【1世紀企業49】十勝毎日新聞社(帯広市)
2019年04月15日
挑戦続ける十勝の地方紙 先人の開拓精神受け継ぐ
1919(大正8)年9月に創業し、今年100周年を迎える同社は、資本金3000万円、売上高億円、従業員数約170人の十勝を代表する地場企業です。「勝毎」の愛称で市民に親しまれ、発行部数は8万1000部と他紙を大きく引き離しています。同社は本業以外にも、広告、ケーブルテレビ、ホテル、FM放送、レストラン、観光ガーデンなど12のグループ企業を率いています。
5代目になる林浩史社長は、67(昭和42)年生まれの51歳。アメリカの大学院を修了した後に同国の地方紙に勤めてから入社し、2009(平成21)年に社長に就きました。林社長は「依田勉三の民間開拓の精神を十勝人は受け継いでいる。我が社も例外ではない」とし、同社が取り組んでいるネットなどさまざまな媒体を融合した、クロスメディア戦略で新規事業に挑戦し続ける社風は、開拓精神によるところが大きいことを強調しています。
1909(明治42)年に大分県から移住した初代の林豊洲氏は、当時の帯広日日新聞で編集長をしていました。ところが、同社社長の菅野光民氏がトムラウシ温泉付近で熊に襲われて亡くなります。急遽経営を引き継ぐことになった豊洲氏は、19(大正8)年に前身の帯広新聞社を創刊しました。林社長は「豊洲は地域貢献のために朝野球大会を始めた。花火大会や十勝川温泉で旅館も経営して我が社の基礎を築いた」と曾祖父にあたる豊洲氏を振り返ります。
2代目の林克己氏と3代目の林正巳氏の兄弟は、二人三脚で戦中戦後の情報統制の荒波を乗り切りました。4代目の林光繁氏は、毎日新聞社を経て73(昭和48)年に入社し、同社の大改革に着手しました。
顔の見える新聞を目指し、選挙報道、学生スポーツ、まちの行事などを記事にして地域密着の地方紙づくりにまい進しました。この戦略が当たりました。当時の大手他紙は6万部を発行し、同社は2万部でしたが、90(平成2)年には7万部を突破し、帯広・十勝で最大の発行部数となりました。林社長は4代目について「勉強家で決断が早い。緻密で計数にも明るく、経営者としての資質を全て持っている人だ」と述べています。
グループ社、総勢約700人の企業集団を導く経営者として「新しいことに挑戦したい。社員の採用も新聞だけでは難しい。クロスメディアとデジタルに精通した人材を求めている。難しい時代だが、メディアとして正しく行動したい」と林社長は語っています。