【67号 特集1】十勝からの挑戦 ー社員が輝く経営を目指してー
2019年01月01日
1977年、ガソリンスタンドが1店の時に31歳で同友会に入会。経営の要諦は社員を信頼して仕事を任せること。「まずはやってみて手柄はすべて社員に。失敗を経験することも組織にとって大事。世の中が変化している今がチャンスだ」と攻めの姿勢を崩さない。登山が趣味でキリマンジャロにも登頂した。同友会在籍40年の72歳。
㈱オカモトホールディングス 代表取締役社長 岡本 謙一(帯広)
私の父は農家の次男として士幌で生まれ、樺太で終戦を迎えました。ソ連軍が攻めてきて満州で2年間抑留生活を送りました。捕虜の半分は飢えで亡くなったと聞いています。農家だけでは生活が苦しく、借金をして中士幌で新聞販売店を始めました。
私も小学生の時に新聞配達を始め、中学生になると集金もしました。朝夕刊の合間は暇なので、父は雑穀販売も始めました。私が大学2年の時に父が60坪のガソリンスタンドをつくりましたので、就職せずに家業に就きました。中学生の頃から跡を継いでほしいと父に言われていたからです。
私はトラックで買い付けた雑穀を帯広の会社に売り、その金で買った縄やカマスを農家に売って商売をしていました。私が25歳の時に父がガソリンスタンドを音更町の木野に出し、会社を設立しました。当時は父と私と弟と数名の社員の会社でした。ガソリンはよく売れました。
同友会との出会い
同友会に入会したのは31歳の時です。大きな会社の人と人脈をつくりたかったからです。私は他の会社に就職したことがなかったので、組織の中で仕事をしたことがありません。上司からの訓示の経験もありません。当時のわが社の訓示めいたものといえば、父が何度も繰り返して語るソ連での抑留の話ばかりです。大組織の社長の話を聞きたかったのです。当時、同友会の役員をしていた長谷川産業の社長や黒坂産業の社長、福原の社長の話を真剣に聞いたものです。30代の私は同友会活動に一所懸命取り組みました。同友会とわが社は切っても切り離せない関係性があります。
その頃結婚し、3人の子どもを幼稚園に通わせていました。そこの学園の関係者が、ある日テープを売りに来ました。それは、ポール・J・マイヤーの自己啓発プログラム・SMIのテープでした。18本入りで18万円もしましたが、ひかれるものを感じて購入しました。人生の成功の鍵は目標設定にある。目標を設定するかしないかでその人の人生は決まるという内容です。私は直ちに人生設計書を書き、目標を立てました。33歳の時でした。このテープが私の人生を決定づけたのです。
拠点を移して業容拡大
当社はガソリンスタンド1店から4000名の社員を抱える組織になりました。業容が拡大した契機は、営業拠点を他地区に移すことを繰り返したからです。
ガソリンスタンドの仕事を父から任された頃、大手の代理店で市場は固められていました。帯広に出店したいと思っても元売から断られます。これではいくら目標を設定しても会社を大きくできません。日経新聞などを読んでいると、これから伸びるビジネスは、スイミングスクールだと出ていました。スイミングスクールは、道内では札幌と函館にしかない時分です。
そこで帯広と同規模の東北の都市のスイミングスクールを見に行き、「これはいける」と判断しました。当社の最初の異業種への進出がスイミングスクールでした。帯広は市場が小さいので多店舗化はできません。ビデオレンタル店がいいと新聞に載っていたので、次に蔦屋に加盟することにしました。
今でもそうですが、フランチャイズ本部の話を鵜呑みにせず、加盟店の経営者の話を聞いてから判断しています。びっくりドンキー、さらにリサイクル店と、業容を拡大していきました。当時、日本にはきれいなリサイクル店がありませんでしたが、アメリカでは流行っていたので開店しました。初日で商品がなくなるほど繁盛しました。とにかく売れました。「これはいける」と判断して旭川にも進出しました。
異業種は人を育てる
スイミングスクール、ビデオレンタル、外食の知識は私にはまったくありません。でも確信しています。異業種に進出すると人が育つのです。なぜか。私が素人なので現場に口出しできないからです。人は任せると育つものです。
セルフガソリンスタンドを始めるときも北欧を視察しました。北欧はセルフでも十分商売になっていました。売れていないスタンドをセルフにしたところ売れましたので、全道にセルフスタンドを展開することにしました。現在、全道で35店舗のスタンドがあります。ガソリンは系列販売の商売です。元売の許可がないと石油を売ることができません。しかし、売れるところには元売も卸してくれるのです。
調べてみると、東北地方はセルフ化が遅れていました。東北1号店を岩手県の陸前高田に出しました。帯広から陸前高田まで9時間かかります。遠いところに出店すると人が育ち、管理する仕組みができます。組織経営ができるようになるのです。今では東北で45店舗ありますが、ほとんどがプライベートブランドです。
陸前高田のスタンドは東日本大震災の大津波で流されましたが、オカモトの看板と奇跡の一本松だけが残って話題になったものです。地下タンクだけが残りましたので、6月以降に営業を再開しました。プライベートブランドだからこそ多店舗化できたのです。
異業種へ、異業種へ
東京の通所介護の店が手放すという話を聞いて進出することにしました。介護は素人でしたが、異業種へ挑戦しようと、フランチャイズにして展開しました。
次に挑んだのはスポーツクラブのジョイフィットです。札幌に出店したところ、3日間で3000人の会員が集まりました。これはフランチャイズにして展開しました。オーストラリアで儲かっているスポーツクラブのローカルチェーンを視察して確信を持ちました。
東京にジョイフィットを出して思いました。北海道では立地のいいロードサイドに店舗を出すと、広大な駐車場が要るので地代がかかります。東京は駐車場が必要ありません。家賃は高いが人が多い。今では、東京だけでジョイフィットとジョイリハで95店舗あります。東京での仕事はそんなに難しくありません。市場が大きいところは差別化できればやれると思います。
また四国のヤマウチをM&Aで吸収しました。年商100億円の会社でしたが、跡継ぎがいなかったので引き受けました。関西以西のジョイフィットはこの会社がやっているので、今では売り上げが200億円に届きそうです。エリアを移すことで業容が拡大しました。確信が更に深まりました。「拠点を移すこと。異業種をやると人が育つ」と。
失敗の連続
今はグループ全体で460店舗ありますが、閉店や撤退、売却をした店舗は96店舗もあります。でも私は社員に言っています。「挑戦しなさい。挑戦しなければアイディアも浮かばない」。
京都で巨大迷路が流行っていたので帯広につくりました。しかし、お客様が来るのは週末、GW、夏休みだけです。雨が降るとお客様は来ませんし、不安定なので3年で閉めました。パチンコ店もフランチャイズに加盟してやりましたが、ある日国税がやってきました。フランチャイズ本部が脱税したので加盟店にも調査が入ったのです。すぐに手放しました。札幌にゲームセンターを出しましたが、利益が出たのは一カ月だけ。閉店処理に7億円もかかりました。
わが社の事業は失敗の連続なのです。
後継者との関わり方
私は商売人の子どもとして育ち、親からは「おまえは跡継ぎになれ」「経営をやるからには帯広の老舗デパートの藤丸を目指せ」といつも言われて育ちました。いつしか会社は大きくしなければならないと考えるようになったのです。
後継者は、親から離して距離を置いて接することが大事だと思います。後継者の次男は現在、四国のヤマウチの社長をしています。四国に会社があると遠いので、私は口出しができません。私も父が会社に出てきてあれこれと言われるのが嫌でした。
後継者には任せる。距離を置く。新しいことに挑戦させる。そして失敗を経験させることです。
銀行対策
当初は田舎で操業して担保がなかったため、銀行は金を貸してくれませんでした。金の大切さを知っているので、世間で言う「人・モノ・金」ではなく「金・人・モノ」の順番だと私は思います。金利が高かったので資金を調達するために上場も考えましたが、上場すると四半期ごとに株主に言い訳しなければなりません。時流をみながら長期的に今、何をしなければならないか考えられなくなると思い、上場しませんでした。
土屋公三氏の影響
1979年、私は同友会の例会で土屋公三氏の話を聞いて衝撃を受けました。「甘っちょろい経営者に社員教育などできるか。そんな社長は社員に見抜かれる。社長自ら学び、人生設計書を書きなさい」と土屋氏は語りました。土屋氏は私の大恩人です。土屋氏が開発した「3KM(個人・家庭・会社の目標・モチベーション・マネジメント)」に学びました。
人を育てるよりも人が育つ環境づくりが大切です。私自身が人を教育するなどおこがましくてできません。社員が勝手に育つ仕組みをつくることが経営者の仕事ではないでしょうか。
土屋氏が開発した3KMでは、個人、家庭、会社の1年後、3年後、10年後、20年後の目標と夢を10項目ずつ書き出します。22年前に作成した私の目標には2021年度に売上800億円と書いてあります。何とか目標を達成しています。
社内では「家族の思い出応援制度」をつくり、表彰しています。3KMを社内に根付かせるために様々な工夫をしています。
挨拶は「お元気さま」
わが社は挨拶も一風変わっています。朝から疲れてもいないのに「お疲れさま」はないでしょう。苦労もしていないのに「ご苦労さま」も変です。社内の挨拶は「お元気さま」で統一しています。
「3KM」、「ヨコテン(社内の成功事例を他部署でも展開する)」、「TOPS」(トヨタ・オカモト・プロダクション・システム)、「ベンチマーク(全国の繁盛店を真似る)」が社内共通語です。繁盛店は一人で見に行っても実行に移せません。必ず複数で見に行くことにしています。これで先進事例を素早く導入できるようになります。
時流を察して先頭に立つ。その方が撤退も早くできるのです。任せる経営、スピード経営が私の身上です。会議もペーパーレスでテレビ会議です。
人事理念は「勤めてよかった。やめたらダメよ」です。社員がわが社に勤めてよかったと心から思ってほしい。家族に「いい会社に入ったのだからやめたらだめ」と言ってほしい。そんな会社をつくりたいのです。職員の離職を止めるには、同期の仲間や家族の励ましに勝るものはありません。
今年の採用はエントリーが3900名、会社説明会参加が1200名、選考者は840名、内定は92名でした。新入社員の退職は、2016年度は入社74名中1名、2017年度は88名中1名、2018年度は87名中4名です。同期の仲間が励ましあうために、入社して3年間は毎月新入社員研修会を開いています。社員教育には私は顔を出しません。すべて人事担当の専務に任せています。
オカモトの事業領域
オカモトの事業領域は明快です。「現金商売」「粗利50%」「投資回収は3~5年」「商材でネットと戦わない」「多店舗化できる」ことです。多店舗化できないと人が育ちません。店が少ないといつまでたっても店長になれません。領域を決めておくと、ビジネスの話が持ち込まれたときの判断が早くなります。
当社のようなコングロマリット経営は採用に有利です。若い社員は、卒業の段階では自分の適性がわかりません。入社して自分に合わないと思えばグループ内の別の事業に異動しますので、定着の向上につながります。
人事制度も、希望する事業部や勤務地を選べるようにしています。3年経過した社員は、社内FA制度で新しい事業などに異動することも可能になります。カンパニーの責任者は、社員を大事にしていないとグループ内FAで人材を抜かれてしまいます。FAの拒否権は責任者にありません。
今後は「オーガニックグロース(自立的成長)」と「ノンオーガニックグロース(M&Aや吸収合併)」を組み合わせて成長していきたいと思います。ASEANへの進出はまだ成功していませんが、日本で培った経験を海外でも活かしていきたいのです。
オカモトグループは本拠地を十勝におき、営業拠点を移すことによって業容を拡大してきました。今後も時流の先頭に立ちながら、社員が成長できる環境をつくり続けていきたいと思います。
(2018年10月20日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」記念講演より 文責 米木稔)
■会社概要
設 立:1971年
資 本 金:2億300万円
従業員数:4,000名
事業内容:ガソリンスタンド、スポーツクラブ、介護、外食、自動車整備、リユース、指定管理、書籍文具、ホテル、美容などの事業を全国展開している。海外6カ所を含む505の事業所を配置している。