【55号】船具店から機械器具商社に~事業転換の中での失敗に学ぶ~
2007年01月01日
(株)ハンダ 代表取締役社長 半田 幸一郎 氏(函館)
当社は、1940年に私の父と母により丸昌半田船具店として創業したのが始まりです。しかし1943年、私が生まれた直後に父が招集され、1945年に沖縄で戦死しております。戦後戦地から戻ってきた二人の叔父と母とで店を再開することになったそうです。当時のことを思い出すと、機械工具のみならず米から醤油から茶碗からとありとあらゆるものを販売していました。
その頃、叔父が神戸の船具店街へ行き、その寂れた様子を見て、「船具店の商売も長くは続かないので新しいことを考えなくてはいけない」と思い、新たな事業へと展開していったようです。その手始めに地元の鉄工所や造船所に機械工具を納めるようになりました。さらに建物に関する設備工事など業容は拡大し、販売先も役所や土木・建設関係に広がり、当社の基盤ができました。
すぐに行動、他のやっていないことを手がける
私は1970年に入社し社長になるまでの15年くらいは、倉庫から営業などあらゆる部門と役職を経験しました。この頃は叔父である専務から前向きな考え方を学びました。1971年に新社屋を建設したときにも、併せて北海道で初めて連続自動洗車機を導入し「半田マイカービューティーセンター」を開設しました。また、長府製作所の北海道総発売元になったときも、長府製作所が北海道の営業所を撤退すると決めたときに、専務がすぐに下関の本社へ飛び交渉してとりまとめたものです。専務からは「すぐに行動する」、「他のやっていないことを手がける」ということを教えられ、私にとっては大きな糧となっています。
あるとき、テレビニュースを見ていたら、大分のメーカーが開発したイカを一匹ごと生きたまま輸送保存できる簡易イカいけす装置が紹介されておりました。イカと言えば函館だと言うことですぐにインターネットで会社を調べて、大分へ行って代理店契約を結びました。
さらに、新聞を読んでいたら大手建設会社がフランチャイズでリフォーム事業を展開するというのを見ました。そこで、すぐにフランチャイズ契約を結んで仕事をさせていただいています。
叔父である専務が言っていた「とにかく思ったら行動だよ。ダメでもともとだよ。」と言うのが今も私の信条になっています。
新事業の可能性を見極める
1972年には、青函トンネル工事に伴い15年の間、北海道の吉岡と青森の竜飛に営業所を開設し、掘削に使う削岩機のビットや構内を走るトロッコのバッテリーやドイツ製のボーリングマシンの部品などを納めました。一方、時期を同じくして函館ドックが来島ドックに吸収され、仕事がゼロになっていきました。
その後、住宅設備や大型ビルの設備工事もするようになりました。しかし、人の問題などがあり5年ほどで撤退しました。現在は住宅関係だけが残っています。
当社は新事業に取り組むときには、3年・5年・10年に見直しをかけることにしています。新事業を3年やってみて、上向きなのか横ばいなのか下向きなのかを見て、5年でこの事業が続けられるかどうかを判断できるのではないかと考えています。
1977年にゴム風船自動販売機の総代理店となり全国販売をすることにしました。これは東京の晴海で行われていた見本市で私が見つけてきたものです。当時は、北海道も遊園地などが増えていたので、売れるのではないかと考えました。この京都のメーカーも元は自動車関連の下請けをしていて、下請けだけではなく自社製品を持ちたいと考え開発した商品だったようです。スーパーやアミューズメントなど全国500カ所へ販売、ロケーションすることができました。さらに、アメリカからも引き合いがあり1,000台ほど輸出することもできました。
このゴム風船にはプラスチック製の口金が付いており、これが特許になっています。ですから、この風船を使わないと機械が使えないようにしてあります。このことにより、消耗品として独占的に風船を販売し続けることができるのです。1個1個は安くても1台あたり月平均300個販売しており、全国に500カ所ありましたので、大きな売り上げになります。
ですから、当社が開発した綿菓子自動販売機も当社から消耗品を買ってもらえるようにしようと考え、専用の棒状筒の中にザラメを入れて販売するようにしています。このゴム風船自動販売機と出会い、そこから学んだことが現在の様々な自動販売機開発における考え方のベースになっています。
公共事業削減の中から新事業へ挑戦
この自動販売機開発という新事業へ挑戦するきっかけになったのは、やはり公共工事の減少です。当社の売上げの2割近くは公共工事関連でしたから、新しい事業の柱を見つけ出す必要がありました。そこで、ゴム風船自動販売機を販売していた頃から温めていた綿菓子自動販売機のアイデアを実現しようと思い付きました。
当社はメーカーではありませんので製造することはできませんが、販路はあります。当社の足りない部分は、函館で精密機械設計をしているコムテックと自動イカ釣り機を製造している東和電機製作所と共に「特殊自動販売機開発研究会」を立ち上げ、互いにアイデアを出し合いました。
綿菓子自動販売機は大手玩具メーカーの関連会社に興味を持ってもらい、アニメのキャラクターの版権を取って200台発注するからということでスタートしました。しかし、相手の品質管理部門に機械を持ち込むと指摘された項目が100項目ありました。これを1年かけてクリアし、ようやく販売開始という時に相手方の社長が交代しガラッと方針が変わり振り出しに戻ってしまいました。そこで他の会社と組みスタートしたのですが、機械の管理が悪く困っています。現在は原点に戻り、自分たちで管理できる仕組みを作ろうということで、直接スーパーなどと契約を結べるように取り組んでいます。
新規事業へ挑戦するときは、まず社長である私自身が取り組みます。メーカーに行くのもお客様のところへいくのも、市場調査もまずは私がやります。そして、担当を決めてから担当と一緒に営業も私が一緒にやります。やっている中で、徐々に担当社員に任せていきます。
また、新規事業を社員に取り組ませるときは、できるだけ既存の事業と兼務させないようにしています。兼務させると、やはり従来やっていた事業の方がやりやすいですから、そちらに流されてしまうからです。
一方、既存の事業については、ある程度社員に任せています。部門ごとに売上げ、粗利、経費、経常利益まで出るようにしていますので、社内カンパニー制のようになっています。ですから任せるものは任せているので、新規分野へ私が出て行ける環境づくりができています。
最後になりましたが、これまでの事業の変遷や経験から言える事は、「ビジネスチャンスは、全ての人に有ります。そのチャンスを見過ごすか、見過ごさないかのアンテナを立てているかいないかの差で決まる」と思います。
【設 立】 1952年
【資 本 金】 3,000万円
【従業員数】 60名
【業 種】 冷暖房機器、上下水道資材、土木建設機械、工作機械工具等販売