【わが人生わが経営 139】(株)エムジー・コーポレーション 取締役会長 後藤 洋氏(74)(札幌支部)
2023年02月15日
新規事業に挑戦して
社長になるための5箇条
「同じ事だけやっていても、会社は長くは続かない。新規事業がとっても重要。失敗もあるが、どんどんチャレンジしていく必要がある。そうしないと生き残ってはいけない」
後藤さんは、1948(昭和23)年、室蘭市で5人姉弟の長男として生まれます。その後、釧路市に引っ越し、高校までは釧路市で過ごしました。卒業後は東京への強い憧れから上京を決意。浪人生活を経て、中央大学文学部に進学します。「入学当時は大学紛争真っ直中だった。大学の教室が封鎖されていて8月くらいまで学校に通えなかった」。大学ではペンクラブに入部。小説を読みあさり、仲間と批評し合う時間が楽しかったと振り返ります。
その後、弟の同級生の美砂さんと結婚するため、札幌での就職活動に励み、晴れて雑誌社の営業マンとして社会人生活をスタートさせます。1年ほど働いた後、企画会社へとキャリアアップしますが、業績が悪くなり会社が倒産。そこで、後藤さんは「自分にもできるのではないか」と一念発起し75(昭和50)年、26歳で自ら企画会社を立ち上げます。
最初の仕事は車のステッカーのデザイン製作でした。そこから前職での経験や伝手を活かし、企画の仕事を中心に実績を積んでいきます。しかし、仕事の依頼には波がありました。「このままではまずい」と思った後藤さんは、毎月定期的な収入を得るため、月刊誌を発刊しようと考えました。それが「マイカー情報」でした。
「車が好きで車の雑誌を作った訳ではない。広告の取れる雑誌にしようと思った」。その当時、広告をとれていたのはオーディオと車の雑誌でした。オーディオでは、すでにある雑誌との差別化が難しいと後藤さんは判断。一方車の雑誌では、北海道に特化したものがまだなく、冬タイヤなど冬季装備があり北海道価格となる車なら、地域性を出しやすいと考えました。
77(昭和52)年には株式会社としてエムジー・コーポレーションを設立。会社名の「エムジー」には、「みんなで(M)がんばろう(G)」の意味が込められています。さらに、車関係のイベントにも力を注いでいきます。85(昭和60)年に開催した第1回カー&アクセサリーショーは大成功を収め、札幌国際4WDショーなども手掛けました。
やがて、車関係にとどまらず、子育て情報誌を創刊するなど子育て部門にも幅を広げました。東北でカーセンサーの代理店業務や、社内で行った新規事業コンテストで、最優秀賞に輝いた企画を事業化した、中高生向けのキャリア教育マガジン「さくらノート」の発刊など新しい事業の展開に積極的に取り組んでいきました。
その後、そろそろ社長業を引退しようかと考えていた後藤さんですが、2011(平成23)年に東日本大震災が発生し、東北のお客様が被災。後藤さんも東北を訪れるなど対応に追われます。そして、会社が落ち着いた17(平成29)年、69歳で長男の章仁氏に社内承継しました。
章仁氏が小学生の頃、社長になりたいという章仁氏に後藤さんは「社長になるための5箇条」を紙に書いて渡したといいます。①約束は必ず守る②計画を立てて実行する③色々なことにチャレンジする④失敗しても挫けない⑤1度決めたら継続する。「これが守れたら社長になれるよ」と伝えていたそうです。
「跡を継いで欲しいと言ったことは1回もなかった。でも、今はこの5箇条を信念に息子が会社を引き継いでくれている」とにこやかな笑顔を見せます。
さらに孫には「世の中で正しいことをする」を加え6箇条にしたと話す後藤さん。「この6箇条を守れれば、お父さん(章仁氏)よりも良い社長になれるよ」と教えているそうです。
「孫も将来社長になりたいと言っているのが嬉しい」と目を細めます。
同友会には1987(昭和62)年に入会。北海道理事(90―2003年度)を務めたほか、札幌支部幹事、豊平・清田地区会幹事、未知の会などで活躍しました。未知の会では第1期生として色々な勉強ができたといいます。
また、無二の会では第2代代表世話人(12―18年度)として、会の発展に尽力しました。1泊旅行の企画では「事務局側の同行者もなく、添乗員の役回りから人数の確認や訪問先の交渉、会計まで1年目は全部1人でやった。2年目以降は役割分担して、上手く回せるようになった」と振り返ります。
ごとう・ひろし 1948年生まれ、室蘭市出身。中央大学文学部卒。 エムジー・コーポレーション=本社・札幌市。1975年創業、77年会社設立。雑誌・書籍の企画・制作、カーセンサー代理店業務、WEB事業。資本金9500万円。従業員50名。 |