【1世紀企業 56】丸竹竹田組(札幌市)
2020年04月15日
地域の生活支える建設業 技術受け継ぎ会社永続を
人命や地域の生活を守り、支える建設業。札幌市東区苗穂地区で創業した丸竹竹田組は、ことしで100周年を迎えます。長い歴史とともに、地域と築き上げた信頼に応え続けるためにも、会社を次代へとつないでいくことが企業の責任であると考えます。
創業者の竹田竜蔵氏は、富山県から北海道に入植してきた開拓民一家の長男に生まれます。当時住んでいた家が古く、すきま風や雪が入ってくるといった経験から建設会社に勤めます。そして1920(大正9)年に独立し、札幌村苗穂(当時)で竹田組を創業しました。
多くの職人を束ね、信頼が厚かったという創業者。真面目な人柄が分かるエピソードがあります。竜蔵氏が過去に手掛けた農家の倉庫を解体した際、建物のコンクリート基礎がしっかりとした状態で残っていました。
当時のコンクリート製造は今と違って手作業でしたが、ごみなども混ざっていないきれいな状態。所有者からは「創業者はとてもいい仕事をしていたんだ」と、たたえる言葉を掛けてくれました。
その後も、創業者の精神を受け継いだ同社は堅実な仕事を進め、札幌市内を中心に一般住宅のほか、店舗、工場などの民間建築、道の公営住宅や札幌市の学校関連といった公共建築の工事を数多く手掛けました。
また、手掛けた建物は、道建設部建設局の工事優秀者表彰、札幌市都市局の優良工事施工業者表彰を受賞するなど、輝かしい功績を残しています。
現在、社長は3代目の邦治氏が務めます。大学卒業後に東京の建設会社で経験を積み、28歳の時に帰郷。それからは当時社長で父親の邦博氏とともに会社の発展に貢献し、96(平成8)年に現職に就きました。
邦治氏は「お客さまは単に家が欲しいのではなく、家を建てて幸せな家庭をつくりたい。そのために人生を懸けた投資をするのが家づくり」であることに加え、「学校などの公共施設は災害時に避難所となるいわば〝命を守るインフラ〟になる」と、建設業の社会的責任を説きます。
さらに、建設業は建物の〝生みの親〟で、その後は〝育ての親〟として付き合っていく責任もあり、「建物のことを一番分かっているのは建てた会社。その会社がなくなってしまえば、治る病気も治せなくなってしまう」と。
だからこそ会社を永続することが最も重要で、建設業として技術の向上に努めるだけでなく、「技術を受け継ぎ、会社を支えていく人材の育成にも力を注ぐ」と意気込んでいます。