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【1世紀企業 85】丸イ伊藤染舗(小樽市)

2025年02月15日

1928(昭和3)年夏に伊藤染舗前で

            ものづくりの可能性を追求
             全道に染物技術広める

伊藤晴竹社長


 創業者伊藤與吉氏は、愛知県愛知郡熱田の「染屋㋑伊藤」の婿養子でした。與吉は幕末の動乱の中、横浜に居を移して西洋洗濯を取得し、1869(明治2)年に北海道に渡り、西蝦夷の鰊場や札幌で越冬用の古着等の担ぎ屋を始めました。

 一方、59(安政6)年に熱田に生まれた與吉の長男芳太郎氏は、幼少より東京にて染工の技を学び、横浜に工場を開設。染物工法を改良した「ボロ藍」を開発し、東京・小田原等関東の希望者に伝授します。その後北海道に渡り、職工として奮起。二代目として経営を引き継ぎ、現在の札幌すすきので工場を開設しますが、94(明治27)年の大火で顧客を失います。そこで工場は弟子に譲り、本店を小樽に移転し再出発。1900(明治33)年には電話も設置したといいます。

 3代目末吉氏は、14(大正3)年頃小樽染物業組合を発足させます。16(大正5)年には小樽為替預金支局開局に伴い「振替141番」を開設し、入金手段を確立すると同時に、販路を全道と樺太に広げ業容を拡大します。21(大正10)年に洋館付店舗・工場を移築落成するも27(昭和2)年、裏隣の家具工場の出火で類焼。しかし同年9月には「独式ナフトール冷染法」を編み出し、全道の業界に公開します。鮮やかな赤色を発色が可能で、現在でも使われている技術です。

 終戦後は復興に向け染色講習会を指導。団旗の名称変更に伴うリフォームや、付属彫金加工にも取り組みます。北洋漁業も再開し「船旗で新生日本の心意気を喚起せん」と業界再起を呼び掛けました。

 4代目吉郎氏は62(昭和37)年に就任し、有限会社丸イ伊藤染舗を設立し法人化。市内花園町2―4―1に新店舗を、新光町には朝里工場を落成しました。翌年に写真型捺染(なっせん)、静電気植毛機を導入し、印入加工部を強化刷新します。こうした技術が評価され、67(昭和42)年、「おたる潮まつり」の紋章、書体・衣装・小道具管理、潮太鼓等の営繕業務を受任。さらに69(昭和44)年には、通称「旗イトウ」を掲げると共に、「トロフィーサービス事業部」を増設しました。74(昭和49)年に国道5号線拡幅に伴い店舗を「ウインドウギャラリー店頭工房」に建て替え、75(昭和50)年に熱転写機を導入しTシャツのプリントを始めます。

 81(昭和56)年、5代目に就任した一郎氏は、翌年に花園2―1に本店を移転。83(昭和58)年には、資生堂CM・ラッツ&スター「め組のひと」のコスチュームに船旗が採用されます。85(昭和60)年に鯉のぼりを市民募集し「北海風っ子まつり」を提唱。89(平成元)年には第一・第二工程加工場を集約し、住吉町14―4に「絵場・船旗や」を開設し「潮太鼓伝習場」も併置しました。2000(平成12)年、NPO法人北海道職人義塾大學校の立ち上げにも参加します。

 15(平成27)年6代目に就任した晴竹氏は、昨年7月に同友会へ入会。異業種の経営体験に学びながら経営環境の変化に対応し、新たなものづくりの可能性を追求しています。