【わが人生わが経営 164】(有)仙保燃焼器具サービス 代表取締役 仙保 貞二 氏(75)(しりべし・小樽支部)
2025年05月15日

技術で要望に応える
遊漁船で地域の魅力発信
「難しい仕事ほど楽しい。どんな故障や不具合にも対応できるよう経験を積んできた」
仙保さんは1949(昭和24)年、小樽市で8人きょうだいの次男として生まれました。戦後間もなく、食べ物も十分にあるとはいえなかった当時、「山に行って山菜やキノコ、海で釣りをして食糧を調達した」と振り返ります。「ブリキのおもちゃをバラバラにするのが楽しかった。プラモデルにスクリューを付けて池に浮かべたり、小さい頃からものづくりが好きだった」といいます。
中学生の時、親戚が営んでいた鉄骨関係の仕事の手伝いをしたことをきっかけに、卒業後社会に出ることを決めます。「進学するよりも技術を身に付け、技術で勝てるような人になりたいと思った」と語ります。
旧国鉄の函館本線、室蘭本線の複線化工事にも携わった仙保さん。トンネルを掘り直す際、トンネル内に入れる鉄骨工事を担当しました。しかし、冬になると北海道では仕事が少なくなってしまうため横浜に転居して、たくさんの工事を請け負い、腕を磨いていったといいます。
16歳の時、仕事の忙しさなどから十二指腸炎を患い、大手術を経験。一緒に入院していた患者さんに「ガソリンスタンドで働かないか」と誘われ、働くことを決めます。その会社はガソリンスタンドの運営に加え、石油ストーブやボイラーの販売、設置などを行っていました。群馬県にある工場で研修を受け一から学び、ストーブやボイラーの整備、清掃の資格を取得しました。
新天地でさらに技術を身に付け、仕事に邁進していた仙保さんですが、高齢となった父親が心配となり、72(昭和47)年に北海道に戻ることを決意します。「自分には資格も経験もある。働く当てはないけれどなんとかなるだろうという自信があった」と当時を懐かしみます。
そして同年、小樽で石油製品、石炭などの燃料販売を行う樽石に「自分を雇ってほしい」と何度も売り込みに行き、その熱意と根性が認められて、同社に入社します。石油、石炭の販売担当として再スタートを切ります。1年ほど営業業務を担当した後、ストーブなどの修理、分解掃除担当へ異動となりました。74(昭和49)年には妻の美知子さんと結婚。経験者として社員の先頭に立って仕事をしていくうちに、社内に修理・整備の専門部門を設けたいと思うようになり、会社に進言するも認められません。「それなら自分でやってみよう」とついに独立を決意。
76(昭和51)年からひとりで事業を始め、77(昭和52)年に仙保燃焼器具サービスを設立します。設立当時は三共電気専門として、冷凍ケースや自動販売機などの設置、修理全般を請け負っていました。その後、暖房器メーカーのコロナ、ストーブメーカーのバルカンなどへ請け負う範囲を広げていきました。「小樽だけでなく、黒松内、寿都、蘭越、積丹、喜茂別など後志管内を修理して歩いた」といいます。「この仕事は直にお客さんの反応が返ってくるので面白い。故障理由を説明し、使い方をアドバイスすると、一層喜んでくれる」と笑顔をみせる仙保さん。
現在は、小樽市にある本社と札幌市の営業所を拠点に事業を展開しています。また、10年ほど前からは、次男の智哉氏も加わり、智哉氏に経営などを任せています。
仙保さんは「鉄骨の仕事から始まり、電気溶接、燃料販売、暖房機器設置、修理・整備と色々なことをやってきた。どれもが自分の身になっていると改めて感じる」と振り返り、「今赤字でも良いから、〝将来のために〟と人を育てることが大事」と語ります。そして「いつもお客さんが快適に暮らせるよう、いつでも要望に対応できるような会社であり続けたい」と今後を展望します。
同友会にはコロナセントラルサービスの岩村純人社長の紹介で2003(平成15)年に入会しました。「社会情勢を勉強し、これからの自社の方向性を決めるため、異業種の人とも話がしたかった」といいます。さらに、しりべし・小樽支部では水産部会の会長も務めてきました。高島で獲れる水産物などをより広く知ってもらうために、たかしま交流会も企画。毎年恒例の交流会となりました。
また、趣味の釣り好きが高じて、遊漁船第5海仙丸を営んでいます。「船舶免許を取得する際に、仲間と互いに問題を出し合い勉強した時間が楽しかった。友達をつくるのが得意なのかもしれない」とほほえみます。
せんぽ・ていじ=1949年生まれ、小樽市出身。中学卒業後すぐに社会に出て技術を身に付け、1976年に独立。77年から現職。 仙保燃焼器具サービス=本社・小樽市。1977年設立。ボイラー、給湯器、暖房器具の設置や整備、修理などを手掛ける。従業員9名。 |