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【71号特集3】都市近郊型農業の新☆戦略①

2023年01月20日

都市近郊型農業の新☆戦略①
―10年先をみすえた農業経営―

 

㈱あしだファーム 代表取締役 蘆田 裕介(千歳)

 

 新規就農から法人化へと取り組む中、さまざまなチャレンジと葛藤を繰り返しながら、農業を産業にしてきた蘆田氏の実践から学びます。

 


 

 私は兵庫県出身で、都会にあこがれ、大阪の大学に進学しました。ところが卒業するころになってバブルがはじけ、就職氷河期が始まります。景気が良く、受けたほとんどの会社から内定をもらえた先輩たちの時代とは違い、私の就職活動は散々な結果に終わりました。冷静になって何をしたいか考えた結果、農業を始めようと思いつきました。

 

 まだインターネットもなかった時代です。駅前の都道府県出張所で北海道の農業地帯について情報を集め、名前だけでいくつかの農場の情報を尋ねました。当時、北海道だけが経験のない若者の農業研修を受け入れていることを知り、余湖農園さんを紹介されました。途中、結婚したり子どもが生まれたりしたので人より長く研修し、2001年に千歳で新規就農することができました。

 

ビニールハウスの屋根、吹き飛ぶ

 就農は、牧場の牧草跡地10haと、農村の空き家から始まりました。牧草跡地で大根の作付けから始めましたが、雨の日も外で大根を洗わなければなりません。せめて屋根を付けようと骨組みを買ったものの、その年は忙しすぎて断念し、雨の中合羽を着て大根を洗っていました。当時2歳になった子どもは家に一人で置いておくわけにもいかず、夜はおぶって大根の箱詰めをしていました。

 

 2年目に屋根を付け、3年目の2016年には畑の中にビニールハウスを建て、大根の選別ができるようにしました。人手は地元のシルバー人材センターにお願いし、大根抜き・洗浄・選別・出荷を手伝ってもらい、終了後に私たちが畑作業をする毎日でした。当時は農作業ができるだけでうれしかったのですが、これからどのような農家になりたいかを考え、特別栽培(農薬・化学肥料の使用を当地比半分以下にする)も始めました。

 

 その年の8月、台風が北上してきました。天気予報では朝方には抜ける予報だったため、いつも通り大根を抜いていたところ、出荷先から心配する電話が入りました。「大丈夫ですよ」と言いながら大根を掘り出した瞬間、建てたばかりのビニールハウスの屋根が吹き飛びました。ものすごい突風でどう対処してよいか見当がつきません。「骨は高いので骨組みだけ守りなさい。ビニールは安いのでビニールを切って風を抜き、とにかくパイプを守りなさい」という農家の知人のアドバイス通り、泣く泣く抜きかけの大根を投げ捨て、妻と2人で新品のビニールハウスを切って回りました。

 

 翌年、大根の有機認証(2年間農薬と化学肥料を使わない畑で育てた作物)取得に挑戦しましたが、すべて虫食いになりました。お客様の多くは、たとえ有機栽培でも虫食いの大根は購入しません。有機栽培できれいな大根であれば、少し高値で販売されるということを初めて知りました。私の有機栽培へのこだわりは1円にもならず、栽培を続けるどころか農園が続かないと思い、途中から農薬を使用し、その年は何とか営農できました。

 

野菜選果場

 

試行錯誤の果てに

 2006年頃から、子どもの病院や保育園の時間に合わせ、毎月一定時間働きたいという主婦のパートさんが徐々に増えてきました。春に少しずつ作業がはじまり、夏にピークを迎え、秋に作業は終わりとなると、子育て中の人はなかなか続けてくれません。毎年新しい人に同じことを教えていると今度は作業が進みません。そこで通年の仕事として、冬季間もできる菌床椎茸の栽培を始めました。

 

 まずハウスを1棟建てましたが、椎茸は11月頃から採れ始め、翌年1月で終了してしまい、一年間の仕事にはなりませんでした。3年後に補助金を活用し2棟目を建て、夏は大根、冬は椎茸の出荷で雇用が続くと算段していました。ところが今度は取引先から椎茸の通年出荷を依頼されました。もともと冬場の仕事のボリュームを増やすつもりで椎茸栽培を始めたのに、一年中続けることになったため、夏が余計に忙しくなり、夏冬の作業量の格差が開く結果になりました。

 

 また、私は法人化したいと常々考えていました。もしも農業を辞めるとするならば、5年、10年かけて土地の処分をしながら徐々に縮小していかなければなりません。計算すると、29歳で就農した私は、55歳になるともう辞める準備を考えなければならず、空しくなるばかりです。会社にしてしまえば農家になりたい人を雇い、事業を継承することができます。そこで専門家に相談し、法人化し、パートタイマーも社員も全員通年雇用にしました。

 

椎茸ハウスの見学

 

同友会と出会って

 こうして社長にはなりましたが、様々な問題が起こりました。従業員が出社しない(有給休暇)のに、なぜ賃金を支払わなければならないのか、遅くまで残業したらなぜ割増賃金になるのか等、理解ができませんでした。また、社内が派閥で分かれてしまったこともありました。会社としての組織づくりができず、小さなことを放置してしまった結果、何から手を付けてよいかわからなくなってしまいました。

 

 その時、いち早く農業法人化していた友人から同友会を紹介され、入会しました。私は入会したら何とかなると思っていたのですが、そう簡単ではありませんでした。「経営指針研究会に入って学びなさい」と言われ、1年かけて経営理念をつくり、現在は理念を浸透させるべく実践ゼミに入り、模索している最中です。

 

 農業と会社経営の間で、私の思いと実体が必ずしも一致しているわけではありません。私は野菜農家で椎茸農家ではないと思っているのですが、年間の売り上げは、椎茸の方が伸びています。会社のことを考えると、伸びている方に注力し、会社の方向を転換していかなければならず、葛藤しています。

 

生き残りをかけた戦略と20年ビジョン

 2018年には、菌床製造工場を建てました。椎茸栽培には温度調節に冷暖房を使うので、早く成熟する品種ほどコストがかからず好まれます。また、椎茸ハウスは椎茸しか栽培ができないので、光熱費や人件費が高騰する中、多くの椎茸農家は椎茸の価格は現状維持のままでも、生産を止めるか少ない利益で続けていくしかない状態です。

 

 当社も、工場の償還が残っているので椎茸栽培を止めるわけにはいきません。成長に時間はかかりますが、芽数が少なく、大きくなる品種に切り替え、名前を変えて出荷することで差別化し、生き残りをかけています。この椎茸は、大きいだけでなく肉の厚みがつき、うま味が感じられると徐々に人気が出てきています。

 

 野菜の有機栽培は断念しましたが、特別栽培は続けており、「安定供給」「一定品質」「一定価格」「年中お届け」に取り組んでいます。野菜の価格はこの十数年ほとんど変動はないのですが、昨今の肥料高騰を契機に、すべての出荷先へ全品目の価格改定を今までにないくらい踏み込んでお願いしました。

 

 「農家の従業員も貴社の従業員と同等の人件費がかかっています。一定品質・一定価格で安定供給し続けることに価値をつけていただきたい」と言葉にしてきた結果、最近はようやく少し耳を傾けて頂けるようになりました。しかし私も、大根一本にかかる人件費や肥料代などのコストを細かく計算してこなかったことは、反省しなければいけません。

 

少しずつ経営理念の実践を

 経営理念は一人ひとりの行動指針につながり、自分がとるべき行動の理由付けになるもので、3年前につくった内容をもう一度見直しています。最近の若い人はパーパス(存在意義)を非常に大切にしていますので、あしだファームがなぜこの地球上に存在し、その意義は何かを言葉にできるようにします。同時に評価制度にも着手しており、評価の基準は、全員一律で見える化し、お互いに評価することができ、昇格・昇進・昇級につなげられる内容を策定しています。

 

 私は現在50歳ですが、70歳までは農業を続け、残りの20年で今まで考えてこなかったことをしようと、20年後の売り上げを10億円にする目標をたてました。ただし、10億円を売り上げる会社にするのではなく、10億円を売る方法を考え、それにふさわしい会社になろうと思っています。ビジョンはつくっている段階から少しずつ従業員に発信し、どんな会社にしたいのか全員で思いを共有しています。社員と一丸となって会社づくりを行い、10年、20年かけて地域の人やお客様が喜んでくれる会社になればよいと思っています。

 

18分科会参加者の皆さん

 

(2022年10月7日「第37回全道経営者〝共育〟研究集会with全道青年部・後継者部会交流会in札幌」第18分科会より 文責 石垣 香子)

 

㈱あしだファーム 代表取締役 蘆田 裕介(千歳)
■会社概要
設  立:2014年
資 本 金:300万円
従業員数:10名
事業内容:大根を中心とした野菜栽培、菌床栽培の椎茸を主体とした営農