であり、それによって人が育つということを、胸に刻んでいただければさいわいです。

 

■プロフィール
 1951年福島県生まれ。信州大学卒。名古屋の総合病院小児科・精神科勤務を経て1999年北海道大学教育学部教員(教育臨床心理学・臨床教育学)。研究テーマ「子ども・若者の自立に関する研究」。2017年同定年退職、学校法人共育の森学園理事長。

 

(2020年10月29日「第68期同友会大学第27講」より 文責 菊池洋介)