【71号特集4】温泉街再興へ挑む、ここからどうなる?川湯温泉
2023年01月12日
温泉街再興へ挑む、ここからどうなる?川湯温泉
―この先50年存続するために、今できること―
㈱川湯ホテルプラザ 代表取締役社長 榎本 竜太郎(弟子屈)
1980年弟子屈生まれ。1998年PL学園高校を経て、2004年中央大学経済学部卒業。2004年ツアープランナーオブジャパン入社。2011年父が経営する川湯ホテルプラザ入社。全盛期の川湯温泉は20軒以上のホテルと旅館があり、飲食店も50店以上あったが、今は4軒の旅館と十数店の飲食店と土産物店があるだけになった。温泉街再生に意気込む若き経営者の報告。
弟子屈町の観光客入込数は88万人です。観光客は増えていますが、宿泊者は21万人と減っています。なぜなのでしょう。川湯温泉は方向性や戦略が定まらず、ほかの温泉地との競争に負けたのだと思います。設備投資も遅れ、急速に衰退しています。2005年、知床が世界遺産になりました。川湯温泉は、阿寒から知床へ抜ける単なる通過地点になったのです。ここ10年で8軒の旅館が倒産しました。
私が川湯に戻ってきた2011年当時のわが社は、税金や社会保険の滞納がありました。さらに、財務諸表にない借金や取引先への未払い、給与の遅配もありました。社会的にも社内的にも信用が地に堕ちていたのです。東日本大震災も重なり、売り上げは過去最低でした。泉質の良さと社員の勤勉さだけが唯一の救いでした。
最初に取り組んだこと
会社に入って最初に取り組んだことは単価アップ、ネット販売とインバウンドセールスの強化です。当時の川湯の宿泊単価は6千4百円と、北海道平均の9千円、全国平均の1万2千円を大きく下回っていました。わが社はお客様から直接予約の入る「自社予約比率」が約70%と高かったのですが、これは自社以外の旅館の営業力が低かったからだと思います。2010年の直予約比率は70%ですが、2015年には40%に減りました。そのかわり、旅行会社やネット販売、海外からのインバウンド売り上げが伸びました。2019年決算では売り上げは2億3千万円、経常利益は7百万円です。客単価は1万1千円、客室稼働率は70%に向上しました。
政府は年間4千万人のインバウンドをめざしていましたが、わが社は海外での知名度もありません。2000年には11名しか海外客は泊まっていませんでしたが、直近では売り上げに占めるインバウンドの比率は20%くらいになっています。
2005年に知床が世界遺産に登録されましたが、売り上げは2012年に最低を記録しました。売り上げを伸ばそうと倒産したホテルを買い取り、2021年に2軒目のホテル「お宿欣喜湯別邸すいかずら」をオープンしました。
わが社の経営理念
経営理念は自分で勝手につくって満足していました。しかし、社員全員に伝えなければ何も変わらないと思いました。意識的な社員が育たなければ事業は継続できません。権限と責任の移譲が大切です。
わが社の経営理念は「我々は関わる全ての人に小さな感動を与え続ける企業を目指す」です。コアバリューは「全ての人に居心地の良さを。この町の貴重な資源に感謝の心を忘れない。地域貢献活動への積極的な参加」と決めました。これをカードに印刷して社員に配っています。
バブルの崩壊とともにわが社の売り上げも下がってきました。毎年落ち込んでいったのです。2008年のリーマンショックや東日本大震災のような大きな変動の時に打撃を受けました。
税金の滞納を一掃
私は前職の旅行会社では営業部門にいたので、財務は勉強していませんでした。銀行が主催するセミナーに参加して財務の知識を蓄えました。税金の滞納も銀行に支援してもらいながら支払い、2017年に代表に就いた時には滞納はなくなりました。税金が滞納していたら融資は受けられませんが、社長が交代することを条件に支援してもらいました。2011年から6年かかりました。
入社した時の給料の遅配もなくなり、ようやく普通の会社になれました。この6年間はお金の心配をしながら営業もやらなければなりませんでした。精神的にもかなりきつかったです。うちのホテルに泊まるお客様はまず北海道を選びます。それから札幌や函館などの観光地の中から川湯温泉を選択します。道東の川湯温泉をまず選んでもらわないと、わが社の売り上げにはつながりません。東北海道全体に魅力がないと売り上げを伸ばしていくことは難しいのです。
コロナ禍で窮地に陥る
ようやく普通の会社になれたと思った頃にコロナが襲ってきました。2019年9月に客単価が一番高い川湯パークホテルが廃業するなど、同業者の廃業や倒産が相次ぎました。かつて賑やかだった川湯温泉は、一気に寂しくなりました。2020年1月は前年並みの売り上げでしたが、2月は前年以上の売り上げがありました。ところが3月から5月は前年の半分になりました。北海道の緊急事態宣言が出た時には1カ月閉館しました。
さてどうするか。川湯温泉という名前をいかにメディアに露出させるかを考えました。温泉街の人たちを巻き込んで様々な取り組みをしなければ先はないと思いました。観光はどうあるべきか、旅館業はどうしていくべきか、観光客はどうしなければならないのか。本当に悩みました。事業者それぞれの考えが違うので意見をまとめていくのは大変でした。そこで自民党や国交省あてに、「キャンセルが増えてお金の見通しがたちません。助けてください」という要望書を出しました。
お願いばかりしていてもだめだと思い、「川湯温泉クラウドファンディング」事業を4事業所だけで始めました。4月16日に全国に緊急事態宣言が出され、臨時休館しましたが、クラウドファンディングは続けました。最初は10万円も集まればいいと思っていましたが、1千万円のお金が集まりました。ありがたかったです。
一体何が正解なのか
宿泊業をやっていくうえで何が必要なのかを仲間と話し合いました。業界のガイドラインができましたが、具体的に何をすればよいのかわかりません。保健所の職員に立ち会ってもらい、どこを消毒してどこに検温器を置くかなどを検討しました。この一連の動きを動画にして飲食店に伝えました。
2020年6月1日に営業を再開しましたが、何が正解なのかはわかりません。私は当時、全道の旅館組合の青年部の責任者として発言していました。要望などを出すにあたって、数字の根拠が大事になってきましたので定期的な調査活動も行いました。このような一連の動きの中で業界団体の結束や仲間とのつながりが強まり、事業を継続する勇気が湧いてきました。コロナ禍で閉館したホテルや、銀行の管理下になった同業者もたくさんいます。私のやる気がそがれなかったのは、クラウドファンディングや業界団体の結束のおかげでした。
川湯ブランドを高める
遊歩道の整備や廃業したホテルの撤去など、ここ3年間で20億円の税金が投下されています。外国人観光客の水際対策の緩和など観光が復活する気運があります。地域には単価の高いホテルも必要ですが、廉価なホテルもなければなりません。宿泊の多様性がなければ観光地は衰退します。
わが社は川湯で2軒の旅館を経営していますが、そのうちの1軒は夕食の提供をやめました。お客様には夕食を外で食べてもらうと、7軒に減った川湯の飲食店にもお金がまわります。地域の皆が潤わなければ温泉街は生き残れません。川湯温泉は酸が強く、冷蔵庫なども3年で壊れます。設備投資に毎年1千万円かかるなど、ホテルを維持することは大変です。
私は中学生から川湯を離れて遊学していましたが、川湯温泉を知らない人が大勢いました。旅行会社で営業していた時も知名度は低かったです。「俺が川湯のブランドを高める」という意地でやってきました。私の息子は5年生と2年生です。より良い形で次世代につなげたいと思います。
(2022年10月7日「第37回全道経営者〝共育〟研究集会with全道青年部・後継者部会交流会in札幌」第9分科会より 文責 米木 稔)
㈱川湯ホテルプラザ 代表取締役社長 榎本 竜太郎(弟子屈) 会社概要 設 立:1941年 資 本 金:3,200万円 従業員数:52名 事業内容:旅館業(お宿きんきゆ・お宿欣喜湯別邸すいかずら) |