【67号 特集1】TPP等で日本・北海道はどうなる? ー米韓FTAから見える示唆ー
2019年01月01日
環太平洋経済連携協定(TPP)参加11カ国による新協定「TPP11」の発効、アメリカとの貿易関係の変化などが、日本・北海道の産業にどのような影響を与えるのか。米韓FTA後の韓国の姿から考察します。
酪農学園大学 教授 柳 京煕
皆さんは「自由化」とは売り買いが自由にできることだと思っていませんか。経済用語としてはそうですが、現実は異なります。たとえば、日本の主要なコンビニエンスストアには三井物産、三菱商事、伊藤忠商事が出資しています。そして、その3社が企画開発した商品が店頭に並び、私たちは購入しています。これは私たちが欲しいものを自由に選択していると言えるでしょうか。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)・FTA(自由貿易協定)も自由化の一つですが、同様のことが言えるということをまずは押さえて下さい。
1997年、韓国自由化へ
韓国の自由化は、1997年のアジア通貨危機から始まりました。同年、IMF(国際通貨基金)の管理下に入り、自国の経済政策はIMF主導で進められ、新自由主義路線へと舵を切りました。「金融機関のリストラと構造改革」「通商障壁の自由化」「外国資本投資の自由化」「労働市場改革」などが一気に進められました。2001年8月23日、韓国政府は「IMF体制からの卒業」を発表しました。
韓国が世界各国・地域とのFTAを決断した理由は、IMF管理体制で新自由主義路線を取った結果、雇用が激減したからです。2011年の非正規雇用は全雇用数の49・8%、828万人になり、世界経済と直結した韓国経済は、独自に講じられる政策手段が残されていませんでした。失業問題が悪化する中で、打開策として貿易拡大を選択したのです。
その結果、経済規模は急速に拡大し、05年の統計資料では名目GDP(国内総生産)は806兆ウォンになりました。GDPに占めるサムスン、現代自動車、SK、LG、ロッテの5大企業の割合は約42・3%、サムスン1社だけで18%を占める状況になったのです。5大企業が韓国国内でたくさん雇用していれば当初の目的は果たせましたが、工場の多くは中国・東南アジアにできました。そして、韓国国内の雇用は激減。若年失業者が増加し、非正規雇用が拡大しました。このように5大企業が稼いだ金は国民に還元されていません。
韓国の上場企業上位30社の平均給与は日本の上位30社より高く、2011年度でサムスンの幹部職の平均年俸は日本円で約3億円、副会長は20億円を超えています。一方で、都市勤労者所得は07年で所得上位10%と下位10%の差は約10倍に広がり、04年の統計庁の調査では貧困層が12・2%に達しました。自殺者は2016年で1・3万人、人口10万人あたりの数では世界一になっています。自由化によって競争社会と格差社会が確立されたのです。
米韓FTAから何を学ぶのか
TPP11が今年の12月30日に発効される見通しとなりました。一方で日米両国はTAG(物品貿易協定)の交渉入りに合意し、来年1月にも始まります。こうした状況で、米韓FTAに注目するのは、日本にとって韓国と米国のFTAに関する正確な情報確保が非常に重要だからです。なぜなら、国民のための交渉にも関わらず、日米交渉内容は国民に情報公開されません。TPPやTAGで行われる交渉は、米韓FTAで行われた交渉とほぼ同じ内容、あるいはそれ以上のことが要求されると予想されます。そのためにも学ぶ必要があります。
米韓FTA交渉は2006年2月から開始され、翌年6月に調印されました。米国での合意法案は11年10月に可決され、韓国ではデモ隊が国会に乱入するなど激しい抵抗もありましたが、12年3月に発効します。これにより、5年以内に95%の品目への関税が撤廃されることになりました。その中に、韓国にとって、甚だ不都合な影響を及ぼす「毒素条項」と呼ばれる条項が盛り込まれました。それが、ISDS条項(投資家対国家間の紛争解決条項)です。
ISDS条項は、FTAを締結した国と外国企業や外国投資家との間で紛争が生じた場合、締結国の裁判手続きではなく投資紛争解決国際センターに提訴できる規定です。例えば、韓国政府が国民健康保険を強化する政策を採った場合、米国の保険会社はすぐに民間医療保険市場の縮小を盾に、韓国政府に対して損害賠償請求訴訟をセンターに起こすことができます。
2012年時点で韓国の民間医療保険の規模は約12兆ウォンとなっており、約30兆ウォン規模と言われている国民健康保険の40%に達する勢いです。米韓FTAによって公的健康保険制度の発展と公共性が強化できない事態になります。また、中小企業育成法案という中小企業の支援の法案は提案が見送られました。「なぜ韓国の中小企業だけを支援するのか。差別だ」と批判され、提訴される可能性が出たからです。このように、提訴されるリスクが高まり、国が持つ政策決定権が著しく萎縮する現状に直面しています。
その他、韓国で米韓FTAにより自由化が進められている分野を列記すると、病院の営利子会社の許可、経済自由区域での営利病院の規制緩和、遠隔医療などの新医療技術・医薬品規制の緩和、臨床試験の規制緩和、医療部分の民営化など、ほぼ営利病院を認める方向での法改正がなされています。さらに廃案となったものの、水道の民営化に向けた法整備が朴政権当時の与党から出されたことにも注意すべきです。
農業分野への影響
自由化に伴う農業分野への影響はどうでしょうか。「日米の交渉が進むと1・7兆円の農業損出は発生するが、3兆円の経済成長がある」「農業はこれまで補助金を沢山もらってきたので仕方がない」との声がありますが、果たしてそれで良いのでしょうか。全羅北道・南道という韓国の北海道的な地域は、自由化によって1995年から2015年の間の農村人口は▲6・4%、▲6・2%減少しました。そして、都市人口も▲0・9%、▲1・7%減少しました。農業が立ち行かなくなると農村から人口流出が進み、それを受け止める都市というダムも自由化で決壊し、人口流出、高齢化が進むという表れです。
「農村人口の減少は農業者が高齢化したからだ」という論調もありますが、私は米韓FTAが宣言され、農業者が希望を失ったことが大きな要因だと思います。韓国は貿易拡大と引き換えに農業を諦めたのです。地域は様々な産業・人で成り立っています。その一つが欠けると地域は持ちません。
米国のねらい
1950年に勃発した朝鮮戦争は、53年7月27日に休戦協定が結ばれ、今日に至っています。まだ戦争は正式には終わっていないのです。北朝鮮の非核化などの議論と合わせて、今年4月27日、2018年中の終戦を目指す板門店宣言が発表されました。韓国は2006年から16年までに、約3兆5000億円の武器を米国から購入しています。米国にとって終戦宣言は武器購入が減ることを意味していますが、トランプ大統領は受け入れようとしています。それは武器輸出より、この間の米韓FTAが米国に利益をもたらしていると考えているからです。さらに終戦で北朝鮮の経済開発が進み投資が集まることで、米国にメリットがあると判断したからです。ちなみにトランプ大統領は、6月12日に開催された米朝首脳会談で、北朝鮮の「完全非核化」に要する費用は「韓国と日本が払う」と述べています。
その一方で、前年の7月にUSTR(米国通商代表部)は、韓国に米韓FTA改定及び修正交渉を要求してきました。理由は、米国の対韓国貿易赤字が米韓FTA発効前の11年の116億ドルから、発行後の16年に232億ドルに増えたからだというものです。サービス部門では、15年には140億ドルの黒字になっており、韓国による対米投資額は16年には180億ドルに達しているにもかかわらず、米国の都合を押し付けてきたのです。
当時は北朝鮮情勢が緊迫し、「核の傘」の強化を含む米国による韓国の防衛協力の拡大を求めざるを得ない状況で、韓国政府は大幅な譲歩に追い込まれました。同様のことは、米国と日本にも生じる可能性があると考えられます。
日本への教訓
日本政府およびマスコミは「韓米FTAが発効すれば、日本企業は米国市場で韓国企業より不利になる。TPP参加により同等の競争条件を確保できる(内閣官房「包括的経済連携に関する検討状況」2010年10月27日より抜粋)、「TPPによる輸出促進でGDPは増加する」などと謳っています。ちなみに2014年度GDP比では、韓国の輸出依存度は43・4%、輸入依存度は38・8%ですが、日本は11・4%、10・8%でした。貿易依存度の高い韓国のように、生き残りのために自由化へ突き進まなければならない状況ではありません。
また、TPP等の議論は、農業対工業の図式になりがちです。そうした図式ではなく、国民益の視点で考える必要があります。貿易拡大のために国民の生活が犠牲になって良いはずはありません。米韓FTAでは医療部門が最も影響を受けました。国民生活全般に影響が出るということを想定する必要があります。
均衡的な発展を目指すことと、国際的競争力を持つことは相反することではありません。ただし、国際競争力を持つために、国内の均衡的経済発展を疎かにしてはなりません。国際競争力は何のために必要なのでしょうか。真の意味での国益、国民益とは何か。それを守るために何が必要か、じっくりと議論しなければならない時期に直面していると思います。
(2018年10月19日「第35回全道経営者“共育”研究集会inとかち」第6分科会より 文責 佐々木靖俊)
■講師プロフィール:
柳 京煕(ゆう きょんひ)
1970年ソウル出身。北海道大学大学院修了。JA総合研究所研究員を経て2011年から現職。