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同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

「人を生かす経営」の実践と5委員会活動

 

 2019年4月16日、北海道同友会50周年にあたり、同友会が提唱する「人を生かす経営」の実践について、北海道同友会の活動を牽引する5委員会の委員長からお話しを伺いました。

 


 

出席者

【全道経営指針委員長】   ソーゴー印刷㈱    代表取締役社長  高原 淳 (帯広) 
【全道共同求人委員長】   ㈱ティーピーパック  代表取締役    池川 和人 (札幌) 
【全道共育委員長】     オムニス林産協同組合 代表理事     瀨上 晃彦 (帯広) 
【全道障害者問題委員長】  ㈱和光        代表取締役会長  田中 傳右衛門 (札幌) 
【全道経営厚生労働委員長】 日の出運輸㈱     代表取締役社長  石見 秀樹 (室蘭) 

 

司会

【副代表理事】       岩見沢液化ガス㈱   代表取締役    渡辺 美智留 (岩見沢)

 


 

<渡辺> 本日は、全道「人を生かす経営推進」5委員会の委員長にお集まりいただきました。
 

 50年目という節目を迎えた北海道同友会が「人を生かす経営」をどのように実践していけばよいか、それぞれの委員会活動や自社での実践を中心にお話いただきたいと思います。まず高原経営指針委員長からお願いします。

 

脈々と息づいている『労使見解』

 

高原 淳

<高原> 私は2000年に同友会へ入会し、共育委員会に所属しました。社員教育活動も面白かったのですが、経営指針委員会から声を掛けていただき移りました。まず驚いたのは、経営指針を成文化している会員企業が意外と少なく、経営上での優先順位も低いということです。


 委員長という立場で不届き者(笑)と言われるかもしれませんが、「人を生かす経営」の基本となる『労使見解』は、今を生きる経営者にとって当たり前の話だと思いながら、最初の数年間を過ごしました。


 ところが、全道の経営指針委員会や全国の会議に出てみると、『労使見解』に熱い思いを持っている人が山ほどいます。私も次第に影響を受けていきました。深く読み込むほど、文脈に流れている普遍的なテーマや精神は50年近い年月を経てもなお、現代に脈々と息づいていると感じます。


 『労使見解』のなかで大切なのは“経営者の責任”だと言われる方が多いのですが、私は“対等な労使関係”という言葉に共感しています。同時に、油断すると自分の中に対等ではない部分が出てくるため、常に問題意識として戒め、自社の経営指針の中に入れるようにしています。わが社の基本的な価値観では一番に対等な人間関係を掲げ、徹底して社内で伝えていきたいと考えています。

 

経営者こそ、学べ

池川 和人

<池川> 私は同友会に2006年に入会したものの、休眠期間が3年程ありました。一度、勉強会で学んだことがきっかけで、幹部社員を参加させるようになりました。ある日、社員を幹部研修会に送って帰ろうとしていたところ、ベル食品の福山社長(当時)が笑みを浮かべながら「帰るの?あなたこそ聞いていきなさい」と呼び止めるので、社員と共に参加することにしました。経営者の責任や社員の目線から学びなさいという戒めだったのだと思います。


 また全国の勉強会で学んだ際、自社の「人の問題」に起因するトラブルは、中途採用だけで人員の確保をしていることが原因の一つではないかと気づきました。先輩経営者の皆さんは、「新卒採用が半分くらいになると、劇的に会社が変わる」と力説していました。2013年は第2就職氷河期で、1回の合同企業説明会に学生が500人も集まった時代です。共同求人委員会に入った私は、合同企業説明会の運営が中心となっている求人活動のあり方に、違和感を持つようになりました。


 翌2014年頃からは合同企業説明会の参加学生数が落ち始めました。少子高齢化はかなり前から言われていましたが、大卒の採用は学校の進学率が30%台から50%台へと上がっていたため、あまり表面化していなかったのです。大手企業はすでに人材不足を見越して採用強化、支店の統廃合など、経営の合理化やシステムの見直しを始めていました。


 そんな時、大久保尚孝さん(当時専務理事)の書物を読み返してみると、同友会が共同求人活動を始めた1960~70年代の頃と似た状況だと気付きました。北海道同友会ができた時の最も大きな課題は、高度成長期で人手がいくらでも欲しいのに、北海道の学生はどんどん本州に行ってしまう。それをいかに北海道の企業に残すかということでした。当時は学校訪問や教職員との懇談会を開催し、地域の若者をどのように育てていくか、認識共有の努力をしていました。


共同求人委員会では歴史から学び直したのですね?


<池川> 委員会では「人を生かす経営」の読み込みや、中小企業における労使関係の課題を勉強し始めました。


 合同企業説明会への学生の参加が激減する中でわかってきたことは、以前の「学生が集まらないから良い人材を選べない」という認識から、今は「企業が学生から選ばれる時代」という認識を持ったことです。選ばれるためには、社会性を持った企業をつくらなければなりません。『労使見解』を実践し、就業規則を完備し、先々のことを考えながら学校側や親にプレゼンできなければ学生を呼び込めません。同時に、在職中の従業員への処遇改善が進んでいるかどうかが重要です。まず自社の何を変えるかが先決で、社内の環境整備も伴っていないのに、人が足りないからと新卒採用を行ってもうまくいきません。共同求人活動を通して企業変革に結び付けたいというのが、共同求人委員会の基本的な考え方です。

 

「次はあなたの番です」

 

瀬上 晃彦

<瀨上> 1979年に兄が入会してから関わっていますので、私の同友会歴は長くて40年になります。


 8年程前に、とかち支部の共育委員を務めていた兄が亡くなりました。会員を引き継ぐことになった私は、「次はあなたの番ですよ」と、無理やり共育委員会に入れられました(笑)。同友会の勉強は一所懸命やりたいと思ってはいましたが、全道の共育委員長をやることになるとは思ってもいませんでした。委員長に就任してようやく1年が経ち、中同協の会合にも出席し、いわゆる「共育ちの教育」の奥深さを感じているところです。


 昨年、全道共育委員会ではこの「共育ちの教育」の中身をしっかり学ぶ方針を掲げました。果たして会員の皆さんが同友会で学んだことを自社に持ち帰り実践できているのか、社員が学んだあと、それを生かせる環境をつくっているのかという疑問があったからです。


 実際のところ、自社も含めて同友会の研修に「行って来い」で終わっているような気がします。「共育ちの教育」を深く追求していくと、対等の関係がそこに生まれてくるのではないかと思います。経営者自身も学ばなければいけないし、社員にも学んでもらい、その成果を社内でお互いに共有し合うことが自社の成長につながります。各支部の共育委員には、会員の皆さんに「共育ちの教育」を理解してもらう活動をお願いしています。

 

すべての社員がパートナー

 

田中傳右衛門

<田中> 私は同友会に1974年に入会し、25歳の時から活動しています。全道障害者問題委員会は、企業問題だけではなく、社会的な課題もあるため、障害のある当事者、家族、サポートする方、企業の雇用、受け入れ体制づくりなど、体験から学んでいます。


 各委員長のお話にあった『人を生かす経営』、『労使見解』では、障害者も健常者も経営者も、相互に独立した人格と権利を持った対等な関係として位置づけています。これは奥が深くて、私は故・大久保尚孝専務理事(当時)から大きな影響を受けました。中小企業の従業員が成長していくためには、「その人がその気になる」ことが一番大事です。『労使見解』はそのベースを支える文書です。


 また私は、大久保さんのお誘いで、「北海道自由が丘学園」の理事を15年ぐらいさせていただいています。自由が丘学園はフリースクールです。最初にそこに行くと、東大卒で北海道大学教育学部の学部長などを歴任した鈴木秀一先生(故人)が、生徒から「シュウさん、シュウさん」と呼ばれながら国語の授業を行っていました。生徒を共に学ぶパートナーとして見ていることに私はびっくりしました。視線がぴったり合い、ここから本物の教育ができていくのだろうと感じました。


 中小企業には能力レベルも意識レベルもさまざまな方が来ます。いろいろな人材がいて良いのだと思います。相手をパートナーとして尊重し「大きな愛情」を持って接していくことで、人は育っていくと思います。

 

「信じ、任せ、責任を取る覚悟」を実践できる経営者に

 

石見 秀樹

<石見> 私は東京のリクルートに10年在籍していました。入社5年目くらいの時に人事担当者から「君は何をやりたい?」と聞かれ、自分のやりたいことを答えると、「それは経営だ。君は従業員だから、それは君がやることではない」と言われ、自分のやりたいことはこの会社にはないと気づきました。独立の道を探していたところ、ある方に「跡継ぎになればいいじゃないか」と言われ、父の会社を継ぎました。そのような動機で経営者になったので、運送業にこだわりはありませんでした。


 同友会には2003年12月に入会し、16年目になります。入会当時は経営については何もわかりませんでしたので、西胆振支部内に経営分科会を立ち上げました。今の支部長の望月さん(望月製麺所)や幹事クラスの方はその時に一緒に勉強した仲間です。全道経営厚生労働委員会にも参加していたところ、前委員長の声がけもあり現在は委員長を務めています。


 私は経営がしたくて父の会社に入りました。父は運転手の心を掴むのが非常にうまく、「社長」ではなく「親父、親父」と呼ばれ、信頼されていました。運転手と目線が一致していたのです。私はそういう「親父」ではなく、上から目線の「社長」をめざしたい(笑)と考えていました。当然のことながら、社員とめざす方向が一致せず、経営も社員教育もうまくいきません。経営の行き詰まりを同業者のM&Aで乗り切ろうとしましたが、経営のイロハがわかっていませんので、私も一度は社長を辞めなくてはいけないところまで追い詰められました。そこで改めて父の経営を見つめ直した瞬間、父は自己流ですが、同友会でいう「人を生かす経営」を実践していることに気がつきました。私は初めて同友会でしっかり学ぼうという気になりました。


 「人を生かす経営」、「21世紀型企業づくり」(285頁参照)の方針は非常に理想が高いのです。経営はただ行うのではなく、高いレベルで行わなければならない。従業員に対しても、ただ接するのではなく、情熱を持って接していかなければならない。一つひとつ求められているものの高さを見た時に、自分が果たして高いレベルをめざして実践していたのか、恥ずかしくなりました。高い目標を掲げる会社づくりをめざすには、パートナーが必要だとようやく気づいたのです。


 従業員と共に歩いていけるのかという不安がありましたが、発想を変え、「信じ、任せ、それに対して経営者が責任を取る」。この3つの軸がぶれなければ、従業員とパートナーシップを築いていけると思いました。この体験から、「人を生かす経営」をしっかり読み込み、社員と接するときに、「信じ、任せ、責任を取る覚悟」を実践できる経営者になるための活動を全道経営厚生労働委員会の柱にしていきたいと考えています。
渡辺 専門委員会の委員長として、「人を生かす経営」をどう捉えているかをお話しいただきました。切り口が違っても共通のキーワードがいくつか出てきたと思います。「21世紀型企業づくり」はすごく高い目標ですが、このあとは自社の実践を自由にディスカッションし、深めていきたいと思います。

 

会社にある資源を使い、自分の野望を実現せよ

 

<高原> ソーゴー印刷に入社する前は、1989年に東京で創業した小さな会社を経営していました。5名程度の会社でしたが、従業員も私も年齢が若く、対等な感じでそれぞれがスペシャリストとして楽しく仕事をしていました。


 そこからいきなり、従業員数約70名の製造業の会社を継ぐことになりました。当時のソーゴー印刷はピラミッド組織で、オフィスで座っていると役職者には当たり前のようにお茶かコーヒーが出てきます。これではいけないと、上下関係の打破から着手することにしたのです。それは実に簡単なことで私から数回、皆にお茶をいれてあげると、この悪習は崩れていきました。


 また入社して3、4年経ったころ、役職呼びはやめて「さん」付けで呼び合おうと決めました。いまだに慣れず、どうしても社長、部長と呼ぶ人はいますが、私の後から入った人は、当然のように「さん」づけになっています。あと10年経てば役職で呼ぶ人はいなくなるでしょう。


 もうひとつの大きなチャレンジは、経営指針に基づいた「人を生かす経営」を行うこと。これが最大の課題でした。私の捉える「人を生かす経営」は、『労使見解』がキーワードではなく「人を生かす」という部分です。私なりの解釈だと、会社にある経営資源を最大限使い、自分の野望を実現させることです。同友会らしい考え方としては賛否があると思いますが、たとえば、自社の印刷設備を使い、自分の持っている技術を組み合わせ、自分の出したい本を出版することを行っています。新入社員でも出版するチャンスがあります。


 自分のやりたいこと(野望)が実現できる社風にしたいと思いながら、十数年経ちました。職種によっては難しいものもありますが、当社の社員は優しい人が多いので、やりたい人がいれば足を引っ張ることはしません。お祭り好きでイベントを自分でやりたいという人は、帯広市やお店の人を巻き込んで祭りをやっていますし、私と同じように本を出している人もいます。また海外で事業展開したいと考えている人は、マレーシアに行ってフリーマガジンを発行しています。会社の方針と個々の行動が矛盾しないのも、経営理念という判断基準が社内にあるからだと思います。経営指針をしっかりつくっておいて本当によかったと思っています。


 求人が非常に厳しい時代ですが、当社では表立った採用活動は行っていません。HPに求人情報はありますが、実は就職情報誌にも、自前で出している雑誌媒体にも人材募集は入れていないのです。HPでは、こういう人を求めているという採用方針は詳しく書いています。そうすると、自分はこの会社に入るべきだと思った人が勝手に集まってきます。人数は少ないですが、当社が求める人材と思える人の応募率が高まります。これは経営指針を練り上げてきた結果、共通する価値観を持った人が集まるようになってきているのではないかと思います。

 

社員の未来を支援する

 

<池川> 新卒求人を始めたきっかけを先ほどお話しましたが、北海道は入社3年未満の離職率は、大卒が4割、高卒が5割と、本州より10ポイントくらい高くなっています。産業構造の違いがありますし、労務環境がきちんとしていないなどの理由がありますが、「人が辞めるから人を雇う」という発想で人事計画をしてきたのではないかと思います。


 当社も今期で30年ですが、最初の10年間は人には目を向けていませんでした。クライアント最優先で、目の前の仕事をこなしていました。収益は上がりますが、社員の豊かな働き甲斐を考える余裕は持てません。その後、紆余曲折を経て、やっと今年の1月から完全週休2日にしました。125日休みで20日の有給を入れると145日となり、1年間の4割が休みという計算になります。ダメだったら戻せばよいと挑戦しています。


 経営者は「小さい規模の会社のほうが仕事を任せられる」「自分の働きが会社の成長に直結するので、やっていることがすぐに効果として現れる」「地域と密着できる仕事」など、中小企業の良さを謳いながら、社員を雇用すると自分の型にはめようとします。入社して1、2年経つと、「うちの若手社員はダメだ」という声も聞こえてきますが、経営者には採用責任があります。内定通知、採用までの期間、採用してから1、2年は、1週間刻みで新卒の個性を見てフォローする作業が必要です。


 社内では一泊で勉強会を行っていますが、私が話す時間を30分取り、会社の歴史の話をします。その時に会社の次の期に向けて皆がやりたいことを考えてほしい、それに対する舞台は用意すると話しています。社員が辞めない会社づくりは彼らの満足があってのことなのです。営業の数字も、昨年の反省や今年の見通しなども含め、自分たちで決めて出してきます。営業部の総意として尊重しています。


 我々の仕事は、機械設備や大きな投資がなくても独立が容易かもしれません。昔から優秀な営業マンで独立する方がいましたが、やはりマネージメントができないことから大成していません。人材の成長の意味もあり、逆にその優秀な人たちにマネージメントを教え、社内起業することを始めました。2015年に釧路の担当者から地域密着型の会社をつくりたいとの提案があり、担当者を社長にして、包装資材のアッセンブリの会社を立ち上げました。直近では初めて新卒で採用した28歳の従業員の提案で、彼を社長にビルダー事業の会社を設立しています。


 30人程の会社だからこそ、それぞれの個性を理解しながら、視野を広げてあげたいと考えています。

 

経営方針を浸透させるために

 

<瀨上> 中同協の5委員会に共通する「人を生かす経営」がようやく見え始めたような気がします。当社では、17年前まではお客様が来ても挨拶すらできていない状態でした。これではまずいと経営指針を作成し、発表会を行っています。書いてあることは当たり前のことであって、難しいことではありません。こんなに長い間やっていても経営指針が浸透しない悩みをずっと抱えていました。従業員のためになるのかと考えていたのですが、発表会では経営者として従業員や幹部への期待ばかりを言い、自分の責任は話していなかったことに気づきました。


 今年はまず経営者の責任として、①28年続く社業の継続②我々が製材工場を安定的に稼働することによって山の資源を守りお客さんに材料を供給する③当社で働いている皆の雇用の継続や幸せ、働き甲斐を広げていく。この3つを自分の経営者の責任として守っていくことを宣言しました。その上で、皆さんが自分の仕事に責任をもってしっかり取り組むことで私も責任が果たせるし、みんなの幸せも守れるという話をしました。経営者としての覚悟を話したことで自分の気持ちがすごく楽になり、社員の納得度も上がった発表会となりました。

 

 

「同友会大学」での学びが生き残ってきたポイント

 

<田中> 当社は来年、70周年を迎えます。事業承継をした息子は3代目になります。着物卸主体から小売へと業態が変わってきており、パセオやポールタウンなどに4店舗を出店しています。着物業界は、2兆円あった市場が現在では2千6百億円と8分の1くらいになり、同業者組合もピーク時で120数社入っていたのですが、今は18社。その中の呉服部会は36社から3社と10分の1になりました。


 なぜ当社が生き残ってきたのかと考えると、同友会で社員と共に学んできたことが大きいと思います。同友会の学びは社員一人ひとりの視野を広げ、同じ理念や価値観を持ち、一緒に成長することです。経営指針は30年以上前から作成していました。当時の幹部は「経営指針なんかつくっても何の役にも立たない」と受け入れてくれず、浸透には苦労しましたが、粘り強く伝え、現社長にも引き継いでいます。


和光さんは、同友会大学にも多くの卒業生を出していますね。


<田中> 社員教育の中で一番力になりました。当社は一期生から出していますので、卒業生が50人ほどになっています。同友会大学が素晴らしいのは、人間として幅広い教養を身につけ、視野を広くし、人間力をつける学び合いができるという点です。


 第1期は常務に参加を頼んだのですが、カリキュラムを見せると「え、こんなの…」と絶句するわけです。当時週2回の30講で、講義は夜6時から9時。「僕の好きな時間帯に、行っていられません」(笑)「内容を見ても仕事に役に立たないし、僕は行かない」と、頑として受講してくれないのです。締切間際に入社5年目の社員が1期生として受講しました。


 第2期生の募集では、業務命令で常務に受講してもらいました。学んでいるうちにこんなに自分の知らないことがあり、学ぶことが自分の知性を高めることになると気づき、同友会大学の素晴らしさを理解してくれました。女性も受講するようになりました。現在、幹部は皆同友会大学卒業生ですし、物事を幅広く、深く見る力を身につけています。


 当社の障害者雇用のことに触れますと、父の代から障害のある方はいました。一人は小児麻痺の女性で高校卒業後入社し、定年まで務めました。障害者手帳は持っていましたが、当社では人材として活躍してくれました。今は48歳の聴力障害の男性が営業で勤務しています。専門学校を卒業後、同友会の共同求人で入ってきました。現在は高性能の補聴器を使用し、東北6県の担当者として、売上げが減る3月も営業目標を達成しています。彼は本当に人柄が良く、新入社員が入るとお世話をし、困っている人がいると自分の仕事は置いて手伝いに行くタイプです。健常者も障害者も一人ひとりみんな違う。個性として受け入れています。

 

「問題」は過去に戻り、「課題」は未来を見る

 

<石見> 当社の従業員は、運転手が7割を占めます。私が会社に入社した当時は、スピード違反で免停になっている人もいました。問題を発生させないために新しい従業員と雇用契約を結ぶときに、まず就業規則を1時間ほど説明し、「とにかく服務規律だけは絶対守って欲しい」と繰り返し話しています。


 私は課題と問題という2つの考え方があると思っています。私の中では「問題」は過去に戻り、「課題」は未来を見ると定義しています。未来を見る目があるから課題が見えてくる。未来を見るつもりがなければ課題は出てこないと思います。


 逆に問題は、トラブルになったときの従業員と会社側の過去のことに対する言い合いであって、未来に向かっての論議にはなりません。当社は過去の問題を解決することに10年くらいかかりました。その歯車がやっと止まり、課題に目を向けようとしたときに、今度は管理職から労働裁判を起こされました。裁判後、裁判に負けないガチガチの就業規則に修正しました。その結果、私が感じたことは、「これで会社は大丈夫だ」という安堵ではなく、ただの虚しさでした。従業員を究極に疑うことは間違っているわけですから、修正した就業規則を再度、大改訂することになりました。


 そもそも就業規則とは、人を雇い入れた時にこういう会社ですよと未来の約束をするもののはずです。私としては争いに勝てる問題解決のための就業規則ではなく、課題解決のための就業規則をつくらなければならないと考えています。本来は経営指針があった上での就業規則となりますが、まずは就業規則からつくり、これに肉付けするための経営指針という順番もありかなと思います。

 

変えてはいけないもの、変えていかなければならないもの

 

渡辺満智留

さて、2つの切り口で皆さんからお話を伺いました。50周年記念事業のテーマは「つなぐ~原点から未来へ」です。50年経っても守っていかなければいけないもの、それと同時に進化させなければいけないものがあると思います。変えてはいけないもの、変えていかなければならないものを思い浮かべて、自社のこと、北海道同友会のこと、どちらでも構いません。ひと言ずつお話いただければと思います。

 

 

 


<高原> 会社の創業の精神は変えてはならないと思います。自社の創業期のことはほとんど知らないのですが、必死にイメージして自分の会社はこんな風にしてできたのだろうというのは文章化しているところです。会社が続く限りはずっと受け継がれていくべきもので、次の代替わりにはしっかり自分の考えも含めて伝えていこうと思います。


 変えていくものは明らかに事業領域です。印刷業でスタートしましたが、未来永劫印刷業をやらなければいけないということはなく、理念に沿ったものであれば事業の展開の仕方や業態はどんどん変えていくべきではないかと思います。おそらく印刷は今後何百年も続くと思いますが、印刷会社があるかと言われると、百年後にはない可能性もあります。自前で印刷できますし、紙媒体ではなくなる可能性もあります。


 当社の経営理念は「私たちは、価値ある情報を創造、発信、記録することによって豊かさと幸せの輪を広げます」です。価値ある情報の提供の仕方はいくらでも考えられます。現在、旅行事業を展開していますが、これも北海道の価値を伝える立派な情報発信業だという捉え方をしています。若手スタッフを中心にその辺の思いは共有化されているので、20代や30代前半の人たちは非常にのびのびと仕事をしていて楽しみだと思っています。


<池川> 同友会の名言で「激動を良き友とする」という言葉がありますが、この50年間先輩たちが歩んできた状況より、ここ数年間の動きは激変していると思います。


 今年の会社の年初会で、常識では選択と集中がマーケティングの基本概念ですが、当社は「選択しない、集中しない」ということを話しました。通信速度が信じられないほど早くなり、2時間の映画が数秒でダウンロードできる時代です。何が起こるかわかりませんので未来のことに絞って想定するのではなく、全部のチャンネルを使って既存の商売と可能性を結び付けていくことが大切です。発想の豊かさや、全く違った角度からの見方ができる視点を持ちたいと思います。


<瀨上> 経営指針発表会では、私は社員が退職する時に、ここで働けて良かったと思ってもらえる会社、家族に「お父さん、この会社で良かったね」と言ってもらえる会社にしたいと言っています。もっと欲を言えば、子どもに「お父さんの会社に勤めたい」と言ってもらえれば最高だなぁと考えています。そういう想いはずっと変えないでそのまま続けたいですね。


 今後、変える視点としては、拡大競争を続けるのではなく、これだけ日本で働く人が足りず、資源も減っていく中で、もっと付加価値をつけて今まで以上に利益を確保できる方法がないかを社員とともに考えていくことです。


<田中> 創業の想いや自社の理念は変えてはいけません。当社の理念は「装いの美しさと心の豊かさを提供しよう」です。自社の強みはやはり着物です。着物のマーケットはどんどん小さくなって変化していますから、振り袖や袴のレンタル、インバウンドへの販売など商品構成、販売チャンネルは絶えず変えています。


 最後に、亡くなられた大久保さんからよく言われたのは、大企業と中小企業の違いです。大企業も安泰ではありませんが、市場の占有率、組織、人材、資金と恵まれています。


 中小企業はそうではありません。大久保さんはよく、「中小企業の経営者は哲学者のように経営理念をしっかり持ち、経営指針を推し進め、社員に視線を合わせて社員教育を行い、時にはリーダーシップを取って陣頭に立ち、時間、場所を超えて働いていく。利害損得を超えて、犠牲を恐れず会社に奉仕して愛情深く経営をやっていく」と話していました。すごいことを言うなと思って聞いていましたら、「皆さんは経営者としてそれをやっている、それだけ中小企業の経営者は素晴らしい」と話すわけです。さらに「現代におけるもっとも誇り高き存在が中小企業経営者である」と続けます。元日本教育学会会長をつとめられた大田堯先生(故人)は「一人ひとりの人間が大きなめあてを持ち、すべての人に出番を与え、人間らしく息づく社会を作り上げる、それが中小企業だ」と『共に育つ』の本の中で書いています。従業員の雇用と暮らしを守り、企業を継続していることが高く評価されたという思いと、『労使見解』にある経営者の責任を重く感じる場面でした。このような志の高い意識は変えてはいけないものなのでしょう。


<石見> 変えてはいけないことは何かと問われると、やはり人命の尊さです。当社は死亡事故や人身事故と抱き合わせの会社ですから、極端に言いますと、会社は潰れても良いから人を殺しちゃいけない、モノが届くのが遅れても構わないから人を傷つけちゃいけない、とにかく人命の尊さだけはいつの時代も変わらない経営哲学、と考えています。


 変えなければいけないことは今の自分です。まだまだ同友会で学びながら、従業員と共に学び、「変えなければいけないことは山のようにある」という気持ちで今は活動しています。


本日は、私自身の見方とは違う気づきがたくさんあり、大変勉強になりました。私たち経営者は、目の前の問題解決のための議論も大事ですが、「お互いに忌憚なく、自社の課題やそれについての考えをテーブルに乗せ、様々な意見を聴き、討論し、そこから各々が学びや気づきを持ち帰る」。これこそが同友会の原点。私たちが一番変えてはいけないことなのではないかと、改めて感じた次第です。


 皆さん、本日は長時間にわたりありがとうございました。