011-702-3411

営業時間:月~金 9:00~18:00

同友会は、中小企業の繁栄と、そこで働く全ての人の幸せを願い、地域社会の発展のために活動しています。

【わが人生わが経営 156】 (株)北海道建設新聞社 前取締役会長 松木 剛氏(76)(札幌支部)

2024年08月15日

                
             社会で役立つ企業に

            積極的なWeb事業展開


「会社は生きること、残ること、そして成長すること」

 松木さんが6月まで取締役会長を務めていた北海道建設新聞社の前身である道通は、陸軍士官学校卒業後、道北バスの経理部署で働いていた父秀喜氏が、戦地から復員後の1952(昭和27)年に弟の慶喜氏らと札幌市で設立した会社です。しかし、58(昭和33)年に会社を分けることとなり、北海道建設新聞社として新たなスタートを切りました。「社員は残ってくれたが負債を全て背負っての再出発だったため、先代の苦労は計り知れない」と語ります。

 松木さんは47(昭和22)年、旭川市で3兄弟の長男として生まれました。5歳の頃、教師をしていた母親が病に倒れ、実家のある福岡県小倉市(現在の北九州市)で療養生活を送ります。その後、札幌市に移り、幼少期を過ごしました。

 65(昭和40)年に明星大学電気工学科に入学。大学では哲学が専門の小島威彦教授に師事し、教授の著書「世界創造の哲学的序曲」などを用いて勉学に励みました。卒業してからも15年間、教授の家に通い、社会情勢などについて語り合ったそうです。「私にとって小島教授との出会いが一番大きかった」と微笑みます。また、鉄道研究会に所属しており、土木工学部の伊藤健雄教授との出会いもありました。伊藤教授は鉄道分岐器トングレールの賢者で、「現場で事故があったら率先して一番に行け」という教授の口癖が心に響いたといいます。この言葉が松木さんの記者の原点となり、「何かが起きたら自分の足で現場に行くことが、自分の行動の哲学になっている」と語ります。

 69(昭和44)年に大学卒業後、カセットテープレコーダーの生産・販売を手掛ける日本音響に入社。生産管理部に配属され、電子部品の性能測定、設計図作成などに携わりました。また、塩尻、信濃大町、熊本、会津若松など出先の生産ラインの管理も任されました。

 3年間働いた後、72(昭和47)年2月に秀喜氏から北海道建設新聞社へ入社するよう要請があり、同年5月に編集記者として入社します。札幌土現、札幌防衛施設局、石狩管内市町村などの担当から記者生活が始まりました。その後、営業局に異動し、購読部数の拡大に尽力します。妻の眞知子さんと結婚後の78(昭和53)年、函館支社に異動。1カ月の半分は渡島・檜山管内へ出張し、奥尻へは江差から連絡船で渡っていたと懐かしみます。そして88(昭和63)年、取締役函館支社長に就任しました。

 松木さんが札幌へ戻ってきた後91(平成3)年のバブル崩壊で倒産した会社が建設業にも転業し、新しい読者が一次的に増えました。その後の消費税アップや拓殖銀行破綻などの影響から部数は減少。「会社の負債が大きかった時に話せる相手(弟章氏)が会社にいてよかった」と苦難の日々を振り返ります。苦しい状況は続きましたが、リストラはしませんでした。

 そして、98(平成10)年、代表取締役社長に就任。17年間の社長時代では多くの新事業に取り組みました。紙離れ対応として、電子組版の導入やWeb事業を確立。2000(平成12)年に記者パソコンを導入し、01(平成13)年に自社のホームページを開設しました。04(平成16)年には電子組版システムのソフトウェア開発を進め、Web事業の視察研修として鹿児島建設新聞や大分建設新聞、長崎新聞などを訪問。05(平成17)年にe―kensinサービスを開始したことで新たな収入事業が始まり、現在のWeb地図事業に繋がっています。15(平成27)年に代表取締役会長となり、24(令和6)年に取締役会長を退任し、次の世代へと引き継ぎました。

 同友会には先代の秀喜氏が1971(昭和46)年に入会し、常任理事を務めました。松木さんも函館支社赴任時代から同友会活動に参加してきました。2000(平成12)年から24(令和6)年まで(一部退任時期あり)理事を務め、札幌支部や国際ビジネス研究会、中央西地区会の幹事などを歴任。「同友会は地区会が基本。より良く変えていくために意見をぶつけ合うのが醍醐味」と語ります。

 国際ビジネス研究会でヨーロッパを訪れた際、「EU小企業憲章」に感銘を受けた松木さん。
「地域のバックボーンである小企業を第一に考えることがとても重要なのに、なぜ日本には小企業憲章がないのか」と思ったそうです。10(平成22)年、遂に中小企業憲章が閣議決定されました。
「社会の中で役立つ企業として、しっかり生き残り、限りなく前進を続けることが大事」と力を込めます。

まつき・つよし 1947年生まれ、旭川市出身。明星大学電気工学科卒。72年に入社し、98年代表取締役社長に就任。2024年6月取締役会長を退任。

北海道建設新聞社=本社・札幌市。1958年創業。資本金3000万円、従業員121名。
 「会社は生きること、残ること、そして成長すること」