【わが人生わが経営 171】(株)代表取締役 岩島 隆幸 氏(73)(函館支部)
2026年02月15日

助け助けられの人生
人脈を活かして経営刷新
「人と人とのつながりがあってこその人生。これまでの人脈があって、毎日楽しく経験を積むことができた。自分に関わってくれたすべての人に感謝したい」
衣類やバックなど幅広い身の回り品を提供する岩島商店の岩島さん。1989(平成元)年に4代目経営者である父隆一氏から引き継ぎ、事業を継承しました。人脈を生かした経営を進める岩島さん。「人を助け、人に助けられてここまでやってこれたと思う」と振り返ります。
岩島さんは52(昭和27)年、森町で生まれました。小、中学生時代は足が速く、陸上部の先生からお墨付きを得るほどだったそうです。走り方のフォームや足の運び方を学び、どんどん記録を更新する岩島さん。「1位以外の順位はとったことがなかった。いつもひとりだけゴールに向かって突っ切っていた」と笑顔を見せます。
函館の高校を卒業後、日本の経済の中心を自分の目で見て学びたいと、東京の大学に進学。当時は東京に進学する学生はごくわずかだったといいます。東京ではさまざまな大学の学生が在籍する北海寮に入り、人間性や社会での対応能力を鍛えました。「上級生からこき使われることもしばしば。しかし、仲間と協力しながら生活するのは楽しかった」と微笑み、「たくさんの人と関わることができたおかげで、今までの人生において一番濃い時間だった」と語ります。
大学を卒業後、東京に残った岩島さんは日本橋三越本店に就職します。従業員数3000名を超える大企業で働き、毎日が勉強と発見の繰り返しだったと振り返ります。就職後も北海寮で関わった人とは定期的に情報交換をし、さまざまな知見を取り入れていったそうです。
81(昭和56)年、東京での生活を謳歌している岩島さんに、隆一氏から「岩島商店で借金をしたため帰ってきてほしい」と連絡が入りました。東京での生活も軌道に乗り、毎日楽しく働いている頃でしたが、森町に帰る決心をします。
岩島さんは会社を立て直すために、まずは経営方針から見直しました。大学時代に学んでいた経営学を武器に、会社の売り上げや商品を徹底的に分析。必要な商品と必要ではない商品を選別し、売り上げの向上に力を入れました。4階建ての社屋は、1―2階に機能を集約させ、3―4階はテナントにし、売り場面積を減らすことでコストカットを図りました。
店頭商品の一新にもチャレンジ。日本橋三越本店で働いていた頃の人脈を生かし、ブランド商品を店頭に並べます。これまで町内にはブランド商品を買う場所がなかったため、町民からとても好評だったそうです。当時について「休み返上で働いていたし、贅沢は絶対にできなかった。質素に黙々と仕事をしていた」と話します。
37歳の時、5代目の経営者に就任しました。その頃にようやく借金の返済が終了。借金返済には北海寮の仲間にとても助けられたといい、「仲間や家族がいたからこそ仕事に没頭できた。人と人とのつながりの重要性を痛感した」と語ります。北海寮で出会った仲間との交流は、今もなお継続しているそうです。
現在は孫の笑顔に助けられながら仕事に励む岩島さん。「毎日の癒やしになっている。すくすく育ってくれて、毎日見ても飽きない」と笑います。また、今後は「ありがたいことにさまざまな仕事を任せてもらった。これからは自分を休ませることも考えたい」と、趣味の時間を大切にしていくつもりだといいます。
「〝楽しくやる〟が会社経営のモットー。ずっと楽しみながら仕事をすることで自分の身になると感じている」と展望します。
同友会には、2001(平成13)年に入会しました。初めて出席した例会でマルキチ食品(函館)の金子宏氏の講演を聞き、自身の会社への向き合い方を考えたといいます。その後、戸沼岩崎建設(函館)の故戸沼平八氏の招集のもと、ハルキの春木芳則氏らと協力し、04(平成16)年に駒ヶ岳・大沼地区会(現・噴火湾地区会)を発足。初代地区会長を務めます。
地区会発足前の準備会から11年間、初代地区会長として尽力し、11(平成23)年をもって地区会長を勇退しました。その後も地区会幹事や函館支部幹事を務めるなど、息子の常務・隆洋氏と共に精力的な活動を展開しています。
岩島さんは「同友会はたくさんの人が集まり、自分自身の糧となる場所。幅広い人脈を作ることもでき、毎日楽しく情報共有をしている」と話します。
| いわしま・たかゆき=1952年生まれ、森町出身。89年から現職。同友会では駒ヶ岳・大沼地区会の初代地区会長を務めた。 岩島商店=本社・森町。1950年に創業。ブランド品や婦人服、学生服の販売などを手掛ける。 |
