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【わが人生わが経営 168】社会医療法人平成醫塾 苫小牧東病院理事長・院長 橋本 洋一氏(73)(苫小牧支部)

2025年10月15日


              患者の幸せ考え続け
             リハビリ医療に力を注ぐ

 

「救命至上主義を否定するつもりはない。しかし、障がいがあっても住み慣れた場所で障がいのない人々と一緒に生活できることが、本当の幸せではないかと考えるようになった。これこそが地域医療の目指す姿ではないか」

 橋本さんは剣淵町で生まれ、小学5年生まで隣町の和寒町で生活します。当時、祖父が鹿児島市で病院を営んでいたため、小学6年生の時に鹿児島市へ移住。北海道での生活が身体に染み込んでいた橋本さんは「最初は一人でも残ろうかと思った」と笑います。

 父の代には病院を継ぐ人がおらず、橋本さんは漠然と医学部を目指すようになります。高校2年生になったタイミングで埼玉県立浦和高等学校へ編入し、一度は都内の大学に進学。しかし北海道での生活を捨て切れず、医学部入学を条件に北海道に戻ることを許されます。「そこから躍起になって勉強した」と振り返り、札幌医科大学で6年、北海道大学大学院で知識と経験を深めました。

 開院の時はすぐ訪れました。当時、苫小牧市が病院誘致に注力していて、現地の視察に訪れた橋本さんは関係者の熱意もあり開設を決意します。「時間がなく、急ピッチで医師や看護師集めに奔走した」と振り返りますが、1989(平成元)年に現在の明野新町5丁目1の30に苫小牧東病院を開設。96(平成8)年には医療法人平成醫塾を設立しました。

 病床数は260床。橋本さんは「当時は全て一般病棟にすることに腐心していた。とにかく患者の命を救うことだけを考えていた」と言います。救命至上主義をたたき込まれ、開院まで至った橋本さんでしたが、少しずつ考え方が変わっていきます。

 かつて、死亡原因の1位だった脳卒中。一命を取り留めると、家族の方から感謝の言葉を掛けられました。橋本さんは「脳卒中の場合、とにかく安静にするという認識が一般的だった。しかし、そうなるとヒトの身体機能はどんどん衰えて、最終的に寝たきりになってしまう」と言います。実際、時間が経つにつれ家族の方から「いつまでこうしないといけないのか」と不満を漏らされることも少なくなかったという橋本さん。

 患者さんとのコミュニケーションでも壁に当たりました。食べ物をうまく飲み込めない嚥下障がいの患者さんは、本人の了承を得て鼻から管を入れて栄養を摂ります。しかし、ある時の回診で「鼻から入れた管がキツい」と漏らされました。橋本さんは「分かった気になっていた。主治医でありながら、患者さんの気持ちをくみ取りきれていなかった」と気付かされ、「意思の決定権は患者さんにある。話が聞ける状態であるなら、必ず本人の気持ちを聞き取るようにしている」と言い切ります。

 2000(平成12)年には道内で初めて回復期リハビリテーション病棟を開設しました。脳卒中などで後遺症の残る患者さんのリハビリに専念する病棟として、104床を割きました。その背景には、長嶋茂雄氏の主治医としてリハビリ医療を担当した故・石川誠先生の存在があったと言います。何度も直接話を聞いてリハビリの重要性を学び「石川先生がいなければ、回復期リハビリ病棟を設置することはなかったと思う。それぐらい影響を受けた先生」と回想します。

 道内初の開設ということもあり、他の病院からも多くの視察も受け入れたと言います。これにより、現場で働く職員が質問に答えられるよう、自らの仕事を理解しようと熱心に取り組む好循環が生まれました。橋本さんは「職員の士気が高まり、責任感を生むことにもつながった」と振り返ります。

 14(平成26)年10月には、東胆振・日高管内で初めて〝緩和ケア病棟〟を立ち上げます。がんによる苦痛をやわらげ、患者さんと家族の方の安心感につなげます。ただ橋本さんは「終末期医療の側面もあるが、残された人生を一緒に考えて実現する場所でもある」と言います。

 リハビリ医療に力を注ぐようになり、医療の在り方をより深く考えるようになりました。「命を救えばそれで良いのか。救命は確かに大切だが、患者さんの全てではない」と言います。本人の意思にもよりますが、後遺症が重くてもリハビリに励むことで社会復帰の可能性は少なからず高まります。橋本さんは「患者さんが住み慣れた場所で、今まで通り社会生活を送ってほしい」と話します。

 同友会には知り合いからの紹介で92(平成4)年7月に入会しました。「多くの経済関係者との交流ができた」と笑います。

はしもと・よういち=1952年生まれ、剣淵町出身。北海道大学医学部大学院修了。89年に苫小牧東病院を開設。
平成醫塾苫小牧東病院=所在地・苫小牧市。内科・リハビリテーション科など260床を完備。職員420名。